第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー
8. 理論的ではなく「想念」に従って仕事をする
−− 『いい日旅立ち』はどういう経緯で生まれた歌なんですか?
酒井:『いい日旅立ち』は決して順風な制作ではなかったですね。あれは私の「わが街」のイントロダクションなんです。これは楽しくできるなと。しかも国鉄のCMだからというので張り切ったんですよ。山口百恵と国鉄って太い路線を感じたんです。これも「男性歌手もプレゼンしてくれ」と言われて、浜田省吾を候補に挙げて、最終的に山口百恵になりました。ただ現実に流れる国鉄のCMって週に1本しかなかったんです。
−− それは少ないですね。
酒井:あの頃の国鉄には、予算がなかったんですね。それで日本旅行社や日立にスポンサーになってもらって、週3~4本流れるようになったわけです。それで『いい日旅立ち』というタイトルになったんですよ。日本旅行社や日立の社名をパズル式に編み込んで。『いい日旅立ち』の中には「日・旅・立」が入っているでしょう?
−− あっ、入っていますね(笑)。
酒井:『いい日旅立ち』は出資した会社の名前が入ったパズルみたいなタイトルなんです。ほんとの話ですよ。でもCMのスポット時代ですから「週最低3本なきゃ」って必死だったわけです。発売当初は「唱歌みたいで地味だ」なんて言われましたが、年末にリリースして年が明けるとチャートを浮上してきました。今では国民的な歌になりました。
−− 『いい日旅立ち』は音楽の教科書にも載っていますものね。
酒井:新幹線に乗るとあのメロディが必ず流れていますよね。聴くと孫娘が帰ってきたような気分になります(笑)。谷村新司さんの作曲能力は素晴らしい。
−− そして、久保田早紀さんの『異邦人』。これも名曲ですね。
酒井:三洋電気の亀山専務から「『異邦人』というテレビを新発売するから、シルクロードの曲を作ってくれ」と依頼されて、「シルクロードは歌にできないなあ…」と悩みながらやったのが『異邦人』ですね。三洋の亀山専務は、私が尊敬するプロデューサーなんです。昔、フランキー堺さんが主演した『私は貝になりたい』という名作ドラマがあったんですが、そのプロデューサーなんです。それで「新人歌手を使ってくれ」というのが条件だったんですが、これがネックでした。ちょうどソニーのSDオーディションで、グランプリではないんだけど久保田小百合という漢字6文字の新人がいて、その子が歌っていた印象深い曲があって、のちに『異邦人』となる曲だったんです。
−− その頃は別のタイトルだったんですね。
酒井:そうです。「白い朝」でした。そしてメロディも少し手直ししました。で、テープを亀山専務に渡したら大変気に入ってくれて「この部分がスポットにぴったりだ」と。亀山専務は他の業務に追われながら口ずさんだりして…。緊張もしましたが、ラッキーでした。
−− 4曲ともすごい売り上げですよね。
酒井:イースター島の精霊たちに守られたというか、4曲ともミリオンセラーを超していったんですよね。私がソニーの中で一番は『魅せられて』で、あれは300万枚ぐらい売り上げています。
−− 売上だけでなく、それぞれの曲がそれぞれのアーティストにとって重要な曲になっていますよね。
酒井:そうですね。天の配剤みたいに運ばれてきましたね。こっちも「これはこうしたら売れる」という風にやってきた企画ではなくて、妄想と駆けっこでやってきたんですよ。
−− 南太平洋に行った仲間は、旅をきっかけにそれぞれそういう作品を遺したんですか?
酒井:阿久悠さんも一緒だったんですが、見事に実績を残されていますよね。その「南太平洋企画」のプロデューサーは、電通の小谷さんという方だったんですが、南太平洋のOB会で「酒井っていうのはいつもハッキリしなかったけど一番仕事しているな」ってからかわれましたね(笑)。
−− お褒めの言葉ですね(笑)。
酒井:ですね。旅では「ハッキリしないやつ」って思われていたんでしょうね。他の人は理論的なんですが、対して私は幻想を回しているようなところでイメージをつかむくせがありますからね。で「理論的にしなきゃ」と努力したときには失敗するんですよ。だから回線を合わせるのに苦労するんです。