だららんとしてみたい


 きっかけは、たまたま立ち寄ったゲーセンで、ムウが縫いぐるみを取った事なのだ。
 その時は、取れた縫いぐるみを抱いて嬉しそうにしているマリューの笑顔を見られるだけで、ムウ自身は満足だった。

 ところが……である。

 その縫いぐるみを持って帰って来てからというもの、すっかりマリューは、その縫いぐるみに夢中になってしまった。
 気付くと、部屋中にそのキャラクターが溢れていたのだ。

 そして今日も、マリューは嬉しそうにその縫いぐるみを手にしてソファーに座っていた。

「なぁ、マリュー……」「え?なぁに?」
 そのクマの縫いぐるみを抱いて、満面の笑みを浮かべていたマリューが、ムウに呼ばれて振り返った。
「その縫いぐるみ、そんなに好きなのか?」
 少しばかり困ったような表情で問い掛けるムウに、マリューは抱いていた縫いぐるみの丸い耳をぽふぽふと手で弄びながら、とろけそうな笑顔で答えた。
「縫いぐるみと言うか、このキャラクターが好きなの」
 ……あぁ、その笑顔、たまんねぇなぁ……とムウは心の端で思うのだが、それよりも、彼女の関心が自分の方に向いていない事がなんともやりきれないようで、小さく溜息を漏らす。
 そんなムウの気持ちを知ってか知らずか、マリューは本棚から1冊の本を取り出すと、それを彼の目の前に差し出した。
「これ、読んでみて。すっごく癒されるのよ〜」
 相変わらず、とろけそうな笑顔のマリューから、ピンクの表紙の小さな本を受け取ったムウは「……へぇ」と短く答えると、その本をペラペラとめくり出す。
 その本に描かれていたのは、無論、今もマリューが抱いているあのクマのキャラクター……『りらっくま』だった。

 『りらっくま』のグッズで埋め尽くされた部屋の中で『りらっくま』の本をパラパラと捲りながら、ムウは少しだけそのクマに嫉妬していた。
 マリューが近くにいない事を確認したムウは、またもや溜息を付くと、自分の隣に座っている縫いぐるみをジロリと睨んだ。
「お前はいいよな。1日の大半、マリューに抱かれてるんだもんなぁ……おかげで俺は、ほったらかしだよ」
 何もこんな無機質な物に嫉妬しなくても……と、ムウ自身も分かってはいるのだが、いかんせん今現在のマリューの視線の先には、そのクマしか映っていないらしい。
 何故、彼女を癒せるのが俺じゃないんだろう?と思う度に、のほほんとした表情の茶色いクマに嫉妬してしまう。
「あ〜、情けねぇなあ」と、小声で呟くと、バッタリとソファーに倒れこんだ。

 そのままムウは、ソファーの上に寝転がったまま本をぼーっと見ていると、洗濯物を片付けたマリューが部屋に入ってきた。
「あらムウ、どうかしたの?」
 ソファーに寝そべってゴロゴロしているムウに、マリューは問い掛ける。
「ん〜、いや……ちょっと寝転んでみたかっただけだよ」
 苦笑しながらその身を起こしたムウは、覗き込むようにしていてこちらをみていたマリューの方へ振り返った。
 はははは……と、乾いた笑いを浮かべたムウに、マリューは「あっ、そうだ!」と手をパンッと叩いた。
「ねぇねぇ、今度のムウの誕生日……何かリクエストでもある?行きたいところとか……」
 視線を逸らしていたムウの顔の前に、マリューはぐいっと自分の顔を近付けると、ニッコリと微笑みながら問い掛ける。
 ん〜と唸り声を上げて考え込んだムウに、手元の本の一言が目に飛び込んできた。

<言葉にしてみましょう>
 その隣のページには、茶色い『りらっくま』が、眉間に皺を寄せた小さいベージュの『こりらっくま』に噛み付かれている絵があった。
<かむ前に……ね?>と『りらっくま』が、怒っている『こりらっくま』に声を掛けている。

 ……何も言わないで悶々としてるようじゃ、俺もこの『こりらっくま』と一緒だな……
 そんな事を思ったムウは、ソファーに座りなおすと後ろから覗き込んでいたマリューの方を振り返り、ニヤリと笑みを作る。
「誕生日の日はさ、この『りらっくま』みたいに、だらだらと1日中過ごして、マリューに抱きしめていてもらいたいなぁ……なんて」
 あははははと笑いながらそう言ったムウに、マリューは一瞬「え?」と言葉を失っていた。
 そんなマリューに、ムウは「冗談だからさ」と言おうとした次の瞬間、彼女は「えぇ、分かったわ」と嬉しそうな表情を見せた。
「え?……あのさ、マリュー……?」
「そうと決まったら、準備しなくちゃ!」
 いつもならば「何を言ってるんですか?!」と怒られるはずで、そのように身構えていたムウは、マリューの意外な答えに拍子抜けしてしまう。
 そして何やら嬉しそうに寝室に向かう彼女の背中に「ちょっ……マリュー?!今のは冗談だって!」と声を掛けるが、彼女の耳には届いていないようで、そのまま姿を消してしまった。
「……えっとぉ〜……まぁ、いっかぁ」
 しばし呆然としていたムウではあったが、たとえ冗談だとは言え、1日中マリューに抱きしめてもらえるならば……まぁ、それも良いかもしれないと密かに思うのだった。



 そうして迎えた、ムウの誕生日の朝。

「ムーウ!ほら、起きて!」
 休みの日ぐらい、もう少し寝かせてくれよ〜と思いつつ、ムウは潜っていた布団から顔を出す。
「おはようございます」「ん〜……おはよ」
 目の前でにっこり微笑んで挨拶をするマリューを見つけたムウは、ぼーっとした頭のまま、彼女の腕を引っ張った。
「きゃぁぁ〜っ!」
 突然腕を取られたマリューは、そのままバランスを崩してムウの真上に倒れこむ。
 それをしっかりと抱きしめたまま、ムウは彼女の頬や唇にキスを落としていく。
「ちょっと、ムウ!離してっ!」
 腕の中でジタバタと暴れるマリューを、更に強く抱きしめると、ムウは「やだ」とその耳元で優しく声を発する。
 その甘い声に肌がザワザワと粟立つのを感じたマリューがきゅっと身を硬くすると、それに気付いたムウが「今日は1日中、俺を抱きしめてくれるんだろ?」と更に甘く囁く。
「だったら……」
 腕の中で身を捩ったマリューは、ムウの顔を正面から見つめると、ニッコリと微笑んだ。
「今日1日、これを着て過ごして欲しいの」
「えっ?」
 何か嫌な感じがしたムウが、ほんの少しだけ腕の力を弱めた瞬間、マリューはするりとその中から逃げ出し、ベッドサイドに置いてあった茶色い物を彼の目の前に差し出した。
「あの……マリューさん……それって?」
 困惑したムウの目の前で、マリューは手にしていた茶色い物をひらりと広げる。
 ばさっという音と共にムウの目の前に現れたのは、どう見てもあの『りらっくま』の着ぐるみである。
「もしかして……コレを着ろって言うんじゃないよな?」
 つつーっと背中に冷たい何かを感じたムウが、笑顔を引きつらせながらマリューを見上げた。
「えぇ。だってこの前「りらっくまみたいに1日中過ごしたい」って言ったじゃない?」
 だから、一生懸命に作ったんですけど……と、マリューはベッドに腰掛けたままのムウを、満面の笑みで見下ろしている。
「た、確かに言ったけど……」
 じりじりとにじり寄ってくるマリューに、ムウは少したじろぎながらそう答える。
「ち、ちょっと待て!これ着たら、マリューと外に出かけられないだろ!」
 焦りながらそう言い訳をするムウに、マリューは「でも今日は、私と2人っきりで過ごしたいんじゃないの?」という伝家の宝刀を振り下ろす。
「……そりゃ、マリューと2人っきりで過ごしたいけどさ……」
 彼女の一言に上手く乗せられたムウがそう言った途端、マリューは「だったら、着替えましょ!」と、さっさとムウのパジャマに手を掛けた。
 壁に追い詰められたムウは「で、でもさ、マリュー?!」と最後の抵抗を試みてみるが「たっぷり甘えさせてあげるから、ねっ」というマリューの魅惑の言葉に思わず素直に「はい」と答えてしまうのだった。


「なぁ、マリュー……コレさぁ、手が出てないんだけど」
 自分の後ろで、着ぐるみのジッパーを引き上げているマリューに、ムウは思わず声を掛けた。
「え?だって『りらっくま』の手って、そんな感じで丸くなってるでしょ?」
 相変わらずニコニコしたままのマリューが「はい、これは頭に付けてね」と丸い茶色の耳が付いたカチューシャもムウに手渡そうとする。
「頭に付けてって言われてもさ、手が出てないんだけど……」
 納得行かないと言った様子のムウに、マリューは「もぅ、仕方ないわねぇ」と言いながらも、そのカチューシャを屈んだムウの頭に付ける。
 そして「あとは、このスリッパね」と、茶色いモコモコのスリッパをムウの足元に並べた。
 足はスリッパなら……まぁ、良いか……と思ったムウは「はいはい」と言いながらそのスリッパに足を入れる。
「でさ……この手はなんとかなんないの?」
 これじゃあ、ドアも開けられないよ〜と困った表情でマリューに訊ねる。
「だから、今日は私が何でもやってあげますから」
 うふふふっと小さく笑いながら自分を見上げてくるマリューの姿に、ムウは「じゃぁ、今日は思いっきり甘えさせてもらうからな」と宣言すると、彼女の肩を抱き寄せる。
 と、同時に、マリューがムウの身体に両手を廻して、ギュッと抱きついてきた。
 ……あれ?いつもならば「何するんですか!」って、俺の手を払いのけるよな?……と、ムウは考える。
 だが、こうして自ら抱きついてくれるならば、コレもいいかも〜と思い、心の中で口笛を吹いていた。
「ムウが『りらっくま』になったのだから……そうねぇ……今日は『ふらっくま』って呼ぼうかしら?」
 首を傾げながら自分を見上げてくるマリューに、ムウはニコニコとしていたのだが、彼女のその一言に「え?」と、再び固まってしまう。
「あら?ダメ?」
 少し悲しそうな顔で自分を真っ直ぐ見つめるその瞳に、ムウは「嫌だ」と言えなくなってしまい「……まぁ……今日だけな」と溜息混じりに答える。
「うふふふっ。ありがと」
 再びムウに抱きついてきたマリューは「私だけの『ふらっくま』ね!」と嬉しそうに彼を見上げた。
 ……いや『ふらっくま』じゃなくても、俺はマリューだけのもんなんだけど……そう言いたいのを我慢したムウは、ははははっと乾いた笑いをするしかなかった。



 マリューの思惑通り、見事に『ふらっくま』に変身させられたムウは、とりあえずブランチを食べる為にリビングにやって来た。
 いつものように椅子に座り、こんがりと焼かれたトーストに手を伸ばそうとしたムウは「あっ……」と自分の右手を見る。
 ……腹が減ってるのに、自分じゃ食えねーよ……と、着ぐるみの中で手を動かしながら、ムウは小さく溜息を付く。
 そして、キッチンに立っているマリューの方を振り返る。
「なぁ〜マリュー!」「なぁに?」
 茹で上がったばかりの卵や、サラダの入ったボウルを乗せたトレイを手にしたマリューが、そう返事をしながらテーブルに近付いてきた。
「どうしたの?」
 テーブルの上にサラダを置きながら訊ねてくるマリューに、ムウは「食べさせてくんない?」と、彼女の様子を伺った。
「えぇ、いいわよ」
 再びニッコリと笑顔を浮かべたマリューは隣の椅子に腰を下ろすと、バターを塗ったトーストをムウの口元に近づける。
「はい、あーん」
 絶対に普段はしてくれないよなぁ〜と思いながら、ムウは「あーん」と口を開けると、差し出されたトーストに齧り付く。
 もぐもぐと口を動かしているムウを、マリューは頬杖をついてニコニコと見つめている。
「次は何がいい?サラダ?それとも、オレンジジュース?」
「ん〜、とりあえずジュースがいいな」
 もぐもぐとしながら答えるムウに、マリューはストローをさしたジュースのグラスを目の前に差し出す。
 それを口に咥えると、ムウはゴクゴクとジュースを飲んでいく。
 病人でもないのにマリューに食べさせてもらえるなんて機会、そうそうあるもんじゃないよなぁ〜と思ったムウは、試しにリクエストをしてみる事にした。
「次、半熟卵が食べたいんだけど……」「はいはい」
 普通じゃありえないリクエストなのに、今日のマリューは素直にムウの頼み事を聞いてくれるようだ。
 熱々の半熟卵に少しの塩をふるとそれをスプーンですくい、ふうふうと冷ましてからムウの口元に持って行く。
「まだ熱いかもしれないけど、どうぞ」「ん、サンキュー」
 そう言うと、目の前のスプーンをパクッと口にし、ムウはニンマリと笑みを浮かべる。
 ……ん〜、このカッコはちょっと恥ずかしいけど、でも1日中こうしてマリューにかまってもらえるなら、ある意味いい誕生日かもなぁ〜……と思ったムウは、ニコニコとこちらを見つめ返すマリューに同じように微笑みを向けるのだった。



 なんとか食事が済んだムウは、何をするでもなく、リビングのソファーに座っていた。
 もちろん、その横にはマリューが座っている。
 リビングのテレビは昼間特有の情報番組が流れているが、ムウはそれを見る事もなくソファーの背もたれに身体を預けると、なんとなくマリューの肩に頭を乗せてみた。
「どうしたの?」
 ムウのその行動を咎める事もなく、マリューはふわりと笑顔を向け、優しくその頭を撫でている。
「ん〜、なくとなくマリューさんに甘えたくてさ」
 朝からのマリューの行動を分析したムウは、これぐらい甘えても大丈夫だろうと思ったのか、そのまま彼女を抱きしめる。
「あらあら。ホントに甘えんぼなのね、ふらっくまは」
 そう言いながらマリューもまんざらではなさそうで、嬉しそうに着ぐるみのムウを抱き返す。
「うふふふっ。ふらっくまって、もけもけであったかいわぁ」
 そんな事を呟くマリューに、ムウは最高の笑みを向ける。
「直にマリューに触れられないのは辛いけど、でも君が喜んでる顔が見られるのは嬉しいなぁ」
 そうムウが答えると、マリューは「だって、あなたのその微笑に癒されるんですもの」と、こちらも最高の笑みを返して来る。
「なぁ……それって、今の俺が『ふらっくま』だからなのか?」
 ムウは少しだけ疑問に思った事を、マリューにぶつけてみた。
 マリューが癒されるのは、ムウ・ラ・フラガの笑顔なのか、それとも『ふらっくま』の笑顔なのか……。
「あなたが『ふらっくま』でもそうでなくても、ムウだから……よ」
 もう、そんな事を気にしてたの?とクスクス笑いながら告げたマリューに、ムウは「それなら、よかった」と安堵の表情を見せた。

 マリューはクスクスと笑いながらムウを見つめていると、突然、彼がソファーから立ち上がった。
「どうしたの?」「ん〜……トイレ」
 少し恥ずかしそうに笑いながらムウが告げると、マリューは「はいはい、行ってらっしゃい」と、その背中に声を掛けた。

 そして、部屋を後にしたムウは、トイレの目の前に立った途端「あっ……」と声をあげた。
「しまった……ドアも開けられねぇし……脱げねぇな」
 『りらっくま』の丸い手では、やはりそのドアノブを回す事が出来ない。
 それどころか、この着ぐるみを自分1人では脱ぐ事が出来ない事に、今更ながらムウは気付いたのだ。
「仕方ねぇよなぁ〜」
 そうニヤリとしながら呟いたムウは踵を返すと、リビングに戻って行った。

「マリューさん!」「きゃぁっ!!」
 部屋に戻るなり、ムウはソファーに座ったまま雑誌を広げていたマリューに後ろから抱きつく。
「突然、何ですか?」
 思わず驚いたマリューは、ふわふわしたムウの腕の中で真後ろを振り返る。
「ちょっと手伝ってよ〜」
 自分を見つめたままニコニコとしているムウに、マリューは「どうしたの?」と問い返した。
「トイレに行ってもさ、俺1人じゃドアも開けられないし、コレを脱ぐ事も出来ないんだけど?」
 ムウのその答えに、マリューは小さく「あっ」と叫んで、丸いムウの手元をマジマジと見つめる。
「だから……コレを脱がしてくんない?」
 ぎゅっとマリューを抱きしめたムウは、その耳元に口を近づけると、妙に嬉しそうにそう告げた。
「……分かったわ」
 マリューがそう承諾すると、ムウは嬉しそうに立ち上がる。
 そして、マリューの腰に手を回すと「ほらほら、早くしてくんない?」と、トイレの前まで彼女をエスコートして行く。
 トイレの扉の前に立ったムウは、マリューに背中を見せ「ほら、コレ……下ろして」と、うまく回らない手で背中のジッパーを指し示した。
「はいはい」
 マリューは苦笑しながら返事をすると「早く早く!」と急かしているムウの背中のジッパーを引き下ろした。
「サンキュー!」
 早速、着ぐるみを脱いだムウは、振り返りながらマリューに礼を述べると、そそくさとトイレに入っていった。クマの耳は付けたままで……。
 それを見届けたマリューは「出たら呼んで下さいね。リビングにいますから」と笑いながら声を掛けると「りょーかい!」という返事が返ってくる。
「あ〜、もう……手が掛かるわぁ。でも……まぁ、いいわよね」
 マリューはそうクスクスと笑いながら、一度リビングに戻るのだった。


 再び、何をするでもなくソファーの上でゴロゴロとしていたムウは、マリューの膝に頭を乗せたまま、いつしか心地よいまどろみの淵に落ちていた。
「寝ちゃったみたいね」
 あ〜、やっと晩ご飯の準備が出来るわ〜と笑いつつ呟きながら、マリューはう〜んと大きく伸びをする。
 そしてムウの頭を支えると、その下に黄色いクッションを差込み、そこから自分の膝をゆっくりと外す。
 起きてしまうかとヒヤヒヤしたのだが、何事もなかったかのように眠っているムウにホッとしたマリューは、その頬に軽くキスを落とすと、近くに置いてあったブランケットを掛けてやる。
「さて、みんなが来るまでに、準備しておかなきゃ」
 そう言うとエプロンを身に付け腕まくりをすると、キッチンへと向かった。



 窓から差し込む光が柔らかいオレンジ色になった頃、ムウの意識がかぐわしい香りに惹き付けられた。
「ん……あっ?夕方?!」
 自分の顔に当たる光の色で、ムウは自分が2時間近く寝ていた事に気づく。
「って、マリュー?!」
 ふと振り返ると、それまで一緒にソファーに座っていたはずのマリューの姿が見当たらず、ムウは思わず立ち上がると周囲をキョロキョロと見渡した。
「あら、やっと起きたわね」
 そんな慌てた様子のムウに、キッチンからマリューが声を掛ける。
「俺、いつの間に寝てた?」
 そう訊ねながらキッチンに移動してきたムウは、マリューを後ろから抱きしめる。
「ソファーでゴロゴロしているうちに……よ。私の膝の上で寝ちゃうから、重かったのよ〜」
 マリューはそう言うと、わざと拗ねた振りをする。
「ごめんごめん」
 ムウは苦笑しながらマリューに謝ると「んじゃ、お詫びの印に……」と、マリューの両頬をふかふかの両手で包み込み自分の方を向かせると、その唇に優しく口付ける。
「これ以上すると、止まんなくなりそうだから」
 ムウはウィンクしながらそう言うと「もぅ……ばかっ」と、マリューが顔を赤らめてプイッとそっぽを向いてしまう。
 そして、目の前の大鍋の中身を、ぐるぐるとかき混ぜ始める。
「おっ、コレが今日のメインディッシュ?」
 さりげなくマリューの腰に腕を回したまま、ムウはその大鍋の中を覗き込む。
「えぇ、ムウの好きなビーフシチューよ」
 昨日から仕込んでおいたんだから……と、マリューは自慢げにムウを振り返る。
「肉がトロトロになってるシチューは最高だもんなぁ〜……って、それはいくらなんでも多くないか?」
 さすがの俺でも、全部食べきるには3日はかかりそうだぞ……と言いつつ、ムウはマリューを見つめた。
「ん〜、大丈夫よ。きっと、すぐになくなると思うわ」
 そう言いながらクスクスと笑うマリューに、ムウは「はぁ?」と首を傾げる。
「とりあえず、食事の準備しなきゃならないから、ムウはソファーで待っててくれる?」
 マリューはそう言うと、腰に回されていたムウの腕を外そうと手を掛けた。
 が、その手を外されまいとしたムウの腕に更に力が篭もり「まぁ、お気になさらず」と、マリューに微笑み掛ける。
「あのね、ムウ。あなたが側にくっついていると、食事の準備が出来ないのよ」
 困ったマリューは、少し怒ったような口調でムウに告げる。
「ん〜、ムウって誰ですか?」「ちょっとっっ!」
 僕は、ふらっくまですけどぉ〜と言いながら、ムウはマリューをギュッと抱きしめ、その柔らかい頬に頬擦りをする。
「ふらっくまさん!食事の準備してるから、しばらく向こうのソファーで待ってて下さい!」
 あ〜、もう……と心の中で溜息を付きながら、マリューはひたすらずりずりと頬擦りをしているムウに言い放つ。
「ふぁ〜い。じゃぁ、ご飯の時間になったら呼んで下さ〜い」
 ニヤニヤしながらムウはそう答えると、名残惜しそうにマリューの腰から腕を外してリビングのソファーの方へ歩いて行った。

 テーブルの上に置かれていた新聞を掻き集めるかのようにして手に取ると、ムウはソファーに寝転がりながらそれを読み始める。
 そんなムウを尻目に、マリューは手際よく大皿料理を次々と仕上げては、そのカウンターに乗せていた。

 〜ピンポーン〜
 ちょうど、時計の針が夕方の6時半を指した頃だった。
 誰も来るはずがないと思っていたムウは、突然鳴った来客を告げるチャイムに「ん?」と振り返った。
「いいわ、私が出るから」「確かに、この格好だと人前に出られねーな」
 ムウは改めて自分の今の姿をじっくりと見つめて、少々恥ずかしいかもしれないという事実に気付いた。
 そんな困った顔をしたムウに、マリューは微笑み返すとパタパタと玄関へと向かった。

 玄関先からマリューの「はーい。今、開けるわね」という声が響いてくるのを、ムウは相変わらずソファーの上でゴロゴロしながら聞いていた。
「マリューさん、今日はお招き頂きありがとうございます」
 玄関の開く音の次にムウの耳に飛び込んで来たのは、春風のように流れる声。
「アスランがケーキ屋に向かう途中で道を間違えたおかげで、ココに来るのが遅くなっちゃったんだよ」
「カガリッ!」
「まぁまぁ2人とも、到着早々にケンカしないでよ……。あ、マリューさん、これはうちの母から……ロールキャベツです」
 次々と聞こえる聞きなれた声に、ムウは「ち、ちょっと待て?!」と、急に焦り始めた。
「……どう考えても、キラとピンクのお姫さんに、アスランとじゃじゃ馬な代表殿の声だよな」
 直感でそう思ったムウは、大慌てでソファーから起き上がると、隣の客間のドアノブに手を掛けた。
 ヤバイ。絶対にヤバイ!
 こんな姿をアイツらに見られた日にゃ、明日から俺はアークエンジェルどころか、軍の中での笑い者だぞっ!
 頭の中でそう思ったムウは、必死にドアノブを回そうと試みる。
 が、もけもけの生地で出来た着ぐるみでは、金属製のドアノブは滑るばかりで一向にロックが外れない。
 なんとも嫌な感じの冷や汗が、再びムウの背中を駆け抜けて行く。

「みんな、上がって。もうすぐ食事の準備が出来るから」
 リビングでムウがドアノブと格闘していると、来客を部屋に誘うマリューの声が聞こえる。
「お邪魔しま〜す」
 4人が口々にそう告げては廊下をパタパタと歩く音が、徐々にリビングに近付いてきた。

「なんでアイツらを部屋に上げるんだよぉ〜っ。ってか、アイツらが来るなんて話、聞いてないぞ!」
 未だに諦めきれずにドアノブと格闘しているムウが、情けない呟きを漏らしたその時「お客様がいらっしゃったわよ〜」と、マリューがリビングに足を踏み入れる。
「だぁっっ、マ、マリューっっ!入って来るなぁ〜っ!!」
 マリューがリビングに入って来た瞬間、ムウはもけもけの両手で、必死になってドアノブを回そうとしていた。
「……何してるの、ムウ?」
 なんとも情けない後姿を見たマリューは、ムウにそう声を掛けた。
「……あ……その……」
 もうダメだ。明日から俺は笑い者だ……そう思ったムウは血の気の引いた青い顔で、腰が抜けたようにその場にずるずると座り込んでしまった。

「誕生日、おめでとうござい……ます?!」
 何やらムウへのプレゼントと思しき包みを抱えたキラが先頭で、リビングに姿を現す。
 そして、その箱を差し出そうとした相手の姿に、さすがのキラもその思考が止まってしまった。
「あっ、いや……その……」
 次々にリビングに入ってくる来客の姿に、さっきまでは真っ青だったムウの顔が今度は真っ赤になり、その言葉がしどろもどろになる。
「え〜っと……ムウさん……ですよね?」
 恐る恐ると言った様子で話しかけるキラとは逆に、ラクスは「まぁ、マリューさん!これがお手製の着ぐるみなのですか?」と、座り込んでいるムウの側に近付いて来る。
「やっぱり、マリューさんは器用だなぁ〜」
 ムウの姿に驚いて言葉の出ない様子のアスランを尻目に、カガリも楽しそうに着ぐるみの腕をわさわさと触っている。
「ちゃんとムウのサイズに合わせて作ったのよ。どうかしら?」
「この着ぐるみの触り心地は、本当に気持ちいいですわ」
「おっ、ちゃんと丸い尻尾まで付いてる!さすがだなぁ!」

 この状況に思考がついて行かないのは、男性3人のみ。
 女性3人はと言うと、腰の抜けたムウを取り囲むようにして、ワイワイと楽しそうに着ぐるみを撫でたり引っ張ったりしていた。
「お、おい、キラ。フラガ一佐って、こんな事する人だったのか?」
 ようやく思考回路が繋がった様子のアスランが、隣で同じように立ち尽くしているキラにそっと耳打ちをする。
「……僕の知ってるムウさんは、こういう事をする人じゃないって思ってたけど……」
 ハハハハと乾いた笑いをしながら、キラはアスランの方を振り返る。
「僕達の知らない2年間が、ムウさんを変えてしまったのかもしれないね」
「あぁ、確か「仮面を被っていた」とか言ってたから、そういうコスプレとかもアリなのかもしれないな」
 なんとか目の前の状況を理解しようと、取り残された2人は無理矢理に話のつじつまを合わせようとしていた。

 その時、突然マリューが「ちゃんと貴方達の分も用意してあるのよ」と、ラクスとカガリに話しかける声が聞こえた。
「えっ、本当ですか?」「作るって言ってたけど、本当に作ったのか?」
 嬉しそうな声をあげたラクスとカガリに、マリューは「こちらに準備してあるから」と2人を連れ立って、ムウが開けようとしていた客間へ入って行く。
 その様子を見送ったキラとアスランは、相変わらず床に座り込んだままのムウに近付いた。
「あの……ムウさん」「……何だ、ボウズ」
 顔を上げる事もなく、果てしなく暗い声で答えたムウに、キラとアスランはその場にしゃがみ込んだ。
「ムウさんがどんな趣味を持っていようと、今日ココで見た事は、僕の胸の中に仕舞っておきますから」
「あ、あの……俺もです。これは見なかった事にしますから」
 2人はとりあえず、この姿は見なかった事にするという事で、ムウの威厳を保つという約束をする。
「……す、すまんな。でもな、この格好は俺の趣味じゃねぇから」
 そこんところだけ訂正してくれよ……と言うと、はぁ〜っと激しく大きな溜息をつき、両膝に頭をついて、がっくりとうなだれた。
「元気出して下さいよ」「……これが、元気の出る状況かよぉ?!」
 キラが心配して掛けた言葉に、ムウは「あ〜、ムウ・ラ・フラガ、一生の不覚だぜ、全く……」とブツブツ言いながらのろのろと立ち上がる。
「それにしても、女性陣は楽しそうですね」
 何か話題を変えようと思ったアスランが、苦笑交じりにそう言ったのとほぼ同時。
「アスラン!ほら、コレ見てみろよ!」
 隣の部屋から顔を出したカガリの後ろから「キラも見て下さいな」と、ラクスの声もする。
 何事かと思ってそちらを振り返った時、2人は信じられない物を目にしたのだ。
「カガリ……それは、一体……何だ?」
「まさか、それって……?」
 カガリとラクスが目の前で広げているそれは、ベージュ色の着ぐるみ。
「こっちの緑のボタンのがアスラン君で、紫のボタンのはキラ君よ」
 2人の瞳の色に合わせて、ボタンの色を変えてみたけど、どうかしら?……と、マリューはニコニコしながら固まっているキラとアスランに話しかける。
「……あの、何ですか……コレ?」
 再び理解不能に陥ったアスランが、引きつった笑顔でマリューに問い返す。
「あら、知らないの?これは『こりらっくま』の着ぐるみよ」
「こりらっくま?」
 やはり同じように引きつった笑顔のキラが「何ですか、それ?」と小さな声でマリューに問い掛ける。
「ぶわっはっはっはっっっ!!」
「ムウ?!」「ムウさん?」「……一佐?」
 3人のやり取りを聞いていたムウが、突然腹を抱えて笑い始めた。
 そして、つかつかとソファーに歩み寄ると、そこに座っていたベージュの『こりらっくま』の縫いぐるみを、未だに固まったままのアスランの目の前に放り投げる。
 そのベージュの縫いぐるみを間一髪で受け取ったアスランとキラに、ムウは茶色い縫いぐるみをソファーから拾い上げて笑いながら教える。
「それが『こりらっくま』で、こっちが『りらっくま』……だ」
 笑ったままそう教えるムウに、キラとアスランはただ「はぁ……」と気の抜けた返事をするだけ。
「じゃあ、早速着替えよう!」
 妙に楽しそうなカガリが、突っ立ったままのアスランの腕をぐいっと引っ張る。
「ちょっと待てカガリ!俺は、コレを着るとは言ってないぞ!」
 その声で目が覚めたかのように、アスランは急に早口でカガリをまくし立てる。
 そして、その様子を見ていたキラは、じりじりと部屋の隅の方へ後ずさりを始めていた。

「おいっ、お前ら……無駄な抵抗はしない方がいいぜ」
 ニヤリと不適な笑みを浮かべたムウが、逃げ腰だったキラとアスランの首を両腕で捕まえる。
「ム、ムウさん、痛いです!」
「一佐、離して下さいっ!」
 捕まえられた勢いで、キラは手にしていたプレゼントの包みを床に落とし、アスランは「ぐはっ」と情けない叫び声をあげていた。
「せっかく作ったけど……やっぱりダメかしら……」
 着ぐるみに着替える事に抵抗を示していた2人の様子に、マリューが少しだけ悲しげな表情を見せる。
「お前ら、俺のマリューを悲しませるような事、するつもりかぁ?」
「い、いえ……そんなつもりじゃ……」
 必死になってキラが答えると、反対側でもアスランが首をブンブンと縦に振っている。
「んじゃ、着替えるよな?ん?」
「「……はい」」
 ムウの腕力に抵抗出来ず、半ば強制的に着替える事を約束させられた2人は、ようやく解放されたと思った瞬間、今度はカガリとラクスに捕まえられる。
「では、こちらで着替えましょうね」
「ちゃんと私が手伝ってやるから」
 反抗する事も出来ない状態で、隣の客間に引っ張られていくその姿に、ムウは「これで、口封じになるな」と妙に満足そうに微笑んでいた。

「あなたが『ふらっくま』ならば、さしずめ2人は『きらっくま』と『あすらっくま』ってとこかしら?」
 ムウのふかふかの腕に自分のそれを絡めながら、マリューは楽しそうにそう言う。
「ん〜、確かに、そうかもしれませんなぁ〜」
 楽しそうに笑うマリューを見つめながら、ムウはのほほんとした声でそう相槌を打った。


 結局、ムウを始めキラもアスランも着ぐるみを着せられたまま、この日のパーティーが始まった。

「はい、ムウ。どうぞ」「ん〜……やっぱ、美味いなぁ」
 着ぐるみに包まれたままで、スプーンさえ持つことのままならないムウはブランチの時と同様、ビーフシチューをマリューに食べさせてもらっている。
 無論、その表情はお互いに嬉しそうである。

「ロールキャベツをお食べになります?」「……あ、うん」
 嬉しそうな笑顔でロールキャベツにナイフを入れているラクスに、キラは相変わらず恥ずかしさから顔を真っ赤にしたまま、小さな声で答えている。

「おい、そんなにいっぱいスプーンですくったら、俺の口に入るまでにボタボタと落ちるぞ!」
「うるさいっ!そんなに心配だったら、タオルでも巻いておいてやる!」
 ビーフシチューをすくおうとしているカガリの、そのおぼつかない手元を不安に思ったアスランが、つい口を出す。
 が、その一言が気に入らなかったカガリは、手元のバッグからタオルを取り出すと、それを無理矢理アスランの首に巻きつけている。
 その様子を見ていたムウとマリューは「あいつら、結構いいコンビだなぁ」と笑っている。
 キラは慌てて「アスランもカガリも、もう少し落ち着きなよ〜」と、まるでプロレスをしているような2人の間に割って入ろうとすると、ラクスは「今はお食事中ですわよ」と微笑んで見ている。

 何とも楽しげで、まったりとした夜は、こうしてのほほんと過ぎて行くのでありました。




『リラックマとフラックマを愛でる会』会員番号2番のJeJeです(何?
某T様が日記に描かれていた『フラックマ』を見て、もう思いっきりツボにハマりまして
そんな会をT様に申請してしまいました。
という訳で『フラックマ』から思いついたのが、このお話。

今回のお話の設定で、マリューさんが『りらっくま』にハマった事にしてしまいました(核爆)
そして、とうとうムウに『りらっくま』のコスプレをさせてしまった……訳です(^^ゞ

挙句にオチがそこかよっ!と、自分でも苦笑してしまいました(笑)
こんなおばかなお話ですみませ〜んっっ!



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