日本のビジネス社会おいて「一を聞いて十を知る」は、できる人の代名詞のような使われ方をしています。果たしてそれは本当でしょうか? それは時と場合による、というのが正解と言えます。
上司が部下に指示を出す場面を考えてみましょう。上司が直属の部下に「あの件、メールで返信しておいてくれる」と頼んだ場合、「一を聞いて十を知る」頭の回転が早い部下は、上司の指示通りに即座に返信メールをするのは当たり前のこと。そのうえで、その上司を含む関係者各位をCCやBCCに入れ、そしてその返信メールの内容もお客さんがレスポンスしやすいような文面にするなど、その先を考えた行動を取ります。
ですが、何事も深入りは禁物、と言う言葉があります。上司一人・部下一人というのはレアケース。そうです、会社はチームで仕事を遂行していくために集まった集団です。上司の指示は様々な利害関係を考えている場合も少なくありません。あえてミスをさせて気付かせる、ということも考えているかもしれません。このような場合、先回りすることによって、上司が他の部下の育成を目的として黙っていることまで優秀な人はやり過ぎてしまう傾向にあり、不評を買うことが少なくありません。
先回りが得意な人は個人プレーに走りがち
「一を聞いて十を知る」優秀な人は、上司の頭の中を理解しているばかりか、会社の利益のこともしっかりと理解しているつもりになっているので、効率追求の動きを優先しがちになります。「効率」を重視すると、個人プレーに陥りがちになります。そもそも効率は個人的な理由である場合が多いのが特徴です。会社は「効果」を求める集団というのを忘れてはいけません。よく聞く言葉に「費用対効果」というものはありますが、「費用対効率」という指標がないのはそのためです。
人が成長するためには、ある程度のミスは目をつむって、そのミスによって本人に気付かせる、というある意味ふところの深さが必要な場面が少なくないのですね。「一を聞いて十を知る」タイプの人は、その前もって予見されるミスは未然に防ぐのが当たり前と考える傾向にありますので、個人プレーに走ってしまい、頭の回転が早く、ずれたところも一切にないにも関わらず、評価がイマイチ、ということにもなりかねません。
黙って核心をつくのも「知」
では、どうすればいいのでしょうか? 中国古典の荀子の言葉が参考になります。「言いて当たるは知なり。黙して当たるもまた知なり」です。
「はい、わかりました」の言葉の裏に、両方(言う・黙る)の行動準備を潜ませるのが賢いやり方です。「一を聞いて十を知る」ことができたとしても、それを一切表には出さずに、利害関係者の調整に回るのが賢い立ち居振る舞いだと言えます。
ある事柄について詳しく知っているとそれを披露したくなるのが人の心情というものです。ただし華僑は、それを得意になって披露するようなことは利口なやり方ではない、というのをよく知っています。上で紹介した荀子の言葉の真の意味を理解しているからです。