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How is Quality Defined?

顧客は品質をイメージできない──ポスト資本主義時代の起業術

そんなバカな、と思うかもしれない。しかし、そうとしか思えない。顧客は「品質」をイメージできないのだ。自分が顧客の時もそうだ。ならば、品質イメージを規定するのが納品する側の義務である。

文: 竹田茂

本稿はポスト資本主義時代の起業術を伝えるメディア『42/54』の提供記事です。

私たちが日常的に利用する「品質」という言葉は、「品質管理」に比べるとかなり多義的で曖昧だ。

「品質管理」(QC:Quality Control)は、それを実現できるかどうかはともかく、比較的簡単に定義づけたり考えたりできる。サービスや製品の堅牢性、耐久性、要求達成度、適切な寿命(賞味期限)の設定などについて、事前に決められた水準を満たしているかどうかを測定する考え方だと思っておけば良い。品質保障基準と言い換えても良いだろう。裏返して言えば、測定可能(Measurable)でないものを対象とすることはできない。

一世を風靡した「デミング賞」の受賞なるものが以前ほど話題にならないのは、日本の品質管理のレベルが総じて高水準で推移しているからだろう(一部の自動車メーカーを除いては、かもしれないが)。

問題は「品質」のほうである。「品質」が多義的で曖昧な理由は、基本的に次の3つに原因がある。

(1)消費者は自分の欲しいものが判っていない
→自分が本当に欲しいものは実在しないことを知っているので諦めている。

(2)市場拡大主義はプロダクトアウトと相性がいい
→大量生産に向いているものを受け入れざるを得ない。

(3)品質は状況依存度が高い。

筆者の場合、特定顧客のためにウェブサイトをデザイン(設計)し、システム構築を行い、運営(運用)を委託されるということが多いのだが、顧客に当該サイトの品質イメージが湧くのは多くの場合、納品の後である。

「こういうものが欲しかったのではないですか?」を形で示すと、ようやくRFP(Request For Proposal:提案依頼書)が書けるようになるといった具合で、話の順序が逆だったりする。とはいえ、実は顧客をあまり責められない。筆者自身も、何らかのサービスを外部に発注する場合、これと似たり寄ったりだからだ。

次のページ納品する側に求められるのは「品質過剰である」こと

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