どうもフロッキーです。
最近友達と話してていて気づいたことがあります。それは「アニメは批判的に観るべきなのか」という問題です。
その友達は粗さがしが得意なので、下の本でプロジェクトの粗さがしが得意だと自称しているひろゆきさんにあやかってH君にします。(ちなみにこの本はとても面白いです。)
ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」
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というのも、その友達と共有のアニメを観て意見を交換したのですが、全く見ているところが違うと感じたのです。フロッキーはアニメをありのままに観る?というか感情に任せてみるところがあります。「えっ、ここでこいつ死ぬの?どうなるどうなる!」みたいな感じでよっぽど変じゃない限りは登場人物の変化やストーリーのつながりの細部にはこだわりません。
しかし細部にこだわるH君は「まあ12話では頑張った方だけど、あのキャラクターの説明をしっかり入れるべきだな。それにあのシーンもおかしい・・・」というように揚げ足取りといってはなんですが、メインストーリーには関係のない細部が気になっている様子でした。
そしてフロッキーはアニメが終わった後に喪失感を与えてくれたので(アニメの喪失感については下にリンクを)その作品を高評価していたのですが、H君はその細部のせいで普通という評価を与えていました。
ここでフロッキーの立場をはっきりしておきたいのですが、その両者のどちらが正しいのかを今回の記事で書きたいのではありません。それは、とどのつまり観る人次第という側面がありますし、「こっちの見方が正しいのでみなさんもこれを真似してください。」というのは図々しい以外の何物でもありません。そうではなく、アニメの見方を掘り下げていきたいのです。
H君の話を聞いてフロッキーは友達の付き添いとして、あまり好きではなかったラブライブの映画を観させられたことを思い出しました。
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好きの反対は無関心ではないですが、あまり好きではなかったというよりもラブライブというものがどんなものかすら知らなかったという方が正しいです。なので「全く観もしないで巷で流行っているラブライブというもののイメージを持つのは良くないな」と思って、映画を観ました。
その時にただ観るだけでは面白くないので、粗さがしというか疑問点を探しながらラブライブを観てみました。すると以外にも疑問点は多く、イヤホンの長さ長すぎだろ(笑)とか最初の公園のシーンを観て、「髪の毛の長いやつ(ことり)はおそらく主人公(ほのか)に振り回されてきたんだろうな」と予想しながら観ていました。
この見方こそ先ほど紹介したH君の見方なのではないかと思うのです。フロッキーは全く知らないラブライブだからこそ、このような見方をしたのであって普段はそんな見方はしません。なぜなら、このように粗さがしを始めると作品を楽しむというよりも作品の欠点が目立ってしまうのではないかと思うからです。
アニメを観るのは純粋に楽しむためであって、批評したいのではありません。だからフロッキーはアニメを批評するかのように観ているH君の話を聞いて「この人はアニメを楽しんでるのかな~」と思ってしまったわけです。
おそらくアニメを批評しながら観るという方が作品から一歩引いて観ている点で抽象度が高い見方といえるかもしれません。だけど楽しむためにアニメを観ているので、抽象度は低くてもアニメの登場人物たちのような気持ちになれる感情的な見方も良いのではないかと思います。
喪失感についてはこちらの記事にまとめました。