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フリー哲学者ネコナガのブログ

人間にまつわること、哲学や科学、宗教、社会の問題、生き方のことなど書いています。基本的にエッセイです。

なぜ本を読むのか~読書は「人生を豊かにする」ためにある

読書論・メディア論

 なぜ本を読むのか。理由は人によっていろいろあるだろう。大きく分けると、(1)必要に迫られて読んでいる場合と、(2)楽しくて読んでいる場合があると思われる。

 

 (1)必要に迫られて読んでいる場合とは、仕事の関係で読んでいるとか、先生に言われて読んでいるとか、何か役に立つ知識を得るべく読んでいる場合などに分かれるであろう。

 (2)楽しくて読んでいる場合、多くの人は「本を読むこと自体が楽しい」と言う。しかし、これも分けられる。読むこと自体が楽しいとは言っても、ページをめくる動作にフェティシズムを感じている人は少数派であろうし、インクのしみを眺めて悦に浸っている人もまれであろう。

 したがって、ほとんどの人は内容を楽しんでいると思われる。つまり、「読むこと自体が楽しい」とは、読むという動作や行為そのものを楽しんでいるわけではない。読んで内容を理解して、それによって脳内の意識状態が変化することを楽しんでいるのである。それは文学作品の場合もあるであろうし、実用書、学術書、一般向け読み物など幅広く考えられる。

 

 もっとも、整理しづらいタイプも存在する。「本を読むことだけが生きがいだ」という場合である。それはふつう「本を読むことが何よりも楽しい」というほどの意味だろうが、文字どおりに解釈すれば、「読むことだけが生きがい」ならば、読んでいないと死んでしまうわけだから、生存のために必要に迫られて読んでいるとも言えるであろう。だからこれは上に大別した二つのタイプのどちらに属するか微妙である。

 

 さて、私の場合はもっぱら内容を楽しんで読んでいる。興味によって一時的に偏ることはあるが、私の興味はあまり定まっておらず、しいて言えば「人間とは何か」といった抽象的な問いを探求することを楽しんでいるから、触れる本の分野やジャンルは自然と広がらざるをえない。しかし、大きな問いを持っているとおのずから本が結びつく。

 読書の醍醐味は、偶然の出会いにもある。そもそも、日本だけで毎日二百冊の新刊が出版されているのであり、数に変化はあれど、本が出版され続けてきた歴史を考えれば、存在すら認識していない本がどれほどあるか知れない。そう思えばわれわれは、自分で本を選んでいるようで、実はほとんど選んでいないのである。

 先日、1930年代に最後の改版が出版された本を図書館でみていて欲しくなったので、Googleで書名を検索してみたら4件しか表示されなかった。それらはすべて図書館のデータベースであった。つまり、その本がネット上で語られたことはおそらく一度もないのである。インターネットの狭さを実感する。 

 

 書店に行けば、売れている本は目立つところにおいてある。売れている本がいい本だとは限らないが、売れている理由はあるはずである。売れている理由にもいろいろあるから、それを考える。こうして書店を歩き回るだけでもそれなりに学ぶことができる。本を選ぶときにもすでに考え、学び、楽しんでいるのである。

 もっとも、「いい本」は人によって違うから、客観的な評価基準としてはやはり売れ行きくらいしかないのかもしれない。購入行為を投票とみなせば、これは民主主義であるから、一応、筋は通っている。

 しかし、出版社としては経営の都合上、どうやったって資本主義である。出版社としてもいい本を作りたくないわけはないだろうが、何がいい本かを判断するにはやはり売れている本をみるしかない。

 そのとき出版は、価値を発信する行為ではなくニーズを満たす行為となる。資本主義社会では、文化活動は抑制されるのである。そこには、ビジネスと価値創造の微妙なバランスがある。しかし、売る方に振れすぎると、タイトル、装丁、本の説明、すべてが広告と化す。

 ときどき、アマゾンのレビューなどで「タイトルと内容が全然違うじゃないか!」と怒り心頭の人がいるが、これは著者がかわいそうである。本のタイトルは多くの場合、編集者主導で決まる。ひどい場合は、「こういうことが書いてあると思って買ったのに、書いてなかったじゃないか!」とまで言うが、それは、自分が買う本を間違えただけである。

 

 さて、本題は「なぜ本を読むのか」ということであった。私なりの結論を言えば、それは人生を豊かにするためである。

 読書という体験そのものが好きなら、人は本を読んでしまうのである。読書家は、本を読んでいる方が自分が満たされ、他人にも善いことができる、人生が豊かになることを経験的に知っているのである。それは、特定の目的のために、つまり未来に投資するために本を読むこととは根本的に異なる。

 ラッセルは「幸福の秘訣は興味を幅広くすることである」と書いているが、私もそれに賛成である。多くの本を読んでいれば、なぜか幸福になる。興味が広がるのであろう。読書家は、いつの間にか幸福になっているのである。それは明らかに経験則であり、そのことを知らない人にいくら説明してもおそらく無意味である。人は、本を読むために本を読むのである。 

 

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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