こんにちは、NAEです。
わが家には先日2歳になった息子がいます。
やんちゃでワガママ、自分のことを世界の唯一神だと信じてやまない、小さなかわいい怪獣です。
まだきちんと喋れないけど、こっちの話ははある程度理解できる。
そのくらいの子供と接するときは物理的に同じ目線に立つことが大事だと思います。
今回はそんなお話。
- 言葉が通じるからこそやりがちな「ながら声掛け」
- 子供と物理的に同じ目線に立つメリット
- 「ながら」でかまう親の事情も理解できるけど
- 時間を区切って子供に100%かまえばいい
- どうしても無理なら人を頼ること
- まとめ:信頼にあぐらをかくのはやめよう
言葉が通じるからこそやりがちな「ながら声掛け」
少しであれ言葉が通じ、言葉でコミュニケーションができるというのは親としてはいろいろと便利なものです。
名前を呼べば振り向くし、ダメといえば止めるし、用事がある(?)ときはパパやママと言うし、イヤなときはイヤイヤ言う。
0歳や1歳の全く言葉の通じない、言ってもわからない、そのぶん目の離せない時期にくらべるとはるかに楽ですよね。
そのぶん、必要以上に「口だけ」で済ませようとしてしまうとき、ありませんか。
一人遊びをしていた子供がなにやらわめき始める。自分は立ったまま「どうしたのー?」と声をかける。
子供がこちらにかけよってきて、自分の足に抱きついて何か言う。それでも立ったまま「なにかあったー?」と言う。
そのあとどんな言葉をかけても子供は落ち着かない。「おなかすいたの?」「おしっこ出そう?」何を言ってもダメ。
そしてとうとういじけて泣き始める。手に負えなくなる。落ち着くまで長引いてしまう。
そりゃそうですよね。小さい子供なんだからちゃんとかまってほしいんですから。
たとえばスマホを見ながら目線もやらずに「どうしたのー?」と声をかけているとしたら、それは到底かまっているとは言えません。
「神経ハイジャック」という小説をご存知でしょうか。ながらスマがいかに人の注意力を奪うかを描いたフィクションです。
ながらスマホだけではありません。ながら作業をしているとき、人は往々にして「ながら」の方に注意力が向いているものです。
立ったまま何かをしながら子供に声をかけるとき、あなたの注意は子供でなく「ながら」に向いている。なにかについでで声をかけている。
そして子供はそれを敏感に感じ取る。かまってもらっていないと思っているのです。
「ながら声かけ」をする親のことを子供はどう思うのか、あらためてまとめるとこうなります。
- 言わんとしていることも聞こうとしてくれもくれない
- 自分も思いや気持ちを理解してくれない
- むしろ片手間の言葉がけで自分をコントロールしようとしてくる
- (そして言うとおりにならないと怒る)
これは言うこと聞きたくなくなっちゃいますよね。
子供と物理的に同じ目線に立つメリット
そんなことをされた子供は、親の注意を引きたくて余計にわめいたり、危ないことをしようとする。
そんなリスクと目の前の「ながら」、どちらが大事でしょうか。たとえば今見ているスマホ、本当に今見る必要があるんでしょうか。
多少面倒くさくても子供と正対し、子供と物理的に同じ目線に立ち、目を見て話すほうが、トータルでメリットがあるように思います。
子供がこちらに意識を向ける
子供と同じ目線に立ち、子供の目を見ながら話す。そうすると、子供がこちらに意識を向けます。
それはちゃんとかまっているからです。2歳やそこらの子供は素直で無垢なもの。まっすぐこちらを向いている人やものにはまっすぐ向き合うものです。
イヤイヤしているときも、こちらに目をあわせようとしないときも、親がどのような態度で自分と接しているかはわかってしまう。
だってほら、自分だって話し相手がスマホ見ながら片手間でしゃべっているとイヤな気分になるでしょ。マトモに相手したくなくなりますよね。それと同じです。
子供の思いが感覚的に理解できる
あえて「物理的」に同じ目線に立つ。つまりかがんだり床に座ったりする。
すると普段立ってなにかをしている自分んは見えない景色が見えてきます。子供がみている景色です。
単に目線の高さが低くなっただけじゃないか、と思うかもしれません。でも目線の高さは人の認識に大きな違いをもたらすものです。
たとえば小さい子供ってキッチンに入りたがりますよね。なんでだと思いますか。
お母さんがなにかせっせと作業している料理台の上が見えないからです。お母さんが何かに集中している、その何かを子供は知りたいと思っています。
ためしにキッチンの近くで座ってみてください。普段ずっと立ち仕事しているぶん、見える景色は新鮮ですし、普段は見えているけど見えなくなる部分も多いでしょう。
子供の行動の「なぜ」を知るために、物理的に同じ目線に立つことが役に立つのです。
結果より心が通じやすくなり、わめきも早く終わる
相手に集中して、相手と同じ景色を見る。すると不思議と、相手の考えていることや感じていることがわかってくる。心が通じてくる。相手が大人だろうが子供だろうが同じことですよね。
子育て、特に小さいころの子育てにおいては親子の心が通じていることが子供の心を育むためには大事であるように思います。
これはオレオレ理論なので鵜呑みにしないでほしいんですが・・・
- 2歳そこらの子供は自分の自分の感情をうまく認識、処理することが難しい
- だからこそ、子供は信頼している親の反応を見て自分の感情を学ぶ(親は子供の鏡)
- したがって子供の心を育むには、親が子供の心を理解し共感することが大事
なのかなあと思っています。
そんな心の育みだけでなく、今まさにわめいているのを素早くおさめる効果も期待できます。
だってかまってほしくてわめいているんですから。かまってあげれば済むことです。
「ながら」でかまう親の事情も理解できるけど
とはいえ、いちいち座ったりかがんだり、「物理的に」子供と同じ高さの目線に立つのは面倒なものです。
スクワットと同じなので単純に足がつかれるし、人によってはそうするのがそもそも難しいかもしれません。
料理やお出かけなど時間を守るためにしょうがないことかもしれません。
ぼくの場合、子供と高さの目線に立つために床に座るとこうなります。
ハダカで床にあぐらをかくとティムポのさきっちょが床にこすれて痛い件について記事を書こうとしたけど5分考えてやめた
— なえ(低速運転中) (@__NAE__) 2016年9月16日
でも、だからってむげに「ながら声かけ」をするのは逆効果です。
結局なだめるのに時間がかかり、「ながら」でやっていることも集中できず進みが遅くなるだけですから。
人間にマルチタスクは向かないんです。
時間を区切って子供に100%かまえばいい
そこでおすすめしたいのが、子供に100%かまうために時間を区切ること。
5分10分くらいの時間なら作るのもそこまで難しくないはず。そしてそのくらいの短い時間であっても、100%かまってもらえると子供は嬉しいし「かまってくれた」と思うものです。
うちの2歳の息子くんの場合ですが、
「XXくん、聞いて聞いて」
「あのね、あの時計の針が(10分後)のところにいったらパパは別のことやらないといけないの」
「それまでは一緒にXXで遊ぼうね」
・・・という感じでかまってあげれば、10分遊んだあとは一人遊びを始めることが多いです。(満足してくれてるんだと勝手に思ってます)
マルチタスク的に「ながら」で中途半端な対応をするより、時間を区切って100%かまう方がお互い満足できると思いますよ。
どうしても無理なら人を頼ること
そんなものは理想論であって現実はそうならない。ライフがゼロに近い状態でそんな余裕なんてできっこない。
知っていますよ、その辛さ。心も体もボロボロだとなにもできないですよね。
特に育児であればなおさら。プライベートな「自分ごと」「家庭ごと」として捉えるあまり、全部自分でやろうとしてしまう人もいるでしょう。
でも、親が辛いと子供も辛いんですよ。
親が余裕を持っていないと子供のキャパオーバーを受け止めれてあげられる人がいなくなってしまいますし、ときには子供に辛くあたってしまうこともあると思います。
だからこそ、育児で疲れたら人を頼ってほしい。実家の両親を頼るでもいいし、行政や民間が提供している家事代行サービスでもなんでも利用すればいいんです。
自分が心に余裕をもってで子供と過ごす時間が買えるのなら、そんなに良いお金の使い方はない
そう思いませんか。
まとめ:信頼にあぐらをかくのはやめよう
というわけで、面倒がらずに子供と正対しましょうよというお話でした。
2歳くらいの子供は親に全幅の信頼をおいています。邪険な扱いをしてもなお揺らがないほどに。
そんな信頼にあぐらをかいての「ながら声かけ」は信頼残高を減らす行いだと思います。
すり減った信頼を取り戻すのは大変ですし、それで子供の心が育まれないとしたら大きな傷を残すことにもなりかねません。
面倒だし疲れると思うかもしれませんが、ぜひ目の前のわが子と正面から向き合う時間を取れるように工夫してみませんか。
今回は以上です。