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本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 作者:香月 美夜

第五部 女神の化身

605/605

わたしのゲドゥルリーヒ

「でも、わたくしは魔力が薄すぎてユルゲンシュミットが崩壊すると言われたのですけれど、フェルディナンド様はメスティオノーラの書を完成させろ、と言われたのですか?」
「君の方が多くを持っているから、メスティオノーラの書を完成させるためにさっさと死ねという意味のことを言われたが?」

 ……エアヴェルミーン様めっ!

「フェルディナンド様、エアヴェルミーン様のことは放っておいて、本当にメスティオノーラの書を完成させなければならないかどうかを検証するところから始めませんか? 国境門に魔力を供給すれば、もう少し時間稼ぎができそうなのですけれど」
「また楽観的で呑気なことを……。私の計画を潰したのは君ではないか」

 うつぶせていたフェルディナンドが顔だけをこちらに向けて恨めしそうにわたしを睨む。
 なんとフェルディナンドは王族に渡す魔術具としてのグルトリスハイトを作るためにエアヴェルミーンのところへ行って知識を補完しようとしたらしい。けれど、わたしが入っていたために同一人物認識されてしまったフェルディナンドは入れず、わたしがメスティオノーラの書の残りを持って行ったために知識の穴を埋められなかったそうだ。

「そんな大事なことを考えているなら、教えてくれればよかったじゃないですか。わたくしはツェントの養女になって地下書庫のグルトリスハイトを得るつもりでした。フェルディナンド様の計画なんて知らなかったのに、そんな文句を言われても困ります」
「大事なことを報告しない君に言われたくはない。私が最初に計画を立てた時は、君を中央神殿の神殿長にしようと各領地が言い出した時だった。少なくとも王の養女になるという報告は全くされていない」

 眉間に皺をくっきりと刻んだ顔でのっそりと起き上がり、壁にもたれかかって座り込んだフェルディナンドの言葉にわたしは一瞬言葉に詰まる。フェルディナンドも教えてくれていないけれど、わたしもフェルディナンドに大事なことは伝えていない。わたしはフェルディナンドの横に座って弁解してみる。

「……養父様や王族から他言無用と言われたのです。わたくし、フェルディナンド様に相談したいことなら山ほどありましたし、隠し部屋でなければ言えないような愚痴はもっといっぱいあるのですよ」
「君の愚痴はどうでも良いから、この手枷を外しなさい」

 ……どうでも良くないよ! 聞いて!

 あっさりと流されてしまったけれど、わたしの愚痴より手枷を外したり、グルトリスハイトやアーレンスバッハの現状について話をしたりする方が大事なことはわかる。わたしは自分の前に突き出された手枷に触れてみた。つるりとした手枷には鍵穴が見当たらない。

「外せる物でしたらすぐにでも外しますけれど、これはどうやって外すのですか? わたくし、鍵なんて持っていませんよ? フェルディナンド様は鍵の場所をご存じですか?」

 鍵穴を探して手枷のあちらこちらを見ながら尋ねると、フェルディナンドは呆れた顔になって、「君には鍵穴が見えるのか」と言った。

「見えないから探しているのですよ」
「君の聖典は一体何のためにあるのだ? わからなければ調べなさい。鍵ではなく、開錠の魔法陣を使うのだ。私の方にも時代ごとにいくつかあるので、見比べながら魔法陣の欠けた部分を埋めて発展させればよい」
「……ものすごく難しいことを要求されている気がするのですけれど」

 他の人に見つからないようにと思って、メスティオノーラの書はあまり使っていなかったので全く思い浮かばなかった。フェルディナンドはもしかしたら日常的に使っているのだろうか。そんなことを考えながら、わたしは「グルトリスハイト」と唱えてメスティオノーラの書を出して、手枷の外し方を検索する。

「何だ、その形は? また非常識な……。騎獣といい、聖典といい、君の物は何でも変わった形をしているな」

 タブレットのような形のわたしのメスティオノーラの書を見たフェルディナンドが、投げやりな口調でそう言ってゆっくりと首を左右に振る。

「形は非常識かもしれませんが、わたくしのメスティオノーラの書は高性能なのです。暗い中でも『画面』が光って読めますし、ここに調べたい言葉を入れると簡単に調べられるのですよ。すごいでしょう?」

 わたしは自分のメスティオノーラの書がいかに優れているか自慢する。うふふん、と胸を張っていると、フェルディナンドが何だか不思議そうな顔になった。

「メスティオノーラの書は自分の欲しい知識を調べるための物だから、開けば欲しい知識が出てくる。文字自体が光るので暗い中でも読むことは可能だ。わざわざ調べたい言葉を入れなければならないのであれば、君の聖典はむしろ不便と言わないか?」
「……そ、そんな」

 思わぬ言葉にわたしが呆然としていると、フェルディナンドが少し体を傾けてわたしのメスティオノーラの書を覗き込み、「この魔法陣だ。スティロで描きなさい」と言った。わたしには判別できないのだけれど、フェルディナンドの方には古い時代の魔法陣が、わたしの方には新しい時代の物があったらしい。

「コピーしてペッタン!」

 スティロで描くのが面倒だったので、コピペ魔法を使って持っていた魔紙に写し、魔力を流して発動させる。ガチャンと音を立てて手枷が床に落ちた。

 ……これでよし。

「ローゼマイン、君は一体何をした?」

 愕然とした表情のフェルディナンドにわたしは、今度こそ「うふふん」と胸を張った。

「わたくしが作り出したコピペ魔法です。色々と制約はあるのですが、こちらは便利でしょう?」
「非常識極まりないが、便利という言葉には一理ある。原理と発音を教えなさい」
「……今は非常事態なので、後回しにしてくださいよ」

 ここでコピペ魔法について研究している暇はないと思う。わたしが指摘すると、フェルディナンドはしかめ面で何度か手を握ったり開いたりし始めた。リハビリ中のフェルディナンドにエーレンフェストのことを話していく。ユストクスとエックハルトをエーレンフェストに向かわせたのだから、フェルディナンドはアーレンスバッハの現状よりエーレンフェストについて知りたいだろうと思ったのだ。

「そうか、エーレンフェストの防衛準備はもう始まっていたのか」
「はい。領地の貴族が総力を挙げて取り組んでいました。わたくしも神殿の守りを固めるためにシュバルツ達の色違いシュミルで戦闘特化の魔術具を作ったのですよ」
「君は相変わらず理解不能だ。戦闘特化の魔術具をシュミルにする必要があったのか?」
「リーゼレータがシュミルにしたのです。可愛いから良いではありませんか」

 エーレンフェストの話をしているうちに、あまり動いていなかったフェルディナンドの指先が少しずつ動く範囲が大きくなってきた。腕の上げ下げもマシになってきたようだが、思うように自分の体が動かない苛立ちが眉間の皺にくっきりと表れている。

「ローゼマイン」
「何でしょう? 他に知りたいことがあればどーんと質問してくださいませ。それとも、もう少しお薬が必要ですか?」
「いや、頬を差し出せ。つねっても良いと言ったであろう?」

 深刻な顔でいきなり何を出すのかと思えば、わたしの頬をつねりたいらしい。特に叱られそうなことはしていないと思うのだが、突然何を言い出したのだろうか。それはこの非常事態にしなければならないことなのだろうか。わたしにはフェルディナンドが一体何を考えているのか、さっぱりわからない。

「それは、まぁ、言いましたけれど……手、まだ完全には動いてないですよ?」
「完全ではないが動くようになった。今ならばそれほど痛くないぞ」
「わたくしは完全に動けるようになったら、というつもりで言ったのですけれど……仕方がないですね」

 反論はしてみるものの、つねられても痛くないのはありがたい。わたしはフェルディナンドの正面、足の間に座り直して「どうぞ」と頬を差し出す。

 まだ動きの鈍い指先がわたしの右頬に触れた。指は動いていて、うにうにとやや揉まれているような感じだけれど、全くつまめていない。よくわからないが、これで満足なのだろうか。わたしが首を傾げていると、フェルディナンドの手が頬より下へ移動し始めた。

「フェルディナンド様、そこは頬じゃないと思うのですけれど……」

 フェルディナンドの左手が頬骨から顎のラインに手が当たる。親指の動きだけで先程よりはつまむっぽい動きになった。このために手の位置を変えたのか、それほど頬をつまみたかったのかと妙な感心をしていると、指輪から緑の光が溢れ始めた。

「ローゼマインにルングシュメールの癒しを……」

 首元にあった違和感がスッと消えた。どうやらわたしの首についた鎖の跡を消してくれたらしい。嬉しいけれど、嬉しくない。

「フェルディナンド様、自分の体と魔力を回復させなければならない時に何をしているのですか!? フェルディナンド様の回復が最優先ですよ! それほど痛くもなかったのですから、わたくしの癒しなど後回しで……」
「私の魔力がきちんと動くかどうか確認するのにちょうど良かっただけだ。……あぁ、シュタープも問題なく出るな」

 フェルディナンドはふいっとわたしから視線を外し、頬から手を離すと、今度はシュタープを出したり、変化させたりし始めた。

 ……また聞いてないっ! ふんぬぅ!

 立ち上がって歩き回ることはまだ難しそうだが、フェルディナンドは順調に回復している。もっと安静にと思ったけれど、何を言っても聞く気がなさそうなことは、その態度で十分にわかる。

「フェルディナンド様が回復してきたみたいですし、わたくしは一度外に出て皆に報告し、登録用の魔石を探してきますね」
「ローゼマイン」

 立ち上がろうとしたところで声をかけられ、わたしは「今度は何ですか?」とフェルディナンドの顔を覗き込んだ。

「……君のゲドゥルリーヒを教えてくれ」
「え? えーと、それは……今じゃないとダメなことなのですか? 外で皆が待っていますし……」

 頭の片隅に追いやっていた質問を突然されて、わたしは狼狽えて及び腰になってしまう。フェルディナンドの視線が一点に固定された。

「君のゲドゥルリーヒは私と同じエーレンフェストだと思っていた。だが、君は王族から求愛され、それを受け入れているようだ。今の君のゲドゥルリーヒを知りたい」
「え?」

 フェルディナンドが何を言っているのかよくわからなかったが、視線の先にあるのはジギスヴァルト王子にもらったネックレスだ。わたしがネックレスを手にするのと、フェルディナンドが何かを思い出したように「あぁ」と声を出すのは同時だった。

「そういえば、王子との婚姻が君の夢だったか。いつだったか君が荒唐無稽な話を書いた時にそう語っていたな。あれが実現するとは思いもしなかったが……」
「ちょっと待ってください! 異議ありです! ジギスヴァルト王子と結婚するのは、わたくしの夢ではありません。あんな本の一冊も持っていない妻子持ちの男と結婚するなんて、どちらかというと悪夢ですよ。生活水準が下がる玉の輿なんてあり得ません」

 図書館から引き離され、新しい本が一冊もないところへ行かされたり、成人するまで印刷業に関われなさそうな環境に向ったりすることを言うのではない。

「だいたい、わたしの理想の夫は父さんですよ。やりたいことに向かって突進するのを助けてくれて、身分差も何も関係なく全てからわたしを守って大事にしてくれる人がいいんです。ジギスヴァルト王子じゃ比べものにもなりません。これは今回フェルディナンド様を救い出すことに王族が許可を出している証で、求婚とは全く関係ありません。よく見てください。全属性でもなければ、文字も刻まれていないでしょ?」

 それから、いかにジギスヴァルト王子がわたしの理想から外れているのか力説し、自分の理想の未来について語る。

「わたしは図書館に籠って一日中読書をして過ごしたいんです。家族や仲の良い人達とおいしいご飯を食べて、好きな本を食べて、余所の図書館で読んだことがない本を探してうろうろするような生活がしたいんですよ。図書館で働く司書になって、利用者が欲しい本を探してあげたり、古い資料の補修をして蘇らせたり、魔術具を研究して他領の図書館と図書館『ネットワーク』を構築して本を色々なところから掻き集めてみたり……。そういうことがしたいんですよ。本を一冊もくれなくて、成人まで印刷業を待たなきゃいけない王子との結婚が夢なんて……誤解でもひどすぎます」

 ハァと深い息と一緒に身体中の力を抜いてその場に座り込んだ。わたしの力説をじっと聞いていたフェルディナンドが苦い笑みを浮かべる。

「わかった。君の熱が籠った主張から察するに、私はひどい誤解をしていたようだ」
「理想や夢という点では誤解ですけれど、現実に関しては誤解ではありませんから気にしないでくださいませ」
「……どういう意味だ?」

 フェルディナンドにわたしは「領主会議の前には王の養女になって、理想とは程遠い次期ツェントと結婚することになりそうです」となるべく空気が重くならないように微笑んだ。隠していたところで、もう少し後の領主会議には決まっていることだ。

「……君はジギスヴァルト王子と結婚するのか?」

 よほど驚いたのか、フェルディナンドが表情の抜け落ちたような顔で尋ねてくる。もしかしたら王命で結婚を強要された自分を思い出したのだろうか。

「まぁ、ジギスヴァルト王子が欲しいのはわたくしではなく、グルトリスハイトとわたくしの魔力なのですけれどね。元平民のわたくしが王子と結婚ですよ。笑えますよね? 王子はわたくしに貴族の常識から外れた突飛なことはしてほしくないからなるべく表に出てほしくなくて、今の領地間の力関係を崩したくないと考えているみたいですけれど」
「君は……自分がそのような扱いをされることを良しとしたのか?」

 フェルディナンドは厳しい顔になったけれど、わたしは一度唇をぎゅっと引き結んで頷く。良しとしたのだ。わたしにとって重要なのはフェルディナンドの連座回避だったから。

「わたくし、下町の家族やグーテンベルク達、神殿の側仕え達、フェルディナンド様……自分の大事なゲドゥルリーヒが危険ならば、ユルゲンシュミットは後回しにして全力でゲドゥルリーヒを救います。けれど、全て揃って無事ならユルゲンシュミットがどうなっても良いとは言えません。ユルゲンシュミットがなければ、わたくしの大事な人達が平穏に暮らせませんから」

 だから、良いのだ。ユルゲンシュミットの崩壊が近付いている以上、わたしがメスティオノーラの書を完成させるか、地下書庫にある王族のグルトリスハイトを手に入れることは絶対に必要で、そのためには王族になるのも仕方がない。

「王族になる以上、わたくしは自分の持てる権力を全て使って自分の大事な人達を守ります。フェルディナンド様を連座になんてさせませんし、フェルディナンド様のゲドゥルリーヒであるエーレンフェストへ戻れるようにあらゆる手段を使います。安心してくださいませ」
「……君も私と同じように大事な者を全てエーレンフェストに置いていくつもりか? そして、私に守れ、と?」

 フェルディナンドがひどく苦い顔でそう言った。アーレンスバッハへ向かった自分の過去を重ねているのだろう。わたしはフェルディナンドを安心させるためにニコリと笑う。

「心配しないでください、フェルディナンド様。わたしは大丈夫ですよ。下町の家族は専属枠で、ルッツやベンノさん達プランタン商会はわたくしの成人と同時に印刷業が始められるように中央へついて来てくれます。神殿はメルヒオールが神殿長として管理してくれることになりましたし、名捧げ組は未成年でも連れていく許可をもらいました。中央へ行っても何とかなりますよ」

 そこでわたしはフェルディナンドの名捧げ石を返さなければならないことを思い出した。革袋に入れていた白い繭のような名捧げ石を取り出し、フェルディナンドの手に握らせる。

「お返しします。フェルディナンド様の命を救うためとはいえ、勝手に名を奪ってしまって申し訳ありませんでした。自分の隠し部屋ができたのですから、そちらで保管しておいた方が安心でしょう?」

 名捧げ石を受け取ったフェルディナンドが拳を握ろうと手を震わせ、目を伏せた。

「……君は私を……」
「何ですか?」
「いや、君は簡単に私をエーレンフェストに返す、と言うが無理だ。後始末をする者は必要になる。私がアーレンスバッハから離れられるわけがない。だから、君が王の養女になる必要はない」

 絶望感が漂っているような力に欠けるフェルディナンドの声に、わたしは教える予定ではなかったこれからの先の計画をフェルディナンドに述べる。

「えーと、これは秘密なのですけれど、わたくしが王の養女になって地下書庫のグルトリスハイトを手に入れたら、領地の線を引き直します。ですから、大丈夫ですよ。それまではわたくしとわたくしの側近で何とかしますし……」

 フェルディナンドは拳を震わせ、わずかに色が揺らいで見える目でわたしを見た。何が原因かよくわからないけれど、フェルディナンドがものすごく怒っている。わたしではあるまいし、フェルディナンドの目に一目でわかる感情の揺らぎが見えるなんて普通ではない。

 ……え? わたし、どこで魔王のスイッチ入れちゃった!?
魔王が立ち上がった。
魔王のマジ怒り。
ローゼマインは混乱している。

次は、アウブとツェントです。

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