こんにちは、石田祐希(@yuki1y1m)です。
18年なにも考えずに生きてきて、“レール”に沿った人生を歩んできました。
高校生活を終えてからの進路に就職という選択肢はありませんでした。
ただそれだけの理由で大学へ進学することを選択。
でも、そこには自分の意思が無くて、大学は自分で選択した道じゃなかったんです。
そして、大学を前期で退学することに決めました。
退学届けを7月に提出し、本日正式に退学することに。
レールに沿って生きる必要なんてどこにもなかった
高校を卒業したら大学。
大学を卒業したら就職。
そんなレールに沿って生きるのは当たり前。
それ以外の道は自分には関係ない違う世界のことだと思い生きていました。
どこにでもいるようなダメ人間
ぼくは、中3まで趣味もなく、人生についてもなにも考えず、人の目をすごく気にして生きていて周りと同じことで安心するような人でした。
高校も勉強が嫌いで偏差値の低いところに推薦で入り、
楽に生きたく自分の好きなことしかやりたくない人間だったんですよね。
友達と遊んでばっか、ずっとヘラヘラしてるような人間でした。
そんな、なにも考えずに生きてきたぼくは高校生活で大きな転換期を迎えることになります。
人生ではじめて挫折を経験する
高校のときは吹奏楽部だったんですね。
その部活動で、ぼくは人生ではじめて挫折を味わうことになります。
自分の高校の吹奏楽部は他の部活よりも勧誘がいろんな意味ですごい部活でした。
ぼくは中学で部活はもういいと思っていたので、高校生活は断固たる思いで帰宅部志望。
誘われても断固拒否。青春するぞ!ってずっと考えてました。
でも、友達が勧誘されて入部することになってしまい、
まずい友達が入部しちゃったら遊ぶ相手がいなくなるじゃないかと思いました。
なので「ちょっと入ってみるのもいいかな」という感じで入部することに。
なんとなくで入った部活は、実は全国大会を目指すハードな部活。
気づいたときにはもう遅く、簡単には抜け出せないような状況でした。
中学生のときは優しい部活に入っていたので、今までの自分では考えられない生活を強いられました。
楽器を吹いた経験がなかったぼくと中学の部活からびっしり楽器を吹いてきた周りの子とは明らかな差がついている。
そんなメンバーと実力を競うことになったらどうなるかは明白でした。
毎日「辞めたい」と思った日々
大会の時期になると、朝から晩までずっと楽器を吹く毎日が続きます。
練習では部員のみんなの前で一人で吹かされ、その時の緊張やミスしたときの絶望感は尋常じゃないです。
楽器を吹くことは好きじゃありませんでした。
好きじゃないから練習もしないし努力もしないので全く上達しませんでした。
「もう無理だ」
顧問に怒られる毎日。数えきれないくらい部活動を辞めたいと思いました。
だけど、辞めることで、
「自分は逃げてしまっているんじゃないか?」
という思いがどうしても消えず、結局退部を決意することはできませんでした。
はじめから部活なんて入らなければよかったのにと今でも心底思います。
ぼくは本当に何も考えてなかったんです。
そのせいで挫折し、何も考えずに生きてきた自分だけじゃなく、育てた親にも
「どうしてこんなふうに育てたんだ!」と恨んでしまいました。
でも、そんなこと言っても仕方ない。
「自分が全部悪いんだ。」とそう言い聞かせることしかできませんでした。
「自分を変えたい」と強く思った高校3年生の秋
そんな自分を変えたくて大学では他の誰もしないようなことをして皆を見返してやりたいと思い、必死にその方法を探しました。
探していると、ブログでお金を稼げることや実際に何百万も稼いでいる人がいることを知り、
「ブログで月商100万稼げる?大学生で100万稼いでいたらすごくないか?」
これなら自分にもできそうだと思いました。
そんな思いで大学と一緒にブログをはじめ、
いろんな情報に触れたり、たくさんの人を見てきたことで大学に行くことや周りと同じことをすることが正しいことじゃないことを知ったんです。
そして自分の意思もなく、レールに沿って生きることは間違いだということにようやく気づくことができました。
とりあえずで入った大学生活には、ワクワクすることは1つもなかった
音楽は好きです。
でも、音楽を仕事にすることは違うと高校のときは思っていました。
なので、音楽アーティストのPVをつくる人になろうと思い、名古屋学芸大学という大学を志望。
そして合格。
しかし、高校のときに行きたいと思っていた大学にも入学できて、友達もできたけれど、
大学での授業や友達との会話にはなにも刺激を得るようなことはありませんでした。
なにか違う。なにか足りない。
「このまま、ここにいても絶対に少しも成長できない」
日に日にこの思いは強くなっていきました。
そもそも、大学に行く前提だったから自分のやりたそうなことを探して入学しただけだった。
目的をもたずに入った大学にはワクワクすることは1つもなくて、楽しいと感じることがあるはずもなかったんです。
そして、周りの人と話していても楽しくない。みんな、なんだか考えが曖昧だなと感じていました。
そして、ふわっと大学に入ったのは自分だけじゃない。周りもそうなんだと気づいたんです。
周りの人間もなにも考えてないんだなと思いました。
でも、もう周りと同じことで安心することはなかった。
「このまま、周りと同じように3年後は就職活動をし、4年後には働き始める。」
そんな、いわゆる「普通」の人生に自分が満足できるのかって考えたときに、
「そんな人生は絶対に嫌だ!」と思ってしまいました。
このまま、なにも考えずに生きてるような人たちと同じ人生を歩むなんてありえない。
そう思ったんです。
そして、そんな大学に嫌気がさして退学を決意することになります。
「高い入学金払ったのに」と、親にも反対された
親に相談したときは当然のように反対。
でも、このときの自分の意思は固く、揺らぐようなものじゃありませんでした。
「何としても説得する」
そう考えてました。
とはいえ、入学金も授業料も払ってもらっているのに途中でやめるのは凄く申し訳ないと気持ちでいっぱいでした。
けれど、自分の気持ちを必死に言葉にして親を説得。
「もう大学には行かない。起業して生きていくんだ!」
「やっと本当にやりたいことが見つかったんだ!」
今まで強い意志で親になにか伝えるようなことをしたことはありませんでした。
今回は違うと思ってくれたんだと思います。
少しずつわかってくれるようになり、退学も認めてくれて応援してくれるようになってくれたんです。
散々迷惑をかけてきたけれど、こんなぼくを見放さないでくれたことに感謝しかありません。
18歳で起業という道を選ぶ理由
ぼくが起業したいと最初に思ったのは中学2年生のとき。
「カッコイイ社長になりたい!」ってテレビのドラマを見ていて、そうふと思ったんです。
それが自分の中でのはじめてのやりたいこと、夢でした。
そして、「よし、自分の夢は社長だ!社長にになろう!」とビジネス書を読みに本屋へ走ったけれど、
本を手にとって読んでみたら「あ、無理だ」と思い結局すぐに諦めてしまいました。
高校のときもずっと憧れていたけれど自分に自信がなくて、
「どうせ無理だよな」という根拠のない理由でずっと諦め続けていた。
でも、18歳になってもその憧れを消しさることはできませんでした。
いろんな起業家や実業家、経営者をみてこんなにカッコイイ仕事は他にないと思いました。
「このまま自分のやりたいことを諦めていいのか?」
「このまま何もせずに歳だけとってていいのか?」
こんなことを自分に問い続けてきました。
そして、起業に挑戦することを決意します。
自分の意思で決めたことに後悔はない
やりたいことが決まったときにはすぐに退学という道を決めていました。
人生の中でここまで決意することなんてはじめてだったからです。
迷うこともありませんでした。
不安もありません。
もちろん、成功する保証はないし、むしろ失敗の確率の方が高い。
いや、99%失敗するくらいの確率だろう。
でも、自分で選択した道で失敗するならぼくはそれでもいいって思うんです。
どうしても挑戦したい。
そんなのやめろという人は、ぼくが失敗したら思いっきり笑ってバカにしてくれればいいと思います。
「ほら無理って言ったじゃん」
そう言ってくれればいいです。
ぼくにとっては、このままやりたいこともできずにつまらない人生を過ごす方がよっぽど辛いです。
なのでぼくは迷うことなく挑戦します。
失敗する気も全くないですけどね!!
11月に会社を起こし本格的に事業を始めます
会社を起こすのは今年の11月の予定。
それまでは会社を起こす準備期間にします。
なんといっても、まだ考えてる事業も企画書段階なんですよね。
オフィスは借りず、仕事は家で。
これから起業や事業のことは、このブログで報告していきます。
以上、石田祐希は4ヶ月で大学を中退し起業します。