8月にネットで話題になった貧困女子高生問題に関しては、何か書きたいと思いながら時機をのがしてしまった。
あの時の一部ネットの反応は、正気を失っていたとしか思えない。経緯をまとめたサイトはいくつかあるが、WebRonzaの水島先生の記事が、よくまとまっていると思った。
弊記事ではリンクをもう一つ貼りたい。
お詫び文言の一部を引用しておこう。
まず、「取材の映像でも、少女の部屋はモノで溢れており、エアコンがないと言っているにもかかわらず女子高生の部屋にはエアコンらしきものがしっかりと映っている」と報じましたが、実際には、女子高生の部屋にはエアコンはなく、取材の映像にエアコンらしきものがしっかり写っているという事実も確認できませんでした。
当該記事は外部の契約記者が執筆したものであり、NHKに取材をして回答を入手したと記述しておりましたが、実際には回答を入手しておらず、当編集部も確認を怠った責任があります。当該記事では、「今回の疑惑に対しNHKに問い合わせのメールをしてみたところ、「NHKとしては、厳正な取材をして、家計が苦しく生活が厳しいという現状であることは間違いないと、担当者から報告を受けています。ですので、ネット等に関しましては、取材の範囲ではありません。但しご意見は担当者に伝えます」との回答を得た」と報じましたが、実際には、弊社はNHKに取材しておらず、回答は架空のものでした。
あの常軌を逸したとしか思えない騒動のさなかで、当の女子高生が何を訴えたかったか、神奈川県主催の集会ではどんな主張がなされたかに関しては、鮮やかに無視され誰もあまり注意を払わないようにうかがわれることにも、強い違和感を覚えている。
スポンサーリンク
欧米人の道徳意識のベースには『聖書』があると、よく言われている。「福音書」中の「山上の垂訓」と呼称される部分にある「求めよ、さらば与えられん」というフレーズは、キリスト教の知識があまりない人にもなじみがあるんじゃないかな。
日本聖書刊行会『新約聖書』(いのちのことば社)から、前後の部分を含めて引用してみる。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
マタイによる福音書 7-7~11
福音書からは、イエスとその弟子たちが断食しないことをパリサイ人たちからとがめられたとき、イエスが「婚礼の客たちは花婿がいるときに断食するでしょうか? 断食するとしたら花婿が奪い去られたときではないか」と答えたという話も思い出した(マルコ2-18~20)。このエピソードの解釈はいろいろあると思うけど、欲求、欲望を素直に認めたものだと解釈はできないかな。
確認のため久しぶりに聖書を拾い読みしているんだけど、福音書って、基本、優しいよね。
「では、日本人のベースは?」というのは、明治以来の問いである。新渡戸稲造が「それは武士道ではないか?」という解の一つを提示したことは、有名だと思う。だが私はピンとこない。例えば、フィクションだけど司馬遼太郎『燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)』に、芹沢鴨と近藤勇の会話として、こんなくだりがある。
「士道、士道というが、近藤君のいう士道とはどういうものだ」
「といいますと?」
「あんたは多摩の百姓の出だから知るまいが、水戸藩にも士道がある。われわれは幼少のころから叩きこまれたものだ。長州藩にもある。薩摩藩にも、会津藩にも、その他の諸藩にもある。むろんそれぞれ藩風によって、すこしずつちがうが、要は、士たる者は主君のために死ぬということだ。これが士道というものだ。新選組の主君とは、たれのことです」
「新選組の主君――」
「そう。新選組の主君は?」
「士道です」
「わからないんだな。いまも云ったとおり、主君を離れて士道などというものはないのだ。主君のない新選組は、なににむかって士道を厳しくする」
上掲書P239
小説ではこのすぐ後で芹沢が暗殺され、近藤一派が新選組の全権を掌握するのだが、それは別の話として、我々の多くは「士道」(武士道)に関して、この芹沢(と言っても司馬が創作した芹沢だが)ほどの知識も持ち合わせていないんじゃないだろうか。
少し話が逸れ気味になったので、さっさと言いたいことを言うことにする。私の頭の中にあるのは、「昔ばなし」なのだ。聖書ほどの権威はなくても、武士道ほど意識に上ることは少なくても、我々のメンタルを構成するものとして、「昔ばなし」や「童話」の存在は大きいんじゃないかな。
そして、登場人物が自分の欲を意思表示してひどい目にあう話を、即座に三つ思いついた。『花咲かじいさん』と『舌切りすずめ』と『こぶ取りじいさん』である。
『花咲かじいさん』の欲張りじいさんは、子犬のポチを殺したり、ポチの墓に植えた木で作った臼を燃やしたりと、さんざん酷いことをする。『舌切りすずめ』の欲張りばあさんも、すずめが洗濯ノリを食べた仕置きだといって、ハサミで舌を切るという酷いことをしている。だからこれらの主題は因果応報譚であるとは言える。
しかし『こぶ取りじいさん』に出てくる隣家のじいさんは、踊りが下手だったという以外に、何も落ち度はないじゃないか!
これらの物語には、「多くを望まなかった主人公が、かえって幸運を得る」という共通点も目につく。
一方、欧米の童話、民話で、自分の欲を意思表示した結果としてひどい目にあった登場人物って、いただろうか。希望を明らかしなかったことによって、かえって富を得た登場人物っていただろうか。一生懸命考えたり、キーワードをいろいろ変えて検索してみたりしたのだが、なかなか思い当たらない。
「強欲」を戒めるものならある。「強欲」はカトリックの「七つの大罪」に数えられている。ミルトン『失楽園』では、強欲を象徴する悪魔マンモンは、堕天使となる以前は天国で惜しげもなく足元に敷き詰められている黄金を眺めてニヤニヤしていたろくでなしと描かれている。スゥイフト『ガリヴァー旅行記』第四部「フウイヌム国(馬の国)旅行記」に登場するヤフーという人間もどきは、何が嬉しいのかぴかぴか光る石ころを集めるのに熱狂し、時に殺しあったりする。
しかし欲望の表明を悪と見て報いを受けるという話は、なかなか思い浮かばないのだ。
悪役はいくらでもいるけど、例えば『白雪姫』の継母や『シンデレラ』の姉たちは、物欲ではなく、そう、「高慢」の報いを受けたと見るべきだろう。ちなみに高慢は、先の「七つの大罪」では筆頭とされ、魔王ルシファーによって象徴される。
人間になることを望んだ『人魚姫』は、どちらかというと悲恋譚だろうし、『マッチ売りの少女』の暖炉やクリスマスツリーやごちそうを「物欲だ」という人は、いないよね。いやネットには、いるかも。
日本の『わらしべ長者』は、欲を少なくとも表には現すことのないまま、持ち物をどんどん高価な物と交換してゆく。一方、グリム童話『幸福なハンス』では、欲のない主人公は、持ち物をより価値のない物へと次々と交換してしまうのだ。
かろうじてトルストイの収集したロシア民話『人にはどれだけの土地がいるか』を思いついた。ただし「物欲を表明する悪役、表明しない善玉」という構図ではない。
この傾向が一般化していいものかどうか、検証が十分であるかどうかは自信ない。こういった昔ばなしが日本人の価値観に影響を与えているのか、逆に日本人のメンタリティがこれらの昔ばなしを生み出したのか、因果関係を立証するのはさらに困難だろう。だから駄法螺として述べるしかないが、「希望を表明すること自体が “いけないことだ” と見なされる」という発想は、先の貧困女子高生をめぐる騒動以外でも、随所で目につくような気がする。
今月初めの「はてな匿名ダイアリー」(通称「増田」)に、ブックマーク1000を超えたこんな人気記事があった。
ブックマークコメントを見ると、理解を示すものも多かったが、感情的に増田を批判するものも目についた。欧米では(私の脳内欧米かもしれないけど)こういうとき、どうしてるんだろう? 被雇用者はあけすけな要望を雇用者側にぶつけて「でなければ仕事ができません」とやるんじゃないかな? どこの国の企業でもリソースは有限だから、優先順位をめぐる議論が次に来るだろうか。少なくとも、意思表示をすること自体が僭越だととらえられることは、ないと思う。でないと競争に負けちゃう。
前々回のエントリーには、多くのブコメをいただきました。ありがとうございました。その中に、私が大学を中退して起業しようとしている若者を批判していると受け止めて反論しているものがあったが、それは誤解です。当該のエントリーに限って言えば、あまり背中を押すようなトーンではなかったことは認めますが、かといって反対の意図を込めたつもりもありませんでした。まあ「はてな」界隈の反応には、批判的なものが多かったから、そう受け止められても無理はないかも知れませんが。
この際だから持論を述べておくと、むしろ逆に、日本では起業しようとする若者が少ないことが、日本の産業構造の弱点の一つくらいに考えている。
アメリカでは、ぱっと思いつくだけでも、マイクロソフトのビル・ゲイツ(ハーバード中退)、アップルのスティーブ・ジョブズ(高校時代のインターンシップで5歳年上のウォズニアックと知り合う)、Yahooのファイロとヤン(スタンフォード博士課程)、Googleのペイジとブリン(スタンフォード博士課程)、フェイスブックのザッカーバーグ(ハーバード中退)…と、学生時代に創業した会社を短期間で世界的企業に育て上げた人名の長い長いリストを作ることができる。
日本で学生時代に大企業を創業した人って、誰がいるだろう? リクルートの故江副浩正とホリエモンくらいしか思いつかないのだが。探せばもっといると思うけど。
希望を公表することを “悪” と見なすメンタリティが本当に日本人にあるとして、もしそれが若い人の起業の芽をつぶすという方向で発露されているとしたら、とても嫌なことじゃないかと想像するのだが、どうだろうか?
なお、先週(9/14)公開されたasani.comの記事には、「貧困ポルノ批判」はイギリスにもあると書かれていた。
ログインが必要な部分から、ごく一部を引用する。
ネットでは以前から、生活保護受給者へのバッシングなどが起きている。英国でも14年、福祉手当受給者のドキュメンタリー番組が「貧困ポルノ」と批判を浴び、出演者がネット上で非難され、殺害予告を受ける騒ぎに発展した。
アイキャッチ画像として、久しぶりに「いらすとや」さんの画像を使わせてもらおう。
今気づいたのだが、何でも揃っている「いらすとや」さんには珍しく、童話、昔ばなし関係は比較的手薄のような。『花咲かじいさん』や『舌切りすずめ』はなかった。