ビッグガンガンにて新たにさわやかさん原作の『キューティーミューティー』の連載が始まったばかりのふみふみこ先生。このタイミングで、今年の頭に完結した傑作『ぼくらのへんたい』について語っておきたいと思います。
『ぼくらのへんたい』は、三者三様の理由で女装をする男の子たちを中心に、彼らを取り巻く家族や友人らを描いた群像劇です。
一見したこの可愛らしい絵柄からは想像できない、果てしない重みがあります。
トラウマを生み性格・性癖を歪めた過去の虐待。
家族の死により変貌を遂げ狂気に至った親。
解離性性同一性障害。
まだ義務教育も終わっていない子供が背負うには重すぎる枷を彼らは背負っています。
そんな彼らは、インターネット上で女装男子だけが集まるコミュニティを介して、オフ会という形で出会いを果たします。
世間から見れば、「女装男子」「男の娘」という括りで同じに見える三人ですが、抱えている物はそれぞれ全く別物。
故に、解り合えるようで、解り合えない。
ハリネズミのジレンマのように、近付こうとすることで傷付け合う。
でも、それでも、全くの孤独でないということが、多少なりとも他人と解り合えるはずもないと思ってきた想いを共有できるということが、ずっと一人で思い悩み心の裡に溜め込んで来たものを吐き出す場所ができたことがどんなに救いになったか、と思います。
『ぼくらのへんたい』というタイトルは、「変体」であり、「変態性欲」でもあり、そしてまた「編隊」でもあるのだと思います。
女性として振る舞おうとしても、成長にしたがって骨格は男っぽくなり体毛も濃くなり、声も声変わりが訪れて変容していってしまう。あるいは、男性としての肉体が求める欲望を抑え切れない……そういった細やかな描写による戸惑いが丁寧に描かれており、ジェンダーやセックス的な問題を考える上で非常に有意義な物語です。
ただ、個人的には更に普遍的な問題、人が社会において自分の命や尊厳を脅かされ、状況的に独力でどうにかするのが難しい場合にどうすればいいのか、という問い掛けへの答として着目します。
この作品の中で、とりわけ印象的で好きなシーンがあります。
三人の内の一人が、ずっと抱えていた重荷からふと開放される瞬間の描写です。
涙といっしょに長いことずっと胸に抱えていた
たくさんの小石が
お砂糖のかたまりになって
すうっと溶けていって
それは甘くてあったかくて
やさしくて
私はやっと一息つけた
絵と文章で相乗して織り成される、漫画という表現の威力を感じさせられた一節です。
今いる環境を変えるのは勿論、逃げ出すことですら非常に大きなエネルギーが要ります。
そして、多くの人は「逃げるのは負け」「皆と同じでなければいけない」「誰かに助けを求めたら迷惑を掛けてしまう」といった精神を小さい頃から植え付けられていることが多いです。
しかし、自分の命や尊厳が脅かされるようであれば、すべてを一人で抱え込まなくてもいい。
エヴァのシンジくんは「逃げちゃダメだ」と言っていましたけど、あれは自分の人生をより良い方向へ導く為の、逃げることで生きながら死んでいるのにも似た状況になるが故の「逃げちゃダメだ」です。
逃げて負けても生きている方がいい。
皆と同じでなくてもいい。
本当に辛かったらみっともなく助けを乞うて迷惑を掛けてもいい。
もっと誰かがそう教えてあげるべきです。
世界のどこかには、ありのままの自分を受け入れてくれる人もきっといるはずだから。
家庭、学校、職場……どこで苦しんでいるにせよ、自分を死の淵まで追い込むような環境には無理に付き合わず、逃げてもいいんだよ、と。
この『ぼくらのへんたい』の三人の主人公も、一人で抱えようとして、抱えきれず、周りの助けを得ながら状況を変化させて行くお話です。
元々、人間は全ての人に好かれることは有り得ません。どんな人でも、誰かには嫌われます。であれば、そんな中で自分を好きになってくれる人、無条件で受け入れてくれる特別な人を大事にすればいい、と考えることで少し楽になる部分もあるのではないでしょうか。
序盤はかなりドロドロしていますが、一巻から最終巻にかけての表紙の変遷が全てを物語るように最後には希望の光に照らされます。タイトルやテーマは尖っていますが、物語運び自体は非常に巧みで引き込まれますし、多くの人が無理なく受け入れられる内容です。
女装や同性愛といったものをあまりよく知らず嫌悪する人にこそ手に取って見聞を広めて欲しい、様々なことを考える切っ掛けにして欲しい。そんな一作です。
文:マンガサロン『トリガー』兎来栄寿
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