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パラ選手は障がい者か   

2016年 09月 17日


☆パラリンから学ぶこと.

400mリレーのパラ選手の新聞記事写真を添付します。
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写真解説「パラリンピック400mリレーで銅メダルを獲得し、笑顔でガッツポーズをする4人の日本陸上アスリートの写真です。(読売新聞9月13日)」

パラリンとはいかなる意味なのでしょうか。
もとは半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語。
半身不随者以外も参加するようになったため、1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、「もう一つのオリンピック」と解釈することになった、とのこと。なるほど!^^

さて、世界中のパラ選手たちが頑張っているリオ・パラリンピック。
どの選手たちも半端なく元気で、輝きに満ちていいます。
この陸上400mリレーの選手、2人のひざ下はバネ状の義足です。
別の2人は腕に障がい(欠損等)があります。
レースは4位だったが、米国の失格で結果、銅メダルを獲得した。
金メダル、銀メダル、銅メダル・・どれもスゴイ。
入賞と比べて僅差だが、メダルはやはり重い。

それにしても何という健康な人たちだろう、と思うのです。
確かに、あるべきものがない、機能すべきものが機能しないということは事実。
でも、この選手たちには余りある強靭な健康が宿っている。
果たして、この人たちは「障がい者」なのでしょうか?
どう見ても、障がい者ではない。健常者以上ですね。

読売新聞(9月9日)に、パラ選手の言葉がありました。
「障害という言葉を死語にしたい」
「僕は自分を障がい者と思っていない。例えば、高齢で体が動かなくなる。皆はそれを老いという。例えば心に問題を抱える人がいる。内在するものは見えにくい。人は皆、何かしらの障がいを抱えている。大きな違いはないと思う」
新聞は「彼らを障がい者と呼べるのか」と語っていました。

この人たちは、やはり障がい者ではないと思います。
障がいを克服した人、としか言いようがないから。
障がいを個性に変えて輝く人とも言える。
ともかく、この人たちの姿を見て、ただ圧倒されるばかり。
目が見えなくてもサッカーすらできるのですから驚きです。
サッカー記事は、→ここをクリック!

私は千早さんを通じて自在会を知りました。
千早さんの記事は、→ここをクリック!
また、私の地区に過去いらっしゃったSさんから妙音会を知りました。
妙音会Sさんの記事は、→ここをクリック!
また、うるとらまんさんの奥さんを通じて、さらに理解が深まりました。
うるとらまんさんは、→ここをクリック!
この3人の方々は、元気に幸せに生きていらっしゃるのです。
勿論、障がいはあります。不自由もされている。
でも、克服して輝いているスゴイ人たち。^^

この人たちを障がい者というなら私も障がい者です。
近眼、老眼、脳みその劣化(笑い)による実行力の低下、気力の衰え、年齢から病気の治りが遅い、その他いろいろ。人生における問題(障害)も数知れず。
同じですよ。性格の欠点も障害といえば障害(業・カルマ)。
例えば大酒のみ、ギャンブル、浮気、虐待・・
皆、何かある。皆、同じです。

私としては、パラ選手に障がい者という認識はなくなりました。
私より数十倍も上のパフォーマンスだから。
沢山のことを学べる、リオ・パラリンです。
パラリン別記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2016-09-17 22:04 | 妙音・自由の人 | Trackback | Comments(0)

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