どうも!
9/18.19と2夜連続で復活していたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の感想です。
昔のシリーズ放映当時はまだ子供だった管理人。
親が観ているのを横目で見ていましたが、当時はあまり面白さが理解できませんでした。
ですが昨日の前編を観てみると、これが思いの外面白いんです!!
今ならわかる、家族の様々な問題。
また、その流れや話題も、「あー、なるほどね…」と共感できるんですよね。
物語は中華料理店「幸楽」が店を改装することになるところから始まります。
改装工事の期間は1か月。
「おやじバンド」の活動に励む勇を横目に、なにもやることがないと呆然とする五月。
そんな五月は、弥生や文子の様子を見に行くのですが…
誰かに必要とされる実感が必要
観ていて感じたのが、人は誰かのために貢献できている・必要とされるこという実感が、生きる活力になるということです。
五月は姉妹のところを訪ねるのですが、みんなそれぞれに自活し、充実している様子。
五月はヒマだから何か手伝いたいけど、どこも自分を必要としていない事実に意気消沈するのです。
弥生の手伝いを頼まれて喜んでいたけど、それもダメになってしまう形に。
そんな五月はとにかく退屈そうで、毎日やることも無い状態。
挙句の果てには、ラーメン屋で皿洗いのバイトを勇に黙って始める始末。
58歳の五月にはハードな仕事だけど、やっぱり充実しているんですよね。
若者に混じって汗水垂らして働いて、何だかんだで役に立っている。
誰かのために働いて、貢献できているという実感が充実と笑顔に繋がるわけ。
長子も同じような状況。
問診専門の医者である夫の手伝いをするために、一緒に住まうことになったけど、自分が居ても居なくても変わらない。
食事を作ったり世話を焼きたいけど、不規則な医者の仕事だけに、留守番するだけになっちゃうんですよね。
そんな状況が嫌で「おかくら」に手伝いに行くんです。
日向子が切り盛りして忙しいであろう「おかくら」なら、自分が必要とされるのでは。
そう考えたわけですが、日向子は自分のことを心配して来ているのだと勘違いされてしまいます。
そんな長子は日向子に、「もうお母さんは必要ない。来なくていい」と宣言されてしまうのです。
その言葉に長子は心底落ち込んだでしょう。
夫の役にも立てず、娘にも不要だと烙印を押されてしまう。
自分の存在意義とは何か。
そこが揺らいでしまうと、人間は生きがいを失ってしまいます。
そのことが今回、とても印象的でしたね。
五月はラストで幸せそうでしたが、自分は行楽という居場所に帰ることが出来ました。
しかし、長子は居場所を見つけることが出来ていません。
このまま終わりってことはないでしょう。
また次回作が放映されることを願います。
大人になって観てみると、こういう視点だったり考え方で観れますのでとても新鮮でした!
スポンサーリンク