19日放送の「しゃべくり007」(日本テレビ系)で、小堺一機が過去に自身の冠番組で、名物プロデューサーから受けた圧力を暴露する一幕があった。

番組にゲスト出演した小堺は、自身が長年司会を務めた「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ系)や、その前身番組で自身が初めて司会を務めた「ライオンのいただきます」の裏側について語った。

小堺は「亡くなった横澤(彪)プロデューサーが『タモリさんにも言ったんだけどね、毎日だから遊びにくる感覚でないと繋がらないから、遊びに来る感覚でいいよ』って言ってくれたんです」と、当時のエピソードを披露した。

小堺は当時「欽どこ」の愛称で親しまれた「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日系)に出演はしていたものの、28歳という若さで抜擢された番組初司会に、どうしていいかわからなかったそう。

また、番組に出演していたおばさんたちも「平気で放送しちゃいけない言葉を言うし、お互い嫌いだとはっきり顔に出しちゃったりするし」と、タフな現場だったことを振り返った。

その結果、番組の視聴率も低迷したのだそう。するとある日、横澤プロデューサーが、同じスタジオで「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の司会を終えたタモリを丁寧に送ると、「いただきます」の本番10秒前のカウントも入り、小堺が緊張している舞台袖に現れ、「小堺くん、この番組いつになったらおもしろくなるんですか?」と、耳元でささやいたというのだ。

このエピソードに「うわー!」「コワッ!」と驚きの声があがる中、くりぃむしちゅーの上田晋也は「10秒前に言わなくてもね!終わってから言ってくれてもねえ」と小堺に同情。小堺も「怖かったです…」と漏らしていた。

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