| 本来なら、シバターに腹を立てるような行為は不毛だが。 | 2016/09/17 (Sat) |
その人に腹を立てるという行為はユウチュウバーのシバターに腹を立てる事と、同意義だと感じていたので今まで書かなかったが、ダメ人間ブログの人気ランキングではいつも達観したような表情の男がタバコを加えている。
自分より立派でありアクセスも多い存在を捕まえて書くという行為には本来はデメリットしかないのだが、敢えて甘えを言うとこれは私の只の感想であり悪口ではない。
そして私の中では悪口というのは突き詰めると只の感想だ。
できるだけ読まないようにしているので、間違っていたら申し訳がないが彼はよく″嫌なら見るな″という言葉を使う。
私が一番嫌いな言葉の一つである。
尚且つネット民である以上本来なら酷い反発を持って迎えられた岡村隆史の言葉を″分かりやすく反論しにくい言葉であるから″という理由で輸入して使い始めた。
一部のネット民のそういう厚顔無恥なやり方には私は辟易とする。
まあ本人が岡村隆史のファンのようなので、使っても別に良いのかもしれないが、あくまでどうでも良い私の意見を尊重するのならそれでも嫌だ。
あと″嫌なら見るな″という言葉に対して言いたいのは盗撮された上で苦言を呈されたのならばとにかく、敢えて″見せるため″に書かれている媒体やメディアが、人の目に入って嫌悪感を示された瞬間、嫌なら見るなと、賛美しかよせつけないような言論をとるのはいかがな物かと言う事だ。
まあ今現在本人がコメント欄を埋め立てている以上、とにかく苦言は呈されたくないのだろうが、本人はブログでは他者・出来事に苦言を示す。
あと単純にこれは私の同族嫌悪だが、常に達観したような文章が嫌い。
・ダメ人間が、とかダメ人間の定義とは、とかそういう事にやたらとこだわっていて気持ちが悪い。
・だれもが認める圧倒的なダメ人間を歌いながら″ダメ人間ブログを書くのは向いてないとか最近少し思っている″とかしょうもない事を言い出す。
・わざわざ頼んでもないのに斜に構えた文章を書く癖に″炎上する記事を見てブログを書くのが少し怖いと思っている自分″とか、面倒臭いメンヘラみたいな事を言い出す。
・文章書くのに義務感を感じてそうでウザイ。
・ダメ人間という弱者を傘に着れば何でも言っていいと潜在的に思っていそう。
こんな所だろうか。
(突然説得力0の文章を書くが)個人を攻撃する目的ではなく、私の気持ちの調整の為に書いているだけなので、一々魚拓みたいなものは貼らないが、これを書いた当時私の目が見て私の頭はこう感じたという文章だ。
個人の見解なのでどうしても事実と違う部分は出てて来てしまうかもしれない。
続けてこれは完全な私の甘えだが、これを書いた上で私の胃が痛くなるような結果は避けたいので、何も起きない事を望む。
ここまで私が腹を立てる以上同族嫌悪感以上に嫉妬がまざっている。
| カレーライスについて。 | 2016/09/16 (Fri) |
フードコートというのは大抵マクドナルドや名のある店意外潰れるのだが、パーキングエリアにあるような食事所をいれる大型スーパーは多い。
まあ潰れても必ずそういう食事所をいれてくる理由については少し心当たりもあるのだが、確信がない。
ここは確か4代目にあたる店であり、カレーライスを一つのメインメニューにしている店なので、どうかと思い食べてみると味が完全にレトルトだった。
カレーというのは、味を磨いた店でもレトルトを出す店は多く、だからといってチェーン店ではカレーハウスCoCo壱番屋とゴーゴーカレーしか有名店がなくちなみに私はココイチは嫌いである。
本当は家庭料理として出されるレトルトではないカレーが一番なのだが、私は家族が料理を作る対象から外されており、それは滅多に食べれない。
私の母方の祖母は繊細な味の料理を作る人だが、何故か母の料理は味が大味であり、しかしオムライスとか肉じゃがとかコロッケとかカレー(カレーは市販品だが)とかそういう料理に関しては美味しい。
自分で作ればいいのかもしれないがカレーライスに関しては、自分で作っても美味しくないという確信がある。
| ネットの加齢臭に人は気付かない。 | 2016/09/15 (Thu) |
そもそも私はすでにツイッター特有の軽い風刺にとんだような文章は書けないし、ツイッターを匿名でやるなら年齢を感じさせない文章を書くべきだというのが私の考えだ。
ネットにも加齢臭があり、人は中々その臭いには気付かないし気付けない。
そしてネットには若くない文章は相応しくない、(デジタルに老いは相応しくない)。
それが魅力になる人なんてごく少数だ。
フォロワーも減っているし、本来ならもう辞めるべきなのだが、それが出来ずにいる。
半放置状態にして去ってもらうユーザーには去ってもらうしかない。
| 実際のゲームと攻略本は違うから、高学歴からも落伍者がでてくる。 | 2016/09/13 (Tue) |
実際の労働には動体視力と人間関係が関わってくるのに対して、学校の勉強というのは教科書の問題を守られた環境で解くものだ。
問題を解いている最中に誰かが急に意図不明瞭な言葉を話しかけてくる事もなければ、教科書を開くという作業は動体視力がなくてもできる。
学校の勉強から実際の労働にうまく引き継ぎく事が出来なかった人々は、不幸なのかどうせ落伍者の仲間入りをするなら学歴があるだけマシだったのか。
学歴もない落伍者からみたらやはり後者が魅力的に見えるが、実際に高学歴の落伍者になるとその葛藤も一潮だろう。