それから、

どうしようもなく生きていくから。

色んな思い

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義母から連絡が来ました。
いつもと変わらない、次に来ても大丈夫な日時の連絡でした。

何かの折にしか行けなくなるかと心配でしたが
全くこれまでと同じ様子にホッとしつつ
式の話はまるで無かったような雰囲気に少し切なくもなり。
これが大人って事なんだな。


逆に義妹からは
「チョコちゃんが主任家にお嫁に行っても、ずっとお姉さんでいてほしいです」
と言ってもらえて、嬉し泣きをしました。
私からはそこまでの事はとても言えないから、本当に嬉しかった。
義理なんて義理なんだから義理があればいんじゃないかな!

式のお誘いと同時進行に、ウエディングフォトうちでやらない?
という勧誘もしていて、そちらはぜひと依頼をしてくれました。

旦那家に関わりを持てて嬉しい
旦那家に自分ができる事はしたい
それが本心ですが
自分の式は断られつつ、相手の式を応援する…
仏心を宿し割り切るこれもまた、大人の階段なのね。



前記事の私の動揺が激しかったせいなのか
「私はチョコとお母さん、どちらの気持ちもわかるから。
お誘いするわけじゃないけど、私からも、あんたの気持ちを伝えておきたい」と
実母が義母に話をしに行ってくれました。

私は結局、LINEで義妹を通してしか義母に言っていなかったので
お断りを受けた時も、LINE上ではサラリ&ライトに明るく振る舞ったので
結果が変わらなければ意味がないし
あああ掻き回さないでと思いつつ、母の思いにも感謝です。

そして母から伝わってきた義母の言葉は
出席する事も考えていてくれたこと
そして主任に遠慮したような感じであったこと
また、義妹のスピード婚や仕事のトラブルに疲弊している様子でした。

主任はむしろ「来てもらえたらいいなと思ってたのに」とか言うし
主任母も「私が旦那くんの写真持っておこうか?!」なんて言っちゃうほど
かなりフランクな家柄なので
もっとそこ推しておけば良かったかなーとか
私は義兄と義妹に続き結婚のどさくさに紛れてしまえー
なんて思ってたけどまさかすでにお疲れだったとは...
色々見誤ってしまったことに反省。
(優先すべきタイミングは自分と主任なのでなんとも言えませんが)


義家族は、ずっと遺された私の今後を心配してくれていて
私より先に、私の再婚も願ってくれていました。
その実現に安堵も混じり、心から喜んでくれているのがわかり。

「少し離れたところから見守らせてください」

という言葉に
まだまだ自分が病んでいた頃
私を励まそうと会う度に必死な父に対して
「少し離れたところから見守ってほしい」
そう願った事を思い出しました。

それは嫌だとか辛いとか
そういうだけの気持ちではなくて
嬉しいとか、ありがとうとか
そういう気持ちも入っているはずだから

そして何より、今までと変わらず私と接しようとしてくれているから。

私も今まで通り、できる精一杯の事をすれば良いのだと
少し心が落ちつきました。



結婚が決まるずっと前
もし主任くんと結婚したら式はどうする?
と義母に聞かれた事がありました。

私は「それは、旦那と一緒でないと嫌だな...」と正直に答え
その時義母は泣いていました。

あれは決して、嫌悪や悲壮だけの涙ではなかった。

だから私はあの時の思いを貫けばいい。



未だ直視出来ないほど
悲しみに包まれた

旦那家の願い


少し離れて、今、私が叶える。







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式をめぐって

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再婚する上で、私は主任に聞いた事が二つあります。

ひとつは、旦那との結婚指輪を右手につけていていいか?

もうひとつは、式の時に旦那を高砂に飾ってもいいか?

すごく聞きにくい質問で
かなりおずおずと聞いたのですが
答えはどちらもOKでした。
迷う事もなく即答で、私としては少し拍子抜けくらいでしたが
とても安心して、この人で良かったなぁと見直しました。


挙式については
私はやはり旦那と目前になって出来なかった後悔が
私の、というよりは旦那の無念のため
あくまで、あくまで主任と私との節目の時だけれど
旦那と晴れの日を迎えたい気持ちでいっぱいです。

例えば、余興ハロウィンで子ども達にお菓子をあげるつもりで
旦那はスパイダーマンの映画が好きで
じゃあお菓子袋の先に白い糸を伸ばし、クモの巣クジみたいな事をしようとか
少しずつそういう自然な風に、旦那の好きなものを取り入れていくつもりです。

音楽も、旦那が好きだったものを偶然にも主任が発言して、驚きました。
それ旦那が好きだったんだと隠さず話して
できたらとりいれたいなと、二人で前向きに話してきました。

やっぱり私は旦那を無視して挙式なんかできないから
笑っても悲しくても泣くのは同じだもの
たとえ泣いたとしても

おばけの旦那、来てくれると信じて。




主任のご両親にもお願いし、旦那の家族を呼ぶつもりで準備をしてきました。
でもいざ招待する段階に入って勇気が出ず
義妹に入ってもらって声をかけました。

私と主任の事を祝ってほしいんじゃなくて
旦那がきっといるから、来てほしい。
私なりに、旦那の思いを叶えてあげたいです と。

それが旦那家に対する私の正直な気持ちでした。
返事が来るまでは
まるで告白でもしたかのように
ドキドキして


・・・でも、よいお返事はもらえませんでした。


私だったら無理!と、実母や伯母には言われていたので
難しいかなとはわかっていましたが
それでも私は旦那の家族が来てくれると信じて
心の支えとしてここまでやって来た部分があったので
かなりショックでした。

旦那の事思い出して悲しくなるから

という事でした。

悲しくなるのは私も同じで
でも、なんとかいい方向に旦那の事を思い出せたらって
旦那の家の皆を悲しませたくなんてないのに
私も辛いけど、何とか頑張っていたのに

急に何かを失ったような
心細さを感じて
号泣のち放心する事丸2日。


悲しい悲しいと文面に書かれていたから
式なんてするのが間違いだったんじゃないだろうか
このまま本当に再婚していいのかな
そんな事まで考えました。

死には人それぞれの気持ちの在り方がある
おばけがーなんて私の茶番劇に無理に付き合わせるわけにはいかない
義兄と義妹の結婚式には出られるのにどうして

わかってる
全部わかってるけど
悔しくて、残念でなりませんでした。



それでも私は主任と結婚するって決めたんだから
今度こそ式をするって決めたんだから

誰が来ようと来なかろうと
自分のためにやったらいいんだと

強がりを申しております。



待たせる

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私が越した古民家は市街地まで車で45分
その間に3つ、町を抜けていきます。

そのうちの1つが、旦那の生まれ育った町です。
道路の関係で、見えはしないけど、実家のすぐ近所を通ります。

私が高校の時に通った町
昔からの穏やかさと、活気を保ち続けている町
旦那が生きていれば、いつかここに住んでいたんだろう。

撫でるように通り過ぎると、どうしようもない寂しさと
けれど忘れてしまわない事への、少しの安堵感

付かず離れず
そういう言葉がしっくりします。



引っ越してから1週間後、主任が珍しく出張に行きました。

空港まで迎えに行ったのですが
その空港もまた、旦那の勤めていた会社の近くだったりします。
古民家の方角から向かえば
ちょうど、旦那が実家から通った通勤路を通ることに。

暗がりに1人でそこを運転していると
だんだんと、旦那の事で思考がいっぱいになってしまい


会いたい
会いたい

早く死ねたらいいのに

ごめんね
待っててくれるかな

ごめんね
いつも待たせてるよね

ほんとごめん


ズビズビ泣きながら運転していました。

学生の時も、社会人の時も
部活の終わりだったり
病院やエステの終わりすら
旦那は私をよく待ってくれていました。

忠犬みたいに、バカ正直に
そこにじーっとして

待たせるのは申し訳なかったけど

「待つのは苦じゃないよ」
そんな風に言って

旦那が待っていてくれるのは
安心して、嬉しくて


「ねぇ、私がワーホリで海外行ったらどうする?」
「1年くらいは待てますよ」
「えぇ~じゃ2年は待ってくれないのー!?3年は?4年は?!」
私が責めると、旦那は笑いながら

「何年でも待つよ」

そう言ってくれたのを覚えています。

だから、きっと今も
遠くにも行かず、どこか近くで
待っていてくれてるんじゃないかって

そんな風に思うのです。



「待ってる」




運転中唐突に、自分の脳内でなく
外からそんな言葉が飛び込んできた気がしました。

ハッとして、また泣いて

私は夜道を走り抜けました。





きっと会える
いつか会える

待たせるのはいつも私

ごめん、ごめんね

懲りずにどうか待っていて

必ず
迷わず

あなたの所に行くから


待っててね。







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夏のこと

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八月はめまぐるしく
日照りてりてり
毎日が汗だくだくでした。


やっとこさインターネットも落ちついてできるようになってきたので
先月の出来事をご報告も兼ねて記事にしておきます。


まず古民家のこと


7月過ぎから始まった家のリフォームが
打ち合わせが少ないまま始まってしまい
毎日のように古民家に通うハメに。

ある時、勝手に壁に穴を開けられていて衝撃だったので
行かなければ...という気持ちでしたが
いるならいるでどうする?と生涯使うモノの色や配置方法を
知識もないまま即決判断しなくてはなりませんでした。

経費削減のため、こちらでコンテナを呼んで
まとめて廃棄処分するようにしたのですが、乱雑な状態になってしまい
ゴミの分別、コンテナに瓦やコンクリートや柱等を入れるだけでも
力ばかり必要な重労働でした。

途中で何度か熱が出たりしましたが
本当に病気になって寝ている場合じゃなくて
逆に少したくましくなったような気がします。

主任のお盆休み全てで自力の引越し
しかし内装の壁塗りを自分でするということで未完了のまま
それに古民家の片付けは終わっても掃除が終わってなくて
持って来たものもしまえずに、しばらく屋内キャンプでした。



次に結婚式のこと


家の事におされて一時完全ストップしていました。
ペーパーアイテムは全て手作りするつもりで
招待状を慌ててつくり、なんとか無事に発送する事ができました。
雨が全く降らず、借りた畑のカボチャは壊滅してしまいましたが
家の裏の畑では割と元気に育ち、収穫しはじめています。

自分の気持ちや色んな事が不安だったのですが
あまりの忙しさに、今日することだけでいっぱいいっぱい
他事を考える余裕が全く無かったので、それは良かったのかもしれません。

細かい事は追々書きます。
てか、準備しなくちゃ...

友達に誘われたウェディングフォトの方もぼちぼちと
仕事になっていきそうな感じで
未だにそういう事を特別やりたい気持ちではないのですが
私のスキルはかってもらえているし
色んな人と接する機会なので、貴重に思っています。
これも何かの縁なんだろう。



最後に旦那のこと


めまぐるしい日々で自分の誕生日にすら
招待状を作り、壁と天井を塗り続け、挙げ句主任の胃腸が弱り発熱
でもごめんねあたしももう冷えピタ貼るくらいしかできない状態でしたが
やはり旦那の命日に向けては
心のどこかで、何とも言えないカウントダウンを感じていました。

命日は旦那宅にお邪魔し、例年通りお花を飾り
他愛ない会話を義母としながらふたりでため息をついて、帰りました。

一度だけ、旦那の声が聞こえた気がしました。
これも追って書きます。




気がつけば風が涼しく
鈴虫が鳴いていて


ああ、何とも大変な夏でありました。

夢の一息

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最近余裕が全くなくて体調管理ができないだけでなく
失くしものをしたり携帯を落としたりする事が増えてしまいました。



そんな中、久しぶりに旦那の夢を見ました。
彼は根からの理数系で、なんだかその類のことを考えている様子を
私がぼーっと見ている、そんな夢でした。

死んでるとか、生きてるとか
悲しいとか、嬉しいとか

そういう感覚はありませんでした。

当たり前のように
ただ、そこにいる
それだけの夢。


死んでなかったという喜び
死んでしまったという再認識の絶叫

そういう夢は、目覚めた時にショックが大きくて
こちらの日常をしばらく送れなくなるので

静かに姿を表してくれて、ありがとう。


あわよくばもう少しと
ズルズル二度寝三度寝を繰り返しましたが
そこまで甘くはありませんでした。


結婚式の準備段階で言うと
また、招待状を作らなきゃという時頃。
それは旦那の事故直前の時頃。

落ち着きません。


どうか、何事もありませんように。






義妹の彼

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降って湧いたように、旦那の妹が結婚するらしいです。
ご両親も驚いています…
同棲するなら結婚しなさいじゃあしますみたいな感じで。
思えば弟も親友も、同棲するなら~で入籍していったな。
タイミングではあるだろうけど、普通の結婚てそんなもんなのだろうか。
義兄の挙式と義妹の結婚の後なら、どさくさ紛れに(?)
義両親が私の結婚式にも来てくれる確率が上がる気もする。



義妹の彼、旦那に似ていると旦那の親戚がざわついているらしいです。
私が写真で見た時は旦那に、というか旦那の家系似だなぁと思ったのですが
(私からすれば旦那と義妹も義兄もみんな良く似ている)
見た目だけでなく、中身の感じも旦那似のようで。


旦那が忘れ形見として連れてきたのかな?

一瞬そう思いました。
だけど同時に義家族の中で

旦那のポジションをとられるのでは?

と少し不安にもなりました。
後継であった旦那亡き後、その人が頼りです(義兄は遠方に出っぱなし)
義家族が幸せなら全くそれでいいのだけど

私はやっぱり、旦那に似た人とは

そういう人の近くに居るのは
きっと旦那を重ねてしまうから
無理なんだろうな。

同じ人なんかいないのに
旦那の方がいいとか、違うとか
比べたところで皆が傷つくだけだから

唯一無二の存在だからこそ
私の中に旦那があり続ける
それでいいはず。

でも関心を持ってしまう
羨ましいという気持ちとは少し違う
だってその人は絶対旦那じゃないから
絶対同じようにはならないから



今自分が選択した道を
決して悔いているわけではない


ただ

ただ、


失われた希望が、ちらついて。




旦那は死んでしまった

旦那は帰ってこない


嫌という程

泣きたくなる程に




わかってる…









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紫陽花

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旦那のお母さんと
私のお母さんと3人で

紫陽花を見に行きました。



何年か前に、旦那とも来た場所

空まで紫陽花が繋がって

なんだか不思議な気持ちでした。



アジサイフェスティバル最終日

また 夏がくるんだね。






命ないもの

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父の日は、旦那のお父さんには皆で食べられるケーキを
主任のお父さんには大好きなお酒を
私の父にはお供えのお花を用意しました。


お花を見て、母が喜んでくれたのが
嬉しかったというよりは少し安堵しました。

死んでしまった人にしてあげられる事は少なく
そして何かをしようと思う人自体も
時の流れの中で容赦無く減っていきます。

それを故人の側で感じるのは、二重に寂しい事だから。

渡した時も帰る時も、帰ってからも、次の日も
「ありがとう」と言ってくれました。




旦那の家では、もちろん旦那の好きなチョコレートケーキも用意しました。
私がお邪魔するときは、いつも骨壷の包みを
祭壇からリビングの卓上に移動させてもらい
一緒に団欒しています。

旦那のお骨の前に、しばらくケーキを置いておいて
皆が食べ終わった頃に
「もう食べた?食べた?私食べていー?」
と旦那に聞いてから私が頂きました。

子供だましと言われればそれまでですが
それが私の考えついたやり方です。





命あるものを大切にしましょう

そんな事は当たり前で
じゃあ命の無くなったものはどうでもいいのか?
と考えてしまう。


自然の中なら、死骸も枯れ木も全て
物理的にサイクルの輪に入っている
死することも生きることに繋がっている
だから死ぬことにも意味があって
死んだ後も他の生き物にとって必要な存在であって
やがて消滅していく

でも人間は、少し違う気がする

死んだら終わり
生きてなんぼ

その言葉通り、

死自体は誰にも必要とされない
遺された者の気持ちだけが大きく入り混じっていて…

むしろ、それだけのような。


だけど八百万の神様だとか
付喪神だとかそういう考えに則って

命が吹き込まれるかのように
神が宿るように


命がないものも
失われたものも

大切にしたい

気持ちだけしか無いのであれば尚更



だって変わらず

貴方は愛されるべき存在だから。






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真夜中の涙

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どうしようもなく

旦那に会いたい時がある


正直、さみしい気持ちはなくなった
生きていることが辛くはなくなった


でも、会いたくて


会って何がしたいとか
そういうわけじゃなくて

何か言いたいことがあるわけでもなくて

どうしようもなく



ただただ、会いたい


一緒にいたい


心ひとつでありたい



そんな願いが


叶わなくて泣けてくる



四年半もたったのに

自分は再婚しようとしてるのに

会いたい気持ちだけは変わらない


会いたい


こんなにひとつの願いを

叶えられないことに涙する願いを

持つとは思っていなかった


あなたに会いたい



そしてきっとこの願いが

生涯の一番の願いであり続けることも

何となく感じている



こんなに好きだったのと

自分でも思う


とてつもなく重要な人が

死んでしまったのだと

感じている




「俺は死んでもいいけど、チョコはダメ」


事故に遭う何週間か前に言っていた言葉


そう、あの人は私がいないと生きていけなかった

私が精神的に支えていた時期があって
旦那の生きる目的が自分であると感じていたから
英国紳士に憧れていて
「平凡な街の平凡な男の、格別な愛情」
というキャッチフレーズの映画に感激していたから

だからこそ日常の中でも周囲までも
ありありと分かるほどに私は大切にされていた事も

すごく嬉しかったけど

もっと私より自分を大切にしてって

思うほどに

じゃあ私があなたを大切にするねって

思うほどに



死んじゃダメ、と言われた時は
私の方は旦那がいなくても生きていけるんだろうと
そう何となく思っていたし

実際そうなっている



なのに一番の願いが旦那に会うことなんて

いつからこんなに好きになったんだか


泣きながら笑っちゃう






大好き






本当に大好きなんだよ







会いたいよ








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自然の中で

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先週末、おばあちゃんちの田植えを手伝ってきました。

俺も手伝ってみようかと、今回は主任も一緒でした。
前回の棟上げで親戚のおじさん達とも仲良くなり
初めてで不慣れな作業に時折笑われたりもしていましたが
貴重な男手として、これからも活躍してほしいです。


かたわら私は姪っ子に花冠を作ってあげました。



小学校低学年ぶりでしたが、覚えているもんですね…
ゲーム機ばかり握りしめていたのですが
珍しがって喜んでくれました。



借りた畑でも、作業をしていると近くの畑のおじさんが
もぎたての野菜を両手に抱えて「食べるの手伝ってー」とやってきます。
他の畑にいるおばちゃん達ともみんな挨拶や会話をします。

先日は購入した家で片付けをしていた日の夕暮れ時に
突然裏のおじさんが両手に大きなブロッコリーを
まるでマラカスのように素手掴みで持ってきたので
一体何事かと思いました(笑)
「早く引っ越しておいで」とニコニコ言ってくれて
とても嬉しくなりました。



畑や田んぼの近くにいると、自然とコミュニケーションが起きる気がします。
普段の生活の中で接して来る店員さんやナンパ者とは違う
もっともっと緩やかで和やかな付き合いです。

ふかふかの土の上であるとか
飾らない者同士だとか
程よく体を動かした後だとか

そういう条件もあるんだと思います。
先輩達の指導を頂きながら
私も早く立派に畑作りができるようになりたいです。


人が人のために作った町にいると便利ですが
自然の中に人が住まわせてもらうというのも
なかなか快適なのかな?と
田舎暮らしに期待を寄せています。



上棟式と美しさ

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先日は上棟式でした。
父の夢だった、海辺に家を建てている母。

昔の棟上げのように近所の人が集まってお餅を投げたりはしなかったのですが
四隅から一応お餅を落としてくれました。
神様に工事の無事を祈る
神様がいるかどうかは置いといて、こういう行事や気持ちは大切にしたいと思います。

その後母の親戚みんなでおばあちゃんの家にてご飯を食べました。
母の親戚は本当に仲が良くてあったかくて
一族のあるべき姿として憧れを抱きます。
でもその仲の良さも、みんなの努力の賜物であると
最近は分かってきました。


仲良きことは 美しき哉


おばちゃんが絵付けした徳利に書いていた言葉です。
嫁に来て半世紀、きっと色んな我慢や苦労をしてきたのだろうと思います。
その上でこうして皆とまあるく、笑っていて
もはや敬服します。

その日は、私の苦手な弟のお嫁さんもいましたが
美しく生きたい、とテーマを掲げた自分を振り返り
過度にすることはないとは思うけれど
人と仲良くする事も、美しいことなんだなと気付かされました。


八方美人という言葉は
非難する気持ちが含まれているけれど
それでも美人は付くんだなぁ、なんて。
なかなか八方に気を回すのも簡単じゃないよね。



かぼちゃ

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買った家の裏に延々と。

今年借りた畑と
おばあちゃんちの畑にも植えました。

三ヶ所植えたら、全滅はしないだろう…


耕してもらったり、場所を借りたり
なんだかんだと親戚皆に協力してもらった形で
本当にありがたいです。
しかしほとんどは食べられない種類です。
オモチャカボチャという小さくて形が面白いミックスのを植えました。
皆にあげれるよう、もっと食べられるやつにしたら良かったと思いつつ
収穫が楽しみです。
ちなみに、「つちはじめ」で書いたサニーレタスも無事にたくさん収穫でき
おいしく贅沢に食べました。
野菜も地味に高値なので、育てるのは良いですね。


カボチャ発芽の時の様子。
嬉しかったー^^






母の日と記念日と

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母の日、3人のお母さんにプレゼント渡してきました。

旦那のお母さんは「3人も大変だったらもう…」と
予想的中に言われましたが
いえいえ私がしたくて、と返したら笑顔で受け取ってくれました。

母や父と呼ぶ人が増える事は、私にとっては
単に嬉しいことのようにも思います。
旦那の家族、式の席次にはなんと肩書きを書けば良いのか悩みました。
義父とか義母と載せるわけにはいかなくて、でも
もう「家族」とはできなくても「親戚」には留まります。
ずっとそこに留まっていてほしいです。
無かった事にならないなら、他人には戻って欲しくない。
私の希望です。



そして過ぎてしまいましたが、4/26は旦那との
お付き合い記念日であり結婚記念日でした。

命日なんてあまりに悲しいから
私はこの日を大切に…ってして来て
主任もそれに付き合ってくれていたのです
が。
自分が再婚をしようとしている今、
主任とその日をお祝いするのは一体どうなんだろうと
複雑な気持ちになってしまいました。

「おめでとうありがとう」と呪文のように旦那と二人で言っていた
その呪文は変わらなくとも
おばけになったって、未来に旦那を連れていくと
その決意は変わらなくとも

2人のこと?
3人のこと?
私の心に留めておくこと?

「誕生日」や「命日」とはまた違う、大切な日。
今年は割り切れないままに、もやもやと過ぎていってしまいました。

結婚してしまって、家も落ち着いたら
来年はまた違う気持ちになるのかな。




ところで。ここしばらく謎の体調不良と戦っていました。

感覚で言えば、車酔いした時のような感じです。
なんでもないのに胸がつかえる
喉の奥に違和感があり、軽い吐き気がする。
疲れているのか寝不足か、はたまたお腹がすいてるのか。
月経も一ヶ月半来なかった後、一週間おきに3回もきて
な、な、な?!という状態でしたが
結局はストレスっぽい。


もちろん、古民家の片付け&引越しもあるし
母の方もついに海辺の土地に家を出建て始めたし
友達の方も、ウェディングに関するワークショップを企画中など
何だか周りが慌ただしい事もあります。

でも一人でいる時に
式の事を考えている時に主に強い症状が現れるから
多分自分の結婚式がネックなのだろう。

こんなになる?
結婚式を控えるのがこんなにも?
おいおい、あと半年あるんだで。

原因が分かってからは少し楽になりましたが
そんな感じの気忙しい日々です。




家を買いました。

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先週、ついに例の古民家を購入しました。

9DKとガレージ3つ、畑付きでおよそ300坪。
田舎の規格はものすごい。


平野の農村ですが、初夏、家の前の小川にはホタルが舞います。
主任は「仕事から帰ったら、縁側でホタルを眺めながらビールを飲む生活をしたい!」と豪語しています。
汚水が家庭用浄化槽を通り、直接その川に流れるので
突然に環境意識が高まります。ホタル守らなきゃ。。

どんな生活になるやらと思っていたのですが
探したら1キロ圏内にコンビニや郵便局、銀行と何だかんだあってホッとしました。


水まわりのリフォームと耐震工事をするので実際に住むのはまだ先です。
現況渡しなので、前の住人の荷物を片付けなければなりません。
お仏壇に飾ってあったおじいちゃんの写真に手を合わせ、片付けを始めました。
(お仏壇など処分し難いものは売主に戻します)
物をため込む昔の人、気が遠くなりそうですが
趣味にかなう年代物のガラクタや骨董品を見つけるのはとても楽しいです。

市内までの通勤時間が40~50分になり、私は今から主任の通勤が心配です。
どうか事故が起きませんように。

写真、このくらいのサイズなら無難かな?(^^;)






今でも十分田舎っぺですが、この家はさらに時代から
切り離されたような感覚になります。
でもどこか懐かしくて、なんとなく落ち着く。
なんでだろう。






テーマ

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秋頃という話が出た時から思っていた
テーマはずばり、ハロウィン です。

今はモチーフとしても大好きなおばけ。
旦那とも繋がるものも感じ
私としては少し心がホッとしつつ、より前向きになれます。

主任も私もいい年なので、あまり可愛く子供っぽい感じにはしたくなく
かといって、大人のハロウィンってリアルホラーになっていくし
骸骨やカラスなどのダークさはおばあちゃん達がざわめくし
ってゆーかそもそも会場は純和風ですけど?

そんな支離滅裂な感じの中おし進めています。
ハロウィングッズの出る秋までじりじり待つことも出来ないから
私はカボチャの種を50粒ほど蒔きました。
こんな初心者が唐突に、本当に育つのか…
逆にうまく育ちすぎたら何百個収穫するハメになるのか…
お、お楽しみです(苦笑)



家の購入の事も、主任のご両親に伝えました。
主任が「や、もう契約進めてんんだけどね☆」と軽く言い放ち
「ウエェー!!」という予想通りの反応。そらそうですよ。
二世帯を出る事、決して、決して私が言い出した事じゃないと
分かってくれたので、私はもうそれでいいです。あとは親子で、ね。





最後になりましたが、熊本、余震が続いています。
旦那と式の準備をしていた時は東日本大震災が起こって
なんだか連想させるものがあり、落ち着きません。

もちろん一緒くたには出来ませんが
日常が突然崩落する衝撃は、どこか共通するものを感じます。
家族が無事でも、避難生活など非日常が続くと心が疲弊していくのは想像できます。

私も30年以内に70%起きると言われている南海トラフ巨大地震が起こると
震度6以上の震災予想エリアに住んでいます。
明日は我が身です。

災害、天災って本当にこわい。
どうかこれ以上被害が広まりませんように。
ライフラインや公共交通機関が一刻も早く復旧しますように。
早く余震がなくなりますように。






神様の答え

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時々、キリスト教徒の方が家に来ます。
勧誘というか布教というか。

いつでも誰でも小綺麗で穏やかで、立派だなと思います。ほんと神の使いみたい。
特にその気はないのですが、何となく無下にもできず
パンフレットをもらったり小話を聞いてしまいます。
(そしてまた感想を聞きに来られてしまう…)


どうして神は、私の愛する旦那を死なせたのですか。


その人達が帰ったあと、いつも思います。
聞けばそれなりの答えをくれるんだろうけど

それを聞いたところで、到底納得出来るわけがない!

以前は強くそう思っていて
今はこう思います。

納得させられる以前に、聞くのも怖い。

旦那の死は私にとって、何をどうしても肯定できるものではないから。
どうして、どうして?ってずっと思ってたけど
どんな答えも呑み込めないなら


もう答えなんていらない。



例えば、何かの答えがあったとして
もしそれをきちんと呑み込めるなら
それは素晴らしく幸せなことなんだろう

神様であれ、己の信念であれ
絶対的に信じる何かが
心の軸のような何かがあれば
強く生きていけるのだろう

けれど私にはそんなものがないから

現実や運命に対する反発心や恐怖、絶望
その嵐が過ぎてしまえば

旦那への愛情を
静かに胸に抱くばかりで。

それをあれこれ突かれることが
平穏さを乱されるようで
もう放っておいて、そっとさせてと思う。



神様なんか信じないと言ったり
でも神様にお願いしてみたり

うらんだり
感謝したり

勝手気ままにして

見捨てられるのだろうか
私が見捨てるのだろうか

でも、起きた事が変わらないのなら

もう理由も答えもいらないの。




旦那への愛情さえあれば

私の心はあたたかい


やわらかくて涙味

凪の海に漂うように

私は生きます。





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whereとwear。

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二回目の式の支度となると手順も現実もある程度わかるので
それほど夢や理想に心膨らむことはありません。


旦那とはどんな服装を着ていけばいいかなぁ?なんて
雑誌を見ながらお互いの服装を確認したり
色んな式場を巡って、フェアだとかランチだとか楽しんでみたり
ドレスもあれが着たいこれも着てみると
たくさん旦那を連れ回して
可愛らしかったなぁと懐かしく思い出します。


とにかく迅速に、堅実に

今の頭はそれがほとんどを占めていて
食事と立地を理由に早々と式場を決めました。

旦那の時に購入したウェディングドレス
大切に長い時間着たくて、それ一着でいこうと最初は思ったのですが
旦那とのものなのに…という違和感を感じ、披露宴の時に着ることにしました。
旦那のお母さんもドレス一度見てるしね。。
そしたら必然的に残る衣装の選択肢は白無垢で
それも提携店からさっさと決めてしまいました。
念のためそのウェディングドレスも試着。
入ってよかった…


ドレスはあの頃と変わらない
純白で、綺麗なまま残っていました。
泣くかなと思ったけど
なんだかそれよりもう少し温かい気持ちでした。

どうして持ってるんですか?という純粋な店員さんの質問に
2回目なので…と答えるしかなかった。

嘘じゃないけど
もっと、違うんだよ

色んな気持ちが込められているのを
周りの人は知らない。




ここ1ヶ月で、結婚式のことと家の事と
友達の手伝いと、おばあちゃんちの手伝いも重なってきて
最終1週間は胃腸炎で撃沈しました。

めまぐるしい
体力つけなきゃな。。




家族またぎ

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昨日、久しぶりに旦那の実家に行かせてもらいました。
家の方と私も一体どうなるんでしょうと常々話していた事が
急に全て決まってしまったので
ご報告せねば…という覚悟だったのですが。

旦那のご両親と義妹
先日は義兄の海外挙式に行っていました。
お土産をもらって、写真を見せてもらうと

やっぱり兄弟。

ふとした顔やシルエットが似てる。
新郎姿の旦那を
前撮りの1日の事を思い出して
お祝いの写真、なるべく明るく努めましたが
少し泣いたりもしてしまい。
そしたらもう、主任との事は言う気も無くなってしまいました。


もし旦那が生きていたら、
旦那と私も
この写真の中にいたんだろうな。


一年ぶりくらいに会った義妹も
以前は「チョコちゃん」だったのに「チョコさん」になっていて
私に会う事が無く、ご両親がずっと「さん」呼びなので
おそらく本人は無意識なのだろうけど
何だか遠くなった感じがして。



その日の晩は
遠方のお姉さんが久しぶりに戻ったと
主任のご両親と兄家族とお姉さん、主任と
皆で食事会がありました。

主任の家族もとてもいい人達ばかりで
楽しい時間を過ごさせてもらいました。




偶然にも1日で二家族をまたぎ
なんだか複雑な気分でした。

全く別々で無関係の一族
私が二つを知っているだけで
決して混ざり合う事は無く
私も、二つをとることはできないんだと
当たり前だけど、改めてそう思いました。

どちらも素敵な家族だし
どっちがいいとか
そういう風には思わないけど

食事会で久しぶりに酔っ払った私は
旦那と義兄の挙式に行けなかった事が
ただただ悲しくて
寝る前にピャーピャー泣きました。

どうしたんだろと主任はオロオロしてましたが
理由も言えるわけはなくて
ただただ泣きました。




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壁の中身と私の足

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旦那と膨らませていた「挙式」という幸せの風船。
旦那もろともこっぱみじんに吹き飛んだのは
もはや私にとってはトラウマです。


大変になって日々に余裕なくなって
また主任や誰かに不幸が起きるのが怖いから
とにかく早めに早めにと、不安は募る一方で
ひとり気持ちばかりオロオロしています。

主任は初めての事だし
何だか浮かれていて楽しそう。
それは私も嬉しいことだけど

主任の意向を加味しつつ
似通ったことをまた行うというのは
私の中では色々と課題が山積みです。



旦那の時と同じようにしてしまうのは辛い。
選ぶ地域も大して変わってなければ
自分の好みや趣味も特に変わってないという現実。

私は姓を戻す気もないので、ご両家云々という雰囲気は避けたい
となるともう一般的な雰囲気では難しい。

旦那を無視して自分は成立しない
自分の経歴として旦那の説明をするのか?
そもそも主任の方はどこまでの人が私の事情を知っているのか?

個人的にはそれ以上に、旦那をそっと含ませたい気持ちもあるから
あわよくば旦那の家族も呼べないだろうかとも思ってしまう。
主任はいいよって言ってくれているけど
旦那のご両親からしたら、また現実を目の当たりにするわけで
とても辛い事で、難しい事かもしれない。

カジュアルな集まりにすればハードルは下がるのかな
おばけさんたち、父の席は勿論用意するけど
旦那の席ないし居場所は来賓の方には置けないし
なんとかならないかなぁ…なんて思ったり。


「したいけど、もうどうしたらいいか…」と早々に弱音を吐き
最初に仕事でウェディングを手伝う例の友人に相談すると
「難しいね…でも、もっかいやるぞ!」と背中を押してくれました。
私のひよわなメンタルに、なんと心強い。
こんなタイミングでこの子と再開した事も何かの強い縁を感じます。



今になっても

幸せだとか、安心だとか

そんなものより

不安だとか、恐怖だとか

いつまでたっても

振り返ってしまえば

立ち止まってしまえば

動けなくなりそうな気がして。



オロオロ情報誌を見ていると、ある指輪の広告が目に飛び込んできました。

同じように雑誌で見つけて
「これがいい!」と私が
旦那にねだった結婚指輪。

旦那が死んでしまった日の夜に
泣きながら自分ではめた、結婚指輪。


自分の指にはまる指輪を眺め
胸がぎゅうとなって、
思わず泣きそうになったけど

「これね、旦那が買ってくれたんだよ!」

ほらほらコレ同じやつ!
こんなに高かったっけなー?
とか明るく言いながら、私は主任に雑誌を見せます。

こういう時、主任はいつも
「へー」とか「ほう」とか返事をしてくれます。

なぐさめの言葉をかけてくれる訳でもなく
もっといいの買ってやると張り合う訳でもなく
きれいだねとか、おもしろいとか
他愛ない日常会話の一つとして。


こんな風に話かけるのは単なる私の甘え
実際主任がどう思っているのかはわからないけど
主任に言ったことがあります。

私を知ることは旦那の事を知ることだと
旦那なくして自分はありえないと
そしたら主任は
「旦那さんも、まるごと全部好きになるよ」
と返してくれました。

旦那の話を人にするのが当たり前だった、
あの頃と同じようにふるまえる事が
私にとっては、大きな救いと気持ちの安定に繋がっています。



私は立ち止まらない

振り返って、悲しむより

今は方法を考えよう。

分断されたような過去も

私を通して繋がっていて

そして先にも繋がっていくように。


旦那は消えないから

終わらないから

一緒にいるから


立ち止まらなくていいんだって




そう思いたい。






ありがとうの言葉

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自分の再婚が突然現実的なものとなり
その覚悟も自覚もないまま、私はまず実母に事を伝えました。

あんたたちどうするの?
主任君はどう思ってるの?

ずっと母が、一番私と主任の行く末を気にしてくれていたと思います。
私の気持ちを気遣って、好きなようにさせてくれつつも
気になって仕方ないその質問が時々投げかけられていました。
私も、「そのつもりはお互いあるけど、時期は主任に任せている」と
それ以上答えることはありませんでした。

本当に、首を長くして待っていたのでしょう。
ようやく秋頃に~と話をするやいなや
「何日?!」と手帳を持ち出し聞いてきました。
次に会った時には、「こないだ市役所行ったついでにもらってキタヨ!!」
と婚姻届を渡されて、お母さんこんな人だったっけ….とキャラ崩壊気味です。



家のことは後日と黙ったまま、主任のご両親にも報告しました。
主任のお母さんは涙を浮かべながら
「チョコちゃんの気持ち待ちだと思ってた。よく決心してくれたね」
と言ってくれたのですが
私は「だって家が、私は何もなんです…すいません」
と内心苦く思っていました。

主任と再婚するのに抵抗があるわけじゃない
けれど旦那の姓を手放す決心ができたわけでもない。

特別悲しいわけじゃないし

特別嬉しいわけでもない。



久しぶりに地元に帰って来ていた親友にも
「なんか結婚することになってさぁ」と何気なく伝えると
親友は言葉をつまらせ、泣きながら
「色んな思いがこみ上げて来て…でも良かった。おめでとう」
と言ってくれました。
そこで私は初めて

あぁ、結婚ってそうだ、
そういうのだったな。

と思い出しました。


先に入籍だけ済ませた状態で
皆から祝福もされ損ねたまま
たった4ヶ月で未亡人となった私。

「結婚」という喜びを嚙みしめるにはあまりに短く
それを忘れてしまうほどに
絶望が全てを覆い尽くしてしまっていたように思います。


おめでとう。


遠くの記憶に消えていた
祝福の言葉

旦那の死、父親の死を挟み
自分には縁のない言葉だと


自分が祝福される事があるだなんて
もう考えつきもしなかった。



おめでとうって言葉は、

誰かが自分を見ていてくれた証
良き変化を認めてくれたという証

とてもありがたいと思う
だからありがとうって言葉で返すのかな。

…いや、私の場合は

実感はなくても
おめでとうと言われると
いいことなんだなって
頭でわかるから

おめでとうと言ってもらえる度に
心が少しずつ、嬉しくなるから

だから


ありがとう。