親学講座(高橋史朗氏講演)
[2008年08月01日(Fri)]
親学講座 「和文化と子どもの感性」(7月20日)
講師:高橋史朗 先生(埼玉県教育委員長、親学会副理事長)

和文化が子供達の感性を育てる
ある不登校の女子高生が、偶然にも触れた茶道によって、
段々と心が落ち着いてくると、
人との関わりもスムーズになったという例があります。
脳科学から見た子供の発達では、様々な場面で、子供の脳を測定し、
その活性度を見るのですが、茶道を幼稚園児に学ばせると、
脳の前頭前野に、良い影響を及ぼすことが証明されています。
また小学生の子供の和太鼓練習の中で、特徴的なことは、
最初に太鼓を叩く子供に続いて、次の子がその音に合わせて太鼓を叩く、
つまり共鳴して「共感性」が育つということです。
最近では、重度の障害児に対して和太鼓の指導を施し、
太鼓の音に手が動き出し、段々と脳が活性化していったという例があります。
子どもたちの「感性」を育てる時、心に落ち着きを持たせ、人間性知性の育成や、共感性を育むという面で、日本の伝統文化は、大変に役立つのです。
「三つ子の魂 百までも」
「しっかり抱いて 下に降ろして 歩かせる」
岡潔(おか きよし)が「日本人は心の民族」と言ったように
この国の人々は、心や情緒といったものを大切にしてきたのに、
それがどんどん崩壊している事が、近年相次いで起きています。
その意味で教育基盤そのものを、どうやって変えていくのかという事を今、
考えていく必要があるのではないでしょうか。
親が親らしくなくなってしまえば、
子供は「優しさ」を学ぶチャンスを失う事になります。
「育む」という字は「羽で含む」というのが語源で、
親鳥が子供を抱きしめる愛着によって、心が育つという事なのです。
当日のご講義を編集しました。
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親学」を学びたい方にお知らせ♪ ★「親学教室」全5講座がスタート!(9月28日より)
詳しくはこちら http://www.shihanjuku.com/announcement.html
主催:NPO法人師範塾 福岡市博多区博多駅中央街8-36 博多ビル2F
問合せ:TEL 092-413-0515

講師のプロフィール/高橋史朗(たかはし しろう)
昭和25年兵庫県生まれ。
早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、
臨時教育審議会(政府委嘱)専門委員、国際学校研究委員会(文部省委嘱)委員、
神奈川県学校不適応(登校拒否)対策研究協議会専門部会長、
青少年健全育成調査研究委員会(自治省委嘱)座長など歴任。
現在、埼玉県教育委員会委員長、親学会副会長、玉川大学大学院講師、NPO法人師範塾理事長ほか教育関連の役職を兼任している。
主な著書:
『これで子供は本当に育つのか』 (MOKU出版)
『続・親学のすすめ』 (モラロジー研究所)
『日本文化と感性教育』 (モラロジー研究所)
『親と教師が日本を変える』 (PHP研究所) 他多数
講演録の続き)
まず親に対する一番目のメッセージは、
「しっかり抱いて下に降ろして歩かせる」が子供への関わり方の基礎基本だという事です。
二番目は「脳には臨界期がある」ということ。
三番目、は千利休の残した「守破離(しゅはり)」という言葉です。
子供は一番信頼出来る大人に甘え、依存して、やがては反抗しながら自立していきます。
この甘えて依存するという段階が愛着で、「三つ子の魂、百までも」と言ってきたのです。
また「しっかり抱いて下に降ろして歩かせる」という意味は、
「しっかり抱く」という段階は「愛着」で、「下に降ろす」は「分離」、そして「歩かせる」は「自立」でこれが子供の発達過程なのです。
しかし家庭で抱きしめられる事がないのに、学校で思いやりを持ちましょう、
人権を尊重しましょうと言われても、右の耳から左の耳へと抜けるだけなのです。
今、日本の子供達は、十分に親に甘える事が出来ないし依存出来ない、それから反抗出来なくなっている子供が増えています。
それは昔から比べると、母性的な関わり、父性的な関わりを持つ事の出来るお父さんやお母さんが少なくなってきていることが影響しています。
また脳の臨界期とは、三歳までに脳細胞は六割程度が完成してしまうということで、
「三つ子の魂、百までも」という諺が、最先端の科学によって再発見されたのです。
日本人が古くから言ってきた知恵というのは、実は脳科学の問題提起と繋がっているのです。その意味で日本の伝統、子育ての知恵というものを、創造的に再発見する事も課題なのではないかと思います。
千利休の残した「守破離(しゅはり)」についてですが、形から入って躾をするという事が、教育界では、押し付けだとか、強制になるという方もいますが、
歴史文化の中で受け継がれてきたもの、形の奥にある心に気付かせる事が大切なポイントなのではないでしょうか。
「規矩作法、守り尽くして破るとも、離るるとても本を忘るな」、
「離れる」という段階が自分らしさや個性、創造性の段階なのです。
戦後は個性尊重と言ってきましたが、そのベースとなるものは「守」なのです。
日本の伝統文化には、「形」というものが貫いています。
茶道、華道、剣道、柔道と「道」の付くものは、最初に形の継承から始めますが、それは子供の興味関心で選択する事は出来ないのです。
「俺流で受身は嫌だ」と思っても、それは無理な話で、必ず基本の型というものを継承しなければならない、これが教育の出発点なのです。
家庭においても、形の継承である「躾」というものを、親がしっかりと教えなくてはならない。「身を美しくする」というのは形から入る訳ですが、その形を守り、破り、そして形から離れる・・・というのが本当の個性や創造性なのです。
父の役割、母の役割
父親は、子供を産む事も授乳する事も出来ません。胎児期と乳幼児期は、特に母親によって子供の心が安定し、その子の大きな基盤となります。
一般に子供は母親から心の安定を、父親には外部世界の知的好奇心と刺激を期待しています。数々の科学的実験によっても、父親と母親に対する子供の反応は、初めから異なっている事が明らかにされています。
例えば母親が相手をしている時、子供は穏やかな反応をするのに対し、父親が相手をしている時、子供は強い好奇心を発揮して激しい反応を示します。
父親には子供の心を活性化し、自立を促し、社会のルールなどを教えるという独自の役割があります。基本的には、母性的な役割を母親が担い、父性的な関わりを父親が担うという事が人の進化の歴史から見ても自然であると言えます。
もちろん父子家庭、母子家庭において、一方の親が、母性及び父性的関わりの両方の役割
を果たす必要もありますし、一般家庭でも、時には父親が母性的関わりを、母親が父性的関わりをする事も求められますが、やはり子供にとって、父親と母親の役割を認識する必要があります。
この点を踏まえた上で、何が子供のアイデンティティを育むのか?
男らしさ女らしさというものを、形から入って教える事はアイデンティティを育むためには必要不可欠なのです。それを差別だと言ってしまってはアイデンティティを育む事が出来ない。
日本文化と「男らしさ・女らしさ」
私は学生達に、尾形光琳の『紅白梅図』を見せるのですが、紅梅と白梅の間に広い川が流れている・・・これが日本人の感性、バランス感覚なのです。
一見対立する男と女、お父さんとお母さん、教えると育てる、叱ると褒めるなど様々なものがあります。
男と女の関係は陰陽の相補う関係、補完関係と言います。
教育者の神様と言われる森信三先生は、男らしさ・女らしさの否定に関して
「大宇宙の神秘に対する重大な冒涜だ」とおっしゃっています。
保田与重郎という人は、「女性の気品というものはかつて日本歴史の華だった」と言っていました。しかし今はこの国から失われた「品格」が、親にも教師にもそして子供も含めた日本人の中に失われているのです。
日本文化は、男女の間に和の文化が成り立っていました。
夫婦雛、夫婦松、夫婦箸、夫婦杉、夫婦茶碗、夫婦岩、相生の松、おしどり夫婦、お袋の味、お上さん・・・、夫婦は「夫」が上ですが決して男性上位という事ではないのです。
イギリスのジョージ・サンソム外交官の夫人は、
「日本の男女の間には、不思議な調和が見られます。妻であり母である女性が、その家族の代弁者。陽気な女性にとって主人や家族を管理する事は何でもありません。女性が、母のように優しく献身的である事は、日本の社会にとって計り知れない貴重な財産です」と言っています。
今、日本で起きていること・・・「子育ては損」?
一つは若い女性の意識が変わった、例えば「子育てはイライラする」と答えた若いお母さんは四分の三を超えています。その中で「自分の自由な時間がなくなるから」と答えたのは二十代に圧倒的に多くいました。
つまり「子供を育てる事は、自分の自由時間が奪われてイライラする」と考えていて、
その背景には「子供を育てる事はタダ働き」という意識が出てきたのではないでしょうか。
子育ての時間によって失う所得や機会、楽しみを意識するようになったのです。
つまり保育所に預けて働いた方が得という損得勘定が出てきたのではないでしょうか。
TBSテレビが保育所に子供を預けているお母さんに「何故、生まれてすぐに子供を預けたのですか」とインタビューをしていました。
あるお母さんは「愛着心が起きないうちに預けた方がいいと思ったから」と答えていましたが、正に愛着というものが、この国の教育基盤であるというのに、それが自覚されていない、そして働いた方が得という意識でいるのです。
それは幸福論ではなくて、経済論で行なわれている子育て支援、経済政策や労働政策にも共通する教育です。税金を納めている労働者のみの子育て支援、働いている親を支援するという政策なのです。
リッツアという人が『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)という本を出しましたが、世の中がどんどん効率化している。その意味は一言で言えば「合理化、効率化」です。
しかし子供の心は、先程から申し上げているように
手間暇かけて、心を込めて、心を尽くして心を伝える、これを「心施」と言いますが
そのプロセスを経ないと、育たないものなのです。
東京辺りではカラオケボックスに、託児施設が出来ていて、親が楽しむ一方で子供が犠牲になっているという事が起こっているのです。
あるいは子供の眠りが危ないとも言われていますが、夜十二時以降に寝る乳幼児の数が
日本は異常に多いのです。
生態リズムが乱れて、子供達の内なる自然がどんどん破壊されている、環境破壊よりもっと深刻な形で進んでいるという実態を私ども大人は知る必要があります。
早急に対応しないと、手遅れになってしまうのです。
本当の少子化対策・子育て支援・・・親の責任とは何なのか?
この国で非常に問題になっている少子化対策と子育て支援ですが、その支援について議論をすると、必ずこういう主張にぶつかる事に気付きました。「親の責任をあまり言ってはいけない」という意見です。
子育ては社会が担うのだ、親の責任だと言うからストレスが溜まって虐待などが起きているのだという主張もありますが、そんな時、私はいつも
「教育で一番大事なのは、一人からの教育再興で、自分が変わる事なのだ。親が「誰かが悪い」と言っている限り子供は変わらない、だから親が変わる事は、子供が変わる近道なのだ。親の責任という事をちゃんと伝えないといけない」と申し上げます。
親の責任とは何なのか、明確なメッセージを伝えないといけないのではないでしょうか。
ところで、外国の子育て支援策は「親には子供を育てる権利がある」という教えに基づいて書いています。
北欧では「在宅育児手当」を与えている国があります。
「労働者としての親」の支援ではなくて「教育者としての親」の支援をしている、それが『親学』であり「親が親として育っていく事」を支える「親育ち」支援なのです。
親教育は世界のたくさんの国が、国策として取り組んでいるところです。
少子化対策としては、経済政策のみで「幸せになれるのか」という事です。
少子化しない社会の共通点は、地域への愛着心、家の祖先に強い繋がりを感じるといった「命の繋がり」を大事にしているところだという様々なデータもあります。
熊本のある地方では、五十歳になると、母校の小学校の運動会に全員が全国から戻って来て参加するそうです。
そう考えると「子はかすがい」と言いますが、繋ぐ存在としての子供の価値を再発見する必要があるのではないでしょうか。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の中で、主人公モモが、時間貯蓄銀行の灰色の紳士から街に時間を取り戻したように、人と人との繋がりから幸せを取り戻す鍵を握っているのは子供ではないでしょうか。
人の世話をすることが人間性を高める
若いお母さんは、「自分の自由時間が奪われるからイライラする」と答えましたが
メイヤロフは著書の中で、「他から必要とされていないと感じているために自由だと感じるのではなく、むしろ他から必要とされたり、他に身を委ねる何かがある時にこそ自由だと感じる」と記しています。
タリウムでお母さんを毒殺しようとしていた高校一年生が、日記を残しています。
私は全部読みましたが、たった一日だけ人間的な記述がありました。
それは幼稚園児と関わった時のもので、幼稚園児が自分を必要としていた事で存在価値を感じた、そして自分の悩みというものが癒されていったという内容でした。
人の世話をする事が、一番大切な人間力を高める事に繋がってく、HQ(人間性知性)を高めるには乳幼児の世話が必要だと言った科学者もいます。
ある中学生が幼稚園に行って、どう子供と関わってよいか迷っていたら向こうから園児が駆け寄ってきて「遊ぶか」と言ったという有名な話があります。
また、幼児の単刀直入な言葉や、シャボン玉を飛ばしながら無邪気に遊んでいる子供の姿を見て幸せを感じたそうです。
子供と子供らしい遊びをしながら、その中に幸せを感じる事・・・、
私達は合理化や効率化の中で、幸福という事の原点を見失っているのではないでしょうか。
私は日本青年会議所で、「日本人の誇りを持った子供をどうやって育てるか」という内容の講演をさせて頂いているのですが、開口一番、「皆さん、子供におはようといっていますか?」と尋ねるとほとんど手が上がらない。
「おはよう」と言わないで日本人の誇りは子供達に育ちようがありません。
まず家庭生活から変えないと、この国の教育は再生出来ないのです。
講師:高橋史朗 先生(埼玉県教育委員長、親学会副理事長)
和文化が子供達の感性を育てる
ある不登校の女子高生が、偶然にも触れた茶道によって、
段々と心が落ち着いてくると、
人との関わりもスムーズになったという例があります。
脳科学から見た子供の発達では、様々な場面で、子供の脳を測定し、
その活性度を見るのですが、茶道を幼稚園児に学ばせると、
脳の前頭前野に、良い影響を及ぼすことが証明されています。
また小学生の子供の和太鼓練習の中で、特徴的なことは、
最初に太鼓を叩く子供に続いて、次の子がその音に合わせて太鼓を叩く、
つまり共鳴して「共感性」が育つということです。
最近では、重度の障害児に対して和太鼓の指導を施し、
太鼓の音に手が動き出し、段々と脳が活性化していったという例があります。
子どもたちの「感性」を育てる時、心に落ち着きを持たせ、人間性知性の育成や、共感性を育むという面で、日本の伝統文化は、大変に役立つのです。
「三つ子の魂 百までも」
「しっかり抱いて 下に降ろして 歩かせる」
岡潔(おか きよし)が「日本人は心の民族」と言ったように
この国の人々は、心や情緒といったものを大切にしてきたのに、
それがどんどん崩壊している事が、近年相次いで起きています。
その意味で教育基盤そのものを、どうやって変えていくのかという事を今、
考えていく必要があるのではないでしょうか。
親が親らしくなくなってしまえば、
子供は「優しさ」を学ぶチャンスを失う事になります。
「育む」という字は「羽で含む」というのが語源で、
親鳥が子供を抱きしめる愛着によって、心が育つという事なのです。
当日のご講義を編集しました。
続きを読みたい方は(続きを読む)へクリックしてください
親学」を学びたい方にお知らせ♪ ★「親学教室」全5講座がスタート!(9月28日より)
詳しくはこちら http://www.shihanjuku.com/announcement.html
主催:NPO法人師範塾 福岡市博多区博多駅中央街8-36 博多ビル2F
問合せ:TEL 092-413-0515
講師のプロフィール/高橋史朗(たかはし しろう)
昭和25年兵庫県生まれ。
早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、
臨時教育審議会(政府委嘱)専門委員、国際学校研究委員会(文部省委嘱)委員、
神奈川県学校不適応(登校拒否)対策研究協議会専門部会長、
青少年健全育成調査研究委員会(自治省委嘱)座長など歴任。
現在、埼玉県教育委員会委員長、親学会副会長、玉川大学大学院講師、NPO法人師範塾理事長ほか教育関連の役職を兼任している。
主な著書:
『これで子供は本当に育つのか』 (MOKU出版)
『続・親学のすすめ』 (モラロジー研究所)
『日本文化と感性教育』 (モラロジー研究所)
『親と教師が日本を変える』 (PHP研究所) 他多数
講演録の続き)
まず親に対する一番目のメッセージは、
「しっかり抱いて下に降ろして歩かせる」が子供への関わり方の基礎基本だという事です。
二番目は「脳には臨界期がある」ということ。
三番目、は千利休の残した「守破離(しゅはり)」という言葉です。
子供は一番信頼出来る大人に甘え、依存して、やがては反抗しながら自立していきます。
この甘えて依存するという段階が愛着で、「三つ子の魂、百までも」と言ってきたのです。
また「しっかり抱いて下に降ろして歩かせる」という意味は、
「しっかり抱く」という段階は「愛着」で、「下に降ろす」は「分離」、そして「歩かせる」は「自立」でこれが子供の発達過程なのです。
しかし家庭で抱きしめられる事がないのに、学校で思いやりを持ちましょう、
人権を尊重しましょうと言われても、右の耳から左の耳へと抜けるだけなのです。
今、日本の子供達は、十分に親に甘える事が出来ないし依存出来ない、それから反抗出来なくなっている子供が増えています。
それは昔から比べると、母性的な関わり、父性的な関わりを持つ事の出来るお父さんやお母さんが少なくなってきていることが影響しています。
また脳の臨界期とは、三歳までに脳細胞は六割程度が完成してしまうということで、
「三つ子の魂、百までも」という諺が、最先端の科学によって再発見されたのです。
日本人が古くから言ってきた知恵というのは、実は脳科学の問題提起と繋がっているのです。その意味で日本の伝統、子育ての知恵というものを、創造的に再発見する事も課題なのではないかと思います。
千利休の残した「守破離(しゅはり)」についてですが、形から入って躾をするという事が、教育界では、押し付けだとか、強制になるという方もいますが、
歴史文化の中で受け継がれてきたもの、形の奥にある心に気付かせる事が大切なポイントなのではないでしょうか。
「規矩作法、守り尽くして破るとも、離るるとても本を忘るな」、
「離れる」という段階が自分らしさや個性、創造性の段階なのです。
戦後は個性尊重と言ってきましたが、そのベースとなるものは「守」なのです。
日本の伝統文化には、「形」というものが貫いています。
茶道、華道、剣道、柔道と「道」の付くものは、最初に形の継承から始めますが、それは子供の興味関心で選択する事は出来ないのです。
「俺流で受身は嫌だ」と思っても、それは無理な話で、必ず基本の型というものを継承しなければならない、これが教育の出発点なのです。
家庭においても、形の継承である「躾」というものを、親がしっかりと教えなくてはならない。「身を美しくする」というのは形から入る訳ですが、その形を守り、破り、そして形から離れる・・・というのが本当の個性や創造性なのです。
父の役割、母の役割
父親は、子供を産む事も授乳する事も出来ません。胎児期と乳幼児期は、特に母親によって子供の心が安定し、その子の大きな基盤となります。
一般に子供は母親から心の安定を、父親には外部世界の知的好奇心と刺激を期待しています。数々の科学的実験によっても、父親と母親に対する子供の反応は、初めから異なっている事が明らかにされています。
例えば母親が相手をしている時、子供は穏やかな反応をするのに対し、父親が相手をしている時、子供は強い好奇心を発揮して激しい反応を示します。
父親には子供の心を活性化し、自立を促し、社会のルールなどを教えるという独自の役割があります。基本的には、母性的な役割を母親が担い、父性的な関わりを父親が担うという事が人の進化の歴史から見ても自然であると言えます。
もちろん父子家庭、母子家庭において、一方の親が、母性及び父性的関わりの両方の役割
を果たす必要もありますし、一般家庭でも、時には父親が母性的関わりを、母親が父性的関わりをする事も求められますが、やはり子供にとって、父親と母親の役割を認識する必要があります。
この点を踏まえた上で、何が子供のアイデンティティを育むのか?
男らしさ女らしさというものを、形から入って教える事はアイデンティティを育むためには必要不可欠なのです。それを差別だと言ってしまってはアイデンティティを育む事が出来ない。
日本文化と「男らしさ・女らしさ」
私は学生達に、尾形光琳の『紅白梅図』を見せるのですが、紅梅と白梅の間に広い川が流れている・・・これが日本人の感性、バランス感覚なのです。
一見対立する男と女、お父さんとお母さん、教えると育てる、叱ると褒めるなど様々なものがあります。
男と女の関係は陰陽の相補う関係、補完関係と言います。
教育者の神様と言われる森信三先生は、男らしさ・女らしさの否定に関して
「大宇宙の神秘に対する重大な冒涜だ」とおっしゃっています。
保田与重郎という人は、「女性の気品というものはかつて日本歴史の華だった」と言っていました。しかし今はこの国から失われた「品格」が、親にも教師にもそして子供も含めた日本人の中に失われているのです。
日本文化は、男女の間に和の文化が成り立っていました。
夫婦雛、夫婦松、夫婦箸、夫婦杉、夫婦茶碗、夫婦岩、相生の松、おしどり夫婦、お袋の味、お上さん・・・、夫婦は「夫」が上ですが決して男性上位という事ではないのです。
イギリスのジョージ・サンソム外交官の夫人は、
「日本の男女の間には、不思議な調和が見られます。妻であり母である女性が、その家族の代弁者。陽気な女性にとって主人や家族を管理する事は何でもありません。女性が、母のように優しく献身的である事は、日本の社会にとって計り知れない貴重な財産です」と言っています。
今、日本で起きていること・・・「子育ては損」?
一つは若い女性の意識が変わった、例えば「子育てはイライラする」と答えた若いお母さんは四分の三を超えています。その中で「自分の自由な時間がなくなるから」と答えたのは二十代に圧倒的に多くいました。
つまり「子供を育てる事は、自分の自由時間が奪われてイライラする」と考えていて、
その背景には「子供を育てる事はタダ働き」という意識が出てきたのではないでしょうか。
子育ての時間によって失う所得や機会、楽しみを意識するようになったのです。
つまり保育所に預けて働いた方が得という損得勘定が出てきたのではないでしょうか。
TBSテレビが保育所に子供を預けているお母さんに「何故、生まれてすぐに子供を預けたのですか」とインタビューをしていました。
あるお母さんは「愛着心が起きないうちに預けた方がいいと思ったから」と答えていましたが、正に愛着というものが、この国の教育基盤であるというのに、それが自覚されていない、そして働いた方が得という意識でいるのです。
それは幸福論ではなくて、経済論で行なわれている子育て支援、経済政策や労働政策にも共通する教育です。税金を納めている労働者のみの子育て支援、働いている親を支援するという政策なのです。
リッツアという人が『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)という本を出しましたが、世の中がどんどん効率化している。その意味は一言で言えば「合理化、効率化」です。
しかし子供の心は、先程から申し上げているように
手間暇かけて、心を込めて、心を尽くして心を伝える、これを「心施」と言いますが
そのプロセスを経ないと、育たないものなのです。
東京辺りではカラオケボックスに、託児施設が出来ていて、親が楽しむ一方で子供が犠牲になっているという事が起こっているのです。
あるいは子供の眠りが危ないとも言われていますが、夜十二時以降に寝る乳幼児の数が
日本は異常に多いのです。
生態リズムが乱れて、子供達の内なる自然がどんどん破壊されている、環境破壊よりもっと深刻な形で進んでいるという実態を私ども大人は知る必要があります。
早急に対応しないと、手遅れになってしまうのです。
本当の少子化対策・子育て支援・・・親の責任とは何なのか?
この国で非常に問題になっている少子化対策と子育て支援ですが、その支援について議論をすると、必ずこういう主張にぶつかる事に気付きました。「親の責任をあまり言ってはいけない」という意見です。
子育ては社会が担うのだ、親の責任だと言うからストレスが溜まって虐待などが起きているのだという主張もありますが、そんな時、私はいつも
「教育で一番大事なのは、一人からの教育再興で、自分が変わる事なのだ。親が「誰かが悪い」と言っている限り子供は変わらない、だから親が変わる事は、子供が変わる近道なのだ。親の責任という事をちゃんと伝えないといけない」と申し上げます。
親の責任とは何なのか、明確なメッセージを伝えないといけないのではないでしょうか。
ところで、外国の子育て支援策は「親には子供を育てる権利がある」という教えに基づいて書いています。
北欧では「在宅育児手当」を与えている国があります。
「労働者としての親」の支援ではなくて「教育者としての親」の支援をしている、それが『親学』であり「親が親として育っていく事」を支える「親育ち」支援なのです。
親教育は世界のたくさんの国が、国策として取り組んでいるところです。
少子化対策としては、経済政策のみで「幸せになれるのか」という事です。
少子化しない社会の共通点は、地域への愛着心、家の祖先に強い繋がりを感じるといった「命の繋がり」を大事にしているところだという様々なデータもあります。
熊本のある地方では、五十歳になると、母校の小学校の運動会に全員が全国から戻って来て参加するそうです。
そう考えると「子はかすがい」と言いますが、繋ぐ存在としての子供の価値を再発見する必要があるのではないでしょうか。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の中で、主人公モモが、時間貯蓄銀行の灰色の紳士から街に時間を取り戻したように、人と人との繋がりから幸せを取り戻す鍵を握っているのは子供ではないでしょうか。
人の世話をすることが人間性を高める
若いお母さんは、「自分の自由時間が奪われるからイライラする」と答えましたが
メイヤロフは著書の中で、「他から必要とされていないと感じているために自由だと感じるのではなく、むしろ他から必要とされたり、他に身を委ねる何かがある時にこそ自由だと感じる」と記しています。
タリウムでお母さんを毒殺しようとしていた高校一年生が、日記を残しています。
私は全部読みましたが、たった一日だけ人間的な記述がありました。
それは幼稚園児と関わった時のもので、幼稚園児が自分を必要としていた事で存在価値を感じた、そして自分の悩みというものが癒されていったという内容でした。
人の世話をする事が、一番大切な人間力を高める事に繋がってく、HQ(人間性知性)を高めるには乳幼児の世話が必要だと言った科学者もいます。
ある中学生が幼稚園に行って、どう子供と関わってよいか迷っていたら向こうから園児が駆け寄ってきて「遊ぶか」と言ったという有名な話があります。
また、幼児の単刀直入な言葉や、シャボン玉を飛ばしながら無邪気に遊んでいる子供の姿を見て幸せを感じたそうです。
子供と子供らしい遊びをしながら、その中に幸せを感じる事・・・、
私達は合理化や効率化の中で、幸福という事の原点を見失っているのではないでしょうか。
私は日本青年会議所で、「日本人の誇りを持った子供をどうやって育てるか」という内容の講演をさせて頂いているのですが、開口一番、「皆さん、子供におはようといっていますか?」と尋ねるとほとんど手が上がらない。
「おはよう」と言わないで日本人の誇りは子供達に育ちようがありません。
まず家庭生活から変えないと、この国の教育は再生出来ないのです。