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文芸メイン、その他もろもろ

コトノハの神は、なかなか降りない

短歌の目

めったにない事だけれど、子供時代から今までに何回か書いたものを褒められ

「どうしたらこんなふうに文章が書けるの?」

と聞かれる事がある。

その答えは、いつも決まっていた。

 

「文章の神様が、降りて来るんだよ。」

 

これは嘘や出まかせではなくて、本当にそう感じていた。

書きたい衝動に駆られると、ペンが勝手に動いていく。

頭で考えて書くのではなくて、不思議な何かの力に書かされているような。

時間もかけずにそうやって書きあげたものは、作文でも、詩でも、短歌でも、人に認めて貰えると確信していた。

でも、何とか形にまとめようとして、うんうんと絞り出したものは、自分で納得がいくものはひとつもなく、誰からも認めて貰えなかった。

 

今年に入ってからは、書けなくなった。

飼い犬のLが死んで、Lの歌はたくさん詠んだ。けれども悲しくて推敲が出来ない。

いつかはきっと、推敲してLの供養にしたいと思っている。

新聞、雑誌への短歌投稿、詩の投稿と、毎月のノルマを課していたけれど、不採用ばかりが続けば誰だってへこむ。

そして、このノルマもさぼり気味である。

書けないものは、書けない。

文章の神様は、もう降りてこなくなったのだから。

今は唯一、うささん(id:usaurara)の #短歌ハッシュで短歌を詠んでいるだけで、いっぱいいっぱいだった。

 

去年は、はてな題詠「短歌の目」に参加した。

あの時は、毎月10首も我ながらよくやれたものだと思う。

馬鹿じゃないかと思われるだろうが、朝まで眠らずに歌を考える事もあった。

今じゃとっても無理…

他の方々は皆、いろんな場を持って活動されているというのに。

 

と、ぼんやり考えていたら、流れてきたツイート。

 

 

ただ、動揺するばかりの私。 

 

 

ある新聞社から、私の文章を掲載すると連絡があった。

このブログで多くの方から誉めて頂いた2100字の記事を、600字に書き直して出したものだった。

コトノハの神様は、まだ近くにきっといるはず。

それは、書くことをやめてしまわない限り、目には見えないけれど、側にいるのだ。

 

短歌も頑張ろう。ヘタクソでもいいからまた詠もう。

 

短歌の目、参加します。