5. 実践報告
5-1「脳科学の知見を活かしたささやかな試み」報告録
報告者:桑原清四郎
桑原と申します。よろしくお願いを致します。森先生が最先端の研究に基づいて講演をしていただきました。それを受けながら現場でどのようにやっているか、やろうとしているかということです。学校の場合には脳のことだけやっているわけではありません。そうではなくて全人的にどういうふうにしたら育つかということを、森先生の指導をいただきながらやっております。
皆さんの所には、多分、A4で10部ぐらい資料を渡してあると思うのです。こういうものは全部、森先生の関係、脳科学の関係の学者たちの、それを踏まえながらやっています。これはニューロンがどのようにして伸びてくるかということの研究書のデータから採り上げたものであります。脳の関係ではこういうもの。一応は最小限でこれを持ってきて配っておきました。
それでは、時間が4時までということになっております。本当にさっささっさと進まないと時間がありませんので、そのように進めて参りたいと思います。皆さんの所に「合い言葉」があるかと思うのです。それから始めようと思ったのだけど、時間がありませんのでやりません。
初めに、私が教員になって三十数年になりますけれども、本当に馬鹿のように子供の幸せ、そのことだけで歩んで参りました。ですので、桑原と言う男は何なのかなといったら、「我は赤子、真理を求めて泣く赤子、あんあんあんあん・・・」。本当の暗闇の中で赤ちゃんが母親を求めてあんあんと泣き叫び、泣き求めるように、私は人間の幸せとはいったい何なのか、どうしたら本当にその筋道が明確にできるかということを考えて参りました。
それで、求めあぐね、疲れてしまうような思いで5回入院しましたし、2回は死にっぱぐれになりました。倒れたらまた立ち上がり、また探し求めて、ある時にこんな写真を撮った人がぱっと僕の所へ来た。地域の人が撮ったのです。この写真を僕の家内はものすごく嫌がって、「こんな写真、絶対に見せるな」と言ったのですけれども、これが瞬時に僕が子供の不幸にいたたまれなくて、泣きながら生きている姿なのだなと思ったその写真ですから、僕にとっては大事な一つの僕の瞬時の気持ちが表れているわけです。
そして、そういう本当につらいことだらけなのですが、世の中がくるくるくるくる変わって、教育の世界が本当に変わるのです。文科省の担当者が代わるたびにキャッチフレーズが変わって、そのたびに現場を振り回されて苦しむ、苦しむ。それで、ある論説が出される。しかし、それも実験をしてない、実際に経験をしていない、やっていないようなことを分かったようなふりをして言う。その中で子供たちは現場は振り回されてしまう。あっちの勢力もこっちの勢力もありません。そういう中でくるくる変わってしまう教育の世界。そして、混乱する世界の中で子供たちは不幸にうめいてしまいます。
私はそんな中でどうしてもと、本当にいたたまれなくなりながらDNAを探る以外はないかなと。脳の38億の歴史を探るしかない。歴史も1千年、2千年ではなくて、3千年、4千年前の痕跡文字、そこから探る以外ないと本当にそう思いました。
今朝も3,500年ぐらい前の所で、そういうところの原書講読をずっと1,800ページ、今、挑戦をしています。原書講読でやるのですが、そうしながら本当にごまかしのない本物の人間の姿をえぐり出してみたい。更に140年間、日本の公教育の歴史がありますから、その歴史の中で本物がいっぱいあるのです。この国ほど優れた教師の例はないのですから。
ですから、それを掘り起こすことを、更に自分の三十数年間の経験則をオーバーラップ、層のようにして重ね合わせて、それでOKというものだけで私はやろうと決心をした。数年前からです。そこで出会ったのが森先生との出会いです。本当に苦しんでいた時に、僕は森先生の講演を聞きました。
その前日に、校内研修で40ページの講演資料をうちの職員に配りました。配って脳科学の問題からずっと説き起こしてやったのです。次の日に森先生がやったら、ものすごくびっくりした。「校長先生の話を聞いても分からなかった。だけど森先生の話を聞いたら、本当のことを言っているのだ。同じことを言うのだね」と言う。「それはそうだよ。学問だもの。学問だもの、だれが言ったって同じことしか言わないんだよ」と僕は言ったことでした。
そして、森先生の所を訪問致しました。それがその時の写真です。「どうしても子供たちを救っていただきたい。学者が研究室に閉じこもっていないで助けていただきたいんだ。日本じゅうに子供たちはうめいているのだから、助けていただきたい。どうにかしていただきたい」と森先生に懇願を致しました。森先生はその願いを受け入れて、「よし、行こう」ということで、うちの学校に入ってきてくれました。そして脳の検査をすることから、子供たちに1年生から6年生まで全員に向かって、今の資料、そういう資料をきちんと持ちながら講義をして、子供たちには本当に説き明かしていただきました。
更に今年の1月28日には、「脳科学の知見に基づいた心の教育」ということで自主研究発表会を致しました。市教委もだれも後援なしに自分たちはやりました。何と470名も集まったのです。本当に僕は驚きました。世の中がそういう学問の世界に飢えているということが分かりました。本物を探っているのだということがよく分かりました。
そして、指導者の先生も委員会の指導主事の先生はもちろんですけれども、高校の校長先生から始まって、みんなそうそうたるメンバーが桑原を助けるということでもって来ていただきました。更に理化学研究所の岡本先生、理化学研究所のほうもお助けをいただきました。脳のニューロンの発達のところ、最先端の学問のところもよくやっていただきました。ヘンシュ貴雄先生の所もよく話を聞きながら、臨界期の問題、その他についてよく教えていただきました。
子供たちにはどういうふうにやるか。「脳というのはこういうものだよ」と、朝礼でいよいよ話をしました。「さあ、こういうふうに見たら分かるかもしれない」ということで、木の根っこです。木の根っこを逆にして、「ここは脳幹と言うんだ。この下に行くと、背骨になるんだよ」と。そして、「ここからうじゃうじゃと毛のようにして生えて、君たちの脳が伸びていくんだよ」と。その伸び方は前にも話ししたように、うじゃうじゃとなって伸びていくのだということですね。時間がありません。
そして、あとは高橋史朗先生と、またこれが不思議なことで出会いがありまして、高橋先生もわれわれの研究会に来ました。どうして来たのかと思うほど不思議なことでしたが、来まして、森先生と本当に懇意になりました。そして感性の脳科学の研究会を、7月2日に埼玉におけるその会の発会をやりました。そういうことが今までのいきさつであります。
そして、私は子供たちとやるときにささやかな実践なのですけれども、これは事実によってのみ語る。事実によってしか私は語らないということであります。事実によってしか語らないということで、われわれの学校のキャッチフレーズはこうであります。「早寝・早起き・朝ご飯」。これがものすごく大事だ。これは脳幹を育てます。それからもう一つ、これは「テレビ・ゲームは時間を決めてほどほどに」です。これをやります。
そして、早寝・早起き、これがどんなに大事かということは1年間もずっとやってみると、すぐ分かることですけれども、子供たちと共に早寝・早起きをお母さん方やまたは職員全部に・・・。
(B面終了)
桑原 ・・・朝、子供たちがぐーっと登校すると、僕は校門に立ち続けています。担任がはずれた時から、教務主任の時からもう十何年間になる。どんなに雨が降ろうが嵐が動こうが、校門に立ち続けて、子供に向かって「さあ、いらっしゃい」と。さあ、いらっしゃい。そして、一人一人、「おはよう、おはよう」と握って、握り返しによって子供の状況が分かります。今日は気合いが入っていない。今日は面白くない?お母さんに怒られた?いろいろなことがありながら、握り返しでもってきちっと分かりますから、306名の子供たちの状況を把握致します。
私のほうはそういう意味では脳幹を育てるために、まず「遊ぶ・鍛える・仕事する」です。遊ばなくては駄目だって。学校に来たら、まず遊びなさい。学校に来たら外遊び。20分休みになったら外遊び。昼飯食べたら外遊びと。「校長先生、いつ勉強するのですか」。(笑い)「心配するな。チャイムが鳴ったら勉強に専念をしろ」。そういうふうに言っていますから、子供たちは安心をして勉強に入ります。遊びます。
本当に木登りをすることを駄目と言わないでやらせます。鉄棒で逆さになる。木のつるにぶら下がってブランコをして遊ぶ。遊具でぶらぶらぶらぶらしながらやる。更にはタイヤにぶら下がって逆さになったりして遊びます。じゃんけんをしたりします。
そして、悪い子がいた。あの子は非常に何か問題を起こすというような子がいますね。「説教しても何もならないぞ」と僕は言っています。説教すると、聞いている間、言い訳を考えている。それで言い訳を考えると、それこそそれからどうにかして通り過ぎることを考えたりします。そんなことは意味がない。うちの学校の生徒指導は子供と相撲することです。子供と一緒に校庭を走ることです。子供と腕相撲をすることです。子供と「イヨオーッ・・・ヨイッショ」とやることです。脳の回路をすーっと正常のほうに戻すことがわれわれの生徒指導です。こういうふうにしてやるわけです。
あとは鍛えるというのでマラソン。これは走ることを。体育の時間は必ず走る、遊具を使う、こういうことをやります。体が案外弱いヒラツカくんが本当にひやひやです。その子は校長室に来ると、一生懸命これをやっている。これ。こうやって、こういうふうにやります。
こうやって仕事を一緒にすることです。「遊ぶ・鍛える・仕事をする」。これをやらないと、子供たちは社会性も何も育たないのです。だから、仕事をする。これがPTAと一緒にやる。全校清掃をする。今日も全校の清掃をやっているはずです。全校清掃は全部ばらして、いわゆる異年齢集団でもってやって、そしてここの所は5人でもって、あそことあそことあそこをやる。6年から1年まで合わせて、異年齢の全校清掃をやっているはずです。そういうふうにやります。
あとは、こういうふうに手を使いながら、そばをこねたりしています。ぴんぴん、ぽんぽんぽんぽんとやっていたら、全然。1ポイントなのです。しかし、これで、びゅっと握って、ぎゅぎゅっーとやるとこれが10本の指がねじりますから、10ポイントなのです。2回やると、ぎゅっとやるごとに20ポイント。3回やってぎゅーっとやると30ポイント。40ポイント、50ポイント、60ポイント、70ポイントなり、そのポイントが行くたびに脳のほうに、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴっとニューロンのほうに刺激が行きます。刺激が行って、これがニューロンをぴ、ぴ、ぴ、ぴっとナノの単位でもって働かせてくれます。ですから、これだけではあまりにももったいないです。こういうふうにぎゅっというふうにやるのです。
学校モードにしなければいけないと書いておきました。全校、学校に、子供たちはつまらないこと、いろいろお母さんに怒られたりなんかをして来ます。それがうちの学校は8時25分から始まりますけれども、先生方がばっと教室に配置に付きますから、配置を付いてみんな本を読み始めます。3分間たつと水を打ったように全校が静かにします。これはうそのようです。うそのように本当にそうなるのです。
仙台から東北福祉大の助教授と講師が先日来ました。その時もびっくりして「こんな学校、本当にあるのか」と言っていました。「文科省の統計によると、20人ぐらいは落ち着きのない子がいるはずだ。席を離れている子がいるはずだ。だけど、1人もいなかった。こんなことがあるのか」と。これは私は分かりません。私は学者ではないから。「分からないけれども、事実はこうですから、見に来てください」。こうして見に来ていただく。
そういうふうにして、これが読書の指導です。読書を指導しているところの姿です。これは先生が本読みをしてくれています。それから、次は、先生がちゃんと輪になって「みんなこちらにおいで」と言って、本読みの読み聞かせをしているのです。これはホップ・ステップ・ジャンプの本があります。
玄関のその入り口の所に書いてありますけれども、本校の読書活動の写真が全部あります。あそこにざーっと張っておきましたので、参考にしてください。実際には、現実にはどういうふうにして読書活動をしているかということが分かります。
そして、これがこういうことによって脳幹がかなり整えられ、学校生活が始まって参ります。大脳辺縁系を育てなければいけない。まず脳幹については、生体リズム、バランス、自律神経と、要するに生きているということについて原初感覚を育てなければいけませんから、そのことをやります。大脳辺縁系はそういうことになります。
しかし、このときに、原初感覚、原始の情動ですけれども、子供たちは動物としての命をどこで目覚めさせるか。大雨が降りました。校庭が水たまりになりました。そのときに「入るな、入るな」と言うのではなくて、「よし、入る子供たち」。無理強いをして入れるのではありません。その中に飛び出した子供たちに、その水の中で遊ばせたら、そうしたら泳ぎ出す子もいました。
しかし、これはこの顔がどんなに喜びに満ちているか。男の子はこういうふうにして育つのです。それを全部、駄目、駄目、駄目とやったために、意気地のない男がいっぱい生まれました。小学校でも中学でも本当に意気地のない男が生まれました。本当にほれぼれするような男が生まれなくなってしまった。
ほれぼれするような男が生まれなくなりました。これは女性の不幸ですね。本当に。ほれぼれするような男。僕は女の人に何人か聞いてみるのです。「ほれぼれするような男がいたら、仕事を辞めてもその人と一緒に生きたい?」と。「お助けしたい?」と。
女の人の、心ある人のかなりの部分は思っているのです。ところが、自分が懸けるにふさわしい男がいない。ほれぼれするような男がいないということですよね。これは本当に不幸なことだったです。そういうことをなくす。そういうことは今のうちからこういうこと。
運動会です。ばらばらばらばら雨が降ってきた。しかし、僕はじーっと見て、子供たちの脳がばらけるかばらけないか、どうかということをじーっと見ながら、「よし、これなら大丈夫」。子供の体は鉄板焼きの焼き鉄板のように燃えているのです。だから、これはみんな雨をはじき飛ばしていくということが分かりました。「よし、いくぞ」。
これはもう昼ごろでした。しかし、この子供たちは、わっしょい、わっしょいと、「やるぞ、やるぞ、やるぞ」と言っているのです。それを反対する人もいるけれども、校長はゴーのサインを出して、「よし、いい」と言ってやった。親はみんなここは傘を差していますけれども、子供たちは火のようになって燃えてこの作品をやりました。すごい感動でした。
朝も雨が降っているときがあります。しかし、雨が降っていても野球をやらせる。やることを認めるということです。昨日も雨が降っている時に四十何人か出ましたけれども、全部男でした。女の子は防衛本能があるのです。だから、出ません。出ないから悪いということを一切言いません。そして、男の子で元気がいい子は、出たら、それをやめさせる必要はない。
農園に蛇が出ました。農園に蛇が出る。そうしたら、「さわらせるな」と言うのです。「校長先生、蛇が出た」「よし、来い」。(笑い)「これはマムシではないから大丈夫だ」と。そうしたら、子供たちはスケッチをすることから始まって、餌をどうしようかと、みんな本を調べたりスケッチをしたり、そして、そのうちに「蛇がかわいそうだ。お母さんを求めているんだ」と日記に絵を描いた子がいるのです。「それはかわいそうだよ。蛇だってお母さんを求めているよ」と言って、1週間たってさようなら会をしたのです。
あとは、こういうことはあります。これはうちの学校がどういうことを、この国として何をするのかということで僕はずっと尋ねて、この国の不幸をどうにかしなくてはならないということでもって、ハンセン病の方と話をしながら1日やったということであります。
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