外の人を恐れる


 「朝鮮人が」というあたりに人権派は怒っているようだ。そして争点化しようとしているように感じる。私は、被災時において外の人を恐れるのは仕方ないし、当然のことだと受け入れている。極限状況になればそうなることが自然だと考えるためだ。疑われるのは「外の人」である。もっとも身近な外の人が朝鮮人というだけだろう。そのことに目くじらを立てても仕方ない。良いとか悪い以前に、仕方がないというスタンスである。

 これはコミュニティの維持に関わる内容ゆえ、気をつけて論じたい。生き残るためには、自助のあとの共助も重要なのだ。それは多くの場合、地域コミュニティになる。情けない話になるが、給食費がなくなった場合、疑われるのは転校生となる場合もあるだろう。「決して良いことではない」が、共助(自らが属するコミュニティ)を重視すれば、結果的にそうなる。良いとか悪いではなく、仕方ないものだと受け止めている。

公民館の入り口に掲示された、給水などの情報を知らせる張り紙=4月15日、熊本県益城町
公民館の入り口に掲示された、給水などの情報を知らせる張り紙=4月15日、熊本県益城町

共助を守る


 外の人が疑われる理由だが、長年その地で生きて行くわけではないためだ。極限状況下においては暴発リスクが高いと推定されるからだろう。やぶれかぶれになって何をするかわからない。これは朝鮮人が、ではなく。引っ越してきたばかりの人、相互に深くは知らない人物という意味である。不安も募る被災時には、その傾向は強まるのだろう。

 モラルや道徳を説く立場ゆえ、私はこれを本当は否定したい。だが、災害発生時においては、真剣に想定するほどにその側面が出てくる可能性が否定できない。例えば食料がギリギリであった場合、皆で少しずつ分け合ったとしよう。いよいよ足りなくなった際、やはり地域になじんでいなかった者が暴発する危険性は否定できない。これで共助という支えが破壊された場合、公助まで辿り着けない。外の人を恐れることは、自然なことでもあり、共助を守る上では必要なものだと考えている。誉められはしないけれども。

 よって、身近な「外の人」を恐れたとして、それは外の人なのだから仕方ない。通常時であれば異なる意見も述べたいが、いざ災害発生となった場合には、「コミュニティが外の人を恐れること」は、少なくとも知識としては身に着けておいて損はないと思う。

 前述の「異なる意見」という部分について少しだけ述べておく。治安に不安がある場合は、自警団も組むべきだろう。やるべきだと考える。それが共助を守るために必要で、公助に辿り着く手段であればなすべきことだと考える。一人でも生き残って欲しいからだ。しかし、疑心暗鬼から罪なき者を処断する・リンチしてしまうリスクも存在する。そうはなって欲しくないが、災害発生時の極限状況ゆえ、どう転ぶかはわからない。