(4)日蓮本仏論
今回の宮田論文の重要なテーマは日蓮本仏論と思われる。氏は「今回の会則改正は表面的には、単に『一閻浮提総与の大御本尊』を受持の対象から外しただけで日蓮本仏論を継承しているという点で、まだ日蓮正宗の影響が残っていると一般には思われているようだ」と述べていることから、一般論の形を借りながら、創価学会が日蓮本仏論を継承していることは日蓮正宗の影響の残滓であるという認識を持っているようである。氏は「新しい日蓮本仏論を構築する必要がある」とも述べているが、氏がこれまで発表してきた他の論文を見るかぎり、氏は日蓮本仏論を脱却して釈迦本仏論を目指す志向性を持っているように見受けられる。
①日蓮本仏論はカルトの理由となるか
例えば論文「SGI 各国の HP の教義紹介の差異について」で、宮田氏は「私は『日有の教学思想の諸問題』において、日蓮本仏論に関して、必ずしも創価学会が採用する必要がないことを、学問的理由と海外布教という2つの理由から述べた」と日蓮本仏論不採用の立場を明確にしている。
まず海外布教の面について、氏は同論文で次のように述べている。
「日本国内においては、日蓮正宗は700年の歴史があり、日蓮本仏論を主張してもカルト団体とは社会的に認定されないが、世界の仏教全体の中で、釈尊以外の歴史上の人物を釈尊より上位の仏として主張することは、他の仏教宗派から、さらには諸外国の仏教諸派が加盟する仏教協会からは仏教的主張とは見なされず、そのことが社会的に SGI を非仏教団体と認定する根拠となるだろう。大日如来や阿弥陀如来は歴史上の仏ではないから、それらを本仏とする仏教宗派はさほど問題されることもなく、またダライ・ラマが観音菩薩の化身であるという信仰は、まだ釈尊より下位の菩薩であるから許容範囲である。しかし日蓮は歴史上の人物であり、日蓮本仏論はその日蓮を釈尊より上位の仏として主張することであるから、海外の SGI の運動をカルト批判という脅威にさらす可能性がある」日蓮本仏論を唱えることがそのままカルトと認定される危険に結びつくという論旨には同意しがたい。現在、日本の創価学会は、「会則」や「御祈念文」に明らかなように、日蓮が末法の本仏であるとの教義を堅持しており、世界各国の SGI 組織も日本の創価学会と異なる教義を唱えているわけではない。それにもかかわらず、どこかの国の SGI 組織が日蓮本仏論を掲げているという理由でカルトに指定されたという実例はない(フランス政府がフランス SGI をカルト指定しているのは別の理由による)。また、ある国の仏教協会が、日蓮本仏論を理由にして SGI を非仏教団体と認定した具体例もないのではなかろうか。
後に述べるように、日蓮本仏論は日蓮自身が言明し、日興門流から今日の創価学会にまで継承されてきた日蓮仏法の根本教義である。その教義を唱えることだけを理由にして、社会的に定着している宗教組織を直ちにカルトに指定するような粗暴な決定を行うことは、「信教の自由」を保障している近代国家では通常考えられないのではなかろうか。万一、特定の政府や団体が日蓮本仏論の教義がカルトに当たるとの批判を加えてきた場合には、粘り強くそれに反論し、説得していけばよいだけのことである。実際には起きてもいないカルト批判を恐れて自己の核心的教義を捨て去ることは、教団として宗教的自殺にも等しい誤りと言わなければならない。
日蓮本仏論とは、基本的には釈迦仏を正像時代の本仏とし、日蓮を末法の本仏とする立場であるが、それは決して釈尊を貶めるものではない。万民を等しく救済しようとした釈尊の精神は、経典としては一切衆生の成仏を説いた法華経に体現されていると日蓮は洞察した。そして、その法華経の精神は、中国・日本においては天台大師、伝教大師に継承され、末法においては日蓮がそれを受け継いでいる――。日蓮が「顕仏未来記」で表明した「三国四師」とは、釈尊――天台――伝教――日蓮という系譜にこそ仏教の本流が流れ通っているとの宣言に他ならない。
根源の法を覚知した仏の悟りにおいては釈尊も日蓮も同一であり(おそらくは天台も伝教も)、それぞれの時代や社会状況に応じて説かれた教法の相違があるに過ぎないからである。日蓮仏法が仏教本来の思想を継承していることを世界に向けて明確に強調していくならば、SGI に対してカルトとの批判が生ずることはほとんどないであろう。あらゆる仏の教えにも正法・像法・末法という時の区分があるということは仏教一般の通規である。全ての仏の教えもそれぞれの時代に対応したものであるから、初めは有効であっても(正法時代)、時代の変化とともに次第に形骸化し(像法時代)、やがて衆生を救済する力が全く喪失する時代(末法)が到来する。それは釈迦仏も例外ではない。法華経を含めて多くの経典で悪世末法の到来が説かれる所以ゆえんである。世界に仏は釈迦仏一仏しか存在しないとする小乗仏教に対し、宇宙には無数の仏が存在するというのが大乗仏教の世界観である。従って、ある仏の教えが有効性を失った時には別の仏によって衆生が救済される道理となる。
実際に法華経方便品では、「未来仏章」で未来には無数の仏が出現すると説き、釈迦仏の滅後、眼前に仏を見ることができずに人々が法を信ずることができない時代には人々は他の仏に出会うことによって法を信じることができると説いている(創価学会版法華経125 ㌻)。「つまり、法華経は釈迦仏だけを教主とする立場をとらず、未来には他の仏によって衆生が救済されていくことを想定している。(中略)そこから後の神力品で展開される『教主の交代』という思想が生まれてくると解せられる」(拙著『新法華経論』54 ㌻)。従って、釈迦仏法によって衆生を救済できない時代においては釈迦仏に代わって新たな教主が出現するということは法華経自体が想定していたことであり、何も奇異な思想ではない。その意味でも、日蓮本仏論がカルトとされる危険を招くという意見は見当外れというべきであろう。
②日蓮自身による日蓮本仏論
宮田氏は、また次のように言う。
「日蓮本仏論が日蓮自身の重要な主張であるならば、弾圧覚悟でその主張を維持することが、宗教的使命であると思うが、日蓮自身の真蹟遺文や信頼できる直弟子写本にも、そのような思想の形跡が見られないのであれば、そのような後代に派生したと思われる教義のために弾圧を受けるのは、世界広宣流布のためには障害にしかならない」(SGI 各国のHP の教義紹介の差異について)
氏は日蓮本仏論の形跡が日蓮自身の真蹟遺文にも信頼できる直弟子写本にも見られないと断じているが、そのような認識はあまりにも杜撰ずさんであり、明らかな誤りである。むしろ、日蓮の真蹟や直弟子写本がある御書において日蓮本仏義を明確にうかがうことのできる文はいくつも挙げることができる。
まず、日蓮が自身を主師親の三徳を具える存在であると宣言している文が真蹟遺文に複数存在する。
日蓮の真蹟の大部分が存在し、日興と日大(日興の孫弟子)の写本がある「撰時抄」には「日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又また主君なり、而しかるを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給うべき地神いかでか彼等の足を戴き給うべき」(御書 256 ㌻)の文がある。
また真蹟の断簡が各地に所蔵されている「 一いちの谷さわ入道御書」には「日蓮は日本国の人人
の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし・是を 背そむかん事よ」(同 1330 ㌻)と述べられてい
る。
これらは、主師親の三徳全てを日蓮自身が具えることを明示した文であるが、主師親の個々の徳を具えることを示した文は、「真言諸宗違目」(真蹟 11 紙完存)の「日蓮は日本国の人の為には賢父なり聖親なり導師なり」(同 140 ㌻)の文や、真蹟がかつて存在していたことが明確になっている「王舎城事」の「かう申すは国主の父母・一切衆生の師匠なり」(同 1137 ㌻)の文など、いくつかの諸文を見ることができる。
日蓮は主師親の三徳を具える存在こそが仏であるとの認識に立っていた。そのことは真蹟 15 紙が完存する「一代五時鶏図」に章安大師の「涅槃経疏」の文を引いて「一体の仏主師親と作なる」(同 629 ㌻)と述べていることにも明らかである。
主師親の三徳を仏の特質とすることは「涅槃経疏」に次のように明示されている。「但歎三号者欲明三事。初歎如来。允同諸仏生其尊仰。是為世父。応供者。是上福田能生善業。是為世主。正遍知者。能破疑滞生其智解。是為世師。故下文云。我等従今無主無親無所宗仰(云云)」(大正蔵 38 巻 45 ㌻)
このように主師親の三徳の観点から見ても、日蓮が自身を仏(教主)として自覚していたことが分かる。
次に、主師親の三徳の文脈を離れた観点からも、日蓮自身に日蓮本仏論があることをうかがわせる文は少なくない。
その一端を挙げるならば、例えば「撰時抄」に「提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱えたりき、仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを業ふかくして但ただ南無とのみとなへて仏とはいはず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらんふびんふびん」(同 297 ㌻)の文がある。
「南無日蓮聖人」の言葉は日蓮自身を南無(帰命)の対象、すなわち人本尊と規定している明文である。
その直後には「外典に曰く未萠み ぼ うをしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみよう(高名)あり」として、三回にわたる予言的中の事実をもって日蓮が「聖人」であることを知るべきであるとする。「聖人」とは言うまでもなく仏の別称である。つまり、この文も日蓮が仏であることの宣言になっている。
「撰時抄」に、自身を「日本第一の大人だいにん」「一閻浮提第一の智人」とすることについて、「現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか」(同 289 ㌻)と述べていることも日蓮自身による日蓮本仏論の表明と解することができよう。
また、「大導師」「大聖人」の呼称については、日興の写本がある「頼基陳状」には「五五百歳の大導師」(同 1157 ㌻)とあり、真蹟の断簡が現存し、日興の写本がある「兵衛志殿御書」には「代よ末になりて仏法あながちに・みだれば大聖人世に出ずべしと見へて候」(同 1095 ㌻)とある。さらに、真蹟の断簡が各地にあり、かつては 18 紙の真蹟が存在していた記録が残っている「法蓮抄」には「当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」(同 1053 ㌻)と述べられている。
「大導師」「大聖人」は仏を指す言葉であるから、これらの文も日蓮自身が末法の教主(本仏)であるとの自己認識に立っていたことをうかがわせるものになっている。
さらに明確なのは、熱原法難の際に日蓮が迫害の当事者である日弁・日秀に代わって執筆した「滝泉寺申状」の文である。本抄は、行智側の訴状に対抗して北条得宗家公文所く も ん じ ょに提出すべく、日興の弟子である日秀・日弁の名で作成された陳状(答弁書)である。書名には「申状」とあるが、実際には訴状に対抗して作成された「陳状」である。前半は日蓮自身が執筆し、後半は富木常忍の執筆による(真蹟 11 紙並びに冒頭別紙 2 行完存)。本抄は、日秀・日弁という弟子が公の機関に宛てて提出する公文書の文案である。それを日蓮が執筆したということは、日蓮自身による日蓮の客観的な位置づけが示されているということになる。このように本抄は、日蓮の対外的な「自己認識」が明示されているという意味で重要な意義を持つ。
普通の書簡の場合、そこには書簡の相手の仏法理解の程度に応じた配慮が必要となるが、本抄は公文書であるため、そのような配慮は必要ではない。また、日蓮自身の名前で執筆する場合、自身についてしばしば謙譲の表現が見られるが、本抄は孫弟子である日弁・日秀の名前で当局に提出する文書であるから、謙譲の表現をとる必要もない。その意味で、一般の御書とは異なって、「滝泉寺申状」にはさまざまな配慮を省いた日蓮自身の真意が現れていると見ることができる。
すなわち、本抄の日蓮真筆部分には「本師は豈あに聖人なるかな」(同 850 ㌻)、「法主聖人・時を知り国を知り法を知り機を知り君の為ため臣の為ため神の為ため仏の為ため災難を対治せらる可きの由・勘え申す」(同㌻)の文がある。日蓮が自身について「法主」と明言している意義は重大である。「法主」とは、中阿含経に「世尊を法主となす」とある通り、本来、万人を救済する法を教示する仏、教主を指す言葉であるから、日蓮が自身を末法の教主(本仏)と明確に自覚していたことを示す文証といえよう。
③日蓮が末法の教主(本仏)である所以ゆえん
日蓮が自身を末法の教主(本仏)であると宣言できた所以は何か。それは、日蓮こそ末法の万人を救済する南無妙法蓮華経の大法を初めて一切衆生に対して教示し、弘通した主体者だからである。実際に日蓮以外に南無妙法蓮華経の唱題を人々に教え、南無妙法蓮華経を文字曼荼羅に顕して万人が礼拝する本尊として授与した存在はない。まさに日蓮を離れて南無妙法蓮華経の仏法は存在しない。「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(同 329 ㌻)とあるように、南無妙法蓮華経の仏法の淵源はあくまでも日蓮にあるのであり、「釈尊が慈悲曠大ならば」となっていないことに留意しなければならない。日蓮が南無妙法蓮華経を初めて弘通した教主であることについては「撰時抄」に「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや」(同 266 ㌻)と述べられている。
釈迦仏は文上の法華経の教主であっても南無妙法蓮華経を説いてはいないので、南無妙法蓮華経の教主にはならない(さらに言えば、久遠実成の釈迦仏といっても所詮は法華経制作者が創造した観念に過ぎず、いつ、どこに出現したという具体性を持たない架空の存在でしかない。その意味では阿弥陀如来、大日如来、薬師如来などと同列である。「諸法実相抄」で「釈迦・多宝の二仏と云うも用ゆうの仏なり。(中略)仏は用の三身にして迹仏なり」〈同 1358 ㌻〉として釈迦仏をも迹仏であると断じている所以である)。
日興の写本がある「上野殿御返事」(末法要法御書)に「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但ただ南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくし(私)の計はからい
にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」(同 1546 ㌻)とあるように、釈迦仏法の救済力が失われた末法においては文上の法華経をいかに行じても何の力にもならない。南無妙法蓮華経のみが末法の衆生を成仏せしめる要法となるのである。
ただし、宮田氏は、この「かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり」の文について、「この主張(「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」という日蓮の主張――引用者)の根拠を『法華経』に求めている」(漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する)と述べているが、それは誤解であろう。南無妙法蓮華経だけが衆生を救済できる大法であるという日蓮の主張は、文上の法華経を根拠にして(法華経に依存して)初めて成立するものではない。いわば、法華経があろうとなかろうと成立する永遠普遍の真理である。その真理は日蓮が勝手に主張しているものではなく、文上の法華経も承認するところであるというのがこの文の趣旨に他ならない。
日蓮は文上の法華経を学び修行して妙法を悟ったのではない。「寂日房御書」に「日蓮となのる事自じ解げ仏ぶつ乗じょうとも云いつべし」(同 903 ㌻)とあるように、日蓮は法華経などの経典や他者の教示によって悟達したのではなく、自ら根源の妙法を体得したのである。このことは真蹟断簡が現存する「善無畏三蔵抄」に「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗ほぼ伺ひ侍りぬ」(同 888)とあり、また真蹟がかつて存在していた「清澄寺大衆中」に「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便ふ び んとや思おぼし食めしけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし」(同 893 ㌻)とあることからも明らかである(虚空蔵菩薩とは大宇宙〈虚空蔵〉を貫く智慧の人格的表現であるから、日蓮己心の虚空蔵菩薩というべきであろう)。
④日蓮が釈迦仏を宣揚した理由
以上述べてきたように、日蓮は自身が末法の教主(本仏)であることを明言する一方で、御書の随所において「教主釈尊」と釈迦仏を宣揚し、時には「此の日本国は釈迦仏の御領なり」(同 1449 ㌻)とまで述べている。この点はどのように考えるべきであろうか。端的に言えば、浄土教(念仏)や密教が大きな力を持っていた当時、ともすれば阿弥陀如来や大日如来などへ傾斜しがちな人々の心を釈迦如来に引き戻すことによって、法華経が文底において暗示している妙法(南無妙法蓮華経)を弘通しようとした化導上の方便、戦略として理解すべきであろう。
この点は、経典の次元において、日蓮が他の経典に対して法華経の卓越性を繰り返し強調したことと同じ意義と考えられる。日蓮の化導においては南無妙法蓮華経を弘通することによって一切衆生を成仏へ導くことが本来の目的であり、文上の法華経を弘通することは目的ではない(法華経を最勝の経典として宣揚し、弘通することは天台や伝教が既になしたことであり、日蓮は天台・伝教と同じことを行おうとしたのではない)。文上の法華経は衆生を救済する力を喪失しており、池田大作創価学会名誉会長が「二十八品は、三大秘法の仏法の序分として流通分として用いるのである」(旧版『創価学会版 妙法蓮華経並開結』序文)と述べているように、文上の法華経はあくまでも南無妙法蓮華経を弘通するための序分・流通分として用いるに過ぎない。
この点について、大石寺第 65 世日淳は次のように述べている。
「けつして聖人の御主意は法華経そのものを御弘通なさるものではない。(中略)聖人が法華経を最第一として此の経を押し立てられたのは、一には諸宗の謗法を破する順序からと、一には此の経がその権威を現はしてこそ初めて末法に上行菩薩と三大秘法とが出現する因縁が明らかになるからである」(『日淳上人全集』888 ㌻)。
日蓮が南無妙法蓮華経を弘通するためには、その前提として念仏や真言密教などの諸宗を破折していく実践が必要であった。そのための不可欠の前提として法華経の最勝性を強調したのである。法華経を宣揚したのと同様に、日蓮は釈迦仏を宣揚することによって阿弥陀や大日などの諸宗の教主を退けたといえよう。五重の相対の視点から言えば、南無妙法蓮華経が万人を救済する根源の法であり、日蓮がその妙法を弘通する教主であるという種脱相対の次元の理解を当時の民衆に直ちに求めることは困難であった。そこで日蓮は、その奥底の教理に人々を導くための前提ないしは手段として、権実相対、本迹相対に当たる内容を繰り返し説かなければならなかった。法華経ならびに釈迦仏の宣揚は、その意味において理解すべきである。
⑤曼荼羅本尊の相貌に表れる日蓮の真意
個々の門下を化導するための配慮、方便として、日蓮は釈迦仏を「教主釈尊」と宣揚したが、日蓮の真意は曼荼羅本尊の相貌に明瞭に表れている。日蓮の思想を知るためには文献を検討するだけでは不十分で、日蓮が図顕した曼荼羅本尊まで考察しなければならない。本尊には個々人に対する配慮を超えた日蓮の教義の真髄が示されているからである。
日蓮が初めて曼荼羅本尊を図顕したのは竜の口の法難における「発迹顕本」の後、佐渡に護送される前日である。この初めての曼荼羅本尊について拙著『新版 日蓮の思想と生涯』で次のように述べた。
「日蓮は、佐渡流罪の処分が最終的に確定した後、佐渡に向けて出発する前日の文永八年十月九日に初めて文字曼荼羅を図顕している。この曼荼羅は、身辺に筆がなかったためか『楊枝よ う じ』で記されており(当時は柳などの木の枝の一端をかみ砕いてブラシ状にし、口中の汚れを取るのに用いた。これを房ふさ楊枝と呼ぶ)、そのため『楊枝本尊』と称される(京都・立本寺蔵)。中央に『南無妙法蓮華経』の首題が大書され、その向かって左に『日蓮(花押)』の名が示されている。左右の肩に梵字で不動明王と愛染明王が記されているが、釈迦牟尼仏・多宝如来を含めて後の曼荼羅に記されている十界の諸尊も四大天王も一切書かれていない。もっとも簡略な形の曼荼羅である。しかし『文永八年太歳辛未十月九日』『相州本間依智郷 書之』と、日付および図顕の地が明記されている。楊枝本尊はもっとも簡略な形の曼荼羅であるため、その相貌には日蓮図顕の曼荼羅の本質が表れている。すなわちこの最初の文字曼荼羅の相貌は、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり、釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであることを物語っている」(同書 207 ㌻)
釈迦・多宝の二仏を略した曼荼羅は現存する日蓮真筆の曼荼羅でも 5 幅を数え、その中には弘安年間に図顕されたものもある(松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』227 ㌻)。日興の書写本尊にも二仏を略したものが存在する。日蓮図顕の曼荼羅本尊において常に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書され(これが欠けた曼荼羅は一例もない)、一方では釈迦・多宝が略される場合があるという事実は、日蓮こそが南無妙法蓮華経と一体の本仏(教主)であることを示しており、それが日蓮の真意であると解すべきである。もしも日蓮が奥底の真意において釈迦本仏義に立っていたならば、曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書かずに「南無釈迦牟尼仏」としたためるか、もしくは釈迦・多宝の二仏を並べる形になっているはずであろう。実際には 1 幅としてそのような形の曼荼羅がないところに日蓮が釈迦本仏義をとっていないことが表れている。