クックパッドで検索すれば誰もが簡単にレシピにたどり着ける昨今、料理本をわざわざ買う人など少数派に思える。
しかし、実は違うのだ。2016年度料理レシピ本大賞(お菓子部門)受賞作、荻田尚子著『魔法のケーキ』(主婦と生活社)は、お菓子の本としては異例の10万部という大ヒットを記録している。
基本の材料は卵、小麦粉、バター、牛乳、砂糖だが、ある混ぜ方で焼くと、ふわふわのスポンジ層、トロトロのクリーム層、もちもちのフラン(プリン)層の3つの層に分かれるというユニークなケーキ。
もともとはフランスで話題になったこのケーキを日本で流行らせた編集者、小田真一氏にヒットの秘密を聞いた。
――『魔法のケーキ』は、編集者である小田さんの企画で、菓子研究家の方にレシピ制作を依頼して成立した本だとうかがっていますが、こういうことはよくあることなのですか?
レシピ本の作られ方は大きく分けると2つあります。1つは作家性の強い料理家の方々がそのまま自分の表現したいことをベースにつくるやり方。もう1つは編集者が企画を立てて、企画にあう料理家の方にお願いして本づくりをする、雑誌の料理ページの作り方に近いやり方です。この本は後者の形でつくりました。
きっかけは2014年の秋、フランスのアマゾンを見ていたら、ランキングで『魔法のケーキ』の原型であるGateau Magiqueの本がいくつもランクインしていたんです。それで、取り寄せてみて試作してみたらこれはいけそうだと。
――美味しかったんですか?
美味しかったんですよ。しかも、レシピもそんなに難しくない。
いま、お菓子レシピ本の主流は「焼きっぱなし」のケーキなんです。焼きっぱなしというのは、生地を作ったらあとは焼くだけというレシピのことです。
昔は華やかなデコレーションがあるショートケーキのようなケーキが表紙の本が多かったんですが、今の人たちはスポンジを焼いて、切って、間にクリームとイチゴをはさんで、また全体にクリームを塗ってデコレーションする、みたいなことをなかなかやらないんです。
この魔法のケーキは、できあがりは三層で手が込んでいるように見えるんですが、レシピ自体は材料を混ぜて焼くだけなので、「焼きっぱなし」と同じくらい簡単なんです。その点でも行ける、と思いましたね。
さらに、今はインスタグラムの隆盛によって、受ける料理が視覚優位なものになりました。美味しくても茶色い地味な料理って写真映えしないから流行らないんですよ。そういう意味でも焼くだけで3つの層に分かれるケーキは、インスタ映えもばっちりですからね。
フランスでも最初はネットでバズっていたわけだし、みんな作ってみたくなるはずだと思いました。
――フランスのネットはよく見ているんですか?
見てますね。料理本の出版点数が多いのはフランスと日本だと思います。フランス人の嗜好は日本人のそれと重なるところもあるので、頻繁にチェックしています。
ただ、フランスのGateau Magiqueのレシピをそのまま出したわけではないんです。レシピには著作権という考え方はないので、そのまま使っても法的な問題は生じませんが、レシピとしては日本人向けに改良する必要があった。日本のキッチンのサイズなんかも考える必要がありました。
――それはどういったことなのでしょうか?
向こうのレシピは24センチの型を使って、卵を4つ使うのが基本のレシピでした。でもそれだと日本人には大きすぎるし、24センチの型を持っている人も少ないだろうし、24センチの型が入るオーブンも一般的な家庭にはない可能性もありました。
そこで、この本の著者となる荻田尚子さんに相談をして、15センチ型を使って、卵2つで作るレシピに変更したんです。そうなると、火の入り方も違ってくるので、焼き時間なども考え直す必要がありました。魔法のケーキは火の通り方がかなり大切なお菓子だったからです。
荻田さんはほかにも、日本人向けの提案をしてくれました。
フランス版Gateau Magiqueは、スポンジの層が堅めのしっかりした仕上がりなのですが、日本人はふわふわしたスポンジのほうが好きだろうということで、何度も試作をして、ふわふわのスポンジ、とろとろのクリーム、もちもちのフランという3層の絶妙な食感のバランスを作り出してくれたんです。
――試作をそんなにしなくてはいけないものなんですか?
お菓子に限らず料理もですが、売れるレシピ本のとても大事なファクターは「再現性の高さ」なんです。一般的な家庭で、近くのスーパーで材料を買い、自宅のキッチンで作っても美味しくできることはとても大事で、売れている本はどれも、だれが作っても美味しいものなんですよ。
しかもおかずの場合はちょっと失敗してもなんとか食べられますが、お菓子は失敗するとリカバリーがきかないんです。とても悲しいことになっちゃうわけですよ。だから成功率をあげるために、この本に関してはとにかく説明書きをたくさん盛り込みました。
最近の料理本は、簡単そうに見えるほうが受けるとされていて、なるべく説明を簡明にするように努めることが多い。でも、何しろ魔法のケーキは日本で初めてのレシピなわけだし、適当につくると失敗するので、これでもかというぐらい説明をしました。それがうまくはまったと思います。
10万部売れた本にしては、読者からの問い合わせも少なくて、みんなちゃんと作ってくれたのかな、と思うと嬉しかったですね。