そして、約束の12日がやってきた。
 
 この日、バースディ休暇を取っていたマリューは、昨晩もしつこいくらいに念を押された待ち合わせの約束へ向かっていた。
 誕生日の日ぐらい、ちょっとオシャレしてもいいかしら?と思ったマリューは、淡い紫色のワンピースを着ている。
 そして、ムウと約束をさせられた、ヒミコ・ショッピングモールの中心部にある、大きな百合のオブジェの前までやって来た。
「4時5分前ね……」
 時計を見ながらそう呟くと、本当にムウが来るのかと半信半疑ながらも、近くにあるベンチに腰掛ける。
 平日の夕方だとは言え、ショッピングモールの中はそれなりの人出だ。
 ここだと、買い物から食事、遊ぶ事もできるからかしら?……と、そんな事を考えながら、マリューは行き交う人の波をぼーっと見つめていた。
「まぁ、ムウが来なくても、お買い物して、ちょっと美味しいものでも食べて……あ、ケーキも買って帰ろうかしら?」
 視線を定めないまま、そんな事をブツブツと1人で呟いていると、急に視界が遮られ、今までぼんやりと見ていた百合のオブジェは、目の前の人影で見えなくなった。
「え?」「よっ!お待たせ」
 驚いて顔を上げたマリューの目の前には、しっかりとスーツを着込んだムウが、いつもと変わらない様子で立っていた。
「ムウッ?!」
 どうやってココまで来たのよ?と、立ち上がって驚いた声をあげるマリューに、ムウは「はいはい、後で説明するから、落ち着いて!」と慌てて彼女の口元に指を当てる。
「本当に、休暇貰えたの?」
 未だに半信半疑のマリューに、ムウはニッコリと微笑むと「あぁ、代表殿直々に休みをもらったからな」と得意気に話す。
「とりあえず、ちょっと付き合ってくんない?」「えっ?!ちょっと!!」
 聞きたい事が山のようにあるマリューの気持ちを知ってか知らずか、ムウは強引にその腕を取ると「こっちこっち」と足を進めた。

「はい、とりあえずココ」「えぇっ?!」
 全く訳の分からないまま、マリューが連れて来られたのは、ブランド物のシューズショップ。
 店内に足を踏み入れると、店員である女性達から「いらっしゃいませ」と声を掛けられる。
「あ〜、フラガだけど……」
 近付いてきた店員の1人にムウがそう告げると「かしこまりました。少々、お待ち下さい」と微笑み、小走りにレジカウンターの後ろへ姿を消す。
「……あの、ムウ?」「お待たせ致しました」
 恐る恐るマリューがムウに声を掛けるのと同時に、先程の店員が白い箱を持って現れた。
 そして、2人の目の前でその箱の蓋を開ける。
「こちらで如何でしょうか?」「え?」
 そう言いながら店員が取り出したのは、真紅のハイヒール。
 深い赤色が照明に照らされて、更に鮮やかな色を発する。
「ほら、履いてみてよ」
 ムウはそう言うなり、すぐ近くにあったスツールに、マリューを座らせる。
「ちょっと待って。どういう事なの?」
 ムウの行動に目がテンになったままだったマリューが、目の前でしゃがんでいる彼に問いただす。
「どういう事って、誕生日のプレゼントだよ」
 ほらほら、マリューに似合うと思って選んでおいたんだぞ……と言いつつ、半ば無理矢理、マリューの足からミュールを脱がしてしまう。
「じ、自分で履けますから!」
 慌てたマリューは、ムウの手からミュールを奪い取ると、目の前の店員が差し出したハイヒールに足を入れた。
 そして、するりと違和感無く足にフィットしたハイヒールに「あら、ピッタリ?!」と、マリューが小さく驚く。
「ちょっと立って見てみなよ」
 ムウは微笑みながらそう言うと、マリューの右手を取って立たせる。
 普段は履かない少し高めのヒールに、マリューが少しだけよろめくと、すかさずムウの腕がその腰を支えた。
「大丈夫か?」「えぇ、ありがとう」
 そう礼を述べると、店員が目の前に持ってきた鏡で、ハイヒールを履いた足元を映し出す。
「いつもよりちょっとヒールが高いけど……こっちの方が、マリューの足首の細さが強調されてていいかもな」
 満足気にマリューの足元を眺めていたムウがそう言うと「え?そう?」と、少しだけ恥ずかしそうな笑みを見せた。
「サイズはどう?」
 それが一番重要だなぁと言いながら、ムウはマリューの足元を見る。
「え……えぇ、ピッタリだわ」
 以前から履いていたような気になる程、そのハイヒールは足にフィットしていた。
「んじゃ、これで」
 そう言いつつ、ジャケットの内ポケットから財布を取り出すと、そこから紙幣を取り出し目の前の店員に手渡す。
「ありがとうございます。あ、こちら、お包みいたしましょうか?」
 代金を受け取った店員は、ハイヒールが入っていた白い箱を手にすると、ムウにそう訊ねる。
「いや……これはこのまま履いて行くから。手提げ袋だけもらえないかな?」「かしこまりました。少々、お待ち下さい」
「え?ムウ……ちょと?!」
 ハイヒールを履いたままのマリューは、ムウの言葉に驚いて慌てて声を掛けるが「いいからいいから」と笑みを返されるだけである。

 しばらくして、お釣りとレシートを乗せたトレイと、濃紺の紙袋を手にした先程の店員が戻ってくる。
「お待たせ致しました。こちら、レシートとお返しになります」
 こちらの手提げ袋、お使い下さい……と、差し出された紙袋には、すでにハイヒールの白い箱が入れられていた。
「あぁ、ありがとう」
 そう微笑みながらお釣りと紙袋を受け取ったムウは、床に置かれていたミュールをその紙袋の中に丁寧に入れる。
 そして、未だに困惑した顔のままのマリューの腕を取ると「さて、では次に行きますか」とその店を後にした。

「あの、ムウ?」「ん、何だ?」
 何も詳しい事を話さないまま、ショッピングモール内を歩くムウに、マリューは思い余って声を掛ける。
「色々と聞きたい事が、いっぱいあるんですけど」
 上目遣いで自分を見つめる褐色の瞳に思わずニヤけてしまいそうな頬を、ムウはきゅっと引き締めながら「あぁ、次はこの店ね」と、白い木枠の扉を開ける。

 ムウに連れられてやってきた店は、どう見てもドレスショップだ。
「いらっしゃいませ」
 先程と同じように、店員達からの声が2人に届く。
 ムウはニコニコしたまま店員に近付くと、先程の店と同じように「先日お願いした、フラガですが」と声を掛ける。
 振り返った店員は「はい、かしこまりました」と言うと、バックルームへと姿を消した。
「ちょっとムウ!今度は何なの?」
 高級感が漂う店の雰囲気に飲まれそうになったマリューは、思わずムウのスーツを引っ張りながら、小声で問い掛ける。
「ん〜、そのハイヒールにピッタリなドレスを見つけたもんだからさ。どうしてもマリューに着てもらいたくてね」
 と、優しい微笑でマリューを見つめる。
 次から次へと起こる出来事に、マリューは思考をフル回転させて断る言葉を捜したのだが、ムウはそれを飄々とかわしてしまう。

「お待たせ致しました」
 店員の声に振り返ったマリューの視線の先には、ローズレッドのロングドレスがあった。
「ほら、試着してきなよ」
 真紅のドレスを呆然と見つめていたマリューは、ムウの言葉でふと我に返った。
「……え?」
 ぽんっと背中を押され一歩前に出たマリューを、店員が「試着室は、こちらです」と案内をする。
「あ、あの……私……」
 私は結構ですから……と言おうとする前に、ムウが「ほらほら、着てみないと分かんないでしょ?」と嬉しそうに試着室までマリューを引っ張っていく。
 そして、その腕にドレスを手渡すと「着替えたら教えてくれよ。俺も見てみたいからさ」と満面の笑みでマリューに念を押す。
「ちょっと待ってよ!」
 あ、何なら、着替えるの手伝ってやろうか?などと店員の前であっけらかんと話すムウに、マリューは顔が真っ赤に火照るのが分かった。
「じ、自分で着替えられますっ!」
 マリューは思わずそう口走ると、慌てて試着室の扉を閉める。
 そして、手にしたドレスをまじまじと見つめ、気付かれないように「もうっ……」と、小さなため息を1つ漏らすと、しぶしぶ着替え始めた。

 10分程して、マリューがゆっくりと試着室の扉を開ける。
 そこから顔だけを出すと、待ってましたとばかりに「お、着替え終わったか?」と言うムウの笑顔とぶつかる。
「あ……えぇ……」
「んじゃ、早く出てきてみてよ」
 満面の笑みで試着室の扉を引っ張るムウに、マリューはもう抵抗する気も失せており、言われるままに試着室から出てくる。
 ムウは、そんな彼女の右手を取ると「ハイヒール、履けるか?」と優しく気遣う。
「えぇ、ありがとう。大丈夫よ」
 そう答えたマリューは、すでに自分に馴染んでいるハイヒールに足を入れる。
「サイズはいかがですか?」
 ハイヒールを履いた途端、背後から先程の店員に声を掛けられたマリューは、振り返ると「大丈夫みたいですわ」と笑顔で答えた。
「やっぱりマリューには、ローズレッドが似合うな」
 全身を舐めるように見ていたムウは、満足気にそう呟く。
「でも、こんなドレス買ってもらっても、着て行く場所なんてないわよ」
 少し困ったような表情で、マリューがそう告げると、ムウは「着て行く場所は、作ればいいんだよ」と楽しそうに答えた。
「作ればって……」
 またもや小さくため息をつくマリューを他所に、ムウはさっさとドレスの代金を支払っている。
「では、あのドレスは……」「あぁ、このまま着て行くからさ。彼女が着ていたワンピースを袋に入れてくれないかな?」
 ムウが支払いをしている間にワンピースに着替えようと考えたマリューが試着室に戻ろうとすると、レジカウンターからそんな会話が聞こえてきた。
「えっ?!」
 驚いたマリューは、ロングドレスの裾を軽く摘み上げると、レジの前にいるムウの元に駆け寄った。
「ちょっと、ムウ!」「ん?なに?」
 さっきのハイヒールもこのドレスも、このまま着て行くなんて、私は聞いていません!と、少々興奮したマリューが、ムウに詰め寄る。
「そのドレスを着て、一緒に行きたい所があるんだよ」
 いくらマリューが怒っても、ムウはニコニコと笑ったまま、そう答える。
「だから、どういう事なんです?!」
 この待ち合わせからして、今日は謎だらけのムウの行動に、マリューは早く説明をしてもらいたかった。
 が、ムウはまたもや、のらりくらりとその質問をかわし「んじゃ、次の目的地に行こうか?」と、マリューに微笑み掛ける。

 店員から、マリューのワンピースが入った紙袋を受け取ったムウは、満面の笑みで彼女の腕を取ると「じゃあ、今日のメインだ」と再び、ショッピングモール内を歩き始めた。
「今度は何処に行くんです?」
 正直、呆れ返っているマリューは、少々ぶっきらぼうにムウに問い掛ける。
「ドレスアップしたら、今度は食事でしょ。じゃなきゃ、俺だってこんなカッコしてないって」
 そう笑いながら、ムウはマリューを連れて、ショッピングモールの最上階に向かうエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターが停まり、その扉が開く。
 このショッピングモールの最上階は、高級レストランが軒を連ねている。
 その真っ白い大理石が敷き詰められた通路を、ムウはマリューをエスコートして歩く。
 そして、ある1件のレストランの前で立ち止まった。
「ここ、一度でいいから行ってみたいって言ってたろ?」「え、ウソ……?!」
 そこは、半年先まで予約でいっぱいだという、人気のフランス料理店。

 このショッピングモールが特集されていた情報誌を見ていたマリューが、そんな事を呟いたのは随分前の話だ。
「だって、ココって……そんな簡単に予約取れないハズじゃ……」
 それに、私がそんな事言ったの、覚えていたの?と、マリューが驚いた顔でムウを見上げている。
「マリューが言った事は、どんな些細な事でも覚えてる。もう忘れないって……あの時、誓ったから」
「ムウ……」
 『あの時』と言われ、マリューはその出来事を思い出し、目頭が熱くなるのを感じた。
「ほらほら、こんな所で泣かないの」
 ムウはその顔に優しい微笑を湛え、マリューの肩を抱き寄せる。
 そして「そろそろ予約の時間だし、入ろうか」と、彼女を促し店内に足を進めた。

 黒服のウェイターに案内されたのは、夜景が綺麗な窓際の席。
 席に着くや否や、ムウはすぐさま「誕生日のコースを」と、テキパキとウェイターに注文をする。
「かしこまりました」と、ウェイターが姿を消すと、マリューはムウに改めて問い掛ける事にした。
「ところで……ムウに聞きたい事があるの」「どうした?」
 ミネラルウォーターが注がれたグラスを手にしたムウが、不思議そうにマリューを見つめる。
「今日は、どうやってここまで来たの?」
 グラスの水を一口飲むと、ムウは「そんなの簡単だよ」と笑った。
「エレカも使えない山奥。唯一の運搬手段は空路だろ?」
「それはそうだけど……って、もしかして?」
 単純な事ではあるが、まさかいくらムウでもそこまではしないだろうと思っていた事……それをマリューは恐る恐る口にしてみる。
「まさか……スカイグラスパー?!」
「ご名答!!」
 さすが、冴えてるねぇ〜と笑うムウに、マリューは唖然とするしかなかった。

 ムウが言うには、合宿所に向かう大型輸送機に、スカイグラスパーも積んで貰ったのだという。
 そして、今日の午前中は講義をし、昼から休暇をもらったムウは、そのスカイグラスパーで山を降りてきたという訳である。

「でも、よくそんな事をカガリさんが許したわね」
 運ばれてきた前菜にナイフを入れながら、マリューが驚いたような口調で言う。
「ん〜、まあ、交換条件だったんだけどな」
 すっかり前菜を食べ終わったムウは「じゃなきゃ、あんな急に頼まれた講師を、俺がすんなり受ける訳ないだろ」と笑っている。
「全く……そういうところはしっかりしてるんだから」
 呆れた人だわ……と苦笑しながらマリューはフォークをお皿に置くと、赤ワインのグラスを手に取った。
「それで、このドレスやハイヒール……これは一体どういう事なんです?なんだか、お店の人達も事情を知っているような感じだったし」
 ワインを口にしながら、マリューはもう1つの疑問をムウにぶつけてみる。
「実はな、ショッピングモールの情報誌を見てたら、そのハイヒールを見つけてさ。絶対、マリューに似合うって思ったから、店に電話して取り置きしておいてもらったんだよ」
「だから、お店の人がすぐにそのヒールを持ってきた訳?」「そうそう」
 満足気な笑顔で、ムウはマリューを真っ直ぐ見つめる。
「って事は、ドレスも?」「もちろん!」
 そう答えると、ムウはグラスの水を口にする。
「ハイヒールを見つけた後に、そのドレスも見つけてさ。あ〜、ピッタリだよなぁって思ったんだよ」
 ムウが手にしたグラスをテーブルに戻すと同時に、空になった皿を下げる為にウェイターがやって来る。
「こちら、お下げしてよろしいですか?」「えぇ」
 ムウの返事を確認したウェイターは、2人分の皿を下げて立ち去っていく。
 その姿を見送ったマリューは「でも、まさかこんな格好させられるなんて……全く想像していなかったわ」と苦笑する。
「そりゃ、サプライズがあってのお祝いだからな」
 ニコニコしたままのムウが「やっぱり、俺の想像通りだったなぁ」と、マリューの全身をゆっくりと眺める。
「何が?」
 不思議そうな表情で聞き返すマリューに「そのドレスもヒールも、マリューの為に作られたみたいだよ」と、歯の浮くような台詞をさらっと言ってのける。
「……もぅっ!」
 こんな場所で、そんな恥ずかしい事言わないで下さい!と、マリューは赤くなりながら小声でムウに釘を刺す。
 その時、魚料理の皿を持ったウェイターが「お待たせしました」と、2人の目の前にやって来る。
「スズキの香草焼きでございます」
 そう言いながら、2人の前に香ばしい香りのする皿を静かに置く。
「いい香り〜」
 思わずそう言ってしまったマリューに、ウェイターは笑顔で軽く会釈をするとその場を後にした。
「おしゃべりはまた後にして、温かいうちに頂こうか」
「そうね」