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2016-09-15
■覚醒と眠りの境い目
「情報」はもう終わってしまったようなことをつめたくわらうが
「知」はいままさにあることとしてあつくかたる。
たとえば、
いやな怖い夢を見て目が覚めたときには
電灯をつけっぱなしで寝たいと思うけど
つめたいわらいはその「電灯」みたいに役に立つ。
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たとえば
燃え上がる恋の感情は
醤油やソースみたいなもので
なににかけてもだいたい同じように食べられる。
恋の感情が消え去った後では
素材の味をなんとか受け入れないといけない。
それと同時に
自分が何を食べていたのか、とか
何か食べないと生きていけない、とかいうことにも気がつく。
醤油やソースの「味」だけで食べているときには
そのことは、よくわからない。
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自然の美、四季の美などというものを
なぜ人間は珍重するようにできているのだろう
夕日が美しい、星が美しい、虹が美しい、花が紅葉が美しい、
というような
「美」という感覚や価値観がなぜ存在するのだろう
と
ずっと不思議に思っていた。
生き物として生き延びるためにすべての機能が合理的にあるとしたら
「美」という感覚はどういう機能を持っているんだろう
と思っていた。
あるいは
「美」を感じる機能が特段合理性のない、偶然の機能なのだとしたら
それもまたすごいな
むしろそっちのほうがめちゃくちゃ不思議だな
と思っていた。
でももしかすると
生き物として人間が生きていく中で
「美」というものがなければどうしようもなく生きていきにくい
という場面が
ありうるのかもしれない
と
このところ
ちょっとだけ疑っている。
ちょっとだけだけど。
ほんのちょっとだけど。
ちなみにそれは
セリフのない遭難映画を見た時に浮かんだ疑いで
決してふわふわした夢のようなイメージではない。
まさにいま死にそうなときに
きれいなものを見る
っていうのが
どういうことなんだろう
と思ったのだ。
もちろん
かぎりなく美しい風景の中で自ら死を選ぶ人もいる。
美が命を救う機能を持っている、などとは
言えないと思うのだが。
ただ
そこには
「なにかある」
んじゃないかと
ちょっとだけ思っているのだった。