新しき一歩



 身支度を済ませたアスランは、その姿のまま部屋の中をウロウロとしていた。
 その時、誰かがドアをノックする音がする。
「はい?」「あ、アスラン?」
 その声の主はキラであるというのは、名乗らなくても分かった。
 慌ててドアを開けると、いつものようにきっちりと軍服を着込んだキラが立っている。
「どうぞ」「うん、ありがとう」
 にっこりと笑顔で答えたキラが、部屋に入ってきた。

 ここは、アスハ邸の中の一室。
 さほど広くはない部屋に、大きな鏡が備え付けられている。
「もうすぐ、出発の時間だから」「あぁ」
 キラはそう言いつつ、何か落ち着かない様子のアスランに、テーブルに置いてあったカップにコーヒーを注ぐとそれを手渡した。
「アスラン……緊張してる?」
「あ?いや……」
 そう答えたアスランだったが、カップを受け取る手が少し震えている事に気付き、自ら苦笑した。
「……そうでもなさそうだ」
「まぁ、一生に一度の晴れの舞台だしね」
 そう言うとキラはクスクスと笑いながら、手にしていたコーヒーに口をつけた。

「やっと、この日を迎えられたな」
 窓際に置かれたソファに座ったアスランは、外の景色を眺めながらしみじみと呟いた。
「一時はどうなるかと思ったけどね」
 と、キラはまたもや笑いながら相槌を打つ。
「でも……」「ん?」
 笑っていたキラが、ふと真面目な顔をしてコーヒーカップを見つめた。
「これからが、本当の始まりなんだよね。僕達にとっても」
「あぁ、そうだな。これから……だな」
 窓の外を眺めながら、2人は頷いていた。

 しばらくして、手にしていたカップをテーブルに置くと、キラはアスランを真っ直ぐに見つめた。
「アスラン」「何だ?」
 突然名前を呼ばれたアスランは、目線を窓の外からキラの方へと向ける。
「カガリの事、よろしくお願いします」
 そう言うと、キラは軽く頭を下げた。
「……あぁ、分かってる。ちゃんと守るよ」
 アスランはキラの手を取ると、固い握手を交わした。

 腕時計で時間を確認したキラは「それじゃあ、僕は向こうに行くよ」と立ち上がる。
「じゃあ、式場で待ってる。カガリを頼むな」
「うん。ちゃんと連れて行くから」
 そう言うと、キラは部屋を後にした。


 アスランの控え室から2部屋離れた場所の大広間。
 カガリはそこで、数人の侍女達に囲まれていた。
「カガリ様、キラ様がいらっしゃいました」
「通してくれて構わない」
 「はい」と返事をした侍女がすぐさまドアを開けると、そこから軍服姿のキラが入ってきた。
「カガリ、お待たせ」
「あぁ、キラ……」
 部屋の中ほどにセッティングされた大きなドレッサーの前に座っているカガリは、長いベールを纏った純白のウェディングドレス姿である。
 軟らかいファーをあしらったホルターネックのドレスは、カガリのスタイルの良さが強調されているな……とキラは思った。
「今、アスランに会ってきた」
「え?どんな様子だった?」
 相手の名前を聞いた途端、カガリはドキッとしつつその様子を尋ねた。
「柄にもなく緊張してるみたいだったよ」
「そっか」
 笑みを湛えたキラは、アスランの様子を小声でカガリに教える。
 するとカガリもそのキラの笑顔につられて、思わず笑みが漏れてしまう。
「カガリも緊張してるでしょ?」
「え?」
 なんとなくそんな事を言い当てられたカガリが、ポッと赤くなった。
「……してないつもりだったんだけど……でも、キラが来てくれたから安心した」
 少し俯きながらそう答えたカガリが、いつもよりも大人びて見える。
 あれから少しだけ伸びた髪を綺麗に結い上げてもらい、その頭上ににはマーナが保管していたという、母親の形見のティアラが飾られている。
「カガリ……おめでとう」
 目を細めながら、キラはカガリを優しく抱き締める。
「ありがとう、キラ」
 そう言うと、カガリの頬に涙が一粒流れて行く。
 それに気付いたキラが「まだ泣くのは早いよ」と言いつつ、身体を離す。
「な、泣いてなんかいないぞ!」
 と、いつものように強がってみると、その姿を見たマーナから「カガリ様っ!」と嗜める声が飛んできて、2人は思わず肩をすくめた。

「今日が、僕達の新しい一歩だね」
 カガリの右手を引いて、廊下を先導していたキラが、真っ直ぐ前を見たままそう呟いた。
「そうだな。私達だけでない、全ての人達にとって、新しい一歩になってくれればいいんだが」
「うん。色々な人達の道標の1つに……なると思うよ」
 そう言うと、キラはカガリを真っ白なリムジンの中に案内する。
 そして、2人を乗せた車は、アスランの待つハウメアの神殿へと出発した。



 新郎新婦の到着を待つ式場では、来賓の受付が始まっていた。
 受付の責任者であるマリューも、その対応に追われている。

「では、こちらに記帳をお願い致します」
 代表者を席に案内していたミリアリアが戻ってくると、そこで受付をしていた来賓を見て一瞬驚いた表情を見せた。
「ミリアリアさん、こちらの方をお席までご案内してもらえるかしら?」
 笑顔でマリューにそう頼まれたミリアリアは思わず「えっ?」と答えてしまった。
「えっ?ミリアリア??」
 その名前に反応したのは、記帳をしていた緑の軍服に金髪の人物。
 思わず台帳から顔を上げた彼は、怪訝そうな顔をしていたミリアリアと目が会うと、途端に顔を真っ赤にさせた。
「……あなたに呼びすてにされる覚えはありませんわ、ディアッカ・エルスマンどのっ!」
 フンッとそっぽを向きながら答えたミリアリアを見たマリューは、思わず苦笑してしまう。
「あのっ、ミリアリアさん……」
 ディアッカは恐る恐るといった表情で声を掛けたが、当の本人は、その隣にいたラクスと楽しそうに話し始めていた。
「……と、とりあえず、ミリアリアさんにお席に案内してもらいますから。そう気を落とさないで」
 その場でがっくりとうなだれているディアッカを不憫に思ったマリューが、そっと声を掛ける。
「ったく、こういう時はなんでいつものように強気じゃないんだ?」
 憔悴しているディアッカに向かい、腕組みをして「全く情けない」と吐き捨てるかのように言い放っていたのは、白服を纏ったイザーク・ジュールだった。

 プラントの議長代理として今日の結婚式にやってきたラクスの随行員が、イザークとディアッカである。
「でも、ラクス様の随行員がイザークさんなのは分かりますけど、どうしてアイツまで一緒なんです?」
 ミリアリアは小声でラクスに問いただすと、彼女はいつものようににっこりと微笑んで答えた。
「イザークさんもディアッカさんも、アスランとは親友ですわ。でしたら、せっかくの親友の結婚式にお連れするべきかと思いまして、私が指名いたしましたの」
 言われてみれば、確かにそうである。
 反論しようと思っていたミリアリアは、ラクスに返す言葉がみつからず、つい「そ、そうですか」と苦笑するしかなかった。

 結局、ミリアリアがプラント代表の3人を先導し、指定されている席まで案内する羽目になった。
「そう言えば、今夜、お友達だけでパーティーをするんですけど、ラクス様もいらっしゃいますよね?」
 ふとその話を思い出したミリアリアが、途中でラクスに声を掛けた。
「ええ、キラから話は聞いておりますわ。私達3人とも、お邪魔させていただく予定ですので」
「では、お待ちしております」
 嬉しそうに微笑むミリアリアは「お席はこちらです」とラクスを案内している。
 その様子を後ろから眺めていたディアッカは「俺にも、あんな笑顔を見せてくれよ〜」とブツブツ言っている。
「そこまで嫌われるような事を彼女に言ったのは、お前自身なんだろ?」
 隣にいたイザークは、呆れた様子で「早くそっちに座れ!」とディアッカを押しやると、自分もその隣に腰を下ろした。

 挙式時間まであと20分を切ったと言うのに、未だ受付は来賓の記帳が続いている。
 忙しく来賓の対応をしていたマリュー達の元に、応援とばかりにムウがやって来た。
「ム……フラガ一佐?!」「よっ、マリュー!応援に来たぜ」
 マリューの真後ろにピッタリと張り付くようにして立っているムウは「案内係、手伝うよ」と言うが早いか、彼女の目の前にいた来賓を先導してとっととその場を後にする。
「まったく〜。来るなと言っても聞かないんだから……」
 周りに気付かれないように小さく溜息をつくと、マリューは再び受付を始めた。