彼が、ジャーナリストとして何らかの記事を発表する際も、それが事実であろうと誤報であろうと、ジャーナリズムや、何らかの社会的な正義感や、記者としての本質的な情報との関係性ではなく、彼は、自分の名誉欲や私欲のためだけに発信してる、そう考えざるを得ない。
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だから、ジャーナリストを名乗りながら「不正確な情報」(それは、人によって「捏造」「虚言」「いい加減な情報」と言われる)を垂れ流し続けてもまったく平気で、なんら反省やその後の言動を修正しないでいられるのも、結局は、そういう事なんだと思う。
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その矛先が、ある時は政治家であり、権力であり、大手メディアであり、東電のように問題のある大企業・業界であるならまだしも、それが社会事件や事故・災害の当事者たち個人だったり、あるいは上杉隆に直接関わった個人だったりする時も、上杉隆の中では、まったく変わりがない。
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なぜなら、彼にとって自分に都合の悪い相手・利用価値のなくなった相手は、等しく平等だから。ある時はスクープ記事として、ある時は自分の言い訳として、ある時はスピーチのネタとして、「これ、言っちゃうとまた怒られるんだけど……」と軽口のように情報発信する。
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かつて、「息を吐くように嘘をつく」と言った人がいるけど、彼にとって、自分に都合の悪い情報や事柄や人物の存在は、本当に死活問題だと思い込んでるのかもしれない。であるなら、自分の都合に合わせた情報のみを発信し続けるのは、まさに呼吸活動とも言える。
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と、僕は上杉隆について考えてます。まぁ、いまも上杉さんに関わってる人の中には、僕が今後も関わるであろう人たちも少なからずいるけど、もう面倒臭いんでイチイチ止めませんが、一応、「それでも付き合うなんざ、ずいぶん物好きですね」って言っておきますよ。
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