第二話「再接近」 黄巾党討伐の命が朝廷から下されて数日が経った。 すでに準備は大方完了し、あとは華琳の出立命令さえ出れば 進軍を開始できる状況にまで出来上がっている。 その日一刀は華琳に伝えなければいけない業務項目があったのだが 昼過ぎから姿が見えず城内を探し回っていた。 春蘭や秋蘭に聞いても知らないというので、プライベート的な意味合いが強いように思われた。 いくつか部屋を回った後で、もしかしてあそこかな? と思い当たる場所があった。 ◆ 町が見下ろせる城壁で、風を受けている一人の少女が居た。 太陽の光で輝く髪を風が吹くままに自由にさせ、憂いを持つ瞳で町を見ている。 「華琳」 一刀が声をかけると、少し名残惜しそうにしてから顔を向けた。 「一刀、どうしたのかしら?」 「うん。ちょっと華琳に伝えなくちゃいけない事があって。…何をしてたの?」 問いかけると、華琳は一瞬町を見てから、ふっ……と笑みを作ってから一刀に目を向ける。 そして少し面白そうに笑う。 「貴方はこの町を見て……どう思うかしら?」 それはかつて問いかけられた言葉。あまりに未熟だった自分を試すために、意見を聞くために 華琳はその言葉を投げかけてきた。 外史を歩き過去の記憶がある自分は何と答えたらいいだろうか? 模範的な回答はいくつか思い立つ。冥琳や穏からは様々な事を学んだから。 だが――華琳はそんな答えを望まないだろう。彼女が欲しいのはありのままの言葉。 「俺この町好きだよ。活気も出てきてるし…人も多い」 ありのままを。言葉を飾らずに言った。 「そう」 華琳は短く返すと再び町へと視線を移す。 その瞳は何を見るのか。今の一刀にはわからない。 でも今華琳が何を考えているかは判る。 きっと俺の言葉に喜んでくれているはずだ。ここは彼女自慢の町なのだから。 「では貴方はどうしたいかしら? これから、この町を」 「護りたい。護って…発展していってくれたら嬉しいと思う」 「ならば頑張りなさい。暇している時間は無いわよ」 「ああ」 頷いて走り出す。時間は豊富ではないのだから。 階段を下ろうとして、慌てて気がついた。 「あっ、そう言えば華琳に報告しておくこと忘れてた!」 慌てて足を翻すと、再び華琳の所へ戻るのだった。 怒られるだろうな……そう思いながら。 ◆ 一刀の目の前には、魏の兵たちが整列していた。 何度見てもこの後景には心が震える。 現代では体験しえない風景。魏の精兵たち。 「一刀、これからは貴方の部隊に凪、真桜、沙和をつけるわ。自分の裁量で使いなさい」 「わかった」 華琳はそれだけ一刀に伝えると、各所の確認や指示出しのために去っていく。 「た〜いちょ〜。ずいぶんと偉いさんやないですか〜」 一刀の身体をちょんちょんと指でつつきながら、真桜は意地の悪い顔をしながら笑う。 それを見て凪がたしなめるように真桜の頭に手を置いた。 「てっきり警備隊だけの仕事かと思っていたのですが、隊長は戦場にも出られるのですね」 凪はちょっと感心したように一刀を見る。少しだけ評価が良くなったようだ。 「ああ。昔、別のところに居たんだけどそこで経験してたからね。人手不足だからって手伝わされたよ」 一刀は頭をぽりぽりとかきながら恥ずかしそうに言う。 凪の目には、それが好ましく映った。 北郷一刀。最初は頼りない人間だと思った。最初こそ助けられたが、どうしても彼がつわものに見えなかったのだ。 しかし彼と警備隊の仕事をしていくうちに評価が変わった。 一刀は誠心誠意町に尽くしていたし、何より真摯だった。町の人たちのために何が出来るかを常に考え 弱者のためには自分の犠牲をいとわなかった。 彼は決して武人としては強くない。そこらの兵士では相手にもならないが、自分よりは格下であろう。 しかし彼の本質はそこにはない。彼の意志力。それこそが力なのだ。 ――まだまだ人を見る目が足りていないな。 凪はそう思い苦笑する。 いい上司に出会えた。今はそれに感謝したいと思う。 「でもでも〜。隊長があの時来てくれなかったら沙和たち危なかったのー」 「そやでぇー。隊長は恩人やからなー。一生懸命つかえたる〜」 「ばーか。何言ってるんだ。それよりも自分達の部隊の確認は終わったのか?」 一刀が指摘すると、真桜と沙和は慌てた顔をして駆け出していく。 それが可笑しかったのか一刀は笑いながら「しっかり働けー」と声をかけていた。 凪は思う。 ここは良い環境だ。誰もが自分に出来る事を探し、目標へ進んでいる。 常に向上心を持ち何かに挑みながらも味方への友愛も忘れない。 この場を大切にしたいと思う。 凪は心の内にその思いをゆっくりと包み込み、自分もまた駆け出した。 ◆ 「聞け! 我が精兵達よ!」 軍の前面に仁王立ちし、華琳は高らかに声を上げた。 「我々はこれから、非道なる行いをする輩どもにその罰を下すため、進軍する! 敵は黄巾党! 人の心を忘れ、欲のままに振舞う愚か者達である! 情け容赦は要らぬ! 一切の情も要らぬ! 我が名、曹孟徳の名において 全てを蹴散らし、根絶やしにするのだ! この地に蔓延る不毛なる輩を排除せよ!」 そこまでを淀みなく、一切の迷いなく、兵たちの心に響かせる。 その瞳は強く輝き覇王の光を宿らせていた。 そして、最初に言った言葉を繰り返す。 「我が精兵たちよ!」 自分の兵たちを見回す。そこには自分の部下達への誇りに満ちていた。 「全軍! 出撃!!」 兵たちの声が轟く。 蒼天のさえも突き刺すように、大地に広がるように、全て押しつぶすように声を張り上げる。 これこそが覇王、曹孟徳の兵たち。 今黄巾党討伐のため、進軍を開始する。 ◆ 一人の女性が頭を片手で抱えていた。 褐色の肌に、腰まで届く長い黒髪、赤いふちのメガネをかけているのが特徴だ。 名を周瑜。天才軍師と呼ばれた女性。 彼女の脳裏に、今まで見たことの無い映像が浮かんでいた。それは記憶と呼ばれるもの。 「何だ……これは……」 こんな記憶自分にはない。経験に無い。それなのに次々と浮かんでくる。 これは……一体? 「どーしたの、冥琳!」 明るい声が場に響く。そちらに目を向けると雪蓮が片手を上げながら向かってきていた。 「ん…少し、な…」 「どうしたのよ。悩みがあるなら言って」 雪蓮は優しく微笑みながら冥琳に促す。 主であり親友である関係は冥琳にとってありがたいものだ。 信頼出来る上司であり、また悩みを打ち明ける事の出来る友なのだから。 しかし今冥琳が抱えている問題は、少々特殊だ。 雪蓮に話して解決出来るとは思えない。しかし、悩みを話すことによって心が軽くなる事を 彼女は知っている。 「あぁ。実は最近、妙な事があってな」 「妙な事?」 「うむ。自分が経験した事の無い場面が記憶として蘇る。私自身、そんな記憶はないはずなのにだ」 手をあごに当て、考え込むしぐさ。 これは一刀がよくやっている癖だった。 「あぁ…なんだ、そんなこと」 何を今さら、と言ったように雪蓮はからからと笑う。 その姿に不審を覚えながらも冥琳は少しむくれる。 「何が可笑しいんだ…。私は真剣だぞ?」 「私だって真面目に聞いてるわよー」 ちょっと困ったような顔をしながら笑う。 この憎めない親友のことが、今は少しだけ恨めしかった。 「じゃあ…お前には、これがどういう事態なのか判るのか?」 「うん」 「当然だな。私だってわからな……今なんて言った?」 「うんって答えたの」 「……つまり、私の身に何が起こっているのか、判るのか?」 「当然よ」 当たり前と頷く雪蓮。その姿に口を開けて黙ってしまう。 「じゃ、じゃあ教えてくれ。これはなんだ?」 雪蓮は真面目な顔をすると、冥琳の頬に手を当て、ゆっくりとさする。 「思い出して…。冥琳は知っているはずよ。彼を…。彼が帰ってきてるの」 「彼?」 「そう。私たち二人の大事な人。そして私達は思い出したの。彼を…北郷一刀を」 「北郷……一刀……」 その瞬間。 まるで堰を切ったように情報が、知識が、記憶が、全てが冥琳の脳内に流れ込む。 それはまるで洪水のようであり静かな聖水のよう。 強烈な印象を伴いながら冥琳の記憶に介入する。 「こ、これは……」 雪蓮が突如として連れてきた男の子。北郷一刀。 自分の目と耳をもって見定めた天の御使い。 勉強する姿、ともに戦場に出たあの時、人の死に怯える彼の顔。 微笑む優しそうな表情。 雪蓮の死をともに悲しみ、嘆き、しかし前に進もうとした。 そして――。 自分の死によって分かたれた。 「あっ――」 冥琳の目が大きく開かれる。いつの間にか涙が流れていた。 「思い出したみたいね……」 雪蓮は微笑みながら冥琳の身体を抱きしめる。強く、だが優しく。 彼女の体温に包まれながら冥琳は"かつての記憶"を取り戻した。 自分が死んだその瞬間まで。その全てを。 「雪蓮……」 「うん。大丈夫。何も言わなくて大丈夫」 背中をとん、とん……優しくたたきながら二人はしばしの間鼓動を預けあった。 「冥琳。私がどうしたいか判るわね?」 「無論だ。北郷を取り戻したいのだろう? しかし、時が必要だぞ」 「うん……」 「彼は今どこに?」 「えーとね、多分曹操のところに居ると思う」 「曹操……か……」 しばし考え込む。冥琳の脳内に様々な可能性と、必要性が駆け巡る。 「しばらくは、前と同じく勢力の拡大だな。まずは呉として独立する事が先決……と言いたいが」 「何かいい案でもあるの?」 「あるだろう?」 にやり、と意地悪そうな笑みを浮かべる。 冥琳の中には一度大きな機会がある。 「大勢の勢力と人が入り乱れる戦場が、もうすぐ訪れるでしょう、雪蓮」 「あっ……」 反董卓連合。 大勢の諸侯が集い、洛陽に攻め入った大舞台。 「確かにあれなら、いけるわね」 先ほど冥琳が浮かべたような笑みを雪蓮も浮かべる。 可能性はすぐ近くまで来ているのだ。 「判ったようね。ならさっそく準備を始めましょう。まずは黄巾党退治ね」 「ええ。力を付けて、絶対に一刀を取り戻してやるんだから!」 拳を振り上げ、意気揚々と。雪蓮はいつにも増して活力を得たようだ。 北郷……一刀……か。 懐かしい思いでいっぱいだ。また会えるというのなら楽しみだ。 冥琳は少しだけ嬉しそうな顔をして、微笑むのだった。 ◆ 華琳たちはかつてと同じ道順を辿りながら、黄巾党の拠点を潰していった。 その戦果は凄まじく、ただの野党である黄巾党ではいかに数が多かろうと 訓練された精兵たちの前では相手にならなかった。 そして数日が経ち、華琳たちは桃香たちと出会うことになる。前と同じ道を歩むなら 当然の結果だった。 「曹操さん、またお会いしましたね」 桃香はまずその言葉から始めた。 彼女の要求は前の時と変わらない。戦力的に厳しい状況なので共闘して欲しいこと。 食料が無いので分けて欲しいこと。 ただ唯一違うのが一点あり、華琳はそれを見逃さなかった。 桃香の数歩後ろに控えている関羽の視線。 それは華琳に狙いを定め、凄まじい意志力と決意と、闘気を込めた目。 腹の探り合いなど要らぬ強烈なまでの宣戦布告。 華琳はそれにある種の感動すら覚えた。 「なるほど…。関羽はよほど貴方に執着があるようね」 一刀を見ながら笑う。関羽の挑戦は華琳にとって面白いものだった。 「……」 それを見ても一刀は何も言わない。反応しない。 心の内を見せまいとする態度。だがそれを責めるつもりはない。 彼はいくつもの勢力を回ったと言っていた。そしてその記憶は一刀の中にある。 複雑なのだろう。それをいちいち責めていては話にならない。 自分に必要なのは覇王としての器量を見せる事。その一点だ。 「いいでしょう、面白いわ。受けましょう」 「わー、ありがとうございます!」 それは劉備にかけた言葉でもあり、関羽に向けた挑戦でもある。 そして関羽もそれを理解したようであり、瞳を細め睨む。 「さぁ、遊んでいる暇はないわ。さっそく進軍するわよ」 劉備たちに背を向ける華琳。 それを睨みつける関羽の横には二人の少女が控えていた。 「か、必ず…、ほ、北郷一刀さんを…取り戻して…見せまう!」 宣言しようとして、噛んでしまい尖り帽を深く被る小柄な少女。 「ご主人様……。私、愛紗さんと必ず迎えにいきます」 その隣にいる同じく背の小さい女の子。 名を諸葛亮孔明。 「ああ、必ずだ」 二人の言葉に愛紗が頷く。 作戦決行は近い。 第二話「再接近」完 次回三話「奪還」