二〇一五年国勢調査の速報値で人口は一億二千七百十一万人に。一九二〇年の調査開始以来初めての減少ですが、たじろいでいるわけにはいきません。
この瞬間にも刻々と減っていく子どもの数を、東北大経済学研究科の吉田浩教授らがインターネット上で公開する「日本の子ども人口時計」が示しています。
総務省統計局が発表する毎年の子どもの数、すなわちゼロ〜十四歳の人口の変化を基に、その変化率のまま日本の少子化が継続した場合の各種推計値をリアルタイムで可視化しようという試みです。
◆子どもが1人になる日
一四年四月に千六百三十二万三千人だった子どもの数は、一五年四月には千六百十七万人に減りました。一年間の減少数は十五万三千人ということになります。
このペースで減り続ければ現時点、つまり今年九月の子どもの数は推定千五百九十万人余。そして西暦三七七六年八月十六日、日本の子どもの数は一人に…。
計算通り子どもがいなくなってしまう日が来るのでしょうか。
一人の女性が一生の間に産む子どもの数、つまり合計特殊出生率が二・〇を割り込んだのは一九七五年です。当時の日本に立ち返ってみます。
その前年、七四年八月にルーマニアで国連の世界人口会議が開かれています。途上国の人口爆発が続く中、地球規模での人口増加ゼロを目指すことが狙いでした。
その動きに呼応するように、日本では同年、人口白書『日本人口の動向』が刊行されています。サブタイトルは「静止人口をめざして」。すでに出生率低下は始まっていましたが、国の目標として、あらためて人口増加の阻止を掲げたのです。
◆「静止」掲げた人口白書
白書は、その後の出生率が想定される最小値となった場合に初めて「昭和八十五年に最大の一億三千百十四万となった後は減少しはじめる」と人口の推移を予測しました。昭和八十五年は、すなわち西暦二〇一〇年。つまり、日本の人口は、国が四十年前に期待していた通りのタイミングで増加の歩みを止めたわけです。
こうしてみると、人口が減少に転じたことを声高に危機だと叫ぶのはおかしな話に思えます。
ただし、目標は達成したけれども出口戦略の用意がなかったとは言えそうです。それが今日の人口問題の正体かもしれません。
なるほど、このままなら人口急減に進む恐れは高そうです。政府は人口維持の手だてとして地方創生だと言いだしました。
人口減少を加速させる悪役として名指しされたのが東京一極集中でした。出生率の高い地方から出生率の低い東京への若者への流入が続けば、地方の衰退が進むばかりか国全体の出生率を押し下げることになる、という発想です。
そこで、年間十万人に達する東京圏への転入超過を二〇年までにゼロとする目標を掲げ、若い世代を地方に定着させる戦略策定を全国の自治体に求めた次第。果たして政府のもくろみ通り、地方への人口の流れを生み出すことはできるのでしょうか。
東京圏への転入超過数は一五年、逆に前年より約一万人も増えています。中央の号令一下、一斉に走りはじめた地方創生は、地方同士の人の奪い合いをあおるばかりだともいわれます。
吉川洋・東大名誉教授の近著『人口と日本経済』が興味深いデータを紹介しています。
明治初期、一八七八年の都市人口ランキングです。人口順に東京、大阪、京都、名古屋、金沢、広島、和歌山、横浜、富山…。
一九八五年のランキングでは、五位だった金沢が三十一位、七位だった和歌山が三十九位、九位だった富山が五十五位まで後退しているのです。伝統ある城下町の後退は、産業構造の変化に加え、何よりも中央集権の進展によってもたらされたように見えます。
安倍政権は地方創生の目玉として中央省庁の地方移転を掲げましたが、結局、全面移転は京都への文化庁だけにとどまりそうです。
◆地方分権が反転を生む
省庁移転がもう少し進んだとしても、一極集中是正の効果は限定的だと思われます。人口の流れを無理なく反転させるには思い切った地方分権しかないことを、明治以降の都市人口の変遷は示しているはずです。
刻々数字が減っていく「子ども人口時計」を見れば、誰でも不安になります。だからこそ、人口の変遷を振り返り、立ち位置を確かめねばなりません。増減には理由がありました。例えば「一億人維持」などの数値目標ばかりに気を取られていると、何が人口の流れを決めていくのかを見失ってしまうでしょう。
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