お医者様に聞いておきますね。
お願いね。
はい。
考えました、改めて。
生字幕放送でお伝えしています≫ブラジル・リオデジャネイロマラカナンスタジアムです。
リオは現在9月18日夜8時17分を回ったところです。
12日間にわたって行われたリオパラリンピック。
先ほど、8時から閉会式が行われています。
今、スタジアムではすべての選手団160人の旗手が次々と入場してきています。
ゲストはNHKリオパラリンピック放送現地リポートを担当しました風間俊介さん。
そして2012年ロンドン大会まで6大会連続でパラリンピック競泳目の見えないクラスに出場した河合純一さんよろしくお願いします。
そしてスポーツ庁長官1988年ソウルオリンピック競泳100m背泳ぎ金メダリスト、鈴木大地さんです。
よろしくお願いいたします。
160の国と地域などからおよそ4400人が参加しましたリオデジャネイロパラリンピック。
夏のパラリンピックは15回目でした。
今、旗手がこのマラカナンスタジアムに入ってきています。
鈴木さんはさまざまな競技会場を見て回られたということですがまず、どんな印象がありました?≫22競技あるうち14競技くらい行けたんじゃないかと思うんですがそれぞれ、特色がありますけど一様に予想以上にパラリンピック盛り上がっていましたしおもしろさを感じましたね。
我々がやっていた水泳もそうなんですけどスタートのしかたから飛び込む人もいますし水の中からスタートされる方もいるし背泳ぎなんかはふちで体を支えてそれでひもかなんかにつながってそれでスタートするという。
我々も見ていて新鮮でしたね。
いろいろな障害に適応するような形でルールが行われていたりゲーム形態も変わっていくわけですけど非常に見ていて新鮮でしたし勉強にもなりました。
本当にありがとうございます。
≫パラリンピックの精神は失われたものは数えるな。
残されたものを最大限に生かせ。
その精神が存分に生かされたパラリンピックでもありました。
スタジアムでは国旗が入ってきています。
日本は82番目の入場です。
もうまもなくでしょうか。
まだもう少しかかるでしょうか。
日本は今大会は金メダルはありませんでした。
銀メダル10個銅メダル14個。
合わせて24個のメダルを獲得しました。
今、日本選手団が映っています。
メダルのランキングですと64位という数字なんですがこの24個という総数で言いますと15位という数字でした。
河合さんはこのメダルの獲得という数字。
これはどういうふうに感じていますか?≫やはり、選手たちが金メダルほしいと思って頑張って、この4年間戦ってきたわけですからすごい、悔しい思いをしている選手もいる中でやはり銀メダル銅メダルというのは金メダルに近い場所にいる選手たちですからこのうち何人かがとれたのかなという気もします。
でも、それだけまだまだ世界のレベルも上がってきている中ですごく検討して前回のロンドンの総メダル数を超えてきたというところは十分評価に値すると思います。
≫東京大会が楽しみというメダルの数でした。
≫日本も最大限の力を発揮したと思うんですがやはり各国のレベルが相当上がっているなというのを感じますね。
≫今回もたくさんのワールドレコードが出ていてこれからパラスポーツというのはもっともっと進化していくんだなそしてその進化に追いつくことがチャンピオンへの道なんだなというふうに改めて思いましたね。
≫世界新記録がこの大会、209生まれたということですからパラリンピック自体がまだまだ伸びしろがあるというふうに考えてもいいかもしれませんよね。
≫そうですね。
記録系の競技といわれるのが水泳、陸上が代表的なものかと思うんですけれどもこれで約300種目くらいありますからこのうちの3分の2が世界記録を更新したということがいえるかなと思いますね。
≫まもなく日本の国旗が入ってきます。
マラカナンスタジアム少し雨も降っています。
開会式のときにも雨が降りました。
大会期間中はほとんど雨は降りませんでしたが開会式と閉会式は雨が降っています。
さあ、もうすぐでしょう。
日本が入ってきます。
日本が入ってきました。
日本の旗手は上地結衣選手。
車いすテニス女子シングルス銅メダルの選手です。
開会式でも旗手を務めました上地選手です。
車いすですが見えてきました。
上地結衣選手です。
実は、上地選手はロンドン大会ではベスト8で敗退して高校3年生だったんですが卒業後、進路を迷いました。
このままテニスを続けるのかそれともほかの進路に進むのか迷いました。
ただ、この大会はその悔しさが上地選手を奮い立たせ車いすテニスを続けこの4年間、精いっぱい練習して銅メダルを獲得しました。
2014年には世界ランキング1位に駆け上りました、上地結衣選手。
テニスを続けてきてよかったと満面の笑顔で話していました。
≫感動的でしたね。
インタビューもよかったですしオランダが、すごい強い女子の車いすテニスの中でそこに入り込んだ彼女の頑張り。
本当にうれしかったですね。
≫シングルスのベスト4は3人がオランダのチームで上地選手だけが日本の選手。
準決勝で敗れはしたんですが3位決定戦で勝って悔しさもあるんですがすがすがしい笑顔の銅メダルでした。
≫才能のある選手がこの競技を続けていってこれを職業にできるのだろうかと悩む瞬間があるというお話を聞いてこれからもっともっと才能のある選手が伸び伸びと競技を続けられる。
それを仕事にできるそんな環境が整っていくことを願いました。
≫その辺り、鈴木さんいかがですか?≫これから、やっぱり総合的にスポーツを推進していかなければいけないんですが当然このパラリンピックのところも今、我々が所管しているわけなんですけど今、言われたように選手が思う存分トレーニングを積めてそういったものを発揮できるような環境をみんなで整えていく必要がありますね。
≫障害者スポーツは2014年までパラリンピックの管轄は厚生労働省でしたけれどもそのあと、文科省に移りましてスポーツ庁も去年できて強化をし始めています。
≫今、競技力向上のところはオリンピックの選手そしてパラリンピックの選手両方に活躍してもらえるためにいろいろな政策を実行しているわけですがまだまだ至らないところもあると思いますのでいろんな方に、ご意見をいただきたいというふうに思います。
≫IPC・国際パラリンピック委員会の広報のコメントがありまして日本に今大会金メダルがなかった。
それに対しては、4年後にはそういった施設もどんどん整っていくので金メダルに変わるだろうという話を河合さん、していたんですよ。
≫うれしいですね。
それだけ期待されているということだと思っていますし我々のほうでもハイパフォーマンスセンターというのをパラリンピックで設置しまして。
少し、金メダルを押し上げるまでに至らなかったところはあるんですけど選手たちからもリカバリープールなどを使って少しでも疲労回復をしながらコンディショニングを整えて大会に臨めたというコメントもいただけたので本当に我々も努力して準備したかいがあったかなと思っています。
≫選手はもちろん、その周りそういった支援の態勢もこれから4年後、東京に向かって非常に大事になってきます。
マラカナンスタジアム世界最大規模のサッカースタジアムの1つです。
お客さんも6割、7割くらい埋まってきています。
その中、フィールド内に今、選手団の国旗が次々と入場してきています。
≫国旗の持ち方っていうののそれぞれの選手の違いというのもやっぱり、パラリンピックならではだなと思います。
≫車いすの選手がいたり国によってはブラインドの旗手の方もいらっしゃると思いますしいろんな形があるんじゃないかなと思いますね。
今回、160の参加された国々がありますけどもぜひ4年後、1か国でも多くの国に参加してもらって160を超えて、世界の各国から東京に行きたいと思ってもらいたいなというそんな思いもありますね。
≫前回の1964年の東京大会のときの参加国って21というふうに聞いていますので、本当に年々このパラリンピックが非常に大きくなってさっきの記録の向上もそうなんですがどんどん進化していくのを感じますね。
≫手前に見えている国旗開いてはいませんがこの国旗はイランです。
昨日、行われた自転車男子ロードレースの運動機能障害のクラスでイランの選手がレース中の事故で亡くなりました。
バフマン・ゴルバルネザド選手です。
パラリンピックで選手にスポーツ事故が起きたのは今回初めてということで昨日、入ってきたニュースでした。
このニュースは河合さん、どういうふうに受け止めましたか?≫本当に残念なことですし本当に心からお悔やみを申し上げたいと思います。
競技性が高まっていく中でこういうことが起きてしまうということはもしかしたら予測があったのかもしれませんが前より安心して、安全にそして、競技に打ち込めるそういう大会をこれからパラリンピックはこういうものをむだにすることなく続けていかなければならない。
そういうことを、我々も決意を新たにしたところです。
≫真剣に取り組めば取り組むほどそういった事故安全面というのが大事になってきます。
また4年後の東京大会でも鈴木さん、この辺り万全にしたいところですね。
≫おっしゃるとおりですね。
東京大会はアスリートファーストというポリシーも掲げてますけれどもやはり選手が安全に安心して戦えるそういう大会にしなくてはいけませんね。
≫盛り上がってきましたね。
≫歓声が大きくなってきました。
ブラジル国旗が入ってきました。
ブラジルではこのパラリンピック期間中どんどん人気が上がっていきました。
パラリンピックの開会式では唯一、有料のテレビ局が生中継をしたんですが放送開始の2003年以降歴代視聴率ナンバーワンになったということなんですね。
そのあとに、ほかのテレビ局もなぜやらないのかというような声もありまして閉会式では複数の局が生中継しているという情報も入ってきています。
ブラジルの選手の活躍も目立ちました。
今回のリオパラリンピック。
やはり地元というのは、風間さん力強い、心強い声援ですし選手たちのパフォーマンスも上がりますよね。
≫やっぱり、本当に自国の選手が出てきたらさらに盛り上がるブラジルというのを見て本当に、次は東京で日本なんだなって感じてこの盛り上がりというのをぜひとも日本の選手に日本で届けたいなと思いました。
≫さらに閉会式は盛り上がっていきます。
ここからは生命の多様性をテーマにしたショーの始まりです。
まずはブラジル北東部のロックバンドナサォン・ズンビ。
背景のスクリーンにはブラジルの動植物が映し出されています。
♪〜≫「マラカトゥ・アトミコ」でした。
続いては「クアンド・ア・マレ・エンシェール」。
さらには「プライエイラ」と曲が続いていきます。
ナサォン・ズンビというロックバンドのショーが行われています。
マラカナンスタジアムです。
先ほど、お話もありましたが日本もこの大会頑張りはしましたけれども世界の伸びもまた驚くほどでした。
メダルの数は日本、金メダルはありませんでした。
銀メダルが10個銅メダル14個計24個。
この総数でいいますと16位16番目という数字でした。
世界新記録も209生まれまして1位が中国、72。
ダントツでした。
2位がイギリス、29。
3位、ウクライナが22と世界新記録を出した国ですがその中で3位のウクライナ。
目立ちましたね、強さが。
≫ウクライナが今回本当に活躍、目立ちましたね。
なんでこんなに強いんだろうと思っていろいろと調べましたがやはり国内に障害者施設があってそこがやはり、強化の拠点になる形になっています。
それから、そこからどんどん選手が発掘されるようなシステム。
こういったものが確立されているようなんですね。
ですから本当に日本も参考にするべきところはあるなということですね。
≫そういうシステムをどう作っていくか。
≫特にクリミアに実は、ものすごい施設がたくさんあったらしいんですがここは事情があって今はないかもしれませんけど。
ほかの地域で強化をしてこれだけの強さ存在感を見せたわけですね。
日本も見習うべきところがあると思います。
≫調べますと障害者の就職先がなかなか見つかりにくいという現状もあって選手が仕事だという方も多い。
なかなか職を失いたくないというモチベーションもあると話していました。
そういう国の事情もありますがそういった選手を育成するそして、強化する。
そんなシステムがウクライナにはあるということで大躍進をしました。
河合さん、その辺りどういうふうに考えますか?≫やはり、こういう大会ですからメダルの数とかが注目されますけれどもやはりこの国に生きて暮らしている障害のある方々にとってスポーツというものも選択肢の1つとして常にひとしく与えれるような環境を作ることをまず目指しつつそしてまた、今度2020年もありますし東京で活躍できるアスリートを支える仕組みというものもあわせてこれから整える必要があるかなと思っています。
今回、これだけ多く報道いただいたことで4年後、自分がこの舞台に立ちたいんだと思った方がいることを願いたいですね。
≫4年前ロンドン大会のテレビを見てパラリンピックをやってみよう競技に取り組んでみようということで今回、銀メダルを獲得した選手がいましたよね。
≫佐藤友祈選手ですね。
≫陸上の車いすの部佐藤友祈選手が400mと1500mで銀メダルをとりました。
≫4年というのは短いようで可能性はあると思うんですねパラリンピックの場合はですから、今、閉会式を見ながら自分にもできるんじゃないかとそんな思いがあったらぜひ、トライしてもらいたいと思いますね。
≫今の話をお聞きしていまして今回、NHKさんをはじめいろんな報道機関がパラの報道をしてくださったわけですけどそれを見た障害者の皆さんが私もやってみようかなと。
私も出てみたいやってみたいという人たちが大勢、出てきたと思うんですね。
ぜひ、そういった方は身近な障害者の先生とか親御さんだとかそういった方に、ぜひ意思を伝えてもらいたいですね。
私もやりたいですというところで我々も、また連携をしながらそういった選手たちをまた育成していく。
そんなことができるかなというふうに考えています。
≫佐藤選手にインタビューをした中で始めたいと思ったときにやはり、レース用の車いすが高額だったりだとかいろいろそういう部分もあるみたいなんですよ。
やっぱり、貸してくれる場所というのもあるのでぜひ、やりたいと思ったらインターネットなどもありますし調べたら、多分誰かが手を貸してくれると思うんですよ。
なので、本当にチャレンジしたいと思った人は本当にその気持ちを大切にしてほしいなと思いました。
≫ぜひ、相談するあるいは、人に話をするというアクションを起こしてほしいなと。
思ってるだけ、考えてるだけでは人には伝わらないのでその思いを誰かに伝えるというところから始めてもらいたいなと思いますね。
≫そういう声も受け止めるようなそういった場所もたくさんあるといいなと思います。
≫そういうやりたいといった人がこれからどんどんパラスポーツをやっていただくことになるときにまだまだ、障害者スポーツの方がやる場が少ないというご指摘をたくさんいただきまして事実、全国に22万か所くらいスポーツ施設があるといわれていますがその中で、障害者専用または優先的に使える施設って実は、114か所しかないというふうにいわれてましてまだまだ恐らく諸外国に比べたら少ないなというのを感じていまして。
これから必要な政策が求められるわけですね。
我々もそれに向けて少しずつですが進んでいきたいと思っています。
≫曲調が変わりました。
登場したのはブラジル中西部のヴァネッサ・ダ・マタ。
選手団の座るフィールドからの登場です。
華やかな衣装で入ってきました。
ヴァネッサ・ダ・マタ。
ブラジルでは世代を越えて人気のある女性歌手です。
曲を聴いてみましょうか。
♪〜≫続いては「ポル・オンジ・アンド・テニョ・ヴォセ」という曲。
「あなたを思いながら歩いてる」という曲。
その次は「アイ・アイ・アイ」という代表曲が続きます。
♪〜選手たちもリラックスした表情です。
テニスの国枝選手の顔が見えました。
車いすテニス男子シングルスでは準々決勝で敗退しましたがダブルスで銅メダルを獲得した国枝選手です。
齋田選手とペアを組みました。
シングルスでベスト8で敗れたときは涙を流した国枝選手でしたけれども銅メダルで終わったときダブルスで銅メダルを獲得したときにはそれが、うれし涙に変わりました。
4月に右ひじの手術をしまして苦しい思いをしていたんですけれども国枝選手はダブルスが終わったあとにきっと、このメダルは自分のキャリアにとって励みになるかなというそんなコメントをしていたんですね。
≫本当にひじの調子よくなかったんだと思うんですよね。
いろんな方の話を聞いて調子がよくないんですけど国枝選手の一切、言い訳をしない姿。
その姿に本当に格好よさ自分で責任を取る格好よさを感じました。
≫メダルをとったというのが鈴木さん、大きな励みになると。
≫国枝選手、この大会の前まで金メダルをとられてきたわけですけどこのひじの調子いろいろあったと思いますが最後につかんだ銅メダル。
国枝選手のその姿に我々は感動したというね。
≫そういうシーンでしたね。
河合さん、いかがですか?≫国枝君、同じ場所で練習しているので会うんですよね。
そのたびにあいさつしてくれるし僕もどう?と声をかけていたので本当に今回苦しみながらだったと思うんですけど本当に、いいメダルいいコメントをもらったなと思っています。
≫このあと、国枝選手がどんなテニスを見せてくれるのか。
≫まずは、ひじの手術の話がありましたけど体調を万全にしてまた次の目標に、これから取り掛かっていただきたいですね。
≫そういう大きな力をくれるパラリンピックです。
≫日本選手団拍手が送られていますね。
これは、陸上の選手たちも数多く見られますね。
陸上もメダルをとりました。
ほかの選手たちも、曲に合わせてにぎやかに踊っていました。
陸上の選手たちです。
前川選手がちょうど中心に見えたでしょうか。
走り幅跳びで4位に入った前川選手です。
若い力、前川選手、高校卒業してまだ若い選手ですけれども今大会そういった高校生、大学生の若い力も躍動しました。
風間さん、いかがですか?≫やはり、これからの選手これから育っていく選手というのを見てますます東京パラリンピックが楽しみになりました。
≫車いすバスケットで活躍した鳥海選手や競泳で言いますと中島選手。
昨日、知的障害のクラスで200m個人メドレー銅メダルを獲得しました。
競泳では、ほかにも池愛里選手が活躍しました。
大学生では瀬立モニカ選手。
決勝8位に残る結果を出しました。
決勝に残るうれしさと8位になる悔しさが混ざってよくわからないというそんな素直なコメントもありました。
≫いいですね、素直で。
それが本音だと思います。
そういうコメントを聞くと自分も最初、17歳でバルセロナに出たんですがそのときのことを思い出しますね。
≫確か瀬立選手も、ついこの間数年前に始めたというふうに聞いてますけどまだまだそういう潜在的な力を持った選手が眠っているような気がしましてそういったものをどんどん掘り起こしていく。
そういうことで、また日本勢が活躍してくれるんじゃないかなと思いますね。
≫パラリンピックの障害の軽いクラスのリレーなんかを見ますとインターカレッジとかインターハイで決勝に残るようなレベルで泳がないとメダルに手が届かないという状態ですからオリンピックを目指しているのとパラリンピックを目指すのは同じなんだってそういうふうに思ってもらえれば。
ほかの国では両方出てる選手もいますからね。
そういうモデルとかが日本からも2020年とか、その先に向けて誕生したらうれしいなと思います。
≫河合さんは、最初の大会が1992年のバルセロナ大会でそのあと、アトランタ大会で金メダルをとりました。
バルセロナでは銀メダルでしたけどもそのときの経験というのが生きましたか?≫やはり初めて出たときは無我夢中でやった結果が銀と銅だったので。
それでもうれしい反面先ほどのようにやっぱり出てみると表彰台のてっぺんに立ちたいとか「君が代」をこの会場に、自分の力で響かせたいとかそういう強い思いを持って4年間頑張ることができてそれが、アトランタでの金につながったんじゃないかなと思いますね。
≫そう考えると今回銀メダルや銅メダルをとった選手その選手たちが渇望感といいますかまた上を目指したいということで東京大会を目指すということもあるんでしょうね。
≫やはり、こういう経験というのは、ここにきてこのパラリンピックでしか味わえないものだと思うので選手たちは貴重な経験ができたんじゃないかなと。
今回出たかったし悔しかったというと思いますけど我々からするとそういう思いもあります。
≫だんだんと選手たちやスタンドのお客さんがヒートアップしてきています。
リオデジャネイロパラリンピック閉会式の模様を生放送でお伝えしています。
ブラジル各地の音楽がステージ上で披露されています。
また曲調が変わりましたよ。
サンパウロ出身のセウです。
さまざまな音楽をミックスした独自のポップスを奏でます。
まずは「バイアォン・ダ・ペーニャ」。
♪〜≫続いては「ヴァランダ・ススペンサ」。
「宙ぶらりんのベランダ」というタイトルの曲です。
続いて「オス・グリロス」と続いていきます。
160の国と地域などからおよそ4400人が参加しましたリオデジャネイロパラリンピック。
ここで、外国の選手たちの声を拾ってみましたので紹介したいと思います。
カヌーの女子の金メダリストイギリスの選手なんですが私たちをスポーツ選手として見てほしいです。
私たちもオリンピック選手と全く同じ汗をかいていますという言葉を残しています。
この言葉鈴木さんいかがですか?≫私も今回パラリンピックを拝見しましてやはり、競技性の高さそして、レベルがどんどん上がってきているということでまさに今、お話されたようなオリンピックとパラリンピック同じようなレベルで戦っているというのを本当に認識いたしましたね。
≫風間さん、いかがですか?≫やはり、この4年間目指してきたもの努力というのは全員、同じであって本当にそこに障害がある、なしは関係ないなと思いました。
≫鈴木さんは現役時代パラの選手たちと一緒に練習をされていましたか。
≫正直、申し上げましてあのころは、まだまだオリンピックの選手とパラリンピックの選手の交流というものがなかったですね。
2000年過ぎに河合さんなんかと交流ができまして。
ちょうど2004年ですかね。
アテネオリンピックのころにスポーツ施設をオリンピック行っているときくらいパラの選手に貸してくれということを言われまして。
私、担当者じゃなかったんですがそういう施設の責任者にお話をつないだという話がありましたけどね。
最近の話だと思いますね。
オリとパラの選手が交流するようになったのは本当にいい傾向だと思います。
≫そのころから長官みずから交渉しているというのが今のお仕事にもつながっている感じがしますね。
≫当然、そのころは長官なんかいう職ではなく困っている人がいたら助ける。
なんか役に立てばというそういう気持ちからなんですね。
≫2001年に強化拠点になるものが立ち上がってそれで初めてのオリンピックが2004年のアテネだったわけですけれどもそのパラリンピックのときにぜひ、その施設で我々も練習をさせてほしいと一選手の願いをお聞き届けいただいたというそういう感じですね。
思い出しますね。
≫やっぱりうれしかったですか?≫やはりそこで集中的に練習したことこういう場所で自分たちも日常的にやれたらもっと強くなれるのになと思ったことも思い出しますしでも、そのときさせてもらえたことがあってアテネで金メダルとることができたのもあそこで集中的にトレーニングできたというのが大きかったんだなと思いますね。
≫私、取材したときに国際基準の飛び込み台というのが実は、少なくて。
オリンピックの選手は使ってるけれどもパラリンピックの選手は使ってないという中でこれで練習できたらもっとスタートがよくなるかなというようなパラリンピアンの選手の声もあったりしました。
≫今回、改めて車いすバスケや車いすラグビーの試合を見させていただいて練習のときにパラリンピックの選手でも体育館や競技場が断られる方がいるというのになんとかしてほしいなと思ってたんですけど、改めて車いすバスケや車いすラグビーを見たときにやはり、床が傷むということで断る施設の方々の気持ちも少し分かるなと思ってしまったんですね。
なので、専用のコートをもっともっとできて思う存分車いすラグビーや車いすバスケができる環境が整えばと思いました。
≫日本選手、藤澤選手車いすバスケットボール今大会活躍した選手が見えました。
藤澤選手の言葉も私、取材をして印象に残っているんですが今大会、9位という結果に終わった車いすバスケットボール男子。
まざまざと自分たちの実力があらわになるということでパラリンピックは残酷な場所だという表現をしたんですよね。
≫年々、競技力が上がってきていますしそれは海外も上がってきてるわけですよね。
私、試合を見ていて海外の選手の力強さっていうんですかね。
パラの選手ですけどこれだけ力強いプレーをするんだと感じまして。
競技力がどんどん各国上がってますので日本も、やはり結果を出すためにもっともっとトレーニングが必要だと思いますしもっともっと専門的なトレーニング。
そのためには、専門的な競技性の高い指導者がこれから必要だなと感じています。
≫技術もさることながら自力というんでしょうかね河合さん。
≫そういうテクニックとか日本人の得意な部分は十分生かしてあるいは、用具の優位性とかそういうものもどんどん活用しての今回の結果だったというところを考えるともうひと押しふた押しするところとして体作りの部分、まだまだできる部分があるのかなと思っています。
そういう意味では今、大地さんもおっしゃったように指導者の部分で今回水泳でメダルをとった2名ともオリンピックの指導者として関わった方々が本当にパラのほうにも関わっていけるようになりながら今回、メダリストに仕上げていただいたというのは大きな結果だと思います。
≫続いては戦いを終えた選手の中からファン・ヨンデ功績賞の受賞者が選ばれます。
ファン・ヨンデ功績賞は成績だけでなくパラリンピックの精神を体現し世界中に感動を与えた選手男女それぞれ1人ずつに贈られます。
ファン・ヨンデさんは小児まひで障害のある韓国の女性医師。
障害者の地位向上のために尽くしてきた方です。
ファン・ヨンデさんの寄付金をもとに1988年ソウルパラリンピックからこの賞が創設されました。
ファン・ヨンデ賞を受賞したのは陸上アメリカタチアナ・マクファーデン選手と今大会初めて結成された難民選手団の1人競泳のイブラヒム・アル・フセイン選手です。
≫マクファーデン選手車いすの選手です。
生まれたときから病気で腰から下がまひしていました。
6歳まで孤児院で育ちました。
そのあと、車いす陸上に取り組み驚異的な才能を発揮します。
ビースト、獣と名付けられました。
今大会は4回目のパラ出場で金メダル4つ、銀メダル2つを獲得しました。
アメリカ全土の障害のある生徒たちが平等にスポーツする権利を認めたタチアナ法が作られたんです。
こうしたパラリンピックムーブメントへの貢献をたたえての受賞です。
さらにはフセイン選手です。
シリアの難民で爆撃を受けて現在はギリシャで暮らしています。
4年後、東京大会までには流血の惨事が終わっていることを願っています。
難民選手団を結成しなくてもいいようになってほしい。
こんなコメントも残しています。
マクファーデンさんは高校生のときに訴訟を起こしてタチアナ法を作ったということで。
その貢献に賞が贈られました。
続いては、今回新たに選ばれたIPCのアスリート委員が紹介されています。
まずはアメリカのモニカ・バジオさん。
2006年のトリノ大会から冬のパラリンピックに3大会連続で出場。
夏の大会はロンドンに自転車競技で出場しました。
2人目はオーストラリアのカート・ファーンリーさんです。
陸上で2000年のシドニー大会以降、金メダル3つ銀7つ、銅3つのメダルを獲得しています。
続いてはカナダのチェルシー・ゴテルさん。
シドニーから北京まで競泳で金3つ、銀2つ、銅7つのメダルをとりました。
オランダのエルフィラ・ヨハンナ・スティニッセンさん。
北京でシッティングバレーボール銅メダルをとりました。
イギリスの自転車競技サラ・ストーリーさん。
バルセロナ大会でパラリンピックに初出場。
リオ大会で7大会連続出場を果たし金メダル3つを獲得しました。
新たに任命されたアスリート委員が大会を支えたボランティアの代表に花を贈ります。
大きな大きな拍手が送られています。
観客も総立ちです。
今回のリオデジャネイロパラリンピックではおよそ1万5000人のボランティアが大会を支えました。
ボランティアの人たちの力がなければ大会の成功はありませんでした。
風間さん、ボランティアの力感じましたね。
≫僕もたくさん助けてもらいました。
≫そのボランティアの人たちに向けて感謝の歌が贈られます。
ブラジルのシンガー、サウロです。
歌は伝説的なレゲエシンガーボブ・マーリーの「OneLove」。
♪〜≫リオパラリンピックで躍動した選手たちです。
♪〜≫「パラリンピック賛歌」です。
ギターはダニエル・サンチアゴペドロ・マルチンスアコーディオンはメストリーニョです。
パラリンピック旗が掲揚台から下ろされます。
♪〜≫いよいよパラリンピック旗がリオデジャネイロから2020年、次の開催都市東京へと渡されます。
リオデジャネイロ市長のエドワルド・パエスさんからIPCのフィリップ・クレイバン会長。
大きく大きく旗を振りました。
そして小池百合子東京都知事に渡されました。
リオデジャネイロから東京へパラリンピック旗が渡りました。
4年後は日本・東京。
私たちの出番です。
続いて、日の丸の掲揚と「君が代」の演奏です。
♪〜
(「君が代」)≫ここから東京のプレゼンテーション。
障害をポジティブにとらえようというテーマです。
「ARIGATO」の人文字が浮かび上がりました。
世界各国の言葉で書かれています。
東日本大震災のあと世界中からもらった支援への感謝の気持ちを表しています。
実はパラリンピックという名前が初めて使われたのは1964年、東京大会でした。
日本で唯一の金メダルは卓球の渡部藤男さんと猪狩靖典さん。
外国人選手が仕事を持ち買い物に行きお酒を楽しむ様子に衝撃を受けました。
彼らは普通じゃないか。
価値観が変わった2人。
新たな可能性を開くこと。
1回目のポジティブスイッチです。
そして、2回目。
2020年のポジティブスイッチは障害をより魅力的に変えようというスイッチです。
義足のモデル、GIMICOさん。
スタジアムに登場です。
ダンサー、AyaSatoさんBambiさんとのパフォーマンスです。
GIMICOさんは中学2年のとき骨肉腫、骨のがんのため右足を失いました。
義足を自分のアピールポイントとして活躍しています。
義足のダンサー36歳の大前光市さん。
≫義足が七色に光っていますね。
大前さんは13年前ダンサーを目指していた矢先交通事故で左足のひざより先を失いました。
失意の底から立ち上がり現在は左足を生かしたダンスを追求しています。
≫大前さんのダンスと東京の街がシンクロし始めているんですね。
≫大きな歓声が沸いています。
檜山晃さん。
目の見えない檜山さんの頭の中にある、東京の夜の街が1つの詩となります。
檜山さんの詩をダンサーが手話で表現します。
檜山さんは話します。
東京は夏の夜が最高。
原宿駅を降りると明治神宮の深い緑のにおいが届き東京が自然豊かな都市と分かる。
車いすのダンサーそして彼らをサポートするアカンパニストによるパフォーマンスが始まりました。
檜山さん、つえを使ってセンターステージへ移動します。
新たにダンサー2人が登場してきました。
ヒップホップのダンスです。
彼らはダウン症です。
障害のある人もない人も互いに支え合う社会を表現します。
≫2016年リオデジャネイロパラリンピックの締めくくりとして大会組織委員会のカルロス・ヌズマン会長と国際パラリンピック委員会フィリップ・クレイバン会長のスピーチです。
≫まず始める前に皆さんにメッセージを伝えたいと思います。
イランのアスリートの方々そして、その家族の方々そして、昨日亡くなったということでご冥福を申し上げます。
私どもの心からの祈りはあなた方とともにあります。
非常にあなたたちが亡くなったことは悲しいことだと思います。
イラン戦手団の方々にメッセージを送りたいと思います。
イラン人のゴルバルネザド選手が亡くなったことに対し哀悼の意を示したいと思います。
我々の祈りは皆さんとともにあります。
今回、このような形で亡くなられたことは非常に残念です。
こんばんは、ブラジル。
こんばんは、リオ。
こんばんは世界中のリオっ子たち。
任務は成し遂げました。
すばらしいオリンピック・パラリンピックの試合を実現しました。
私たちが愛してやまないこのブラジルがやればできるということを世界に示したのです。
この祝典は1つの夢から始まりました。
リオをオリンピックの街にするということ。
この瞬間のための20年間の歩みを不可能と考えた人も多かったのです。
リオには、ブラジルには無理だと。
でも、不可能が実現しました。
そして今日、私たちはここ、この歴史的瞬間に奇跡の輪を完成させました。
オリンピックとパラリンピックの都市、リオ。
ブラジル人は責任感、勇気熱意、決断力を示しました。
私たちは、決して諦めません。
ブラジル人は決して諦めないのです。
私たちの創造性を才能を発揮しました。
私たちの応援の情熱が伝染しました。
地球で最高の応援団の街それは、リオです。
それはブラジルです。
世界中を人のぬくもりと尊敬と喜びと一体感で迎え入れました。
身も心もささげました。
何よりも私たちがブラジル人であることの誇りを確信しました。
ボランティアの皆さんありがとうございます。
その魅力、能力と懸命さそして、その感激に満ちたショーに感謝します。
心から感謝します。
皆さん、ありがとう。
皆さん、本当にありがとう。
オリンピック・パラリンピックのアスリートの皆さんよくやりました。
あなた方は全人類の賛美と尊敬を勝ち取りました。
あなた方は、そのすばらしさと訓練ぶりと、乗り越えるその力でインスピレーションを与えました。
あなた方はスーパーヒーローです。
皆さんを見ると私の魂は歌わずに入られません。
リオオリンピック・パラリンピックの年リオ2016、世界を1つにし偏見を乗り越えました。
この最高の道のりを市民、全国の皆さんと一緒に締めくくります。
誇りを胸に抱きながら。
これも、オリンピック・パラリンピックを実現しそしてこれは世界のスポーツの歴史に残ります。
アスリートたちそして皆さんの寛大の気持ちに励まされることで私たちの未来を作り上げていきます。
リオおめでとうブラジルおめでとう。
東京2020年に幸運を祈ります。
どうもありがとうございます。
皆さん、本当にありがとうございます。
≫今夜、我々はこの12日間のスポーツが開催されたことによります。
しかし、今回自転車個人ロードレースで悲劇的な事故が起きたことです。
イラン人選手のゴルバルネザド選手が亡くなりました。
そして、今回の事故によりすべてのパラリンピアンが哀悼の意を示しています。
ご遺族の皆様、ご友人の皆様チームメートの皆さんそして、イランの皆様に対し哀悼の意を示したいと思います。
では、ここで哀悼の意を示すため黙祷をささげたいと思います。
ありがとうございました。
すばらしいリオデジャネイロの皆さん。
皆さんはパラリンピックを温かく迎えてくれました。
まさに、パラリンピックは皆さんのゲームだったのです。
そして、皆様とともに過ごした時間を永遠に忘れないでしょう。
皆様の声援というものはまさにリオデジャネイロの都市と同じように美しいものでした。
毎日、すばらしいスポーツを展開することができました。
そしてパラリンピアンの皆さんは予想も及ばないような才能を発揮されました。
さまざまな名所があるリオデジャネイロで今回、私が思い出として持って帰るのはリオデジャネイロの市民のすばらしさです。
皆さんが送ってくださった声援情熱、温かさのおかげでパラリンピアンたちは不可能と思えることを可能にしたんです。
多くの金メダルを輩出した今回のパラリンピックでIPC・国際パラリンピック委員会は多大な支援に感謝してあす、リオデジャネイロ市民とブラジルに対してパラリンピックオナーと呼ばれるパラリンピック名誉賞を贈りたいと思います。
個人や団体に贈られる最高位の賞です。
皆さんがリオパラリンピックに多大な支援を送ってくださいました。
ありがとうございます。
リオデジャネイロの皆さん本当にありがとうございました。
パラリンピアンの皆さん皆さんのすばらしい活躍とその才能に世界中が注目しました。
皆さんができないことではなく皆さんができることに世界中が魅了されたのです。
前向きな心を持つことで人間の肉体それ以上に人間の精神と心に限界がないことを示されたのです。
期待を上回る成果を挙げ記録を塗り替え根拠のない同情を誇りに変えたのです。
パラリンピアンの皆さんは世界中の若いスポーツファンの憧れです。
難民選手団の皆さんほかの選手より多くの困難を乗り越えて出場されました。
これからはパラリンピックファミリーをあなたたちの家と呼んでください。
オリンピック放送機構のすばらしいサービス世界中のマスメディアソーシャルメディアのおかげでパラリンピアンの活躍が記録的な数の国々に届けられました。
世界中の人々が皆さんの活躍を知りました。
皆さん全員が誇り高いパラリンピアンです。
すばらしい競技大会を可能にしてくれたリオ2016組織委員会の皆さんありがとうございました。
ヌズマン会長ありがとうございます。
IPCスタッフチーム各国のパラリンピック関係者関係団体の皆さん特にすべてのボランティアの皆さんにお礼を申し上げます。
皆さんの笑顔はその黄色のTシャツより輝いていました。
皆さんこそが、ヒーローです。
皆さんがブラジルの良心です。
伝統に従い、リオデジャネイロパラリンピックの閉会を告げます。
その前に、北京パラリンピック2008年、開会式のセレモニーを思い出してください。
あのとき、秋の落ち葉とともに未来への提言を聞きました。
その言葉は北京からすばらしい、2012年ロンドンパラリンピックに。
さらに南米で初のパラリンピック開催地であるリオデジャネイロまで届けられました。
その提言はパラリンピックスポーツの明るい未来を照らし春を間近に迎えたここ、ブラジルで私の大好きなジャカランダの青い花が咲こうとしているときにまさにパラリンピックはこのすばらしいブラジルの明るい未来を示していたのです。
未来への提言とともにパラリンピアンの皆さん2020年8月東京に集まりましょう。
パラリンピック精神のもとパラリンピアンがスポーツを通して再び世界中の人々を鼓舞しそして感動を巻き起こすでしょう。
リオデジャネイロパラリンピックは本当にすばらしいものでした。
リオデジャネイロの皆さんありがとうございました。
すばらしい都市であるリオデジャネイロ。
≫リオデジャネイロパラリンピック閉会式はいよいよフィナーレに向かいます。
ブラジルを代表するアーティストたちが一夜限りの夢の共演を繰り広げます。
雨が降り始めました。
マラカナンスタジアムです。
レインコートを着る選手の姿もあります。
まず登場してきたのはサウロです。
ブラジル北東部バイーア州のカーニバルを盛り上げる歌手です。
曲は「ベイジャ・フロール」。
「ハチドリ」という意味です。
ここまで、先ほど東京のプレゼンテーションもありましてそれから、IPCのクレイバン会長の演説もあったりしました。
大会組織委員会のヌズマン会長の話もありました。
ちょっと振り返っていきたいと思いますが東京のプレゼンテーションは河合さんはいかがですか?≫私はアートのほうは専門外ですけど東京のクールさというのは伝わってきてあれを見た選手たちが4年後も絶対来ようとそういうふうに思ったんじゃないですかね。
≫次は自分たちだと。
「TOKYO2020」という旗を振りながらの声援でした。
そしてそのあとのヌズマン会長とそしてクレイバン会長の話でしたがブラジル市民のすばらしさをたたえていました。
風間さんどうお聞きになりました?≫スピーチの中でリオデジャネイロの人たちは最高の応援団だという話がありましたけど僕も本当にそう思います。
本当にリオデジャネイロの人たちを見てバリアフリーっていうのはやっぱり日本だと、建物だとかエレベーターで下のほうにボタンがあったりすることをバリアフリーとさすことが多いんですけど、人々の気持ち応援したい一緒に分かち合いたいという気持ちが一番のバリアフリーなんじゃないかと思いました。
それをブラジルの方にブラジルの人たちはすごいねってバリアフリーって心なんだねという話をしたらその人たちがだってしょうがないじゃない。
今、言ったみたいなスロープもエレベーターに下のボタンもないから手を貸すのが当たり前なんだよというふうにおっしゃってました。
何か施設が進んでいくというのはいいことだとは思うんですけどそれだけに頼るのではなくてやはり、心というのが一番これから大事になっていくのかなというふうに思いました。
≫バリアフリーというと段差がまだあるとかトイレの問題だとかいわゆるハードの部分に私たちは気を取られてしまいますがそういうソフトの部分ますます4年後大事になってくるのかなと思いますよね。
≫いくら視覚障害の方のためにといって点字ブロックを駅前とか歩道に敷いていただいてもそこに物を置いてあったりあるいは駐輪されているとか自転車が置かれているのではやはり意味がないと思います。
だから気付く、感じるというところから少しずつ始まっていくんじゃないかと思います。
≫まさにおもてなしってそういうことなんじゃないかなと思いました。
≫そういうことを、さらにこのパラリンピックで感じたというブラジルの方たちもいたんですね。
競技を見た方に話を聞いたんですが女性です。
初めてパラリンピックの競技を見に行ったんだけど障害者スポーツというカテゴリーではなくて単純にスポーツとして楽しんで見ている自分に気付いたという。
障害ってなんだろうということに気付いたという声もありましたしこんなスーパーアスリートが自分の街に来たと思うと絶対に見に行かないと損だと思ったということです。
また、次の競技にも来たいと話をしていましたし若いカップルは知らないだけで実際に見てみるとすごく楽しかった。
かわいそうとか障害者なのにすごいとかそういう目線ではなくて本当に質のある試合をするからスポーツとして楽しめたと。
率直な声が届いたんですよね。
≫私は、この期間中に障害者施設を訪問させていただいたんですけどそこで聞いた話でやはりパラリンピックがきて街がどう変わったか人がどう変わったかという話なんですけどあるパン屋さんに車いすの親子がパンを買いに来ていると。
子どもが、車いす。
お父さんがパンを買ってる間ずっと子どもが外で待ってたらしいんですね。
このパラリンピックが決まって徐々にそういう障害者に対しての思いやりが出てきたのかある日、来たらスロープが作られていたというんですね。
こういうことがオリンピック・パラリンピックを開催する意義の1つでありそのレガシーなんだというのを感じたんですね。
東京もまた、そういう形で今、お話がありましたように心のバリアフリーだとかこういったことがどんどん進むといいなと感じます。
≫人を心から動かす力がこのパラリンピックにはあるなと強く感じました。
そして、会場でもう1つ気になったのがたくさんお客さんがきている中で子どもたちの数が多かったなという印象があるんですね。
学校単位で小学校や中学校の皆さんが来て大きな声援を送って試合後には、選手と一緒にスマホで写真を撮ろうってスタンドの先まで下りてきて声援を送っていたんですよね。
こういう姿を見るとこういう経験というのは忘れないだろうな。
このあとまたブラジルで大きな変化も生まれるんだろうなという実感がありましたね。
子どもたちに見てもらうというのは河合さん、大事なことですよね。
≫やはり言葉とか単なる座学で座って教室で学ぶことよりも百聞は一見にしかず見に来てもらうそして直接出会ってもらうというこういう体験を通じて子どもたちに未来に向かって考えるあるいは、ともに歩んでいく仲間として一緒に見られるようになるといいなと思いますね。
≫パラリンピアンの選手を見ているといろんな困難、ありますけど自分の困難、ちっちゃいなという感じもしまして本当に勇気を与えられますね。
≫自分たちに突きつけられるような本当に頑張っているのかというような何か、言い訳をしていないかそんなこともパラリンピックの選手たちと振れていると、感じさせられます。
≫とにかくこの東京大会はやはりリオのパラリンピックのように会場を満員にして私も選手の経験から言うと会場の満員のところでプレーしたい。
そういうふうに思いますのでなんとか東京大会パラリンピックの選手たちに気持ちよくプレーをしてもらえるように進めたいですね。
≫同感です。
あふれかえるような観客と大声援で世界中のアスリートをお迎えしたいと思いますね。
≫それには4年でたくさん障害者スポーツと触れ合う機会を作ること。
障害者スポーツというカテゴリーに決めるのではなくて気軽に触れられるようなアクセスしやすいようなそんな環境を作るというのが大事かなと思うんですけどね。
≫もっと身近なところでも同じ学校で障害のある子が教室にいたときに体育や部活動に参加できていなかったりしたらそれでも何ができるんだろうって一緒に考えたり遊ぶところからスタートするかもしれないですしあるいは地域の大会や全国大会などの一部の競技として障害のある方々が参加できる同じ年齢の障害のある子たちが一緒に競い合っているのを見るという経験も通じて2020年に向かっていったらいいのになと思ってます。
≫河合さんがここに来る前におっしゃっていたダーツバーがはやるのであればボッチャバーもはやるのではないかというお話がすごいすてきだなと思ったんですけれども。
≫いろいろありますけどもっと障害者スポーツというカテゴリーじゃなくて今回、ボッチャが大活躍してメダルをとってくれましたけど皆さんが気楽に車いすだからじゃなくて自分たちも座ってやったら同じような表現じゃないかと思いながら、気軽にそんなところもできたら非常に強豪国であるタイなどはストリートボッチャのような形で街なかで、道端でというのも聞いたりしますので東京の、日本ならではのこういう障害者スポーツボッチャの広め方というのもあっていいのかなとも思っています。
≫障害者スポーツというカテゴリーではなくて誰でも子どもからお年寄りまで楽しめるボッチャです。
的となる白いボールに向かって赤と青のボールを投げたり、転がしたりしていかに近づけられるかを競うという競技で今大会、日本が団体で銀メダルをとりました。
ぜひ一度皆さんもやってみたらいかがかなというふうに思います。
本当に楽しい奥深いスポーツです。
続いてはドリーム・ティーム・ド・パッシーニョの「ジ・ラディン」という曲です。
≫今の皆さんのお話を聞いてて一般人が週に1回スポーツをする割合というのが実は40%といわれていますから。
障害者に限っていいますとこれは19.2%なんですね。
ですから、まだまだ障害者の皆さんが継続的に、恒常的にスポーツをやる環境というのは少ないなと感じてましてなんとか皆さん健常者、障害者かかわらずスポーツに親しむ環境を設計していくことは非常に重要ですね。
≫アーティストたちが夢の共演を繰り広げています。
ドリーム・ティーム・ド・パッシーニョはリオのファンクパーティーから生まれた新しいダンスを踊るボーカルグループです。
なかなか私たち、日本人はブラジルの音楽に触れる機会というのがないですから楽しいですね。
言葉は、なかなか分かりにくいんですけどこのノリというんですかね。
≫リズミカルなのがいいですよね。
私も日本選手団が入村式のときに選手村に行かせていただいたんですけどもそのとき日本人学校の子たちが応援のメッセージを言っているときに手拍子がブラジル風といいますか。
日本だと、日本チャチャチャみたいな感じですけど非常にリズミカルな…。
まねできないですけど。
本当に、そういうのもはぐくまれるんだなと感じましたね。
≫そういった文化も感じられます。
曲は、「プレチーニャ・ヴォウ・チ・コンフェサール」。
「私はあなたに告白します」。
♪〜ネゴ・ド・ボレルが登場してきました。
ネゴ・ド・ボレルはスラム街、ファベーラ出身のシンガーソングライターです。
♪〜≫リオパラリンピック閉会式の模様をマラカナンスタジアムからお伝えしています。
私たちがこのようにブラジルの音楽や文化に触れるように4年後、今度は世界から東京に来た人たちに日本の文化や音楽を伝える番だということでどんなことが伝えられるかなということですね。
≫オリンピックやパラリンピックはスポーツの祭典でもあるわけですけれども実は文化の祭典というふうにもいわれていましてやはり、こういう機会に日本のいろいろなよさを世界の人たちに知っていただきたいですね。
≫ファンクのメドレーが続いています。
風間さんだったら、どんなことをどんな日本の文化を伝えたいなって思います?≫先ほどの東京のパフォーマンスで僕は個人的に「東京は夜の七時」が流れたときに最高に興奮したんですね。
あれのサブタイトルが今回特別に「リオは朝の七時」というサブタイトルがついているんですね。
時差が丸ごと逆なので。
そういうユーモアというかセンスみたいなものそういうものを強く押し出したショーが見てみたいですね。
≫夜の7時、夏の夜といいますと日本は暑いなという印象が強いんですが。
目の見えない檜山さんにとっては明治神宮の森から流れてくる空気がなんとも心地よいなと。
私たちにはなかなか気付きにくい感覚で話してくれました。
≫僕はあの曲を聴きながらその話も聞いたんですけど何年前か忘れましたけど池袋サンシャイン60の屋上で夜を迎えたというときを思い出しましたけどね。
決して、見えていないんですけどあっちのほうが新宿の夜景なんだよって言いながら見たのを懐かしく思い出しましたね。
≫どんな人でも楽しめるような4年後、東京オリンピック・パラリンピックになるといいなと。
登場してきましたのはガビ・アマラントスです。
出身地のパラ州では我が町のビヨンセといわれている歌手です。
この歌なんですけど「エックス・マイ・ラブ」という名前で「元カレ」というタイトル。
歌詞の中に、日本でいう100円ショップに並べる価値もないという。
私たち、この放送席4人男ですけれども…。
そういうタイトルの曲となっています。
≫言葉が違うのでどんなことを歌っているのかなと思ったんですけどそうやって聴いてみると身につまされるというか背筋が伸びるような気持ちです。
≫力を込めてそういうふうに話してるんですかね。
徐々にスタジアムのフィールド内選手たちの姿を見てみますと最初は国ごとに固まっていたのが徐々に、国の国境がだんだんとなくなっていろんな国の選手たちが交流しながら楽しんでいるという姿があります。
これが閉会式のよさでもありますね。
≫どんどん交ざり合っていくというかあのときの選手がいたなと思ったら写真撮りにいったり本当にそういう時間でもありますよね。
次、会うのは来年の世界選手権なのかなとかそう思いながらも次回の東京でとか思いながら話しているんじゃないですかね。
≫開会式は競技を控えているからピリピリしているんですけど閉会式のこの雰囲気はいいですね。
国際親善大会みたいな感じですね。
≫鈴木さんはこれまで閉会式に出たことがないと。
≫本当にうらやましいです。
≫今回の式典という式典は雨そして競技中はそんなに降らないのに式典のときだけ降るというのは本当に不思議というか運命的なものを感じるというか。
≫何か意味しているものがあるんでしょうか。
開会式と閉会式でかなりまとまった雨が降っています。
リオパラリンピックです。
「アス・フォルサス・ダ・ナトゥレーザ」。
「大自然の力」という曲です。
≫続いては「ナォン・ヴォ・エンボーラ」。
「行かないで」という曲です。
少しずつ聖火が消える時間が迫ってきています。
ブラジルリオデジャネイロパラリンピック閉会式。
リオパラリンピックは22競技528種目が行われました。
東京も22競技行われます。
新たにテコンドーとバドミントンが加わることになっています。
今回のリオパラリンピックには残念ながら予選で出場できなかった競技もありましたがその関係者もそのリオで姿を見かけました。
なんとか東京でまた活躍したいということで視察を含めてのことだと思います。
22競技ありますからね。
どの競技も本当に魅力的なものばかりでどう盛り上げていくのか。
今回残念ながら出場できなかった競技もぜひ、東京ではとそんな思いも強くしてると思うんですよね。
≫それぞれ特徴があってそれぞれの障害に対応できるいろんな競技がございますのでいろんな障害者が活躍してくれるものと思います。
それから、聖火の話が先ほどありましたけど今回街なかに聖火がともされていてオリンピックのときに私、見に行きましてこれはこれで競技場に行けない人もあの聖火を見てオリンピックやパラリンピックの雰囲気を味わえる非常に街が一体となる1つの方策だなということを感じましたね。
≫マラカナンスタジアムから7kmほど離れたセントロ地区の広場に聖火が移動しまして12日間、燃えまたマラカナンスタジアムに戻ってきたと。
より身近に感じるスタジアムに行かないと見られないということではないそんな工夫もありました。
≫街じゅうが本当にオリンピック・パラリンピック盛り上がる本当にいい聖火台ですね。
あそこで、みんな並んだりしながら写真を撮ったりしていましてなんか、雰囲気を味わえるというその盛り上がりを一体化するようなそういう聖火だったと思いますね。
≫会場に行ける人たちがパラリンピックに参加できるわけではなくて会場に行けなかった人たちもパラリンピックに参加できるというのはすごいすてきなことだなと思いましたね。
≫今回、ジャパンハウスという日本のいろいろな文化を伝えるような施設も作られました。
河合さん、たくさんの人たちが来てましたよね。
≫意外にというとあれですけど体験コーナーが人気があって行列になっていましたね。
ヨーヨーすくいとか書道体験、あとは浴衣の着付けとかですね。
本当に行列になって私が行ったときなんかも盛り上がっていましてそのほかにも、都道府県ごとの魅力を紹介しているコーナーですとか大きなひな人形を飾ってあったりとかで本当にステージパフォーマンスも含めて大人気だったと聞いています。
≫4年後、今度は東京に来てほしいなと思います。
≫ぜひ、この魅力でまた東京にも行きたいと思った方がいてほしいですね。
ボランティアの方々でもいましたよ。
今回やったから東京にも行ってお手伝いしたいんだという声も聞きました。
≫続いてはカラム・スコットです。
去年、イギリスのオーディション番組に出演しまして、抜群の歌唱力が認められました。
そして今年パラリンピックの閉会式に大抜擢です。
歌は「ダイアモンズ」から「ダンシング・オン・マイ・オウン」のメドレーです。
スタジアムではスマホのライトを使って星空をイメージしています。
♪〜≫カラム・スコットでした。
聖火が消されるときが近づいてきています。
12日間にわたって南米大陸で初めて行われたリオパラリンピック。
その幕を閉じようとしています。
風車を持った人たちが見えてきました。
風車を持った人たちが聖火に向かっていきます。
熱戦が繰り広げられたリオパラリンピック。
さまざまなメッセージが私たちに届きました。
聖火の周りには煙です。
この風車で風を起こして聖火を消そうというものです。
スタジアム、大歓声です。
イヴェッチ・サンガロ。
ブラジルの人気ナンバーワン女性シンガーが登場してきました。
曲は「ア・パス」。
♪〜≫12日間、ブラジルの大地で熱戦を見つめてきた聖火が消されるときが近づいてきました。
♪〜≫300個の風車が起こす風で聖火が消えていきます。
2016年リオデジャネイロパラリンピックが終わりを告げました。
パラリンピックのテーマです。
曲は「テーマ・パラリンピコ」。
♪〜カラム・スコットが登場してきました。
♪〜≫イヴェッチ・サンガロとカラム・スコットとの共演です。
♪〜≫続いての曲は「オ・ファロウ」。
「灯台」という曲です。
イヴェッチ・サンガロはバイーア州出身です。
93年、カーニバルグループのバンダ・エヴァへの加入をきっかけに注目を浴びて一気にスター街道を駆け上がりました。
≫会場、立ち上がって踊っている人たちがたくさんいますね。
競技場でも、音楽が流れるとブラジルの人たち立ち上がって踊りだしてものすごい盛り上がりだったんですよね。
その姿を見ていろんな国の盛り上がり方があると思うんですけど日本はどんな盛り上がり方をするのかなって思いました。
試合の途中で流れる音楽にも観客席の皆さんが立ち上がって腰を振って踊る姿が多く見られました。
楽しんでいるねって見ているほうも心が躍るというかそんな光景がありましたよね。
≫いいですよねやっぱり音楽はね。
僕なんかも、水泳のレースの前に入場する曲なんかすごくあの大会はこうだったなと今でも思い出す曲ってありますよね。
そういうのを、ずっとCDとか音楽プレーヤーに入れて何度も何度も聴いたりして今でも聴くことがありますね。
≫河合さん、どんな曲を聴いていたんですか。
≫本当に自分の好きなリラックス曲とかもありますけどその大会、大会で僕も5レース、6レースたくさん種目も出ていましたので1回の大会で自分が入場するときも聴いていますけど招集場所から飛び込み台まで歩いている間に聴いている曲などよしやってやるぞという気持ちになった曲って忘れないですね。
≫河合さんは気持ちを高めるために聴いていた曲ってなんでした?≫いろいろありますけど個人的にはミスチルとかサザンが好きなので。
そういうのを聴きながらリラックスと気持ちを高める曲と切り替えてよく聴いてましたね。
≫鈴木さんはあったんですか?現役のとき。
≫私は、一番最初のオリンピックが84年だったんですがそのときのテーマ曲がありまして。
それがやっぱり自分を奮い立たせるときに聴きたくなる曲ですかね。
ちょっとパッと出てこないのがつらいところですけど。
≫選手一人一人にあるでしょうね。
≫あると思いますね。
≫卓球の別所キミヱ選手、68歳。
今回、ベスト8で敗れましたけれども「威風堂々」。
自分の中でテンションを高めるために、常に流れているという話もしていました。
≫ケアを受けながらとかに本当にこういう曲を流してほしいとリクエストがあったり本当にいろんな年代の選手がいますからそれぞれの選手に合った曲を選びながらとてもリラックスしてもらえたと思いますね。
≫ますます客席が盛り上がってきました。
イヴェッチ・サンガロの代表曲「ソルチ・グランジ」。
砂ぼこりという意味もあって砂ぼこりを立てるくらい激しく踊りましょうという曲です。
♪〜日本の選手団です。
≫踊ってますね。
≫辻沙絵選手。
山本篤選手、走り幅跳びの銀メダリスト。
義足の足で飛び跳ねています。
楽しそうですね。
≫跳躍力半端じゃないですね。
日常用の義足だと思いますが楽しそうです。
≫昨日、山本選手とお会いしてお話しする機会がありまして試技が終わったあとドイツの選手とお互い10秒間くらいハグをしたんですね。
あのとき、何を話していたんですかと聞いたらドイツの選手が俺はこの大会で引退すると。
お前は続けるんだろ。
次も頑張ってくれよというやり取りがあったそうなんですけどなかなかいいやり取りだなと思いました。
≫1位、2位、3位と激しい戦いが行われました走り幅跳びです。
そういう交流も今度は、お前なんだという。
≫お前、頑張れみたいなそんな話があったそうなんですけど非常にいい話だなと思いました。
≫ポポフ選手はランニングクリニックみたいなのを世界中でやったりして本当に義足で歩く、走るというところまでがすごく難しいことで。
自分の経験を伝えながら活動もしていて模範的な選手だと思いますね。
≫今回、リレーでもメダルをとりましたね。
オリでも今回4×100mリレーでメダルをとりまして。
オリとパラでリレーも、つながったのかなというふうに思いましたね。
すばらしい活躍でした。
≫陸上のリレーで銅メダルをとったときそれを見たときは何かオリンピックの姿も重なるような形で。
花火が上がりました。
マラカナンスタジアム。
さらにヒートアップします。
「テンポ・ジ・アレグリア」「喜びの時間」という曲です。
旗が入ってきています。
各国の言葉で「愛」と書かれた旗が入ってきています。
≫この曲は大会中会場でよく流れていましたね。
すごいですね。
≫大合唱ですね、全員が。
≫閉会式のフィナーレを飾ります。
この曲です。
センターステージで、トム君。
パラリンピックのマスコットトム君も跳ねます。
まもなく閉会式が終わろうとしています。
マラカナンスタジアム盛り上がりました。
選手たちも躍動しましたこのパラリンピック。
閉会式の感想をひと言ずつお伺いします。
まずはスポーツ庁長官の鈴木大地さん、いかがでした?≫招致が2016年でしたけど東京も招致していて。
そのときの招致に勝ったのがこちらのリオでして南米初のオリンピックそしてパラリンピックそれが終わるんだということで寂しい気がしますけど。
この7年間、招致からパラの終了まで見ていてひと言でいうと情熱を感じましたね。
日本も負けないくらいの情熱で次、大会を成功させたいですね。
≫花火が上がりました。
パラリンピックが終わろうとしています。
続いて、河合純一さんいかがでしたか?閉会式。
≫本当に楽しませてもらいましたね。
やっぱり南米の盛り上がりリオの皆さんに我々の感謝の気持ちも伝えられて。
なんか、心と心が通い合うような閉会式だったんじゃないかなという感じがします。
≫風間さん、だんだんとまたヒートアップしてきました閉会式どうご覧になりました?≫競技会場を回っているときにもブラジルの人たちは本当にお祭りが好きで盛り上がれることでみんなの心が1つになっているというのをすごく感じました。
そして、この閉会式本当にブラジルの人たちの情熱がすべて詰まった最高のお祭りだと思います。
楽しかったです。
≫花火が次々と打ち上げられるマラカナンスタジアムです。
パラリンピックの終わりでもありますがオリンピック・パラリンピックの終わりでもあります。
限界を越える障害に対する見方を変えるをテーマにしたリオパラリンピック。
みずからの限界に挑戦するパラリンピアンたちの躍動は私たちの心を大きく揺さぶりました。
南米で初めて行われましたリオパラリンピック。
160の国と地域などからおよそ4400人が参加しました。
リオの終わりは東京の始まりでもあります。
次は、私たち日本・東京です。
ではニュースをお伝えします。
非常に強い台風16号は、九州の西の海上を北東へ進んでいて、今夜からあすにかけて、九州など西日本にかなり近づく見込みです。
台風や前線の影響で、西日本では、きょうは非常に激しい雨が降るおそれがあるほか、夕方からあすにかけては、雨や風がさらに強まって、局地的に猛烈な雨が降るおそれがあり、気象庁は、早めの対策を取るよう呼びかけています。
非常に強い台風16号は、午前10時には、鹿児島県の徳之島の北西の海上を1時間に20キロの速さで、北東へ進んでいると見られます。
台風は今夜からあすにかけて、暴風域を伴って九州など西日本にかなり近づき、その後、あさってにかけて東日本の太平洋側に近づく見込みです。
台風や前線の影響で、きょうは西日本を中心に、局地的に雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降るおそれがあります。
さらに、台風本体の発達した雨雲がかかるため、西日本では今夜以降、東日本でもあすは、雷を伴って、非常に激しい雨が降り、局地的には1時間に80ミリ以上の猛烈な雨が降り、大雨となるおそれがあります。
あすの朝までに降る雨の量は、いずれも多い所で、九州南部で300ミリ、九州北部と山口県で250ミリなどと予想されています。
その後、あすの朝からあさっての朝にかけては、いずれも多い所で、四国と近畿で200ミリから300ミリ、東海で100ミリから200ミリの雨が降るおそれがあります。
九州などでは、きょう夕方以降、風が非常に強まり、あすにかけての最大風速は、九州南部で40メートル、四国と近畿、鹿児島県の奄美地方、それに九州北部で、25メートルから30メートルと予想されています。
西日本ではおとといの降り始めからの雨量が、多い所で200ミリを超えていて、すでに地盤が緩んでいる所があります。
気象庁は、九州など西日本ではきょう夕方以降、暴風や高波、土砂災害や低い土地の浸水、川の増水に警戒するとともに、雨や風が強まる前に、早めの対策を取るよう呼びかけています。
鹿児島県のトカラ列島の島々から成る十島村は、口之島と中之島の一部の地域の合わせて13世帯21人に避難勧告を出しました。
岸田外務大臣は、訪問先のニューヨークで、韓国のユン・ビョンセ外相と会談し、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している中、安全保障分野の協力の強化が必要だという認識で一致しました。
岸田外務大臣は、日本時間のきょう未明、韓国のユン・ビョンセ外相とおよそ45分間、会談しました。
この中で岸田大臣は、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返していることを取り上げ、このような安全保障環境の下では、安全保障協力の強化が必要不可欠だと述べました。
ユン外相も、その必要性については完全に同感だと述べ、安全保障分野の協力の強化が必要だという認識で一致しました。
また両外相は、拉致問題や離散家族の問題など、北朝鮮の人権や人道上の問題の解決に向けて協力していくことを確認しました。
さらに、岸田大臣は慰安婦問題を巡る去年12月の日韓合意について、北朝鮮問題に連携して対応していくうえでも、日韓関係を未来志向で強固なものにする必要があり、日韓合意を着実に履行していくべきだと述べました。
全国のきょうの天気です。
九州から東北にかけては雨で、雷を伴いながら非常に激しく降る所もあるでしょう。
生字幕放送でお伝えしています≫12日間にわたったリオデジャネイロパラリンピックが閉会しました。
いよいよ、次は4年後に東京にやってきます。
≫閉会式のハンドオーバーのセレモニーを見ていても次がどんな大会になるのかちょっとワクワクしてきましたよね。
ここからはハンドオーバーのセレモニーを改めて振り返って4年後の大会がどういった戦いになるのかそういった期待を語っていきたいと思います。
≫ゲストをご紹介します。
アスリートの谷真海さん。
旧姓佐藤真海さんです。
よろしくお願いします。
走り幅跳びでアテネ、北京ロンドンのパラリンピックに出場。
東京大会招致のときのプレゼンターとしても活躍されました。
谷さんは、今回のパラリンピックどんなところが印象に残ってますか?≫日本からたくさん試合を見させていただいたんですけど特に同年代の選手に注目して見ていて特に走り幅跳びの山本篤君ですとか金メダルまでは8cm足りなかったですけどやはりすごくレベルが上がったなと感じましたしあとは国枝選手も、今回は残念でしたけどもその悔しさを次にぶつけてくれるのではないかと逆に思いました。
≫すでに次を見据えた活躍がありましたね。
今日どうぞよろしくお願いします。
車いすバドミントンでは国内の第一人者長島理さんにお越しいただいています。
東京大会ではバドミントンが正式競技になるということで今、どんなお気持ちですか。
いよいよ、自分たちの番だなという感じですね。
こういう華やかな舞台で活躍してヒーローになるチャンスがあると思うと鳥肌が立つ思いですね。
≫今日はよろしくお願いします。
東京の大会に向けて先ほど、閉会式でパラリンピックの旗が日本に手渡されるハンドオーバーのセレモニーがが行われました。
障害のある人のパフォーマンスを軸に繰り広げられました。
≫人ができないことができるじゃない?だって私は義足だからという言葉とともに登場したのはモデルのGIMICOさんです。
GIMICOさんにとって義足は自分をクールに表現する道具だといいます。
次に登場したのはダンサーの大前光市さん。
短い足があったから世界で唯一のダンスパフォーマンスが生まれた。
強い思いが世界中に発信されました。
注目です。
回転を4回、決めました。
そして、死角に障害のある檜山晃さん。
願いは目で見ないから分かる東京をみんなで共有できたら。
そして、ステージには車いすのダンサー。
また彼らをサポートするアカンパニストが登場。
そしてダウン症のダンサーによるパフォーマンスです。
すべてのパフォーマーが舞台の中央へ移動します。
チームに障害のある人がいないことのほうがむしろ、不思議な時代だということを象徴するパフォーマンス。
リオ、そして世界中を魅了しました。
最後は東京の街並みと富士山の影絵とともにこのメッセージ。
≫引き込まれますね。
≫セレモニーのキーワードはポジティブスイッチ。
パラリンピックには人々の意識を前向きにポジティブに変えることができるというコンセプトですけれれども谷さん、どうでした?≫ポジティブスイッチってパラリンピックの魅力、価値をすごく表現しているものだと思いました。
モデルのGIMICOは友達なんです。
クールに決めていてびっくりしたんですけど堂々と。
≫ふだんは違うんですか?≫あんな感じなんですけど格好よかったですね。
スポーツ以外でも障害があってもなくてもその個性を発揮して一人一人が輝けるんだよということをステージ上で表現していたのかなと思いますし東京にはいろんなことを受け入れる準備ができてるよというメッセージを発信したんじゃないかなと思います。
≫長島さんは、どうでした?≫ひと言で言ってクールジャパンという感じで格好よかったですね。
どうしても選手の立場として見ちゃうんですけどこのために相当、練習したんだなと思うとそういう意味でポジティブスイッチを押してもらえるようなそんな感じですね。
≫ここでリオの会場を呼んでみましょう。
山田賢治アナウンサーお願いします。
≫こちら、リオデジャネイロマラカナンスタジアムです。
先ほど閉会式が終わったんですが終わったとたんに雨風が強くなってきましたね。
≫すごいですね。
こちらのほうにもぱらぱらと雨が降ってきますけど。
≫こちらでも東京へのハンドオーバーのセレモニー、さらにはそのあと10分近くのショーを見てきましたけれども会場も盛り上がりましたし皆さん、どう感じました?河合さん。
耳で聞いてどんな印象がありました?≫今、最後に流れてた曲が頭から離れないですね。
そしてハンドオーバーも本当に東京に、我々がバトンをもらってこれから4年間、世界をリードしていかなければという責任を感じますね。
≫鈴木さん、いかがでした?≫数分間のショーを見て東京、日本は障害のある人ない人に関わらず活躍できる国なんだろうなというのを皆さんに知っていただいたんじゃないかと思いますしそれを実際に見に来ていただきたいなと思いますね。
≫4年後の東京オリンピックそして東京パラリンピックに向けてますます私たちが何をしていくかということが大事になってくると思います。
まずは、河合さんにお聞きしたいんですが今回、メダルの数ですと金メダルが0に終わった。
ただ銀メダル、銅メダルは10個以上2桁に乗ったということで選手の育成、強化どのようにしていきたいと思っていらっしゃいますか。
≫やはり、選手個々今回、悔しい思いをした選手にとっては4年後に向けての大きなモチベーションになってると思いますのでやはり課題があったから勝てなかった部分もあると思います。
もちろん、今回の環境の中で最大限活躍してくれた本当にパフォーマンスを発揮してくれた選手が多かったからこの結果だとも思ってますのでぜひ、今の選手たちも活躍すると同時に今回、見た選手たち、新聞やいろんな報道をテレビを見て自分も4年後、出てみたいそういう方たちにもぜひ、今回の4年後を目指してアクションを起こしてもらいたい。
そして自分の中からその声、思いを誰でもいいから友人や家族でもいいので伝えるところから始めてもらいたいなと思います。
人を動かすのは自分の熱い思いだとそんなことをメッセージとしても贈りたいですね。
≫そのような声を受け止める場所もたくさん、あるといいなと思いますが鈴木さん、障害者スポーツをこれから広めていくために広く知ってもらうためにこの4年間何が必要だと思います?≫まず、今、強化とか育成の話も出ましたけどこれも我々の仕事の1つでもあるわけですね。
今回、いろいろ見てきてまず選手層が大変薄いということで今の話とつながってくるんですが多くの障害者の皆さんが心おきなくトレーニングができる場所スポーツと触れ合える場所をもっと提供していく必要があると思っているわけです。
具体的にいうと特別支援学校とかありますがああいったところがパラリンピックスポーツのトレーニングの拠点になるように整備をしながらそこから選手を発掘できるように。
選手と先生それから我々とつなぐような連携をうまくしていくことが必要かなと思っています。
≫風間さんは開会式から12日間現地で取材しリポートをしてきました。
この舞台が4年後、東京にくる。
楽しみなことがたくさんありますよね。
≫ブラジルの人々そしてブラジルの子どもたちがパラリンピックを見てすごくうれしそうにいろいろなことを感じているんだなということがすごい伝わってきました。
これから4年間、日本の人たちもいっぱいパラスポーツを見てそして、4年後実際に自分の目でパラリンピックを見て何も感じないなんていうことは絶対ないのでぜひとも自分の目で見ていただけたらなと思いました。
≫本当に強くワクワク感を感じた4年後の東京です。
リオからは以上です。
≫先ほど、長島さんのお話にもパフォーマーの皆さんは本当にたくさん練習したんだろうなということがあったんですがセレモニーに参加したダンサー大前光市さんに事前練習を特別に撮影させていただきました。
パフォーマンスにかけた思いも伺っています。
≫大前光市さん、36歳。
大阪を拠点に舞台ダンサーとして活躍しています。
若いころからダンサーを志していた大前さん。
プロとして歩み始めようとした23歳のとき交通事故で左足のひざから下を失いました。
周囲にはもうプロのダンサーとしては通用しないといわれました。
しかし、大前さんは片方の足が短い独自のバランスだからこそできるダンスを突き詰めてきました。
今回は、世界中の人に初めて自分のダンスを届けられるチャンスです。
自分の限界に挑戦する。
大前さんは、ダンスにバク転を取り入れることにしました。
片足では踏み切りでも着地でもバランスをとることが難しく両足でやるのとは別次元の難易度だといいます。
さらに初めてバク転の連続に挑戦。
失敗を繰り返しました。
≫今月1日に行われた国内最終リハーサル。
この日は3連続のバク転を決め本番に向けた手応えをつかみました。
大前さんに今回のパフォーマンスに込めた思いを聞きました。
≫谷さん、大前さんは本番で4回のバク転を成功させていましたね。
このメッセージどう受け止められますか?≫本当に大前さんのダンスの中で大変そうとか、かわいそうって全く感じさせないところがやっぱりパフォーマーとしてのすばらしさなのかなと思いますね。
ビックリしました。
≫長島さんはどうですか。
≫本当に努力してやっているんだなと思うと、自分も本当に頑張らないといけないんだなという思いにさせてもらいましたね。
≫どんなステージなんだろうとワクワクするだけでしたね。
見てる側としては。
≫谷さんは東京大会の招致活動に深く関わってきたことで大前さんを含めてハンドオーバーセレモニーを見て改めて東京への思いを強くしたんじゃないですか?≫招致が決定したのはそのときに、あと7年あると思ったのが、あと4年かと。
いよいよカウントダウンになってしまうんだなというところですごく待ったなしだなと感じました。
≫最後の招致活動のプレゼンテーションの中で被災地への思いとかご自分の経験を語る中でスポーツの真の力というのをずっと強調されてましたけど改めて、それにはどんな意味があったんでしょう?≫スポーツには人と人をつないで笑顔をはぐくんで夢や希望を持てるというすばらしいものがあるというのを震災以降多くのアスリートと共有できたんですよね。
それを、日本中世界中にもっともっと発信して広げていけたらというふうに思いました。
あとはパラリンピックで大切なことは失ったものではなくて実際にあるもの、その力を最大限に引き出すことこそ大切なことだというメッセージをより多くの人に伝えられるのがパラリンピックだと思うんですね。
そのチャンスがいよいよやってきたんだと思います。
≫これからの4年間が大事ですよね。
≫では、ここで国際パラリンピック委員会のフィリップ・クレイバン会長のメッセージが届きましたのでご覧ください。
≫本当にすばらしいハンドオーバーセレモニーでした。
スポーツ精神、ダンス、音楽そしてすばらしいパフォーマンスが行われました。
IT、現代、伝統というものがすべて含まれていたと思います。
日本と東京を具現化するものだと思います。
2020年の東京パラリンピックではすばらしくセンセーショナルなパラリンピックになると思っています。
パラリンピック関係者の知人が言っていたんですが彼が言っていたのは北京オリンピックの4日前にはすばらしいパラリンピックになるだろうと言っていました。
ロンドンのときには1年前にいっていたんです。
しかし、東京パラリンピックでは4年前の今の時点からすばらしいパラリンピックになると言っています。
来月、東京を訪問します。
そして11月にも訪問しますので日本の友人の皆さんに会えるのを楽しみにしています。
パラリンピックが日本そして東京にどのような意味合いがあるかということですがここ、リオデジャネイロと同じ意味合いがあると思います。
ブラジルに対してと同じ意味合いがあると思います。
人々を活気付け人々の考えを変えます。
自分たち自身が自信を持つようになるでしょう。
そして社会のすべての人たちに対してそうしたメッセージが発信できると思います。
今回、リオのパラリンピックでは金メダルがとれませんでしたが銀や銅メダルが2020年には金メダルになると思います。
楽しみにしています。
ありがとうございました。
≫すばらしくセンセーショナルな大会になるだろうという期待の言葉も聞かれましたね。
視聴者の皆さんからもたくさんのメッセージをいただいています。
ご紹介します。
パラリンピックをオリンピック以上に多様なアスリートの戦いとしてより熱く応援できるよう日本人の意識のバリアフリー化を強く願っています。
さらに、おもてなしの精神で各国の選手や関係者だけでなく観客の皆様にも日本が最高だったといわれる大会にしてほしいです。
これは本当にそうですよね。
外国の選手、お客様がみんな楽しんでくれたらいいなと思います。
4年後、パラリンピックが東京であると思うとワクワクします。
絶対に見に行く。
こういう方が増えるとうれしいですね。
≫ぜひパラリンピック会場を満員にということをみんなで共有できたらいいですね。
≫本当にワクワクしてきましたが2020年の東京はどんなパラリンピックになるんでしょうか。
新たに見つかった貴重な1964年の大会の映像と2020年の新競技ひと足早くご紹介します。
≫1964年11月。
東京パラリンピックは現在の代々木公園内にある競技場で行われました。
こちらは、開会式。
カラー映像で色鮮やかに記録されていました。
21か国が参加。
スタンドには4000人の観客が集まったといいます。
競技の映像です。
現在とはずいぶん様子が違います。
車いすのリレーでは走者がラインに到着すると次の走者は逆方向に。
こちらは、車いすバスケット。
激しい接触プレーは見られません。
障害者スポーツがリハビリテーションとしてとらえられていた時代。
底から、およそ半世紀。
パラリンピックはアスリートたちの祭典として東京に帰ってきます。
2020年、新競技に加わるのがテコンドー。
そして、バドミントン。
車いすバドミントンで国内の第一線を走るのが長島理選手。
その強みは、正確なショット。
車いすを自在に操り狙ったところにシャトルを落とします。
日本選手権で優勝12回。
おととしのアジアパラ大会では銅メダル。
4年後のメダル獲得にも期待が集まっています。
≫長島さんには今日も日本代表のユニホームを着ていただいたんですけれども新たに競技に加わるバドミントン、そしてパラリンピックのスポーツの魅力どんなところだと思いますか?≫車いすのバドミントンでいうと前後の裏をかいて隅を狙うというのがポイントになってくるんですけどバドミントンは先ほどありましたように車いすだけじゃなくて義足の足の選手だったり腕の障害だったりあるいは低身長の方だったりとかそういう方々がそれぞれのクラスで試合をするわけです。
いろんな自分の障害をうまくマネージメントして試合に臨む。
見ているほうもその障害の違いによっていろんなプレーを楽しむことができる非常に見るほうもやるほうも楽しめるスポーツだと思います。
≫長島選手の場合はチェアワークの兼ね合いというのも。
≫車いすをいかに動かしてシャトルの下に入るかというのをポイントですのであまりきかない腹筋をうまくつけて速く動かす。
これが大事になってきますね。
≫注目していきたいですね。
そして、谷さんはトライアスロンでパラリンピックを目指すということですけれどもこれはどうしてなんでしょうか。
≫もともと走り幅跳びやってるときから長くやれるスポーツに転向したいなという気持ちがあったんですけど昨年、出産してこれを機に走り幅跳びは終わりにして、トライアスロンをゆっくり始めていこうと思ったんですけどゆっくり、ゆっくりと思って練習を始めたんですけどやはり2020年が気になってしまって絶対に後悔するなというふうに思ったので今はそこを目指してやってるところです。
≫昨日も自転車で60km走られたと。
≫東北でやる試合に出てきて。
≫選手として引っ張っていきたいというのもあるんですか。
≫アスリートとして大会を盛り上げに関わっていきたいと思っています。
≫お二人の活躍にも本当に期待なんですが東京大会に向けて若い選手の発掘も始まっています。
≫東京都が主催した障害者スポーツの体験会。
15の競技を体験することができおよそ200人が参加しました。
≫競技人口が少ない障害者スポーツ。
選考会ではなく気軽な体験会という形をとって楽しみながら競技に親しんでもらうことが狙いです。
≫会場に参加者を真剣に見つめる人たちに姿が。
競技団体の関係者です。
目的はいわば4年後に向けたスカウト。
≫今回の体験会でも4年後に向けて期待できる人材が見つかったといいます。
≫東京都ではこうした取り組みを通じてパラリンピックで活躍できる選手を充実させるとともに障害者スポーツの裾野を広げたいと考えています。
≫今回、残念ながら金メダルはなかったんですけどトップアスリートを育てること裾野を育てること何が大切でしょうか。
≫強化と普及の両立が大事だと思うんです。
やっぱり選手がいないとコースはとれないですしそういう意味ではこういうふうに発掘がやっと始まったというところですけどこれから、4年の中で発掘した選手を強化していくということが大事になってくるかなと思います。
オーストラリアなどの強い国は10年以上前からこういうことをやっていて実際にメダルにつなげているんですよね。
そういう意味では本当に急ピッチで進めていかないと2020年まずいなということを感じてはいます。
≫長島さんはいかがでしょうか?≫山を高くするには裾野を広げないと山は高くならないと思うので競技人口を増やして、両輪でレベルアップを図っていくことが大事なのかなと思いますね。
≫東京大会を盛り上げるためにもパラリンピックのような大きな大会だけではなくて身近にある大会に皆さんに足を運んでいただくことも大切ですよね。
≫実際に見て触れることによってイメージが変わるんですよね。
≫本当にラグビーの車いす同士のぶつかる音にビックリしたりこんなにスピードがあるんだという。
≫それを目の当たりにするとイメージも変わるしファンも増えると思います。
≫こちらは障がい者スポーツ協会のホームページのアドレスです。
国内で開かれる大きな大会の情報が載っていますしまたさらに各競技ごとに詳細な情報も掲載されているということなんですね。
ぜひ、参考にしていただきたいと思います。
これを見て始めるという方もいるかもしれませんね。
最後に時間も迫ってきましたが谷さん、4年後に向けていかがでしょう。
≫4年後パラリンピックの全部の会場を盛り上げてさすが日本、さすが東京という姿を世界に発信できればいいなと思います。
あとは自分自身も競技を通して出場して、メダル争いに絡めたらいいなというのを目指しています。
≫長島さんは?≫4年間いいことばかりじゃないと思うんですね。
いろいろもがきながら苦しみながら、最後には笑ってメダルがとれるようにそんなふうになれたらいいなと思っています。
≫お二人今日はありがとうございました。
≫ポジティブスイッチというメッセージ。
皆さんは、どのように受け取られたでしょうか。
2016/09/19(月) 08:15〜10:30
NHK総合1・神戸
リオデジャネイロ・パラリンピック閉会式(中継)[解][字]
4年に1度の夢と感動の祭典が閉幕へ。160の国と地域などが参加し「心に限界はない。すべての人に心がある。」を掲げたリオパラリンピックがフィナーレを迎える。
詳細情報
番組内容
南米大陸で初開催となったリオデジャネイロ・パラリンピック。選手も観客も一体となって熱狂した12日間が幕を下ろす。閉会式の舞台は聖地・マラカナンスタジアム。次回開催の東京へどんなバトンが受け継がれるのか。フィナーレの感動を余すところなく、生中継でお伝えする。出演は風間俊介さん(俳優)、鈴木大地さん(スポーツ庁長官)、河合純一さん(元パラアスリート)、山田賢治アナウンサー。
出演者
【ゲスト】俳優…風間俊介,スポーツ庁長官…鈴木大地,元パラリンピック・アスリート…河合純一,【実況】山田賢治
ジャンル :
スポーツ – オリンピック・国際大会
福祉 – 障害者
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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