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トリセツを破り捨てた西野カナ

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 西野カナの新しいアルバムを聴いた。7月に出た『Just LOVE』。例の『トリセツ』も収録されている。これはネットを中心に賛否両論、というか主に男たちの「なんなんだこの歌詞は」という反応を生んだ怪作である。

 最初に言っておきたい。『トリセツ』がキャッチーであることは誰にも否定できないと思う。ついつい話題にしてしまうこと、覚えるつもりがないのにメロディを口ずさんでしまうこと。これは優れた大衆音楽の条件だからだ。

 実際、ヒットチャートを追ってない私ですら、よく行く牛丼屋で何度か『トリセツ』を聴いただけで普通に口ずさむようになっていたし、すぐさま知人に「あの曲はなんなんだ」と言ってしまっていた。そんな人は日本に大量にいると思う。

 今回、歌詞を読みながら、しっかりと『トリセツ』を聴いた。そして思ったのは以下のことだった。

「西野カナ、トリセツ破り捨ててんじゃん」

 詳しく説明したい。


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唐突にはさまる命令形

 タイトルが『トリセツ』だから、当然、取扱説明書の口調ではじまる。これは「あたしの声」というよりは、「あたしという商品を紹介する店員の声」と表現したほうがいいものだろう。

 しかしである。ただのトリセツだと思って油断してはいけない。

 定期的に褒めると長持ちします。
 爪がキレイとか
 小さな変化にも気づいてあげましょう。
 ちゃんと見ていて。

 唐突に「ちゃんと見ていて」と言われる。ここは牛丼屋できいた時点で気になっていた。「いきなり命令形かよ」と思ったからである。家電マニュアルのような口調のなかに、不意に現れる「ちゃんと見ていて」。妙に印象に残っていた。

 これは家電マニュアルには絶対にない展開だ。たとえば、「炊飯後は自動で保温します」という言葉ではじまった炊飯器のマニュアルが「ちゃんと見ていて」と続けば、私はSHARPに苦情の電話をいれる。自動なんじゃないのかと。

 さて、西野カナはふたたびトリセツ口調にもどるのだが、

 意外と一輪の花にもキュンとします。
 何でも無い日のちょっとしたプレゼントが効果的です。
 センスは大事。

 またもや唐突に「センスは大事」と言われる。ここも笑ってしまう。ふたたびタメ口だからである。この曲の前半の面白さはとつぜん入りこむタメ口である。タメ口をフックにして飽きさせない。西野カナとは怖ろしい女である。

 日本語は文末の処理で「語り手と聴き手の関係」が変わる。西野カナはこの特性を見事に利用してくる。下から来たかと思えば、唐突に天から見下ろされる。結果、リスナーの感情はブン回される。西野カナとの関係が安定しないからだ。

 

「してね」

 話がややこしくなるから触れてなかったんだが、「ですます」と「タメ口」の他に、「~ね」も使われている。この曲には三つの口調が混在しているのだ。

 急に不機嫌になることがあります。
 理由を聞いても答えないくせに放っとくと怒ります。
 いつもごめんね。

 これが「ですます」からの「ごめんね」である。ふっと親しげな表情を見せてくる。下から来たかと思えば上から来て、さらには隣でニコリと笑う。やはり感情がブン回される。とにかく聴き手との関係を安定させない。それが西野カナという女なのだ。

〇大サビではどうなるか?

 曲のクライマックスを見よう。

「ですます」と「~ね」と「不意な命令形」という上・中・下の三段変化で自在に語りかけてきた西野カナだが、最後の最後、いわゆる大サビと呼ばれる部分では以下のように歌っている。

 たまには旅行にも連れてって
 記念日にはオシャレなディナーを
 柄じゃないと言わずカッコよくエスコートして
 広い心と深い愛で全部受け止めて

 もうぜんぶ命令形である。マニュアル口調は放棄された。トリセツは破り捨てられた。「こんなもんはいらんのじゃ!」である。なぜか広島弁である。そして西野カナの背後では、破り捨てられたトリセツが紙吹雪となってハラハラ舞っている。昭和の演歌歌手のように。

 思えば、「ちゃんと見ていて」や「センスは大事」の時点で、トリセツは一時的に破棄されていた。西野カナはこぶしを握り、トリセツをクシャッとやっていた。しかしすぐに紙のしわを伸ばし、ふたたびトリセツを読みあげていたのだ。

 ちなみに、この部分の歌詞だけは、文末に句点の「。」が置かれていない。他の部分では置かれていたのに。たぶんトリセツといっしょに句点もブン投げたんだと思う。地面を探せば紙片といっしょに落ちてるんじゃないだろうか。

 この大サビでは歌詞にも注目したい。

 1 たまには旅行にも連れてって
 2-1 記念日にはオシャレなディナーを
 2-2 柄じゃないと言わずカッコよくエスコートして
 3 広い心と深い愛で全部受け止めて

 『影響力の武器』という本がある。ここで紹介されているセールス・テクニックのひとつに、まずは小さなお願いを客に受け入れさせてから、大きなお願いを飲み込ませるというものがある。

 ということで、「たまには旅行にも連れてって」という控え目なお願いで始まったはずが、数秒後には「広い心と深い愛で全部受け止めて」というとてつもないお願いに化けている。たまに旅行に連れていくつもりが、広い心と深い愛で全部受け止めることになっているのだ。目をはなしたすきにスズメが始祖鳥になっているようなものである。すごい。

 西野カナが『影響力の武器』を読んでいるとは思えないから(読んでたら笑いますが)、セールスマンが技術として身に付けることを西野カナは本能的にやっている。ほんとにすごい。

 

まとめ

 『トリセツ』の歌詞には、

 ・ていねいな『トリセツ口調』
 ・親しげな『ね』
 ・わがまま全開の『して』

 の三つが混在している。

 序盤の歌詞は「あたしのトリセツを読み上げる」という形だった。その節々で「ちゃんと見ていて」や「センスは大事」のように、唐突に「生のあたしの声」が挿入されていた。そして最後はトリセツを破り捨て、西野カナ本人が歌いはじめるのだ。

 わずか4分20秒のあいだに聴き手と西野カナの関係はめまぐるしく変動する。その感情ブンまわし芸を、西野カナは「日本語の文末の豊かさ」によって達成している。そしてブンまわされた男たちの最後の言葉が、「なんなんだこの歌詞は……」なのである。

 ちなみに、大サビの命令形連打「して。して。して。」のあとにも少しだけ歌詞がある。

 これからもどうぞよろしくね。
 こんな私だけど笑って許してね。
 ずっと大切にしてね。
 永久保証の私だから。

 親しげな「ね」の連打で締めるのだ。周到な構成である。最後は上から見下ろすのではなく、隣でニコリと笑って締める。「ったく、しょうがねえなあ……」と言うしかない。

 これが西野カナの『トリセツ』である。私は名曲だと思う。

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