小学校時代に耳の聞こえない障害者である硝子という少女を苛めていた石田少年。
石田少年は決まって硝子少女の補聴器を奪い去って何処かに放り投げてしまうのであった。
しかしその悪行も何度も重なれば懲罰の議に掛けられる。補聴器とは、小学生の考えうる金銭感覚では到底支払うことのできない程度に高価な品物だったのである。
かくして高額な賠償金支払いを求められた石田少年は、義務教育の直後からアラスカ沖のたらば蟹漁船クルーとして働くことになる。
15年契約である。一度日本を離れれば、半年はずっと船の上での生活を迫られることになる。
冬のアラスカ沖でのたらば蟹漁は過酷を極める。地引網を引き上げる機械に腕や足を持って行かれ、クルーがそのまま海の藻屑となりたらば蟹の栄養となってしまうような事故が相次いだ。あるいは、極寒の吹雪が吹き荒れる海上で、寒さに負けて天使に意識を持って行かれる者もいた。
そうでなくても船内の生活は慢性的な食糧不足に加え、娯楽の不足から発生するストレスが、船内の生き残った船員たちに有りもしないヒエラルキーを<形>作っていったのである。