第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー
9. 2020年の東京オリンピックまで仕事をしたい
−− 酒井さんはその時々で自分の中に仮想ライバルを置いて、その人に負けないように仕事をしてきたそうですね。
酒井:それはありますね。でも相手はプロデューサーではなかったんです。あるときは谷村新司さんがライバルだと思っていました。「この人、企画力があるな」と思っていたんです。それから大ライバルは阿久悠さんですね。阿久さんも私のことをライバル視していると本に書いてありましたよ。「一緒に仕事をするとうまくいかないのは、お互いに企画を考えすぎるんだ」と(笑)。
−− (笑)。阿久悠さんとの作品はあまりないんですか?
酒井:あまりないどころか、いつも「ベストテン」では阿久作品が雨雲のように上位にいて口惜しがっていたんですよ。森昌子、桜田淳子は阿久さんの作品だったんです。そして中3トリオとして山口百恵が並ぶわけですが、彼女の初期の声には私はコンプレックスがありましたから「作家を変えなきゃ」と、千家和也さんや阿木燿子さん、都倉俊一さん、宇崎竜童さん、谷村新司さんたちをウロウロしていたんですが、これが良かったんだと思うんです。周りは「なんで阿久悠に書かせないんだ? きっと仲が悪いんだ」という決めつけをしていたようですね。
阿久悠さんとのエピソードでは、南太平洋のときも面白いことがありましたよ。イースター島での横尾サロンで、横尾さんが「今日はUFOを呼ぶから!」と言うんですよ。サロンには電通の人を含めると12~3人いるんですが、半分は「またやってる」みたいな気分だったんですが、私は「これは呼ぶな」と思っていたんです(笑)。そうしたら夜になって本当にきたんですよ(笑)。ビコーンと暗いところで光って、横尾さんは得意満面(笑)。私は今でもあれはUFOだったと思っていますが、阿久悠さんが「あれはUFOじゃない。空港の管制塔が見えたんだ」ときっぱり。すると皆「それもそうか」という気分になって、それで終わったんですね。横ヤリを入れられた横尾さんはすごく沈んでいましたが、翌日の昼に確認したら、そっちに管制塔はなくて反対側だったんです。
−− 本当にUFOだったのかもしれませんね…。
酒井:まあ、それは笑い話で終わったんですが、帰国して、少ししたら阿久さんのピンクレディーの新曲『UFO』が爆発的ヒット(笑)。またまたその雨雲を追い払おうと制作に打ち込んだのを覚えています。
−− (笑)。阿久さんは南太平洋の出来事をヒントに『UFO』を作ったんですかね?
酒井:いや〜阿久さんの客観的な洞察力は凄いですよ。「地球の男に飽きた」ってのは、ああだの、こうだのムダ口を吐いていた我々の描写だと思いますよ。そこに、見事な娯楽作品を作り上げているんだから。
−− 各界の錚々たる方々を集めて1ヶ月も旅行に連れて行って、何もしなくて良いなんて、今を思えばすごく平和というか余裕のある時代だったんですね。
酒井:広告代理店や旅行会社の黄金期ですね。私はもう一度イースター島に行きたいんですが、でも行かないほうが良いんだとも思うんです。あの気分には戻れませんから。本当に空っぽにされましたね。イースター島の霊力をもらってきたみたいな。とにかく仕事には無心に取組むことができました。
−− 酒井さんは色んな人を見て「この人にはこんなことをさせたら面白い」「こんな可能性があるんじゃないか」というのを、全て直感で作り続けて50年経ったってことなんですかね。
酒井:そうですね。理論的に組み立てたってのはないですね。
−− と、いうことは誰にもそれを教えることはできないし、酒井さん以外の人間が、酒井さんに取って代わることはできないですね。
酒井:そうかもしれないですね。伝え方も下手ですからね。
−− 野球で言えば長嶋茂雄みたいな。「パッと来たらカンと打てばいい」みたいな(笑)。まあそうとしか言いようがないんでしょうけど。南沙織さんもおっしゃっていたそうですが「酒井さんが最もアーティスト」という気がします。
酒井:いやいや(笑)。南沙織さんとか百恵さんとか、今でも新年会をしたりしている仲なんですよ。同じ戦場で戦った仲間みたいな気分ですね。みんな戦友です。
−− 酒井さんはプロデュースの極意というのは「苺大福だ」とおっしゃっていますよね。これはすごい言葉だなと思ったんですが。
酒井:プロデュースを一言で表現すると、「混(こん)」ってことだと思うんですよね。テーマにしても、題名にしても、意外なもの同士を組み合わせたものが良いと思うんです。そういうことって日頃からイメージしていないと、すぐには出てこない。例えば、郷ひろみの『よろしく哀愁』。「よろしく」と「哀愁」なんて合わないんですよね。郷ひろみは、まあ「陽」だと思うんです。明るいし陽気ですから「哀愁」という言葉は似合わない。だから新鮮に見える。でもそれだけじゃまだ足りないから「よろしく」って付けたら面白いんじゃないかなと思ったんですね。
−− 「よろしく」じゃない言葉だったら全然違う印象の曲になっちゃうんでしょうね。
酒井:あれは安井かずみさんの歌詞。安井さんに曲を渡して詞を書いてもらっていたんですが、ヨーロッパへ旅行に出ちゃって、未完成のまま連絡が取れなくなったんです。彼女はそういう面白い人だったんです。それで帰ってくるまで待っていると発売に間に合わない。後半なんてなかったんですから。だから「よろしく哀愁」というフレーズはなかったんですね。で、安井さんが帰ってきたら「酒井さんがやってくれるって分かっていたから~」って(笑)。
そういう意味で「混」って大事だと思うんです。意外なものと意外なものを組み合わせる。「苺大福」って言ったのは、苺と大福を急いで食べたら美味しかったみたいな話だと思うんですが、酸っぱいモノと甘いモノでは合わないはずじゃないですか? でも、やってみたら意外と合った。そういう名プロデュースなんだと思います。
−− また酒井さんは「人間関係の極意は51対49である」とおっしゃっていますね。これはどういうことですか?
酒井:人と人との関係を100とするなら、理想的な割合は「51対49」だと思います。時と場合によりますが、相手を少し立てて自分が49で相手が51です。これが例えば「70対30」で相手を大いに立ててみたらどうなりますか? 一時的に人間関係はスムーズにいくでしょうが、長く続けるうちに「この人はあまり物事を深く考えていないのではないか?」「何か裏があるのでは…」と相手が疑心暗鬼に陥ってしまうと思います。
そんなことにならないようにするためにも、程よい緊張関係で人と対峙して、細胞を活性化させ、自分も相手も輝きを増すように努力すべきなんです。私は様々な経験を経て、タレントや作家たちとの関係において、常に「51対49」を保つように心掛けてきました。相手が年上であっても、年下であっても、このスタンスは変わらないです。それが多くのヒット曲を世に送り出せた力になったと確信しています。
−− 酒井さんは40歳でソニーの取締役になったわけですが、組織の中で出世するということには一切興味がなかったですか?
酒井:制作に夢がありすぎて興味なかったですね。役員というのも周りの目があるから会社はそうせざるを得なかったんだと思う。話を聞いたとき、私の第一声は「もう現場はやれなくなるんですか?」でしたから。「いやいや。今まで通りやってもらうから。酒井のオフィスも作るから」というので、それなら良いかなと思ったんですよね。
私は今年でちょうどプロデューサー生活55年なんですね。一言で言えば「おかげ様」です。本当にプロデューサー人生を満喫しましたね。いつも問題や事件が起きるんですが、いつの間にか好転するんです。雨降ってなんとやらです。今ちょうど80歳ですが、東京オリンピックまでは仕事をしようと思っているんです。『愛と死をみつめて』は、実は前の東京オリンピックのときに立ち上がったんです。だから二度目の東京オリンピックまではゆっくりと仕事していこうと思っています。
−− 素晴らしいですね…最後になりますが、酒井さんの目には今の音楽業界やレコード会社はどう映っていますか?
酒井:何がプロデューサーや制作陣を駄目にしているというか、弱まらせているかというと、一言で言ってデジタル化ですね。情報が過多なんですよ。知るということで満杯にしていて、生で確かめるということはしていない。我々がやってきたのは本当にアナログです。その人に会って、無駄なことでも話して、実態を掴まえていく。でも、今はそういうことをやっている人が少ないですよね。
寺山修司さんの『書を捨てよ町へ出よう』じゃないですが、今なら「スマホを捨てよ町へ出よう」ですね。どこに行っても、みんな二重アゴに指先を動かしている。もちろんデジタルはデジタルで良いんですが、自分も熱く行動するのが一番大事だと思いますね。
−− 本日はお忙しい中、ありがとうございました。酒井さんの益々のご活躍をお祈りしております。