髪の毛が一本ずつ生み出されてゆく。
リアリズムを限界まで突き詰める。
描き始めたのは女性。
諏訪自身の祖母だ。
70年前旧満州で悲惨な死を遂げた。
彼女は兵士ではないけど明らかに本人は望まないところで国の盾にされた人間なわけでしょ。
こっちからか。
飢えと感染症に苦しんだ祖母を絵の中で再び死に追いやる。
満州の出来事というのはひどい歴史なんだけれども関心がなければ知らない。
誰も残そうとしない歴史の中にもやっぱり重要だったりするものというのはあるわけでだからせっかく自分が画家を仕事にしてるわけだからやっぱりやれる事はやろうかなという。
忘れられた者の肖像を描くため中国へ。
大地に埋もれた記憶をつかみ取る。
画家諏訪敦は古典的な写実絵画の技法を使いながら常に挑発的な作品を発表し続けてきた。
その描写力は写実を超えているとも言われる。
結婚を間近に控え交通事故で亡くなった女性。
両親から「娘をよみがえらせてほしい」と依頼された。
今は亡き娘を描くにあたり諏訪は膨大な遺品をあらため聞き取りを進めた。
それだけではない。
両親をデッサンする。
ちょっと頭触って大丈夫ですか。
はい。
顔がね意外と小さいのは私に似てる。
そうですね。
骨格に触り遺伝子を探ろうとする。
例えば手を描くために残された画像を調べ尽くす。
更に義手を作る職人に頼んで彼女の手を精巧に再現してもらった。
本当に指の先がきれいなんですよね。
先にす〜っとしてて。
そうそうそうこういうイメージ…。
執拗なまでの徹底した取材。
その追究の果てに諏訪の作品は生み出される。
ああ…。
恵里子だ。
惠里ちゃんだ。
恵里子だよ。
大きくなったなぁ。
恵里子だ。
恵里子だね。
取材と対話を繰り返す事でよみがえった娘の姿。
一つのものを描くにしても絵には表れないいろんな事情を持っていたりするわけですよね。
そのモチーフになる人モデルになる人に関しては。
それを全てを知っておくという事は最終的に絵に表れないにしてもとても重要な情報というか重要な内容を含んでると思うしそれを一つ一つ知った上で納得して描きたいという気持ちが強いんだと思います。
諏訪は新たな大作に挑み始めた。
まず粗くキャンバスに筆を走らせる。
それは女性が横たわっている姿だった。
諏訪が描こうとしているのは終戦直後中国大陸で死んだ祖母である。
諏訪が生まれる20年以上も前に死んだ祖母に諏訪はもちろん会った事がない。
艶のある黒髪。
祖母は亡くなった時31歳だった。
美しい女性の姿が現れてきた。
しかしこれはまだ祖母ではなかった。
最初普通の…普通のというかむしろすごく健康状態がいい人を描いてるわけだけどもこの状態というのは。
これからこの人に自分の祖母になってもらうというか。
だからこれから少しずつ殺していくんですよ。
健常者をこれから病的にしてくわけだから。
一枚の絵で時間系列で言うと次第に殺してくような感じ。
仮想的に。
絵の中で殺す…。
事の始まりは17年前に遡る。
こういう感じで原稿用紙に鉛筆で書いていたものなんですね。
平成11年父親ががんで死亡する直前諏訪に手記を託した。
そこには諏訪の知らない家族の歴史がしたためてあった。
結構びっくりはしましたよやっぱり。
何となく家族には何も話してない内容だったので。
手記によれば諏訪の父の家族は山形で和菓子屋を営んでいた。
その一家が大陸に渡る。
国が推し進めていた満蒙開拓団に参加したのである。
その時父の豊さんは8歳だった。
その目の前で母と5歳の弟が飢えと感染症に苦しみ命を落とした。
大陸に渡ったのは既に敗色が濃厚だった昭和20年4月。
そんな時期になぜ満州に行ったのか。
手記には父の怒りがにじんでいた。
「昭和二十年敗戦の年に渡満すると危険な事は政府ではわかっていた事ではなかったのだろうか」。
「歴史上の事として諦めの付かない現在の自分の思いからもう一度言いたい。
責任者出て来いと」。
いまわの際で父はなぜこの手記を託したのか。
詳しく聞きたくても父の病状が悪化してしまった。
諏訪は病床の父の姿を描いた。
父が息を引き取ったあとも何度も描き続けた。
すると「父の無念を晴らしたい」という思いが膨れ上がっていった。
忘れ去られていったりとかなかったも同然の事になっていく人生ってたくさんあるじゃないですか。
多分父親もそのうちの一人なんですよきっと。
だけどもちょっとそうしてしまうにはあまりに…っていう内容がここにあるので。
画家なりのやり方で一矢報いる事はできないかなという事を考えるようにはなりましたね。
父たちと同じような体験をした人がいるはずだ。
諏訪は話を聞こうと考えた。
あっこんにちは。
父と同じ昭和20年に満州に渡った人がいた。
西村増雄さん。
終戦の年になぜ皆さんは…。
恐らく危ないと思いませんでしたか?その年になぜ?全然思わないです。
思わなかったんですか?全然それは思わないです。
行ってみてその満州に入ってみて最初の印象はどうでした?それは平和で日本ではこうりゃん飯やら大豆がらの飯で弁当持っていっとったんでね。
それが白飯で腹いっぱい食えるし腹いっぱい食える事はもう幸せを感じる。
そうですね。
かつて日本が満州と呼んでいた中国東北部に送り込まれたおよそ27万の開拓民。
「五族協和王道楽土」をスローガンに国策として進められた。
日本にはなかった広大な大地。
多くの人々が夢を抱いた。
終戦間際まで開拓団は続々と送り込まれた。
しかし1945年5月大本営は既にある決定を下していた。
ソビエト軍が侵攻してきた場合軍は南に後退。
つまり開拓村の大部分を放棄するとしていたのである。
この決定は開拓民に知らされなかった。
8月9日。
恐れていたソビエト軍の侵攻が始まった。
人々は逃げ惑い死の恐怖に直面する事になる。
満州に取り残された人々の中に諏訪の一家もいた。
ソビエト軍に追われ略奪の恐怖におびえながら逃避行の末にたどりついたのは難民収容所だった。
ここで父・豊の母つまり諏訪の祖母は命を落とす事になる。
その時の様子を聞くため満州へ行った家族の中で唯一今も健在な叔母に連絡を取った。
博子さんは諏訪の父・豊のひとつ違いの妹だ。
いたの。
いました?よかったよかった。
亡くなる時?ええ。
それだけ言われた。
そうか…。
「いつでも笑ってなさい」。
息絶える直前まで我が子を案じ励まし続けた祖母。
その人柄が伝わってきた。
じゃあお元気で。
ねえ。
どうもありがとう。
よろしくね。
お母さんにもよろしく。
ぼんやり。
ほんとにぼんやりした感じ。
ただ確実に生きていた人なんだなというのは今まで写真の映像しかないから。
そういう手触りはあるから。
ちゃんとその時その時特に過酷な状況で必死になって子供を守って我々につないでくれたんだなというような手触りは感じたんでそこはよかったと。
この時諏訪の中で祖母の存在が大きなものになった。
父・豊の怒りは優しかった祖母の死が火をつけたのではないか。
(汽笛)旧満州中国東北部。
かつての南満州鉄道のレールの上を今も列車が走る。
一家はこの鉄道に乗ったはずだ。
路線は。
ふるさと山形からやって来た家族はこの風景をどんな気持ちで見たのか。
家族が入植した村を目指す。
ロシアとの国境まで300キロ足らず。
かつて馬大と呼ばれていた村。
家族の痕跡を探す。
村の中心部に来ると人々が集まっていた。
寒い冬を越すため豚肉を分け合う。
昔からの習慣だという。
昔のままの家とか残ってる?満蒙開拓団には広い土地が用意されていた。
それは地元の農民からひどく安い値段で買い取ったものが多かった。
じゃあ日本人はどこに住んでました?一つも残ってない?多分この辺ですよ。
この辺?こっちか。
諏訪が日本で調べた資料に祖父はしょうゆ工場で働いていたという記録があった。
じゃあそこですよね。
このエリアですね。
しょうゆ工場の跡地。
今は空き地になっていた。
かたっ…。
かたい。
だけどこういう感じで見てたんだね。
例えばこういうふうに建物がこうあったとしてここから出てきてこうやって見たら多分同じ風景でしょきっと。
あの風景はきっと一緒。
そして向こう側に沈む夕日は多分一緒…。
例えば仕事が終わったらおじいさんとかが向こう側の夕日を多分見たりとかしたのかもしれない。
いてついた土と果てしない寒空。
結局家族の痕跡はそれだけだった。
ソビエト軍が攻めてくると開拓団の人たちは避難を開始した。
諏訪の家族もほとんど着のみ着のままで脱出したと見られる。
250キロ離れたハルビンにたどりついた一家は一時的に小学校に避難した。
当時のままの建物が今も残っていた。
「2日目の夕方ソ連の兵隊が来て父たち大人の男を連れていってしまった。
その時から父なしの家族は食事にも窮した。
母はそれほど深い知り合いでもない人に頭を床にこすりつけんばかりにして金を借り私たちに鮭缶と握り飯を買い与えてくれたのであった」。
祖母はここでふんばっていた。
夫を連れていかれても一人で子供たちを守っていた。
祖母の目にはどんな世界が見えていたのか。
実はここからディテール見えないんですよ。
煙ってて。
煙ってるというか外の汚れと窓ガラスについた汚れとここのゆがみで正確に見えないんでスケッチを描くという意味では最悪のものなんですけど。
だけど彼らが見た風景というのはこうなんですよ絶対。
だから窓を開けてないんです。
追い詰められた祖母の視線を画家は描く事で体に記憶させてゆく。
諏訪はまた少し祖母の感触に近づいた。
こんにちは。
絵を描き始めて1か月。
キャンバスには横たわる裸婦像が描かれていた。
透き通るような肌の質感。
色調は暗いが若く健康的な女性だ。
これからこの女性を殺してゆく。
逃避行の末多くの開拓民は難民収容所に身を寄せた。
そしてそこで飢えに苦しんだ。
豊かな肉づきをそぎ落としてゆく。
絵を通して絵の仮想の人物に同じ経験をさせるという事は僕が経験する事と一緒じゃない。
祖母と一緒に悩むという事でもあるから。
頭蓋骨を取り出した。
こけて浮き立つ頬骨の形を探る。
こういう感じかな…。
どこまでかするかだよね…。
その時諏訪が意を決したようにキャンバスに向き直った。
こっちからかな…。
これぐらいやんないと離れらんないですね。
祖母はどんなふうに死んだのか。
諏訪は同じ難民収容所にいた人を訪ねていた。
ここでの生活は日に日に過酷さを増した。
諏訪は家族の写真を見せ記憶にないかと尋ねた。
渡る前なんですけれども。
いえいえどうもありがとうございます。
取材を重ねても家族の事を知る人は現れなかった。
こんにちは。
諏訪と申します。
長野県にある自動車部品の工場。
経営者の鈴木俊寛さんは12歳の時およそ1年間を新香坊収容所で過ごした。
自分の父親ってこんな感じだったんですよ。
ほら。
この子なんですけど。
これうちのおじいちゃんでお父さんでやっぱり収容所にいたんですよ。
2人ともいたんですけど周吉さんっていうんですね。
諏訪周吉。
この僕の父親は諏訪豊というんですけども。
これ収容所入る前の…。
前ですね。
全然前ですね。
ですからこのころというのはまだ4〜5歳だったと思うんですけれども。
えっ?「豊くん」って言いました?うん。
えっ?そうなんですか?うんあるよ。
じゃあ会った事あるのかな。
本当に年齢ぴったりなんですよ。
8歳ぐらいだったんで引き揚げてくるのが。
小学2年生とかね2〜3年ぐらいの頃かな。
豊くんはなぁあれだぞ。
知ってるんですか?ちょっと…。
ちょっと言葉もぱりぱりしゃべる方じゃなかったぞ。
豊くんはまだ子供だもんでおじいさんはあれじゃないの和菓子職人で。
そうです。
当たりです。
言葉が長野県から見るとズーズーがかっとったな。
鶴岡弁なのでものすごくなまりがきつい。
この人は開拓団としての籍は持っとらなんだぞ。
えっ?そうなんですか?えっちょっと待って下さい。
持っとらん。
逃避行のどさくさで所属していた開拓団とはぐれてしまった諏訪の一家は新香坊収容所で鈴木さんたちの開拓団に潜り込んだという。
開拓団の書類をごまかして入れとるけども全く一緒のとこでは…ちょっと離れたところでな静かに目立たんようにおった。
あっそうなんですか。
すごい偶然だね。
家族の消息を知る人にようやく出会う事ができた。
一緒にいて下さるととてもありがたいんですけれど。
いいよ。
これも私の人生の総仕上げかなというぐらいな覚悟でおります。
鈴木さんは諏訪の取材に同行してもいいと協力を約束してくれた。
ご苦労さんです。
失礼します。
ハルビン郊外。
新香坊収容所のあった場所へ向かう。
鈴木さんは13年前に収容所の跡を訪れた事があった。
しかし近年の急速な発展で辺りは様変わりしていた。
戦後収容所から生きて帰った人たちが作った地図が手がかりだ。
鈴木さんがいた部屋は?棟は向こうから2番目の…こっちの棟の2番目辺り。
ちょっと行ってみましょこの近く。
基礎も何にも残ってないですね。
イメージするの難しいですよね。
あの煙突の立っとるような所から1棟2棟といってね2〜3におったね千代開拓団は。
ああそうなんですか。
鈴木さんの開拓団が避難生活を送っていた場所。
今は工場になっていた。
諏訪の家族もここにいた。
宿舎の中は暖房設備はどんなものでしたか?室内にはないよ。
ない。
室内にはなくて…。
収容所に最後までいた子供で生き残った子供というのは少なかったんですか?それもよく生き残ってきたなって今でも言う。
そんなに確率低かったんですか?菜っ葉。
「元気いっぱいだった弟の具合が悪くなっていきました。
弟は5歳になっていました」。
「弟のそばに寝ていた私は夜中『サワサワ』という音に目覚めました。
冷たくなった弟の体から近くに居る私の体へ移動するしらみの出す音だったのです」。
11月祖母が発疹チフスにかかった。
飢餓に苦しめられた体に抵抗力はなく3日目に亡くなった。
建設当時のあっちこっちの残土だよ。
収容所で死亡した人々が埋葬された場所を鈴木さんが覚えていた。
多分あそこぐらいだと思う。
鈴木さんの母親も冬を越せずこの収容所で亡くなっていた。
ちゃんと頭ははっきりしてました?それでいつも布団みたいな…手首みたいな細さって事ですか?そうそうそう。
ゴボウの穴掘ったあとの。
うん掘ったあとへ。
その時は…ちょっと立ち入った事を聞きますけれどもその時にはどう思いましたか?祖母たちもここに埋められたと見られる。
新香坊収容所で死亡した人は3,338人を数える。
悪いですけどじゃあちょっと寝っ転がって。
遺体をどんなふうに運んだのか。
諏訪は教えてほしいと言いだした。
この人を持ち上げるとしたらどういうふうに…?これでね手をこんな事をする必要があるぐらい。
画家の本能が動きだす。
こういう感じですか?ああそうそう。
ああなるほど。
一人でも持てたぐらいな感じなんですね。
ああそうそう。
なるほど。
諏訪は執拗に再現を試み埋葬の様子を何度も質問し続けた。
諏訪が描こうとしているのはあの埋葬地に横たわる祖母の姿だった。
既に飢えて痩せ細った体。
これからこの体を病気にしてゆく。
祖母の死因となった発疹チフスとはどんな病気なのか。
諏訪は感染症の専門家を訪ねていた。
あまり体験者に聞いても特別その発疹という話は出てこないんですけれども。
体のこう体幹部と私ども言ってますけど体の中心部と言うんでしょうかここから発疹が出始めるという。
顔には現れない?出ないみたいなんですね。
だから気がつかなかったって事もあるかもしれませんし。
当時満州の収容所で発疹チフスの致死率は50%を超えていたと言われる。
既に衰弱した体が容赦なく死病にむしばまれてゆく。
諏訪の絵筆が祖母の命を削り取る。
やっぱり身に起こった事は事実なんでちょっと削除はできないかなっていう。
感情的には描きたくないですけどね正直。
やっぱり気持ちいいものではないので。
何か生理的にくるものあるじゃないですか発疹というのは。
それをこう身内の体に施すというのはものすごく抵抗があるものだけどだけどもうそこはやるしかないなというふうには。
敵国の追跡略奪そして飢えと病。
祖母はむごい運命にのみ込まれても常に子供を守ろうとし「笑っていなさい」と言い残して死んだ。
諏訪の筆が止まった。
どうするかな…。
これぐらいかな…。
髪の毛がこんな艶々でいいのかとかさ尊厳めいた美しさみたいなのを残しつつやりたいとは思ってるんだけど例えば陸路で逃げてきた人たちというのはソ連兵の暴行を避けるために髪の毛を切ったりとかそういう事をしていたという話は随分聞くんだけれどそれは収容所の中でも一緒だったのかという事だったり。
諏訪はこれ以上祖母の姿をおとしめる事にためらいを感じ始めた。
せめて黒髪だけは残したいと葛藤していた。
(呼び出し音)
(鈴木)は〜い。
あもしもし。
諏訪と申しますけれども。
ああああ。
電話の相手は一緒に中国に行った鈴木さんだった。
お元気ですか?今日は何だね?ちょっとお伺いしたい事がいくつか出てきてちょっとお電話差し上げたんですけれども。
女の人というのは髪の毛を切っていた人が多かった…?それは鈴木さんのお母さんもされていました?ああ〜。
じゃあ開拓団で来てる人特に鈴木さんと行動を共にしていた人たちというのは大体それは…髪の毛切ったりはしていたという事ですよね。
強制なんだ。
あ〜なるほど。
うん…。
分かりました。
あそっか…。
うん分かりました。
ちょっと頑張りますね。
どうもありがとうございます。
ちょっと髪の毛切るの嫌だな。
絵でもねちょっと嫌だったんですよ。
もうしょうがないかなだけど。
1週間が過ぎた。
若き日の祖母の写真を貼る。
(取材者)いろいろ考えました?それはずっと考えてはいるんだけど…。
うん頭の中ではね結論は出てるんですけど結構前から。
どっちにしろやってみなきゃ分からないので。
こっちからこう…。
僕の頭で考えた結論というものは切らないという方向だったんですよ実際は。
何かでもやってみると違いましたね。
いいんだって思いました。
かえってこう…何て言うんだろう力強いし情緒的な部分がねなくなってしまったからかえって…。
この方向の方がいいような気がします。
だから事実を尊重する方向でいこうかなというふうに思ってます。
結局諏訪のまなざしは祖母を見つめ続け絵筆は事実を選び取った。
努力して思い出したりとかしないかぎり僕とは関係がなかった人間でしょ。
彼女が死んだ土地に行っても何の情報も出てこないという事は完全に抹消されてるという事だよね。
抹消したのは誰なのかというとそれはその当時の政府でもあるだろうけれども我々でもあるんだよねきっと。
思い出そうとしなかったという事でしょ?だけど確実にこの人がいないと僕自身が存在できなかったから。
もうこのタイミングを逸したら召喚する機会を永遠に失うんで。
せっかくこういう仕事をしてるわけだからそれはやるでしょ。
父の無念を知ってから17年。
追い求めた家族の肖像は白くかすむ大地の向こうにいつも消え入りそうになった。
うわっ…。
どこに埋まってるか分かんないけどね多分この辺だね。
かすかな残響をたどってきた画家は旅の終わりにようやく手を合わせた。
絵を描き始めてから2か月と10日。
間もなく完成するという連絡が入った。
諏訪が描き出した女性の遺体。
そこにはその女性がたどってきた過酷な時間が込められた。
腹部に描かれた妊娠線は愛する子供たちの記憶。
歳月の中に埋もれようとしていた存在の重さ。
それをこの絵は弔い埋葬したのか。
それとも忘れさせまいと掘り起こしよみがえらせたのか。
彼女が持っていたそういう無念だったであろうとか自分の子供たちにはせた思いとかを何て言うのかな簡単に代弁したくないという気持ちはあるの。
ただ過去の彼女と祖母と何かをやり取りしてるという実感はそういう意味では手応えはありました。
このごろ都にはやるもの。
歩きスマホにモンスター。
2016/09/17(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール▽忘れられた人々の肖像〜画家・諏訪敦“満州難民”を描く[字]
あたかも人物が絵の中でよみがえるような独特な細密画を描く諏訪敦。旧満州で亡くなった祖母の肖像画に取り組み始めた。徹底した取材を重ね格闘する姿をルポ。その再放送。
詳細情報
番組内容
諏訪の父は昭和20年、家族とともに旧満州へ渡った。3か月後にソ連軍が侵攻、たどり着いたハルビンの収容所で母と弟を失くす。諏訪は17年前に亡くなった父の手記で初めてそれを知る。父の無念を受け止め「忘れられた人々」を絵でよみがえらせたい。開拓団にいた人を訪ね、中国を旅した諏訪。死んでいく祖母の姿をカンバスの中で再現しようと格闘を始めた。2か月に渡る創作のプロセスを追ったルポ。待望のアンコール放送。
出演者
【出演】画家…諏訪敦,【語り】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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