「真顔日記見たよ」
三十六歳女性に言われた。三十六歳が私のブログを話題にするのは珍しい。ネコの話を書くと「よくやった」と言われるが、それ以外で言及されることは少ないからだ。
聞くと、記事の反響が大きかったことにウケたらしい。先日の「セブンイレブンを想いながらファミリーマートに抱かれる」である。あの記事が大勢の人に読まれた。アクセス解析によると20万人くらい。ドカンと人が来た。その反響が面白かったという。要するに、あの記事で上田の知名度が上がったという事実に三十六歳はウケているのである。
「よかったねえ、コンビニに抱かれて」
ニヤニヤしながら言われた。
「抱かれてみるもんだねえ、ファミリーマートに」
ほとんど枕営業したアイドルを見る目であった。
ということで現在、私はこの家で「コンビニに股をひらいて名前を売った男」みたいな扱いを受けている。有名になりたくてコンビニに股をひらく。そう表現してみると最低である。せめてプロデューサーに抱かれろ。コンビニに抱かれてどうする。
三十六歳女性は「抱かれる」という言い回しが気に入ったようで、夜中、私がファミリーマートに行こうとしただけで、「抱かれてくるんだ?」と言ってくる。ひざのネコを撫でながら言ってくる。行きづらくて仕方ない。
しかし私の中にも「抱かれる」という表現は根付きつつある。今日なんか、スタバで文章を書いたあと、セブンイレブンに寄って帰った。スタバに抱かれたあとでセブンイレブンにも抱かれたということだ。本当に頭カラッポ感があって嫌である。とにかく勝ってる奴に抱かれたがる。序列しか見ていない。
三十六歳女性はシンプルに「尻軽だね」と言った。
どこかに行くことを「抱かれる」と表現するだけで、日常はものすごく淫らになる。もしも私がサラリーマンだったなら、ファミリーマートに抱かれて朝食を手に入れ、電車に抱かれて会社に移動し、勤め先に抱かれて給料をもらうことになるわけだ。
仕事が終われば退社する。しかし駅までの道のりで和民に押し倒される。飲まずに帰ろうとしたのに、肝臓を休めようとしたのに、和民に押し倒されてしまうのだ。こうなると、和民というのはたくましい肉体を持った野蛮な原住民である。和民に押し倒された私はその毛深く太い腕に抱かれながらも、潮のかおりのする魚民の日焼けした肌を思い出すのだ――
もうだめ。
自分を安売りしたくない。魚民を想いながら和民に抱かれたくない。というか私は三十二の男だ。三十二の男が頭の中で女になって、毎日色んな企業に抱かれてるって気持ち悪すぎませんか。性のねじれがひどい。ファミマに抱かれるからこんなことになる。あの記事を書いた後もすでに三回ファミマに股をひらいた。もうだめだ。
たぶん、私が股をひらくとファミマの入店音がする。