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天野洋平(あまちゃん)のプロフィール

あまちゃんはこんな人

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カナダ在住の新婚ブロガー 天野洋平(@Yohey_hey722)。

 

目次

  

天野洋平の略歴

高校時代にスノーボードを始める。

「カナダにはウィスラーっていうやべー、雪山があるらしい!」

っと友達からある日聞く。→カナダでの生活に憧れる。

 

富士通エレクトロニクスでの4年のプログラマーの経験を経て、27歳の時にカナダのウィスラーへ。

 

ブログは2013年5月にカナダ渡航前に自身の成長と記録の為に開始。

その後は、一度は日本に帰国するも、再びカナダへ。

 

2016年7月、カナダで知り合った日本人女性と結婚。 

カナダでの生活について

 

ぼくの家族について

ぼくは、1986年8月6日生まれ、30歳。

誰かが言っていたけど、8と6でハムの日らしい。

原爆が落とされた時。NO MORE HIROSHIMAが誕生日です。

 

家族構成

父、アマチュア最強将棋棋士。タバコが好きで大手企業の電気工事会社の勤務で家族を支える。

 

母、自称お嬢様。化粧品会社で勤めていたらしい、旅行が好きで、月に1回は国内、海外問わず放浪中。

 

関連記事:旅立ちの時、母がくれた大金、100万円以上の札束の真実

 

ぼく、ドラゴンボールをこよなく愛するオタク男子のアキバ系。そのせいか、自分はいつか空を飛べる!!と小学生の頃は信じて疑わなかった。

 

あと、おばあちゃん大好きです。カナダに住んでいる今でも、たまにメールします。おばあちゃん元気かな?
80才になるのに、メールができるばあちゃんってかっこいい。

 

弟、ぼくより2つ下で一応、私立中学に進学した秀才。頭は良いけど、性格は悪い。 

 

関連記事: ぼくより何もかも1つ上をいく弟に、生まれながらのコンプレックスを抱いていた話 

 

学生時代について

生まれてから〜小学校

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10歳ぐらい、ジャイアン体型でした。弟から「デブ」といじめられる。

 

東京都足立区で生まれました。

 

東京と聞くとすごい栄えていて、都会の街!っていうイメージがあるかもしれません。

しかし、ぼくの生まれ育った足立区はいわゆる下町。

 

昭和の光景の様な駄菓子屋さんや、畑などが近所にあります。

さすがに、駄菓子屋さんは今ではなくなってしまいましたが、現在も畑はちらほらと目にします。

 

小学校の時に、ハイパーヨーヨーが大流行。

近所のおもちゃ屋さんに、毎週のように通い詰めていた時期があった。

 

将来はプロのヨーヨープレーヤーになる信じて疑わず、毎日3時間ぐらいは練習していた。 

 

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ぼうのヨーヨーケース。50個以上はあるかな。 

 

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ぼくの現在のお気に入りヨーヨー、未だにやっている。

 

気づけば、当時世界的に活躍するヨーヨーのパフォーマンス集団

チームハイパフォーマンス

と近い実力を身につつけていた。

 

その頃の影響か、一つのことを、とことん極めるオタク力が養えた。

 

中学校 

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ぼくの在籍していた、足立区立第十三中学校はいわゆる当時はいわゆる不良学校。

どれぐらい悪いかというと、

 

「火災ベルがわりと頻繁になるから、火災かどうかよくわからない」

「卒業式に、卒業生が三分の一ぐらいこない」

「東京都内で一番学力が低い学校」

 

まぁ、挙げればきりがないですね。今思えば、よくそんな学校で育っていたなっという感じ。そんな学校だから、ぼくも例にもれず荒れていました。

 

「入学当初は学年10位ぐらいだった、成績が下がりまくって150位ぐらい(学年は180人ぐらいだった。)」

「ゲームと麻雀ばかりやる日々」

 

勉強はほとんどやっていなかった。というか、勉強をする意味がわからなかった。

そんな中でも、なぜか体育の成績は常に「5」を維持。

体育の筆記試験って難しくないし、体が動かせればそれでいいですしね。

 

高校

そんな荒れていた、中学校生活だが

東京都立蔵前工業高校の電気科に進学。

工業高校に進学した理由は

「手に職をつけたかったから」

 

新聞を読むと、不景気やら、リストラなんて言葉がよく目にされていて、将来なんらかの強みがないと生きていくのは厳しいのだなと感じる。

 

そもそも、「普通科」って概念がぼくにはよくわかりません。

必要ない、高度な数学や、難しい古典を勉強して将来の何の役に立つのかわからなかった。

 

工業高校というとすごい荒れていて、勉強ができないイメージがあるけれども、

蔵前工業はとても優秀な学校だった。

 

偏差値でいうと50程度しかない、誰でも入れる学校だが、長年の歴史により教育プログラムがしっかりと確立されていた。

そのおかげでぼくも在校中にいくつかの資格を取得することができた。

 

取得した資格は、現在のぼくの仕事に直接影響を及ぼすことはないが、

物事の勉強方法や集中力のつけ方について学べた。

 

例えば、第2種電気工事士の試験に関しては、授業などで必ず

「時間を計測して、設計図から所定の電気工事配線をを組み立てる」

 

っという、行為を必ず行った。そして、毎回そのタイムを計測。

そういった時間を計測という行為は今も役立っていて、ぼくは何かを取り組む際は、

絶対にタイマーを用いて、改善できているか客観的に見る様にしている。

 

体育委員長

中学の時も常に、体育の成績だけは「5」だったぼくは、単純に運動が好きだった。

そんなわけで、ぼくは1年生の時より進んで体育委員に在籍して、3年時には委員長を務めた。

 

まぁ、高校の委員長なので大した仕事はないのだけれども、人をまとめ上げることはわりと好きなタイプだったので、体育祭りなどの行事の指揮をとる。

 

運動しかできないぼくだけれども、何かひとつでもできることがあるっというのは有難いことである。

 

高校3年生の2月にスノーボードを始める、人生の転機

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高校生活も終わり近くなると、ある友人がぼくのことを最高なイベントに誘ってくれた。

「あまちゃん、今度スノーボードへ行かない?」

 

ぼくは、スノーボードをやったことがなかった。。

けれども、楽しいだろうなっていう直感が働いた。そして、その直感はぼくの今後の人生を大きく左右することとなった。

 

そして、初めてのスノーボードは、最高すぎた!

今までに経験したことのない高揚感、血の騒ぎ。

 

ぼくはこれから先の人生でスノーボードはやりつづけるなと確信した。

 

大学時代(東京電機大学での4年間) 

神田にある、東京電機大学工学部に進学。ぼくの専攻は電子工学。

ダンス部でブレイクダンスにも夢中となる。

しかし、冬場はスノーボード三昧の日々を過ごす。

 

大学時代は冬はスノーボード三昧

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大学1年生の時は、友達と雪山に通いつめた

 

大学2年生のでは、ぼくをスノーボードに誘ってくれた、友人と新潟県にある、上越国際スキー場というゲレンデのホテルで泊まりこみでアルバイトをした。

 

大学生ということもあり、あまりお金をもってはいなかったが、家と、リフト券が支給されるのは本当にありがたかった。

 

8時から11時、16時〜21時というシフトだったので、中抜けの時間は滑りまくっていた。オタク気質なので、平日も休日も時間を忘れて滑りまくった。

 

大学3年生の時は石打丸山スキー場へ、今度はペンションで働いた。ホテルと同じような感じ。しかし、今回は11時〜14時までしか、働かなくて良い。

 

石打丸山スキー場はナイター営業もやっているので、21時ぐらいまでは滑れた。

なので朝8時〜11時、14時〜21時まではずっと滑っていた。1日10時間以上滑り続けた。

 

大学4年生では群馬の友達の家を起点に、群馬のゲレンデに通い詰めた。

 

カナダへの思いを馳せる

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20歳の時、ぼくをスノーボードに誘ってくれた友人が

「カナダのウィスラーでインストラクターをしている知り合いが、日本に来るから、あまちゃんも会わない?飯田フサキさんっていうんだけど。」

 

っと言われた。

 

カナダ?ウィスラー?・・・フサキ?

 

何をいっているかいまいちわからなかったけど、どうやら彼の遠い知り合いらしい。

ぼくはフサキさんの出身である、江戸川区の平井というところに、足を運んだ。

 

ふさきさんは、お酒が入っていたせいか、かなり熱くぼくたちにスノーボードの魅力を語ってくれた。

 

「ウィスラーはめちゃくちゃ良い。」

「この技だったら、1シーズンもせずにできるようになる。」

「こんなスポットがいっぱいある。」

 

当時人気の、スノーボードDVDを見ながら語ってくれた。

ぼくはいつか、カナダのウイスラーに遊びに行こうと心に決めた。

 

そして、それからぼくはクリアファイルに、「ウィスラーに行く」っという文字を書いて、雪山の写真を入れて、電車のなかで眺めていた。

そうしていると、いつか近づけるような気がしたし、なにより楽しかった。

 

いつ行けるかの根拠はなかったけれども。

 

父親が倒れる

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20歳の時、父が潰瘍性胃腸炎で倒れる。この時は本当に衝撃でした。
ぼくはこの先どうなるの?大学を辞めなければいけないの??


親はいつまでも元気なものだし、ぼくの支えとなっていてくれた存在。そんな親がいつかは死ぬことは分かっていたけれども、体の不調を訴え家の玄関で朝の四時ぐらいに倒れる。

 

奇しくもこの日は、祖父の法事の日。母はとりあえず、救急車に同乗。

父は一命をとりとめて、生還。あと1時間病院に運ばれるのが遅かったら死んでいたそうです。
原因は、ストレスが考えられるとのこと。

 

父は会社の為に、休日も一生懸命働いていました。ぼくたちが寝てしまっている時でも夜遅くに帰ってきて、そして、ぼく達より朝早くに起きて出社。

 

今思えば、本当に頭が上がらない存在だし、こうして今も元気に生きていられるのも父のおかげ。父の事はやはり尊敬していました。


でも、そんな父は一生懸命働く事によって体を蝕まれていたのです。ぼくは本当にこう思いました。

 

「なんで、会社の為に一生懸命に働いているの、急に倒れたの?」
「なんて、家族の為に一生懸命に働くと、急に倒れなきゃいけないの?」
「っていうか、父が一番報われるはずなのに、なんでなの?」

 

ぼくは色々と分からなくなりました。


「人生ってなんなのかな?」
「あんなに元気だった父なのに、いつかは終わりがくるんだな。」
「ぼくはどんな終わり方をするのかな。」

 

そして、
「いつか終わりがくるならば、せめて後悔しない人生をしたい。」
この時、深く胸に刻まれました。

 

富士通グループ入社

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大学を卒業後、2009年〜2013年まで、大手企業の富士通グループでソフトウェアエンジニアをしていました。大手企業でしたが、一言で言うとつまらなかった。

 

皆、全然情熱的な目付きではなかった大企業ってこんなもんなの?

みんな受動的。そもそも、ぼくはなぜ富士通に入社したのかもよくわからなかった。

 

「とりあえず、大手で受けてみたら内定した」

そんなパターンだった。

 

肝心のカナダについても、大学3年生の時に本気で考えたが、ビビってやめてしまった。英語が話せない、お金をどうしよう、っていうかまずどうすれば良いのだろう。

 

20歳のぼくにとっては、海外に一人で行く、っという行為が大きすぎて、現実味がまったくないものだった。

だから、現実的な就職という道を進むことになった。

 

東日本大震災

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勤務していた横浜の高層ビルが揺れまくって、電車が止まりまくって、ビルに亀裂が入りまくり。ご存知の通り、日本中を震撼させた、大事件です。

 

けれども、そんな中我々、富士通の写真はどうしていたでしょうか?

ぼくは、本当に目を疑いました。っという、衝撃的でした。

 

何事もなかったかのように仕事をしているのです。

家族のこと心配じゃないの??ぼくと、同期の子歩いては帰りました。

家族や自分の生活があってからこその人生だから。

 

2013年の大幅の経営悪化で見切りつけて自身の進路を真剣に考え退社。

 

富士通を退社してカナダへ

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ぼくは自分の人生について、はじめて真剣に考えました。

26年間なんとなく、目の前にあることを消化してきて、今までなんとか生きてこれた。

それなりに楽しい人生だったかもしれない。

 

けれども、社会人になってから、不満だらけの人生だった。

もっと、ぼくは自分らしく、自分の人生を謳歌したい。

そんな想いを強く抱いた。

 

ぼくは、2013年9月についに、憧れの地、カナダへと旅立つことになった。

 

「英語はまったくしゃべれない」

「知り合いは誰もいない」

「家や仕事はどうればよいのだろう」

 

そんな、不安がつきまとったけれども、とりあえず行ってみることにした。

行動しなければ、何も始まらない。

 

そこでは、ぼくが待ち受けていた以上の想像を絶する刺激的な生活だった。

毎日が充実していて、何もない1日です感動を覚えた。

 

その頃の詳細の記事はこちら。

  

www.yohey-hey.com

 

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帰国後、日本へ

日本へ帰国して、転職活動をするのだが。

「この会社で働きたい!」

っと思える企業がぼくの中ではなかった。

 

それはそのはずで、ぼくにとっては、スノーボードが楽しめる環境でなければ意味がないのだ。それぐらい夢中になっている。

逆にいうと、それさえ満たしてくれる環境であれば、別に職種は問わなかった。

 

一応、それなりの会社には内定できた。

けれども、東京で働きながらそれをやるには負担が大きかった。

 

そして、カナダの山を1シーズン100日以上滑り倒したぼくにとっては、日本の山はとてつもなく小さく感じられ、つまらないものだった。

 

強いてはぼくの人生までつまらなくなってしまった、そんな感覚だった。

ぼくはスノーボードの事しか考えていない自分を少し悔いた。

別にその先何がまっているのかもわからないのに、それでいいのだろうか?

 

しかし、この先どうなるかわからないけれども、30年後人生を振り返った時に、

「自分のやりたいことができなかった人生は間違いなく後悔する。」

っと、予感していた。

 

父が20歳の時に倒れたのを目の当たりにしてから、その考えはより強いものとなっていた。

 

日本からカナダへ

2015年10月、ぼくは再びカナダに行くことにした。

目的はスノーボードをするためであったけれども、内心、何がやりたいのかよくわからなくなっていた。スノーボードを続けた先の人生に疑問を感じ初めていたから。

 

若い時期はそれでもいいかもしれない、何も考えずに夢中になれることがあるのは、素晴らしいこと。でも、もう29歳。決して若くはないのだ。

 

30歳過ぎの人生を考える、帰路に立たされていた。

 

これからの人生について

ぼくには昔から夢が3つある。

 

年収1000万

幸せな家庭を築く

趣味を謳歌

 

年収1000万っていうと、お金にものを言わせてブイブイしたいのか、お前は?!

って思われてしまうかもしれない。

 

けれども、ぼくがほしいのは別にお金じゃない。

お金を通した先の経験やライフスタイルがほしい。お金はそのための手段にすぎない。

 

カナダで家を借りて、家族を養って、趣味を続けて、妻を養って、自身の人生を謳歌しようとすると500万〜600万円ぐらいでは、やや乏しいのだ。

 

別に裕福がしたいわけではない。人生の選択肢が狭まるのがぼくは嫌なのだ。

ぼくは30歳以降も、もっと自分の人生を楽しみたいし、先日結婚した妻や将来の子供のためにもどうしてもお金は必要になってくるのだ。

 

たった1度の人生、自分らしく思い描いた道を歩きたい。

辛いこともたくさんあるだろうけれども、少しでも楽しい人生にしていく為に。

  

結婚

 2016年7月22日に日本人女性と結婚しました。

 

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両親がいつも仲が悪く、食事の時は葬式のように静まりかえっているので、

「将来は結婚したくないなー」

っと考えていました。

 

結婚は人生の墓場っていうじゃないですか。

でも、今の所はおもったよりも悪くない。

新婚だからっていうのもあるかもしれませんが、お互いに楽しくやっています。

 

なにより、最愛の人が作ってくれる料理っていうのは最高に嬉しいものですね。

ぼくは食べるのがこの世の中で1番大好きなことだから。

おかげで、最近デブエットになってます。

 

今後のブログ運営について

2016年8月度では月間10000回読まれる個人メディアとなりました。

年内には10万回読まれるように毎日2〜3記事程度更新しています。

 

ブログの収益もそろそろ1万円を越えそう。

その辺りについてはこちらで書かれています

来年の6月までには月10万円の収益を得られるようにします。

 

www.yohey-hey.com

 

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好きな食べ物

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  • 唐揚げ
  • おばあちゃんのシチュー
  • 甘いもの全般
  • お菓子

 

書いていて思いましたが、典型的な子供ですね。

お菓子やアイスって。

 

お菓子はあるだけ全部食べちゃうし、将来は糖尿病になってしまうのではないかと、今からやや心配。

 

好きなアーティスト 

B’Zめっちゃ好きなんです。

ライブも何回かいっています。

 

今は、カナダに住んでいるので、会報などの特典を受け取るのが難しいため、ファンクラブには加入していませんが、昔は加入していました。

 

好きな曲はメジャーなやつだと

  • LOVE PHANTOM
  • Pleasure

 

マイナーだと

  • Wonderful Opportunity

 

どれも、素晴らしい曲ばかりなので、ぜひ聞いてみてください。

 

趣味

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  • スノーボード (12シーズン目、現在では年間100回程度滑走)
  • ランニング  (4年ぐらい ハーフマラソン1時間39分)
  • ブログ    (2016年7月より、はてなブログにて運営。ほぼ毎日更新)
  • ヨーヨー   (前途の通り、かなりの実力者)
  •  キングスライムを眺めること (めちゃくちゃ癒されます。)

 

SNS

●フェイスブック

●ツイッター

 

何かありましたら、お気軽にお声いただけると喜びます。

 

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