小坪慎也(行橋市議会議員)

 まず結論から述べるが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが飛び交うことに対しては仕方がないという立場である。これは左派(いわゆる人権派)に対しての牽制というか、私のポジションを明示するものだ。次にネット上の保守論壇に対しても苦言を述べさせて頂く。「仮に井戸に毒が投入された」として、騒ぐべき状況であるなら別の問題がある。

画像はイメージです
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 地方議員として言わせて頂くが、上水道が整備されており現在は「井戸水はかなり減った」のである。井戸水は余り関係ない。だから毒を入れられても問題ない!と言いたいわけではない。上水道は非常に便利だが、インフラとしての脆弱性も併せ持つと言いたいのだ。井戸水よりも災害に弱い。

 地震発生時には、蛇口をひねっても水は出ないだろう。なぜなら水道管は破裂しており、水が来ていないからだ。当然である。井戸水であればどうにかこうにか水を飲めるだろうが、上水道が整備されつくした現代、むしろ水の入手は難しい。

 言いたいことはわかると思う。「井戸に毒が!」というデマにおいて、現実的に恐怖を感じたものは「防災リュック(ペットボトル2本程度の水)を準備していない者だと思う。この準備は誰であってもするべきで、準備がないから狼狽えるのだ。私はそれが情けない。

 震災発生時においては、それなりの長期間、自らの物資で生き抜く必要がある。その部分においては残念ながら行政は助けとなることはできない。自衛隊であってもだ。ペットボトルの水2本、これすら常備できていない日本人のほうが問題だと思う。

自助、共助、公助


 自助、共助、公助。この言葉は聞いたことがあると思う。もしなければ目の前の便利な箱(パソコン)、もしくは板(タブレット・スマホ)などで、検索エンジンを活用して頂きたい。自助とは、家族を含む自らを助けること。被災時の第一段階になる。例えば揺れている瞬間、または津波が襲ってくる、まさにその時のこと。自らの身は、自分自身で守る必要がある。自助においては、行政などはまったく役に立たない。立てないのだ。災害発生直後から数時間、非常に大きな災害の場合は当日が自助(自ら身を守る)になるはずだ。
 
 共助とは、近隣が互いに助けあって身を寄せ合う期間。自然発生的に集まった避難所、例えば公共施設に逃げ込んだ時期がここにあたる。早ければ当日において共助の形態に移る。非常に大きな災害の場合は、これが2日、3日となるだろう。ヘリコプターに向けてSOSなどとメッセージを発信する場合もあるかも知れない。自助におけるサバイバルを耐え抜き、皆で身を寄せ合ったとしても、実は安心できない。この時点でも自らの物資でやりくりするしかないからだ。

 最後に出てくるのが公助である。自衛隊、そして警察や消防、これら行政による公的な支援を公助と言う。早ければ翌日の早朝には公助に移行していく。公助のフローまで辿り着ければ、ほぼ助かったと言っていいと思う。今回の熊本の地震の場合、翌日には自衛隊の炊き出しがスタートしていた。公助まで辿り着ければ、あとは行政がなんとかしてみせる。ここまでを自助、共助で生き残って頂きたい。