「やる価値のあることは、とことん全力でやるべきだ」。この信念が、いかにSam Shepherdの音楽のあらゆる面を支えてきたか、Stephen Titmusが明かす。
その幅広い音楽の好みと同様に、彼が持つスキルもまた多様である。彼の音楽の大半は、自身で作曲し、演奏し、録音し、エンジニアリングをし、ミキシングまで行っており、16人編成のアンサンブルを指揮したこともある。彼は3つのレーベルの運営に関わっており、中でもEgloは有名だが、更にPlutoと、リイシュー・レーベルのMelodiesもある。そして市場に出ているDJミキサーの質の低さに幻滅した彼は、Isonoe社とのコラボレーションのもと、FP Mixerという、音質は素晴らしいが実用性の低い巨大さのハイエンド・ミキサーを制作した。また、ダブプレートをカッティングしてもらえる所が見つからなかったとき、彼は自分でカッティングしてしまおうと、ドイツの地方へと足を運び、エキセントリックなカッティング職人のもとで1週間学んだ。Melodiesを設立したときは、彼はただレアなレコードを再発するだけに留まらず、リリースに合わせてファンジンを制作。自身で執筆、出版したファンジンは、架空のヒットチャートや、自身を結婚式DJとして宣伝する架空の広告などが入った、遊び心に溢れるものだった。Shepherdに話をききに彼のスタジオを訪ねると、海外ツアーのために12人のミュージシャンのビザの準備を進めている所であったと教えてくれた。彼は自分が「誇大妄想狂」になってきていると、ジョークを言った。
すでに多くを達成してきたShepherdだが、去年まで音楽活動は彼にとってサイド・プロジェクトのようなものだったことを考えると、感心せざるをえない。University College Londonで4年間、神経科学とエピジェネティクスを学び、2014年に彼は博士号を取得している。その期間、彼は毎日研究室にこもって沢山の顕微鏡を眺め、合間の時間にギグや制作を行っていたのだ。
「金曜日は毎週早めに大学院を出て、こっそり持って来ていたレコードバッグを持ってヒースロー空港に直行していた」と、Shepherdは言う。「木曜のギグがあるときは、大学院を出て空港に行って、次の朝また研究室に戻っていた。そういう時はキツかったね。Milan Design Weekのイベントのときは、午後4時のフライトに乗って、次の日の朝の9時には研究室に戻っていた」。運の良いことに、Shepherdの指導教授は「信じられないほど協力的」であり、本人も「かなりの音楽好きであった」そうである。
「ミュージシャンより、院生として頑張っているという自覚はあったし、研究室に行くことを優先していた。じゃないと、研究室の同期たちの期待に答えられないと感じたんだ。同じ時期に博士課程を始めた彼らは、どんどんと成長していた。Nature誌に論文が載ったりね。難しかったのは、その頃アーティストとして色々面白いプロジェクトとか仕事のオファーが来ていたんだ。凄く音楽をやりたいけど、3年我慢してとりあえずこれを終えたら、あとは残りの人生を音楽に捧げられると考えたんだ」
二足のわらじを履き続けるのは容易いことではなかったが、研究に意気消沈したときは、音楽は現実逃避となった。「大変だったよ。研究がなかなか上手くいかないときが良くあったんだけど、音楽をやっていたからこそ研究を続けることができたんだ。安心させてくれた。音楽を作ったり、自分で作品をリリースすることが楽しくてしょうがなかった」
Shepherdのスタジオに行くと、その楽しさが伝わってくる。赤い蛍光灯に照らされた薄暗い地下室にある彼のスタジオは、オーディオ機材オタクにとってパラダイスだ。ビンテージのシンセ、ハイエンド・スピーカー、テープ・マシン、そして無数の楽器。超一流のスタジオのラックに設置されていそうな機材が、この狭い空間にごちゃごちゃと詰め込められている。部屋の一角には、レコード・カッティング用の旋盤が置いてあり、この機械を使って、通常ダブプレートに使われるアセテートよりも丈夫なPVCという素材でレコードをプレスしている。バックルームには、Shepherdが木材と光ファイバーのケーブルを用いて自作した、ハーモノグラフという装置がある。この装置を使用して、ニューアルバム『Elaenia』のアートワークが作られた。
点滅し続けるライトや、無数のダイヤルに目がくらみそうだったが、Shepherdは静かにひとつひとつのマシンの目的を教えてくれた。「こういった制作環境だと信じてもらえないかもしれないけど、僕はハードウェアの収集に対して物凄く熱心なわけじゃないんだ」と彼は言う。「ひとつの機材を完璧に使いこなせるようになるまで、新しいものは買わない」。彼はモジュラー・シンセを指差した。「これなんかは、もうひとつラックがあるけど、このモジュールの可能性を全て試し尽くすまで、新しいモジュールを買わないことにしているんだ。機材の使い方をマスターしてから作った曲のほうが、面白いものになることが多い」
スタジオの心臓部となるのが、API 1608というミキシング・コンソールである。状態の良いものなら、4万ドル以上の値段がついてもおかしくない代物だ。Shepherdがこれを購入したとき、彼の部屋にはちゃんと置くスペースすらなかった。「当時、キングス・クロスでふたりの女の子とルームシェアしていたんだ」と彼は言う。「僕のベッドルームには壁いっぱいのレコードがあって、そのミキサーと、デスクと、沢山のシンセが散乱していた。ベッドに到達するためにミキサーの下を這っていかないといけなかった。笑えたよ。歩くスペースなんてなかった。これは完全にプロ仕様の卓なんだ。卓を設置してくれた業者は“コントロール・ルームは?”ときいて来たから、“ベッドルームです”って答えたよ。部屋にそのミキサー丁度の大きさの四角いスペースを確保しておいたんだ」
これは常軌を逸していると感じるかもしれないが、Shepherdは長い目で未来を見据えていた。「多額のローンを組んだんだ」と彼は説明する。「“これは一生やりたいことだと解っているし、サウンドを完全に自分でコントロールしたいことも解ってる”って当時、自分に言い聞かせた。その頃すでに何作かリリースしていて、どういうサウンドを手に入れたいかはっきりと解っていたんだ。だから思い切ってクレイジーなことをした。暗い部屋だと凄くカッコ良く見えるんだよ!」。この卓ミキサーを使用して作った最初の作品が「Shadows EP」であり、同作はRAのレビューにて珍しい5/5のスコアをたたき出した。
はたから見ると、Shepherdの音楽はとてつもなく入念に作り込まれているようだ。Floating Points作品のトレードマークとなっているのが、多くのダンス・ミュージックにおいて欠けている、音のダイナミズムと音楽的技巧であると言える。しかし彼の創作プロセスは、実は人に思われているよりも行き当たりばったりかもしれない。彼は実験を繰り返すことに興奮を感じ、「磨きあげられすぎている」ように聞こえる音楽にしたくないと過去に発言していた。研究者としては慎重であり、単細胞を観察するといった作業を丁寧に繰り返していたが、制作において彼は偶然を大事にしていた。
「この部屋はちゃんとしたスタジオとは言えないんだ」と、彼は言う。「ライブ・ルームがなければ、コントロール・ルームも存在しない。ドラムマシンを旋盤に繋げて、旋盤でヴァイナルから直接再生させることができる。そしてヴァイナルの音をギターアンプに通して、ギターアンプの音をマイクで拾って、その音をフェーザーに通して、テープマシンに送ることができる。どんな変な音の組み合わせもここでは可能なんだ。限界は少ない。“808をギターアンプに通したらどういう音になるんだろう?”といった推論から始めるんだ。どんな変なアイディアでもすぐに試せるようにセッティングしてある。いちいち面倒な配線をしないで、ちょっと差し込んですぐに使えるようにね。とてもインスピレーションの湧く音になるときもあれば、ゴミのような結果のときもあるさ。でもそれをやるのにあまり時間を無駄にしなかったおかげで、すぐに違うことに取りかかれる。ちなみにギターアンプに通した808は酷かったから、試さないことをおススメするよ。僕はエンジニアリングの基礎を学校で学んだわけではない。こういう事に詳しいわけじゃないんだ。ただここでは、音の実験を繰り返すことができる」
こういった彼の型破りな発想は、レコード収集の仕方にも見受けられる。2013年に彼をインタビューした際に訪れた彼の家のリビングルームは、モノを捨てられず溜め込んでしまう異常収集癖を持つ人を思い出させた。溢れ返っているIKEAの棚から、レコードが雪崩を起こしており、生活空間を大きく占領していた。しかしShepherdはだいたいどこに何があるか把握している様子であった。彼らしい控えめな態度で、彼は自身のコレクションの中から何枚かお気に入りを引っぱり出してくれた。散乱したレコードの中で見つからないものがあったのは、そういったレコードの希少価値を物語っているかのようで皮肉であった。あるとき、彼のDJを見ていると、彼はそのときかけていたレコードの話を私に教えてくれた。Edge of Daybreakの『Eyes Of Love』という1979年のレアなソウル・アルバムであり、刑務所内で制作された同作のオリジナル盤は、洪水で台無しになったため世界に数枚しか残っていないのだという。もちろんのこと、内容も素晴らしかったのだが、Shepherd本人は、格安レコードの中から宝石を発掘することにより快感を得るようだ。Chick Coreaの『Tap Step』というLPを見せてくれた。「こういう、どこにでもあるようなレコードって意外とMr ScruffやJ Roccなんかが知らなかったりするんだ」と彼は言う。「こんなのはどの中古レコード屋にも置いてあるようなレコードだ。ジャケットはダサいし誰も買わないけど、凄く良い曲が入っているんだ。DJ Nutsとかと一緒にプレイしたときにかけると、“何だそれは?”とか言われるんだ。30ペンス程度のレコードだよ」
Shepherdほどの探究心で音楽を集め、音楽をかけるDJも少ない。やる価値のあることは、とことん全力でやるべきだと、彼は信じているのだ。彼が紅茶を淹れてくれたとき、見慣れない袋から茶葉を取り出し、沸騰していないお湯を茶こしに通した。沸騰したお湯は風味を損なうのだと彼は説明した。「お茶も、レコードもディグしているよ」と彼は笑う。その後、愛用のレコード・プレイヤーも見せてくれた。彼が使っているのは、30年前に作られたドイツのEMT社製のブロードキャスト・ターンテーブル(ラジオ局用のターンテーブル)であり、これがどのプレイヤーよりも音質面で優れていると言う。(大抵の人ならPGティップスの紅茶とTechnics 1210で満足するところだろう)
Shepherdのレコード・ディグの仕方を聴いていると、彼の友人達との絆の強さが伝わって来る。彼は求めているレコードを友人達と協力しながら探し、レコードを人にあげてしまうなど、とても太っ腹だ。友人達とは、Caribou、Ben UFOといった有名な人も含むが、そうでない人も多い。Shepherdが家でかけてくれたレコードの中でも特に素晴らしかったのは、Aged In Harmonyの「You're A Melody」だが、この曲名からとった名前で彼はイベントも主催している。このレコードはDJデュオJavybzのJuliaという友人に教えてもらい、ロンドンのDJ、Red Gregに手伝ってもらい手に入れたそうだ。彼が持っているレコードのなかで最もレアなわけではないが、見つけるのは困難な1枚。Shepherdにこのレコードを売ったディーラーは、40年の間にこのレコードを1度しか見たことがなかったと言っていたらしい。そしてShepherdが車と交換したJoão Donatoのレコードに関しては、シングルを2枚持っており、そのシングルが収録されているアルバムも持っていた。(もう1枚のシングルは、その後Four Tetに譲ったとのこと)
「同じものを2枚も持っている必要はないんだ」と彼は言う。「そういうことにあまり興味はない。この前日本に行って、すでに持っているレコードを色々買って来た。絶対喜ぶと解っている友人たちにあげるためだ。安いのを見つけたらそうしている。ありがたいことに世界のあちこちに行かせてもらっているし、自分のためにもレコードは買うけど、友人が欲しがっているものを見つけたら彼らのために買うんだ。そして友人達も僕が求めているレコードを見つけたら同じことをしてくれる。それは、良いやり方だと思うんだよ」
Kyle Hall, Plastic People, London (2010)
Caribou, Poble Espanol, Barcelona (2014)
Four Tet, XOYO, London (2015)
Hunee, Dekmantel, Amsterdam (2015)
多くがその閉店を嘆いたロンドンの人気クラブ、Plastic PeopleにてShepherdはレギュラーDJを務めていたが、このクラブに多大な影響を受けたと彼は語る。彼がDJを始めるきっかけとなった、Theo Parrishのプレイを目の当たりにしたのもここであった。クラブのオーナー、Ade Fakileのプレイの仕方も彼に相当の影響を与えており、Shepherdは、クラブで唯一涙を流したのはFakileのDJプレイを聴いているときであったと言う。「彼のかける音楽にはとにかく空間があって、深い奥行きもあって、そういう曲に影響されて自分もそういう音楽をレコーディングしたいと感じるようになった。そして僕のスタジオや作品の音作りはPlastic Peopleの音響に影響を受けているんだ。あのクラブで沢山のレコードを聴いて、音の細部までとても美しく、深く、はっきりと鳴っているのを聞いた。そういった音像を自分でも手に入れたいと思ったんだ、ここで実験を繰り返しながら。そういう自由を与えてくれたのはこのクラブだった」
音楽そのものも重要であったが、彼の心に何よりも強く残っているのは、Plastic Peopleで繋がった人々のコミュニティーであった。彼は、Alexander Nut、Fatima、Funkineven、Mizz BeatsらEgloクルーを始めとする、ロンドンを拠点にする音楽仲間の大半とここで知り合ったと言う。Shepherdがこれまで共に制作をしてきたミュージシャンの多くも出会いはこの場所であり、『Elaenia』で演奏している、Hejira and The InvisibleのドラマーLeo Taylorとの出会いもここであった。むしろ『Elaenia』に参加しているミュージシャンは全員、Shepherdの音楽仲間である。
Plastic Peopleにて行われていた、若手プロデューサーのためのイベント、CDRに出演し、Shepherdはプロデューサーとして自信をつけた。未完成のトラックをクラブの名高いシステムで流して鳴りを確かめ、当時まだ無名だったMaya Jane Coles、SBTRKTやMr Beatnickといったアーティストたちにアドバイスをもらい、アイディアを出し合った。「CDRはとても、とても重要なイベントだ。音楽を作る人は全員行くべきだよ。あの頃イベントに顔を出していたおかげで、めきめきと上達したんだ」
そういった、プロデューサーとして常に努力し続けようとする姿勢は、今も変わらない。Shepherdは音楽制作の全ての面において、自分でコントロールしようとする。「ミュージシャンに演奏してもらうパートを渡すんだ」と彼は言う。「楽譜を書き出して、どうやって演奏してもらいたいか口頭で説明する。実は全てのトラックには僕が自分で演奏したデモ版が存在するんだ。これは絶対誰にも聴かれたく無いね。ドラムとかベースとか自分で弾いているんだ。笑えるよ」
『Elaenia』は、制作に5年の月日を費やしたが、その間、このアルバム用の楽曲しか作っていなかったわけでも、Shepherdは制作が遅いわけでもない。むしろ、彼の代表曲のいくつかは信じられない早さで出来上がっている。彼がブレイクしたきっかけでもある初期の名曲"Vacuum Boogie"は、ロンドンからマンチェスターに電車で移動している間に制作された。"Nuits Sonores"は、リヨン行きの飛行機の中で制作し、その後DJブースのなかでミックスをしてその場で完成させた。Shepherdは更に、Fatimaのアルバム『Yellow Memories』と、Gilles Petersonの『Sonzeria: Brasil Bam Bam Bam』といったアルバムのプロデュースも手がけた。
『Elaenia』に収録されなかった楽曲も沢山あるのだと彼は言う。「このアルバムは、一貫性があって、一緒にするべきだと感じたトラックを集めてできたんだ。制作時期はバラバラだったりするが、全ての曲がこの同じ空間で、似たプロセスで作られている。アイディアは色々だけど、音の面で統一性があると思うんだ。元々、全てを繋げた長い43分のトラックにするつもりだった。しかしどうやらそれはあまり良い発想ではないらしい、色々な理由でね。今度はA面とB面に別けて2曲にしようと思った。するとKieran(Four Tet)が同じことをして、先を越された(笑)。今度は、“じゃあ3曲にするか”と思ったんだ。最終的には7曲に別けることにしたんだ。しかし僕にとっては、始めから最後まで通して聴くのが一番良いんだ」
アルバムの制作にこれだけの時間がかかったのは、Shepherdが研究に時間をとられていたことと、彼の制作の仕方が理由に挙げられる。彼は古い、気まぐれなマシンを愛する。そのため、機材の修理を待ち制作が数ヶ月ストップしてしまうといったこともあった。特に彼を悩ませたのは、Rhodes Chromaという楽器。正常に作動するのは、半年ごとに1回、それも30分程度の頻度であったそうだ。彼はマシンのふるまいをある程度学んでから、制作に導入するといった慎重なやり方をしていた。時間はかかったが、描いていたビジョンを妥協するつもりはなかった。
「僕が目指しているのは、音の面での向上なんだ」と彼は言う。「気に入っているデジタル・コンバーターはあるし、音質は良いんだけど、レコーディングをするとき毎回テープ・マシンのセッティングをしたりするのに時間がかかるんだ。レコーディングを始めると、そのトラックを何回かライブ・テイクで録るんだ。スタジオでやっていることは本当に大変なんだけど、最終的に出来上がったものは、(パソコンで制作していたとき)よりもかなり満足できるものに仕上がるよ。これまで以上に音の隙間がはっきりしているんだ。音と音がはっきりと分かれていて、それぞれの楽器の間に空間や距離がはっきりとあるのが聞こえるんだ」
音響の美学や録音技術を熱心に追究する彼だが、Shepherdにとって最も重要なことは音楽そのものの良さだと主張する。「いったんその曲が出来上がってしまえば、(制作の手法)とかどうでもいいんだ」。アルバムには、博識家Shepherdがこれまで影響を受けて来たありとあらゆるサウンドが詰め込められている。10代のころ、Chetham's School Of Musicにてピアノや作曲の勉強を始めて以来、彼の心に常に寄り添って来た音楽、ネオクラシカルの要素もあれば、彼が熱狂的に収集し続けるソウルやジャズ・ファンクの要素もあり、Talk Talkの1991年のアルバム『Laughing Stock』も重要なインスピレーションであった。7ヶ月間かけて、ほぼ真っ暗のスタジオで制作されたという『Laughing Stock』は、音の隙間の概念を覆しており、ときには全ての音をミュートし、アンプから発されるノイズのみが鳴るといった瞬間も入っている意欲作であった。『Elaenia』にもそういった“静”と“動”のコントラストがある。
『Elaenia』では、電子音が優しく囁く、美しく孤独な曲が、アルバムの後半の狂乱のロック・ドラミングや音の洪水に衝突する。アルバムはジャンルレスだが、それはShepherdが2009年に発表したデビュー作品から言えることでもある。彼を代表するシングル曲ほど、聴いてすぐに惚れてしまうようなインパクトのあるトラックはないかもしれないが、とてつもなく細かく作り込まれ、満足感のある鑑賞体験をさせてくれる作品であり、再生するたびに発見があるほど幾重にもなっている、彼の職人技が光る深遠な作品だ。
「枠に収まりたくないんだ」と、Shepherdは言う。「僕は色々な音楽を聴く。ある一定の作風に留まらなきゃいけない理由はないと思うね。様々な作風のアイディアが思いつくし、やりたいと思ったらやる。パッと頭に浮かんだものをとにかくやりたいんだ」
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