こんにちわ、サユです。
インターネットで死ぬということ 1度の炎上で折れた心 北条かや - withnews(ウィズニュース)
この記事を読んでいろいろと考えるところがあったので、筆の(実際にはスマホで書いているので指の、ですが)赴くままにつづってみようかと思います。
まず、私は北条かやさんという方をよく知りません。
確か私と同い年で、そういえばブログが何度か炎上して話題になってたよなー、くらいの印象しかありません。
彼女がうつ病になってしまったことに関しては、この世からうつ病なんぞ無くなれば良いのに!と願う人間として残念に思いますが、彼女がここまでの状態に至った背景を全く知らないので、必要以上の言及は避けます。
私が気になったのは「インターネットで死ぬ」「エゴサーチのし過ぎで心を病んだ(要約)」という記述。
どうにも、他人事だと思えなかったんですよね。
エゴサーチしちゃうけど批判は怖い、炎上はもっと怖い。
ブログに限らず、人の前に出たり、何かを発信する立場の人ならば、自分がどう思われているのか気にならない人はいないでしょう。
……いや、気にならない人もいるのかもしれませんが、私は気になります。
Twitterで自分のブログのアドレスを検索。
あるいは、名前を検索。
一番簡単なエゴサーチはやっぱりTwitterですよね。
自分のブログの記事がTwitterで引用ツイートされているのを見付けては、好意的な評価にも批判意見にも「いいね!」を押して、時には貰ったコメントについて考えたり反省したりしています。
全てに返信はできないけれど、読んでもらえたことには感謝したい!!
ちなみに、体調が悪くて他のことができない時ほどエゴサーチに精が出るから困ったものだったりします。
そして余計しんどくなるまでが体調不調時のセットメニュー(※自業自得)
私はまだ炎上を経験したことがありません。
読者を煽る芸風(?)ではないつもりですし、読者への思いやりが信条の私としては今後も炎上とは縁の無いままブログを続けていきたいところですが、いつ何に火が着くかわからないのがネットの世界でもありますので、新しい記事を投稿する時は未だにドキドキします。
もしも、悪い意味で「炎上」してしまったら、私はどうするんだろう。
人格を否定されるような言葉を雨あられのように浴びて、私の心は耐えられるんだろうか。
答え:どう考えても無理。
でも、炎上したらきっと体調崩すでしょ、寝たきりになるでしょ、スマホいじるでしょ、……エゴサーチしちゃうんだろうなぁ。
「おどりば」はまだまだ小さいブログだし、私自身に知名度は皆無だし、炎上した場合のイメージとして北条かやさんの例を想像するのはそもそも間違っているのかもしれません。
でも、ブログの炎上がそれなりに強かで健康だった人をうつ病にまで追い込むのならば、既にうつ病になってしまっている弱っちい私は、事が起こった時にどこまで追い込まれることになるのだろう。
ゾッとしかしない話です。
エゴサーチできない名前で良かったかも?
ブロガーは名前が大事。
ペンネームを使うなら個性的で覚えやすい名前を使うことが望ましい!と。
そんな風に言われることが多いです。
そりゃあそうだ。
ブロガーってのは自分の名前がブランドみたいなものなんだから、名前で検索したら自分のブログが表示されるくらいが理想ですよね。
さて、ここで私の名前を見てみましょう。
「サユ」です。
これは私の本名の苗字と名前の最初の一文字を取って並べて作った名前です。
私の本名も大概平凡なのですが、この「サユ」という名前もかなり平凡です。
「ブロガーは名前が大事!」という話を聞いた時、既にこの名前でブログを始めてしまっていた私は「失敗した」と思いました。
だって、「サユ」なんて探せば他にいくらでもいるじゃないですか。
しかも、エゴサーチすると「サユ」だけでなく「サユリ」などの名前も検索に引っかかってしまうという有様。
それでも私が「サユ」という名前を変えなかった理由は、ひとえに自分の平凡な本名への愛着です。
自分の本名のどこを切り取っても「サユ」より良さそうな名前が作れなかったため、それ以上考えるのを放棄して今に至ります。
冒頭の記事を読んで、私は不謹慎にも「自分、結果オーライなんじゃないの?!」と思ってしまいました。
エゴサーチのし過ぎで心を病んでしまった人の話。
エゴサーチできない自分の名前。
自分のブログのアドレスでエゴサーチすることはなかなかやめられないけれど、ただ私の名前に向かって投げられた誹謗中傷であれば、私はそれを見つける事ができない。
心無い言葉から心を守る最強の手段は、心無い言葉の存在を知らないこと。
賛辞も見つけられないのはちょっと残念だけれども。
そんなワケで、ブロガーのセオリー(?)からは外れているけれど、これからも私は「サユ」です。
……とはいえ、実際はブログ名よりもペンネームよりもイラストで覚えてもらえている事が多いようなので、それはそれで嬉しいです。
インターネットで死んだら、きっと私の心も死んでしまう。
15年前の自分に読ませたい!と気合いを入れて書いた「もしかして、うつ病かも?」と思ったら、病院に行く前にちょっと読んでほしい話の記事がジワジワと読まれていて、現在の私は充足感のてっぺんで小躍りしております。
ブログを読んだという方がTwitterでフォローしてくれたり、声を掛けてくれたり、エゴサーチしたら私の書いた記事が好意的に拡散されていたり、……未だかつて承認欲求がこれほどに満たされたことがあっただろうかと、逆に恐怖を感じるほどです。
どうしたら良いのかわからなくて奇声を上げたら親に心配されました(実話)
そんなワケで、ブログやってて良かったわー!と心底思っているのですが、冒頭の記事を踏まえて自分の現状を省みると、ネット上に評価を依存し過ぎていることに不安を覚えます。
私は現在、ブログ以外に自分を評価してもらえる場を持ちません。
一緒に暮らしている両親はもちろん私を認めてくれているのですが、家族以外の人間から評価される機会はネット上にしかありません。
できる限り注意しているつもりだけれど、何かがきっかけで「サユ」がボロボロになるようなことがあったら。
ネット上に居場所を失うという形の「死」を迎えてしまったら。
安心して生きるためには、インターネットの外にも自分を支えてくれる「何か」を求めなくてはならないのでしょう。
私みたいなロースペックうつ病ニートにはインターネットの中だけでもかなり精一杯なんだけれども!
インターネットから離れて生きる時間が増えれば、エゴサーチなんかどうでも良くなるんだと思います。
ネット上の評価に依存していなければ、失ったって怖くないですものね。
私もいつかはその境地に辿り着きたい。
……けれど、先は長そうなので、まずは全力で「炎上しない記事」を書いていきたいなぁ、なんて思うのでありました。
以上、かなりとりとめのない感じになりましたが、冒頭の記事を読んで考えたアレソレでした。