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「危機の本質は、ISでもテロでもない」気鋭の中東政治研究家が提言!
「帝国主義時代」の復活
権力が二極化していた冷戦期や、米国が唯一の超大国として君臨していた時代にも、中東地域では、幾度となく戦争や紛争が発生していましたが、いまと比べればまだ小康状態を保っていたと言えるのかもしれません。
ところがいまは、こうした小康状態を維持できるような圧倒的な力を持つ国家や陣営がありません。
いくつかの有力国が濫立して自国の権益を追求しているさまは、19世紀に列強が植民地や勢力圏の拡大を競い合い、中東やアフリカを分割・領有した帝国主義の時代を彷彿させます。
そしてさかのぼってみれば、この帝国主義、さらに現在の中東地域の混迷は「東方問題」に端を発しています。
19世紀、オスマン帝国が弱体化すると、ロシア、英国、フランスなどの欧州列強が領土と権益をめぐってこの地域に介入しました。
これがいわゆる東方問題です。
このとき欧州列強は、中東の民族的、宗教的な多様性を利用して、その地域を分割する手法をとりました。勢力を細分化して地域を分断することによって、中東を衰弱させたのです。
英仏ロシアがオスマン帝国を分割するために結んだ秘密条約である「サイクスピコ協定」、英国が第一次大戦に際してオスマン帝国領内のアラブ人からの支援を得るため、メッカのシャリーフと交わした「フサイン・マクマホン書簡」、ユダヤ資本の援助を受けるために行った「バルフォア宣言」もこうした流れのなかで出てきたものです。
現在のように超大国がなく有力国が牽制しあうパワーバランスにおいても、各国が自国の政治的利権を獲得するため、中東地域を分断し、利用しようとしているのです。
19世紀のような権力争いに再び巻き込まれた中東地域の混迷は、それゆえ容易に終息しないでしょう。
シリアの混迷やISの台頭によって、テロが頻発し、膨大な数の難民が押し寄せている欧米も、一見、シリアを政治ゲームに利用した大きなツケを払っているように見えるかもしれません。
しかし、こうした二次被害を鑑みても、シリアに安定化をもたらすより放置して「生殺し」にすることに、欧米はまだ「旨み」を感じています。
欧米は難民・移民のほんの一部を受け入れて人道主義を振りかざしていますが、その一方で自分たちの思い通りの政治的権益や石油などの資源は得ているように思えます。
当事者国がシリアの和平に奔走しているように見えるのは錯覚で、実際のところシリアの安定化には程遠く、今後も問題は野放しにされたまま。
シリアに、そして中東に平和が訪れることは、当分ないでしょう。
アレッポの少年の写真が意味することは…
ここで「イスラム危機3.0」の特集ラインナップを見ていきましょう。8月30、31日掲載の「『貧しきアフガン少年』はいかにして米軍から80億円を奪い取ったのか?」は、米軍から巨万の富を横領したアフガニスタン人の少年のルポルタージュです。
最近、日本でそのニュースが報じられることはほぼなくなりましたが、アフガニスタンでも依然として内戦が続いています。
2001年の9.11同時多発テロ事件をきっかけにブッシュ政権が「テロとの戦い」を宣言してから、まもなく15年。しかしアフガニスタンの民主化は遅々として進まず、アフガニスタン戦争は米国史上もっとも長い戦争になりました。
「テロとの戦いという名目で攻撃」「民主化の名のもとでの介入」──順番が入れ替わることがあるにせよ、2003年のイラク戦争でも2011年に長期独裁を敷いたカダフィが殺害されたリビアでも、アフガニスタンと同様にこの2つのお題目によって米国は武力を行使しました。
つまりアフガニスタン戦争は、いま中東で起きている危機のプロトタイプで、中東は「アフガン化」していると言えます。中東は、「テロとの戦い」と「民主化」という欧米の大義名分に翻弄され続けているのです。
9月1日掲載の「ニューヨークで消えたiPhoneがイエメンへ…映し出されたのは『凄絶な現実』」では、米国で紛失したiPhoneのiCloudにイエメンの暴力的な日常を映し出す画像が次々とアップされる謎が描かれます。
アラブの春の煽りを受けて、やはり2011年に民主化運動が起きたイエメンでは、長期独裁政権が崩壊した後に就任したハディ大統領が、新憲法の制定を進めて安定化の道を歩むかのように見えました。
ところが、イスラム教シーア派の反体制派が、憲法草案の内容に不満を募らせて2014年に首都サヌアを武力で制圧。
これに対し、サウジアラビアをはじめとするアラブ諸国がハディ政権を支援し、イランがシーア派の反体制を支援する代理戦争に陥り、内戦は長期化しています。
イエメンでもシリアに負けず劣らずの深刻な人道危機が続いているにもかかわらず、アフガン同様、そのニュースは国際的にほとんど無視されています。
なぜ報じられないかといえば、オーディエンスが見たがらないこれらの話題を、メディアが「自己規制」しているから。
最近、アレッポの爆撃現場から救出された血まみれの幼い男の子、オムラン君の写真が大きな話題を呼びました。
しかし、国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディは、「オムランのような少年はシリアにはごまんといる。なぜ彼だけが特別扱いされるのかわからない」という声明を出し、メディアの安易な報道姿勢を批判。
たしかに最近の中東のニュースで注目されるのは、「戦争の犠牲になったかわいそうな子供」か「ISを脱退した外国人兵士の身の上話」、そして「外国人の拉致」。
ほぼこの3点につきると思います。
オーディエンスもメディアも、わかりやすく情動に訴えるようなニュースばかりをほしがり、その背景を論理的に分析するような報道はないがしろにされているとしか思えません。
そして、オムラン少年のニュースから10日、すでに彼のことを報じるメディアはほとんどなく、すでに過去のこととして忘れ去られています。
9月2日掲載の「エルドアンに歯向かうトルコ随一のリベラル紙『ジュムフリエト』の挑戦」では、トルコで政府批判を繰り広げる唯一のメディア「ジュムフリエト」が政府の言論統制に苦しむ姿が描かれ、言論の自由を侵害するエルドアン大統領が厳しく批判されています。
イスラム諸国のなかでは安定を保ってきたトルコも、テロの頻発や経済不振により、情勢が不安定化。「その原因はすべてエルドアンの独裁体制にある」と非難するのが欧米メディアの最近の傾向です。
トルコの動きは欧米には確かに不利かもしれませんが、「テロとの戦い」考えた場合、あるいはIS対策に代表されるような高度な情報統制や諜報戦略を必要とする政策を打つに際しては、エルドアンの独断主義やリーダーシップは必ずしも、西側にはマイナスになりません。
トルコは、クーデタ未遂以降、外交方針に若干の変化が見られますが、この変化が欧米の安全保障にプラスの結果をもたらせば、彼らはいとも簡単にトルコへの否定的評価を撤回するかもしれません。
これまで我々は、トルコを好意的に見てきました。「民主化」「人権」というロジックは、実は我々の利益にとって都合のいいように使われるものだということを踏まえたうえで、トルコの変化を冷静に見続ける必要があると思います。
私たちは報道の真意やプロパガンダというものに対し、もっと敏感で批判的であるべきなのです。
中東への無関心は「日本の弱体化」を意味する
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