余談になるが、これは政治分野では常識であり、自主防災組織の設置をはじめ常識となりつつある。少なくとも行橋市ではそうだ。知らない市民もいるとは思うが、区長会(いわゆる自治会)をはじめとしてレクチャーや説明会を再三行ってきており、地域が一体となって動けると思う。若い方には伝わりきっていないかも知れないが、校区のベテラン勢には周知され尽くしており、実際に機能するところまで来ていると考えている。
偉そうに御託を述べるのが議員の仕事ではない。私は「自助・共助・公助」の概念が、一定層には浸透していると断言する覚悟がある。防災を所管する総務委員会において、私は常任委員として仕事をしてきた。行政をチェックし、それらの動きが正しく動作できるよう、日頃から訴えてきたからだ。断言する覚悟を持てるよう、努力してきたからだ。ネット上では一般的ではないかも知れないが、これは各自治体でも同様のことだと思う。リアルでは年配の自治会の役員を通じ、これは常識となりつつあるはずだ。
「自助・共助」の期間においては、自らの物資でやり繰りするよりない。公民館をはじめとした防災拠点(防災倉庫)には一定量の物資はある。熱湯を入れるだけで白米になるアルファ米だって、行橋市は作り方を市民に教えてきた。自衛隊にも協力を受け、機動車にも来てもらった。とは言え、最初の数時間、下手すれば一日の間、水が飲めない可能性はある。

画像はイメージです 皆様の命をつなぐ、ゴールとなるべき「公助」の制度設計にも余念はない。ちゃんと制度設計されている。だからこそ公助まで生き残って欲しい。その中において水は重要物資だ。ペットボトルで2本程度の水は絶対に必要。水道管は破損し、水は出ないと思う。上水道は便利なインフラには違いないが、災害発生時の脆弱性も内包しているのだから。2、3食分の携帯食料もあればさらに良い。包帯にも使える布も便利だ。夜を超える場合を考えれば、布は貴重である。このあたりは(防災リュックに詰めて)車に乗せっぱなしでもいいだろう。それこそ様々な便利グッズが販売されている。
冒頭で触れた「井戸に毒」だが、何を恐れるのか意味がわからない。自らが水を携帯しているならば、何も恐れることはない。というよりも、被災時に「そこらへんの水」を飲むのだろうか?と問いたい。私は工場で働いていたが、便利な世界を作るために様々な危険物質も扱ってきた。パソコン、スマホにタブレット。燃費のいい車。それらの高性能は部品を作るためには、かなりの劇薬も使っている。どこにどんな物資があるかわからない。
このあたりの技術の進歩は、本当に便利になっているのか(現場にありつつも)疑問を感じている立場だが、いざ災害が発生した場合、「そこらへんの水をそのまま飲む」ことは避けたい。毒を投入される以前に、私は危ないと思っている。私は、自らが携行したペットボトルの水を飲む。
水は重要だ。怪我をすれば傷口の洗浄にも使える。本当に水は必要なものだ。牧歌的な昭和の時代とは違うのだ。「井戸に毒」があろうがなかろうが、どうせ飲めない。もちろん井戸に毒を入れるなんてことはあってはならないが、デマに乗った方や怒っている方は、まさか飲むつもりだったのだろうか。私にはそちらのほうが信じられない。
偉そうに御託を述べるのが議員の仕事ではない。私は「自助・共助・公助」の概念が、一定層には浸透していると断言する覚悟がある。防災を所管する総務委員会において、私は常任委員として仕事をしてきた。行政をチェックし、それらの動きが正しく動作できるよう、日頃から訴えてきたからだ。断言する覚悟を持てるよう、努力してきたからだ。ネット上では一般的ではないかも知れないが、これは各自治体でも同様のことだと思う。リアルでは年配の自治会の役員を通じ、これは常識となりつつあるはずだ。
公助まで生き残れ!
「自助・共助」の期間においては、自らの物資でやり繰りするよりない。公民館をはじめとした防災拠点(防災倉庫)には一定量の物資はある。熱湯を入れるだけで白米になるアルファ米だって、行橋市は作り方を市民に教えてきた。自衛隊にも協力を受け、機動車にも来てもらった。とは言え、最初の数時間、下手すれば一日の間、水が飲めない可能性はある。
冒頭で触れた「井戸に毒」だが、何を恐れるのか意味がわからない。自らが水を携帯しているならば、何も恐れることはない。というよりも、被災時に「そこらへんの水」を飲むのだろうか?と問いたい。私は工場で働いていたが、便利な世界を作るために様々な危険物質も扱ってきた。パソコン、スマホにタブレット。燃費のいい車。それらの高性能は部品を作るためには、かなりの劇薬も使っている。どこにどんな物資があるかわからない。
このあたりの技術の進歩は、本当に便利になっているのか(現場にありつつも)疑問を感じている立場だが、いざ災害が発生した場合、「そこらへんの水をそのまま飲む」ことは避けたい。毒を投入される以前に、私は危ないと思っている。私は、自らが携行したペットボトルの水を飲む。
水は重要だ。怪我をすれば傷口の洗浄にも使える。本当に水は必要なものだ。牧歌的な昭和の時代とは違うのだ。「井戸に毒」があろうがなかろうが、どうせ飲めない。もちろん井戸に毒を入れるなんてことはあってはならないが、デマに乗った方や怒っている方は、まさか飲むつもりだったのだろうか。私にはそちらのほうが信じられない。