2016-09-09

日本じわじわだめになってるなって思ったこと

大阪市の端っこに9年くらい住んでる。各停しかまらない、市内のわりに地味なエリア

久々に近所で飲もうってことになって、どこにしようか物色してた。通りに飲める場所は4、5軒ある。

チェーン店の安っぽい居酒屋からちょっと凝った焼き鳥屋まで。どの店も9年前からあった。

今回は安っぽいほうの居酒屋に入った。それをA店としよう。

なんでA店に入ったかというと、ここ数年やたら人が入ってるからなんか良くなったのかなと思ったから。

9年前に入った時は、料理お酒も何も印象に残らない店だった。

そんで入ってみた感想は、やっぱり何も印象に残らない店だった。

一方、そのちょっと凝ったほうの焼き鳥屋(B店としよう)にも、住み始めた当時入ったことがある。

こっちは居心地から料理からお酒まで、印象に残るものがあった。おいしかった。人もたくさん入っていた。

それから9年、チラッと覗いたB店はガラガラだった。B店だけじゃなく、A店以外はほとんど人が入ってなかった。

この9年間、近所で外食しようなんてことがなかったからこんなことに気づいたんだろうけど、みんな味わうことよりも、手軽であることを選ぶようになったのかなと、この変化を前に考えた。


そういえばつい最近もこんなことがあった。

気に入ってたパン屋があった。

特に高級でもないけど、ハード系の生地に、クリームチーズとか、黒豆とか、イチジクとか、凝った素材を練りこんだりしてて、どっちかというと大人好みの商品が並んでいた。

そのわりに値段も高くなかった。本来意味コスパの良い店だったと思う。その店が閉店した。

で、その後にできたのが100円均一パン屋だった。某百貨店と同じ名前を冠してはいるけど、確かに100円のわりには悪くもないけど、やっぱりどこにでもありそうなパンしかなかった。生地がそれなりというか、パサついてるというか・・・

べつに安いのが悪いってわけじゃないけど、どこにでもあるものしか手に入らなくなるのはなんか寂しいなぁと思った。

ただ単にお金がないだけの問題ならまだましだけど、なんか社会全体が付加価値的なもの価値を見出さなくなることとか、美味しいものを美味しいとわかる味覚とか、そういうものまで失われるとしたらもったいないなぁと思った。

誤解のないように言っておくと、自分自身マウンティングできるほどお金があるわけじゃないし、取り立てて文化的素養がある人間でもない。

あるとしたら年の功くらい。それだけでもマウンティングっぽく映りかねないけど。ただ単に自分が、経年変化を観測できるくらい歳とっただけって説もあるけど。

まあ観測範囲問題で、あるところにはまだそいう需要はあるんだろうけど、限られた人たちの特権になってしまったらいやだなぁ。


かつて栄えた歴史上の街や文化も、こうやってじわじわと失っていったんだろうか。

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