2016-09-18
■大学中退でアフィリエイト月商100万円の世界はコレだ! 
もう中退しちゃったんなら仕方ないけど、一応学生時代に事業たちあげを何回かして、今も会社を経営しているおじさんとして、思うことを書いちゃおうかなあ。
僕が最初にお金を稼いだのは高校生のとき、雑誌に投稿して原稿料をもらった。学校に隠れてアルバイトしてる同級生もいたけど、僕はプロとして文章を書いて連載もやった。
けれども、それで稼げるカネなんてたかが知れてた。
上京する時、昼間働ける国立大学の夜間コースにした。
全日制の大学もすべり止めでギリギリ受かってはいたが、電通大の夜間のほうが魅力的に見えた。昼間に思い切り働いて、いちおう「大学生」という身分も手に入るからだ。
月刊誌の編集部に入り浸り、自分が行きたい会社、見てみたい会社に次々と取材を申し込んだ。社員でもバイトでもない、今考えるとフリージャーナリストみたいな仕事だったなあ。
このとき、会社や雑誌の看板があると、わりとどんな組織でも取材を受けてくれることがわかった。
後に取材される側になってわかるが、よほど怪しい雑誌でない限り、メディアに取り上げられるのは会社や組織にとってプラスなのだ。
学生の頃、友達が家庭教師の職を探していて、家庭教師の派遣を仲介する事業を思いついた。
何百枚もチラシを作って、ポスティングしたけど、ぜんぜん電話がかかってこない。これが最初の事業の失敗。チラシ代だけ損した。
そのあと、フロムエーを端から端まで読んでね、派遣社員としてクリーク・アンド・リバーに登録すると、面白いくらい美味しい仕事の電話が次々と掛かってきた。英語もできないのにとりあえず翻訳の仕事を受けた。Webサイトで技術的なことを書いた日記を公開していると、次々と仕事が来た。まあ無料で公開されている情報としては、当時の僕のページは日本で一番詳しかった。今はもう、WikipediaもあるしQiitaもあるからむかしのようには行かない。念のため。
学校には毎日行っていたが、授業がバカバカしくて聞けなくなっていった。
決定的だったのは、4年生の先輩がまったく、コンピュータのことを知らないことだ。情報科学科の先輩である。
こりゃあダメだ、と思ったのである。四年も大学に通って専門教育を受けて、この程度の人間にしかなれないのなら、この大学の教育水準は自分に合ってないと思ったのだ。
あとでそれは間違いだったと気づくのだが、そのときは僕も若くてバカだったので、そういう間違った認識をずっと持っていた。
18歳の僕は既にプロのゲームプログラマーになっていて、いろいろな会社で働いていた。
それでも大学には通っていた。
僕は大学生という身分が気に入っていたからだ。
ただし、数学や情報系の授業は馬鹿馬鹿しいので出るのをやめた。
ろくにコードも書けないTAが計算機室で威張り散らしていて、特に僕は目の敵にされた。まあ明らかに僕の態度も相手を舐めきっていたように写ったのだろう。
唯一、大学で熱心に通ったのは、物理学実験という単位だ。
これは実際に重力加速度や空気の重さなどを測定する。
測定する机によって重力加速度は変化する。
宇宙の法則と自分の生きる空間とがきちんと地続きであると認識した決定的な瞬間だった。
それでも単位をとるより仕事をするほうが面白くて、四年間通ったけど自分なりに論文を書いて発表したところで「そろそろモラトリアムはやめよう」と思って大学を中退することにした。四年間でも単位はほとんど取ってないので、別にもったいないことはなかった。
一番熱心にやったのはサークル活動で、ここで200人規模の組織の運営を学んだ。いま自分がまがりなりにも社長をできてるのもその時の経験が大きいだろう。
学生という身分は便利だし、学割は便利だ。
いろんな人に会えるし、仲間もできる。
電通大の夜間はそのうえ学費が半額だ。いわば年会費20万円の会員制クラブである。
ただ、たしかに僕も大学の授業にさほどの値打ちがあるとは思えなかった。
大学を中退する前に働き始めた外資系企業でそのまま働いた。僕は面倒事があったら大学に逃げ帰ることが出来ない自分を自覚することになった。学生だった頃は便利だった。逃げる場所がある。それがなくなってしまうと、もう目の前の仕事に集中するしかない。しかしそもそも目の前の仕事にどんな意味があるのか僕にはわからなかった。
紆余曲折があって、僕は再び何もかも失い、そこから人に誘われて会社を作った。いろいろな事情があって僕が社長を引き受けることになった。26歳のときだ。
そのときは月給15万円。当面は300万円の資本金を食いつぶすので25ヶ月ぶんの時間的猶予があることになる。家賃は間借りするのでタダ。
そして最初の一年はろくに仕事らしい仕事がなかった。
しばらくして会社が軌道に乗ると、大学院の履修生にならないかと声をかけられ、受験して、再び大学に通うことになった。それを機に会社を大学の近くに引っ越して、通いやすくした。まだ社員が10人くらいしかいなかったから、そんな無茶もできたわけだ。28歳だった。
一度社会に出てから大学の授業を受けてみると、これがめっぽう面白い。
もちろん、教えてくれる先生方が素晴らしいのもあるんだけど、とにかく全ての授業がキラキラと輝いて見えた。僕にとって、大学の授業の価値は社会に出てみて初めて分かった。もう視野が狭くて生意気なだけのガキじゃない。世の中の酸いも甘いも経験した自分が、知の最先端に触れることで吸収できるものは多かった。
このとき受けた授業は全てが僕の宝物だ。そのとき助教として講義をしてくださった先生はそのあと電通大の教授になった。
このとき初めて、母校の授業の価値を理解していなかった自分を恥じた。
授業が無駄でバカバカしいなんてことはなかった。ただ、僕の方に準備ができてなかっただけなのだ。
大学を中退して起業を目指す。
いいんじゃない?と思う。
たぶんまだ準備ができてないんだ。それならそれで、視野を広げたらいいじゃない。
実は大学を中退して社会に出た人が再び大学に戻る話はそんなに珍しくない。
中退はしてないけどほとんど大学に行ってなかったという、チュンソフトの中村光一さん(電通大OB)も、8年かけて夜間学部を卒業してる。
有名な人だと中村光一さんとかになっちゃうけど、まあ企業に就職しても会社のお金で留学してMBAをとったりだとか、いろいろあるから、社会に出てから大学に戻るという選択肢は、ぼくは全然アリだと思う。もちろん戻らなくてもいいし
ところで一点だけ、ちょっとアドバイスさせて欲しい。
「ブログで月商100万稼げる?大学生で100万稼いでいたらすごくないか?」
たしかに凄い。
どのくらい凄いかというと・・・・
先月のこのブログのPVが30万PVくらい、アマゾンの売上(つまりこのブログの月商)が161万円、そして僕の手元に入ってくるのは6万円です。
わかりますね?凄い低収入なんです。
おわかりでしょうか?
アドセンスのPVあたり単価はだいたい0.2円とかなので、それ使ってやっとこ月6万円くらい。合計12万円ですね。うちの会社のアルバイト学生の半分以下の時給です。都の最低賃金下回ってるんじゃないかしら
ちなみにこのブログの戦闘力はこんな感じです。
まあいまどきRSSリーダーの購読数で比較するってどうなのよとは思うが。
もちろん、このブログは僕の趣味でやってるものなので、クレジットカードとか不動産とか、獲得単価がむちゃくちゃ高い系アフィリエイトを真面目にやったらもう少し収入が大きくなるかもしれません。
でもね、それって、ブラック販社に入社して労働するよりも悪い条件ですよ。完全成功報酬制で一契約あたりいくら、というのと同じだから。
まあしかし、お金を稼ぐってことがどういうことか、一度経験してみるのは悪くないと思います。
そして親に捨てさせた入学金と同じ金額を稼ぐのにどのくらいの時間がかかるか身をもって経験するのも悪くないんじゃないかなあ。
あ、あと、学生の身分があるうちにクレジットカードは作ったほうがいいですよ。老婆心ながら。
会社作るとクレジットカード作れなくなるし、借金もローンも組めなくなりますからね。
そしてイケダハヤト先生の儲けのからくりに気づくことができるか、出来ないか。
できるかなー?できないかなー?
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