韓国・朝鮮-08
韓国・朝鮮 -08
当地でも韓国系の人が増えています。テレビのキャスターとして活躍する人もいます。また日本人で韓流ドラマで活躍する人も居ます。舞台を変えて色々な形で活躍する人、特に女性が増えているようですね。
韓国・朝鮮-01
韓国・朝鮮-02
韓国・朝鮮-03
韓国・朝鮮-04
韓国・朝鮮-05
韓国・朝鮮-06
韓国・朝鮮-07
韓国・朝鮮-09
韓国・朝鮮-10
韓国・朝鮮-11
韓国・朝鮮-12
韓国・朝鮮-13
韓国・朝鮮-14
韓国・朝鮮-15
113・ジョランダ・朴(2007年10月11日)
114・パラグアイで韓国系の若者が増えている(2006年12月25日)
115・ユミン(2007年10月09日)
116・朱蒙(2007年10月30日)
117・海神 (2008年08月03日)
118・高句麗ブーム(2007年11月08日)
119・古朝鮮(2008年08月09日)
120・大百済帝国(2008年08月09日)
121・百済(2008年08月10日)
122・韓国大統領に大阪生まれの李明博氏(2008年01月19日)
123・南大門焼失-01(2008年02月10日)
124・南大門焼失-02(2008年02月19日)
125・朝鮮・平壌でニューヨークフィルの演奏 (2008年03月06日)
126・韓国国歌(2008年08月07日)
127・中国から見る朝鮮と韓国の違い(2008年03月08日)
128・中韓関係
113・ジョランダ・朴(2007年10月11日)
パラグアイで一番有名な東洋人は何と言いましても韓国系のジョランダ朴さんでしょう。テレビ13チャンネルSNTの朝の番組に長時間キャスターとして毎日登場します。パラグアイでは朝の顔と言っても良い存在になっています。話す内容、話題の取り上げ方も上手であり、キャスターとして天性の素質があるように見えます。スペイン語がどの程度の実力かは分かりませんが、当方には非常に明快であり、聴き取り易いという印象です。
さて、このジョランダさんは最初は2002年のワールドカップ日韓大会でサッカー番組のキャスターとして登場しました。くじによりパラグアイは韓国で一次リーグの試合を行なう事になり、韓国を解説するキャスターとしてこの期間だけの案内役として出ていました。サッカーを通して韓国を上手に説明し、番組を盛り上げました。サッカーが終わり一応役目を終えたのですが、人気もあり、そのままキャスターとして残り今日まで朝の顔となったのです。特に美人という訳でも無いのですが、ジョランダさんが出ていると何となく見てしまう事が多いのです。自然体で番組に出ているので見ている人に安心感を与えるのでしょう。これだけ毎日出ているのでパラグアイではほとんどの人が知っている有名人です。父親は韓国の一世で、日本人の知り合いも多く、商売を行なう傍ら、韓国系の子弟に韓国語を教育するのに熱心で韓国語学校の校長もやっていました。「お嬢さんが有名になって良かったですね」と声を掛けると嬉しそうにしていました。
考えてみますともしくじで日韓大会の時に一次リーグを日本で行なう事になったならば多分キャスターは日系の人が選ばれた事でしょう。ジョランダさんのように有名になれたかどうかは分かりませんが、日系としてちょっと残念ではあります。それにしても東洋系の女性がお茶の間に支持されているというのは良い事であると思います、東洋系に親近感が湧き、違和感が無くなる事に繋がるでしょう。つい最近、中国料理レストランで見掛けましたが、痩せているのには驚きました。最初に出て来た時にはふっくらとした感じで如何にも韓国人のおねえちゃんという印象でしたが、テレビに出て美容とスタイルに注意した結果なのでしょうね。
(写真:ジョランダ朴さん:SNT)
114・パラグアイで韓国系の若者が増えている(2006年12月25日)
パラグアイで生活していて以前多く住んでいた韓国系の人がかなり減ったと感じていたのですが、このところまた若い人が急速に増えているように感じます。日系に関しては若い人を中心に日本やメキシコに出稼ぎに行く人が多く、流失が続いき、高齢化が急速に進んでいますが、韓国系は若い人の比重が増えているようです。以前、韓国系の人が減っていた時期に韓国系の人の話を聞きますと当地に住んでいた多くの人が米国やブラジルなどより条件の良い国を目指して出国しているとの事でした。要するにかなりの規模で住んでいる人が入れ替わっているようなのです。
韓国では色々な事情があり、多くの人が国外を目指して出国しており、取り合えず入国し易いパラグアイに来て、その後他の国を目指すのでしょう。比較的永住査証を得易いパラグアイに住み、その後より条件の良い国を目指すのでしょう。韓国系の人は当地でも他の日系、ドイツ系などと比較しても自分達のコミュニティーを形成しその中で生活する傾向が強いように見えます。長年当地で暮らすのでは無く、「仮の宿」であれば当然の事なのかも知れません。
当地で韓国系の人を見ていて感じるのは日本人とはかなり異なるという事です。確かに外見はよく似ていますが、メンタリティーというのはかなり差異があるのでしょう。日本人はよく日本に住んでいる韓国朝鮮系の人の印象から韓国人を類推しますが、日本で生まれた二世・三世の方達は文化的には日本人になってしまっていて、韓国に住んでいる人とはまた別のメンタリティーになっているものと推測します。以前あるテレビで日本で生まれた韓国二世が念願かなって韓国の大学に留学するというドキュメンタリーがあり、見ていましたが自分は韓国人と思っているが全くメンタリティーが異なるので戸惑っている様子が映し出されていました。日本人は日本とは異なる韓国人が隣国に住んでいると意識するべきなのでしょう。
ここまで韓国の若者が増えているという事はもっと韓国人に魅力的に映る米国やカナダなどには大量に流出しているのでしょう。特に若い人が韓国から出国したい状況があると判断せざるを得ません。朝鮮との対峙が現在も続いている事、大学入試に関して浪人に厳しく失敗した人にとってはなかなか厳しい状況であること、社会が硬直化しており、出世が難しい状況になっていること、地縁・血縁が強く、出自が悪いとなかなかチャンスを得るのが難しいこと等があると推測しています。
115・ユミン(2007年10月09日)
韓国ドラマに出演する有名な女優にユミンさんという方が居て、韓国では誰でも知っている有名人なのだそうです。生まれたのは1979年という事ですので現在28歳という事になります。ごく普通の日本人なのだそうで短大を出て最初は日本で女優としてデビューし、新雪国という映画では主演を演じています。その後韓国の映画に惹かれて2001年、韓国に語学留学に行き昨年の初めまで韓国で俳優として活躍されていたというのです。現在でこそ韓流で韓国ドラマは日本でも認知されていますが、今から6年前に韓国に行き俳優として活躍したとは驚きです。さて、この新雪国という映画はインターネットで解説を見、幾つかの場面を動画で見ましたが、濡れ場が多く余り映画として成功した作品とは言えない印象があります。何か訴えるものが無い、見た人に感動を与えられない映画のように感じます。裸での出演、映画の方向性に違和感を持ったのでしょう。このまま続けても自分の考えには合わないと思い韓国に旅立ったのでしょう。韓国の作品に関しては今まで数本を見ましたが現実離れして大袈裟である事も多く、ストーリーに無理矛盾も多いとは思いますが長所は「訴えるものがある」「人の感動を得るものである」という事でしょうか。韓国の映画に出演したいとの願いがあったようです。ただこのユミンというのは漢字で書くと「流民」なのだそうです。余り韓国語が理解出来ない時に音で名前を付けたのでしょう。
NHKのスタジオパークなるトーク番組に出たので注目して見ていましたが、感じが何となく他の日本の俳優さんと異なる印象を受けました。強烈さ個性を感じるのです。濃い印象があり、日本に普通に居る女優さんとは異なる感じです。非常に美人で、韓国ドラマに出て来る美人にも容姿が近く相田翔子さんに似た感じですが遥かに強さを感じます。韓国の女優さんは整形をするのが普通でしょうが、多分ユミンさんはそのままなのでしょう。強さを感じるのは韓国において日本人としてパッシングを受けながら、韓国語のハンディを負いながら今まで必死に生きて来たからなのかも知れません。ドラマで活躍しながら韓国で大学まで出ているのですから大したものです、努力の人なのでしょう。一昔前であると韓国に行く事、韓国語を勉強する事さえ何となく後ろめたい印象があり、また在日の方たちは歌手や俳優として活躍しても韓国系である事を隠すような感じでした。ユミンさんのような女優さんの登場は新しい時代の象徴なのでしょう。
日本の俳優さんが日本人で在る事を隠し韓国人の女優として人気者になり、ある時、隠し切れなくなって日本人である事を公表し多くの韓国人から「裏切られた」と避難を浴びる・・非常にドラマチックで、何となく李香蘭を彷彿とさせる話です。李香蘭(山口淑子)は中国生まれで戦時に軍に利用され、本人の意思とは別の次元で中国人スターとさせられたのですが、このユミンは本人の意思という点が大きく異なる点であると思います。また李香蘭は中国生まれであり、中国語はネイティブに話す事が出来たのに対して、ユミンさんは二十歳過ぎてから一から外国語を学び習得して演技していたという点もかなり違います。さて今後の日本の女優・笛木優子さんは日本の普通の女優さんとは異なる雰囲気、張りがあり、美人で知的であり、日本でも大ブレークするのかも知れませんね。ただNHKの時代劇に出ていますが、かつらは余り似合わないように見えます。現代ドラマの方がふさわしいのかも知れません、今後の活躍が楽しみです。
(写真:ユミンさん:ライブドア)
116・朱蒙(2007年10月30日)
韓国の高等学校・国定教科書は一種類で紀元前はるかなる昔に檀君なる王が建国した古朝鮮なる国家が現在の中国東北地方に存在し、その後この地域に扶餘という国が登場したとあります。要するに朝鮮族は現在の東北地方がルーツであり、その後現在の半島部分も勢力範囲を延ばして行ったという事のようです。そして紀元前37年に朱蒙が高句麗を建国し、この朱蒙と母の柳花婦人を始祖として奉っていたと書かれています。教科書の最初の方であり、また有名な高句麗の建国者という事でこの朱蒙の名前は韓国の人にとっては非常に馴染みのある名前であり、歴史の最初の試験勉強の際に母の柳花婦人の名前もしっかりと記憶していることでしょう。東明聖王として伝説的な人物であり、日本人にとっての「ヤマト・タケル」のような位置付けになると思います。
日本でも世界史の中で韓国・朝鮮の歴史を勉強しますが随分と内容が異なっている事に驚きます。特に檀君朝鮮に関しては日本では取り上げておらず、南部の馬韓・辰韓・弁韓の三韓時代から始まるのが普通であると思います。これは檀君朝鮮は神話に基づくもので、到底実在の国家とは思えないからです。しかしながら韓国ではこれを「お話」では無く、歴史的事実として丁寧に広大な版図の地図まで入れてしっかり教育しています。日本では衛氏朝鮮が滅ぼされて楽浪郡など漢の四郡が置かれていたと説明がある時代であると思います。これが歴史的には確認出来る史実であると思います。韓国の歴史教科書には色々と問題がありますが、これもその一例でしょう。韓国・朝鮮の古代史の特定が難しいのは幾度の戦乱で資料や遺跡がほとんど喪失しているからだと思います。余り根拠の無い事を歴史事実として教育する事には注文を付けたくなりますね。
今、日本で人気がある韓流ドラマはこの「朱蒙」とのことで、早速知人に送ってもらいました。一回一時間で何と81回放送されたそうで、最初の頃は視聴率が20%程度で推移していたのが、最終回に近くなると連続して50%以上を記録するという超人気番組になったようです。何でも当初は60回程度の予定であったのが人気が出たので延長したそうです。延長したと聞いていたので後半は中身が薄くなるのかと思っていましたが、ドラマの展開は早く最後までスピード感がありました。終りの方は分かれて暮していた息子に会い婦人を救出する事がメインテーマになっていますが、百済建国の話など神話として残っている話と上手く整合性を取っていました。
ただ、一体何時の話なのだろうと時代考証に関して疑問を抱きました。街の様子、建物の様子などはどうみても李氏朝鮮末期のよう、今から百年くらい前の雰囲気です。百年前のソウル一番の目抜き通りである鍾路の写真と比較してもずっと街も建物も綺麗であり、時代設定が紀元前というのは到底無理があると思いました。撮影は韓国に在る「三韓志テーマパーク」という場所なのだそうですが、非常に綺麗です。仕草に関して言えば、例えば貴人の前で酒を飲む際には現代の韓国人が行なうように横を向いて飲む、これは儒教から来ている風習であり、当時には在り得ない事であり、また服装も韓服を少々変えてはいますが、百年前でもあれだけの服装をしてはいかったと思います。また台詞も日本では時代劇の場合には絶対に明治以降に入ったと考えられる外来語は入れませんが、「チャンスだ」などと言う場面がありました。要するに二千年前と言いながら出ているのは現代の韓国人という印象です。また、漢の鉄器兵団という騎馬隊が出て来ますが、これはどう見ても中世ヨーロッパの騎士団そのものです。
全く時代考証は無しでとにかく面白ければ良いだろうという一点で創られているように思います。ただここまで非現実的に徹底するともうそのような事はどちらでも良いという気にもさせられます。要するに西遊記と同じですね、三蔵法師が居てインドに行ったのは事実ですがキントン雲に乗る猿の孫悟空などは全くのお話というのと同じだと思います。日本の時代劇は時代考証がしっかりしているという話ですが、比較の問題でしょう。日本で一番長く続いている時代劇は「水戸黄門」ですが、隠居した一大名が諸国を歩き廻る事など出来るはずも無い事でお伽噺の世界です。神話には基づいているが、架空の時代の架空の物語として楽しめば良いと割り切っているのでしょう。このような点は如何にも韓国人らしいですね。
韓国の人にとって良く知っている神話・伝説の人が生き生きと躍動するドラマは魅力的であり、娯楽大作としては評価は高いでしょう。戦闘の場面も迫力があります。
ドラマで感心するのは役者の上手なこと、多くの男優が見事に演じていました。そして主役を巡る二人の女性、召西奴(ソソノ)役の韓惠珍さん、禮素雅(イエソナ)役の宋智孝さんは本当に綺麗で見とれてしまいます。韓惠珍さんはこの直前には頑張れクムスンというドラマで主演を演じていますが、全く違うキャラクター演じ分けています。宋智孝さんは幸せ薄い苦労の多い姫を演じ切っていました。こちらもそれまでの役柄とは全く異なるものであったようです。ドラマ後の特番で地方で今までのファン層とは異なる年配のご婦人から声を掛けられ、「気の毒だね」と言われておかずが一品増えると笑っていました。主人公の母、柳花を演じていた呉娟受さんは毅然とした母を演じ、朱蒙とは親子に見えましたが、実際には朱蒙を演じていた宋一国さんの方が年が上で以前恋人役を演じたそうです。この美しい3人の女性以外にも名演技の女優さんが多く出演し楽しむ事が出来ました。非常にレベルの高いドラマであると思います。
この番組を制作する動機となったのは最近の中国が歴史認識に拠るもので「高句麗は古代中国の地方政権」として高句麗を自国の歴史の中に取り込んだ事に対する反発があります。確かに高句麗は現在の中国東北地方で成立した国家であり、当初は朝鮮半島の国家ではありません。後に平壌を首都にしますが、版図の大部分は現在の中国領で、中国から見れば当然のことなのかも知れません。日本に対して常に日本の教科書の内容にクレームを付けている韓国、今度はこの件で中国に反発しました。この歴史認識を正す、高句麗は古朝鮮から出発した現在の朝鮮・韓国の源流である事を主張する為にこの番組は作られているように感じます。漢の圧制に対する朝鮮族の抵抗をメインに置き、何時も日本を描くように中国(漢)を徹底的に悪者に仕立てています。もし高句麗を中国の一地方政権として認めてしまうとかなりの部分重複した領土を有する現在の朝鮮を中国が領有占拠したとしてもクレームが出来なくなります。朝鮮そして中国東北部も元々は朝鮮・韓国の領土であるとしないと韓国にとっては都合が悪いのでしょう。
日本を始めとして近隣諸国にこの朱蒙を売り込み、韓国・朝鮮のルーツとしての高句麗を印象付けたいと考えているだと思います。日本では民放が放映して広告などが多く入り、またカットされているそうで、一時間を一気に放送している韓国とは大きな違いがあるようです。領土の問題、中国との関係も微妙な作品で政治的な意図がかなりあるように感じますので韓国ドラマに積極的なNHKでもこれを避けたのだと推測しています。台湾や香港で放映されますと視聴者は漢の強引かつ弾圧的ななやり方を現在の政府と重ねて観ると思います。舞台が二千年以上とされていますので、正面切って文句は言えないでしょうが、内心面白く無いと考えている事でしょう。
高句麗が高く評価される一方で朝鮮最初の統一王朝である新羅は最近は人気が無いようです。南部の慶州を首都としていた点、そして当時の中国・唐と組んで百済、高句麗等のライバルを打ち倒して行った歴史があり、これも不人気の原因のようです。版図もかなり狭くなり現在の領土よりも小さく朝鮮半島に限定されてしまい、高句麗のような華やかな話も余り無いのですが、現在の朝鮮を統一した地域にした貢献は大きいと思います。全く相手にされていない百済とこの新羅の両国こそが実際には現在の韓国に繋がっているのであり、もう少し足元を見た歴史ドラマを制作して欲しいものですね。
(写真:テレビ朱蒙:MBC)
117・海神(2008年08月03日)
2004年〜2005年に放映された海神を見ました。51回と朱蒙の81回と比較しますと短いですが、それでもかなりの大作です。これは歴史上の人物である政商、張保皐(チャン・ボゴ)(790年頃
- 846年?)を描いた一代記です。舞台は統一新羅の時代、日本は平安時代の初期、中国は唐の中期に当たります。統一新羅においては武烈王の王統が絶え王位継承の争いが激しくなり、王位纂奪や王都内での反乱が頻繁に発生した時代に当たります。この人物の功績として挙げられているのが奴隷貿易を止めさせて交易を推し進めた事にあります。それまでは多分多くの半島の人達が奴隷として唐に連れて行かれたのでしょう。唐も混乱しており内戦があり、戦闘場面も多く出て来ます。
このドラマを見る前に朱蒙を見ましたが、放映したテレビ局は異なりますが見た感じが非常に似ているのには驚きました。日本でも時代劇に出演する俳優は同じようなメンバーで限られており、例えば西田敏行などは大河ドラマで秀吉、家康、秀忠、西郷隆盛などを演じており、ある程度は仕方がない事なのかも知れません。この番組で敵役を演じた宋一国は主役を上回る人気を得て認められ、朱蒙の主役に抜擢されたと聞きます。脇役に関しては両方のドラマに同じ俳優が数多く出ています。上手にそれぞれの役どころを掴み、演技を変えている俳優もいますが、商人役の俳優などは何も変えず全く同じ感じで出ているのは感心しませんでした。また、時代が異なる、少なくとも二つのドラマは800年は違うはずなのに多少服装は変えているようには思いますが家の様子、町の雰囲気などは同じようなに見えます。大長今(宮廷女官チャングムの誓い)は朝鮮王朝中期の時代で1500年頃、この海神よりも更に700年後の時代ですが余り風景が違わない、要するに韓国の時代劇はどの時代でも全部同じようで時代背景は余り違わないという事になります。写真で朝鮮王朝(李氏朝鮮)末期の様子を見ましたが、これらのどのドラマの様子よりも古めかしく汚く、非常に混乱している様子であり、綺麗ではありませんでした。写真が撮影されたのは20世紀初頭、まだ百年前です。時代考証にはもう少し配慮して欲しいものです。このまま放置しますと実際とは逆に優雅で人民が文化的で豊かに暮らしていた李氏朝鮮を日本が侵略し、朝鮮民族を奴隷のように扱って悲惨な暮らしを強いられた事にされそうですね。
ドラマのスト−リーは韓国ドラマらしく速いテンポで展開し、危機また危機、数々の苦難を乗り越えて行きます。主人公は毎回死の淵に立たされると言っても過言ではありません。スーパーマンのごとく不死鳥のごとく蘇る主人公、見ていて面白いですが少々やり過ぎという印象です。朱蒙は王子様が独立して国を建てその王となるという物語でどちらかと言いますと明るいストーリー展開ですが、この海神は徹底的に暗いのには少々閉口しました。途中までは主人公は奴隷の身分で人間として扱われない状況で、殺し合いの場面も多くあり生きているのが不思議とさえ思うほどでした。朝鮮は身分制度が厳しいところで、李氏朝鮮末期まで奴隷が存在していました。文献を読みますと20世紀初頭でも奴隷の処分(要するに殺しても問題は無い)は全く自由であったようです。それでもこの海神が面白いのは確かでまた他の作品も見たいとつい思ってしまいます。
(写真:テレビ海神:KBS)
118・高句麗ブーム(2007年11月08日)
最近韓国ではちょっとした高句麗ブームが起きているように見えます。きっかけは中国が歴史認識で高句麗を自国の地方政権と位置付け、これに韓国が猛反発した事からのようです。韓国では高句麗を自国の歴史の出発点として再認識をし、ドラマでも多く取り上げられるようになっています。これまでは時代劇と言いますと「チャングムの誓い」もそうですが、李氏朝鮮(朝鮮王朝)がほとんどでした。1392年から五百年以上にわたり、日本が併合する1910年まで存在していたのですから当然と言えます。この1392年と言いますと日本は足利義満の時代でようやく南北朝が終わった頃になります。この時代から20世紀まで存在していたのですからその持続力には驚きます。
それ以前は高麗その前は新羅が統一国家であり、高句麗が在ったのはその前の紀元前37年頃
- 668年です。七百年以上存在していたという事で李氏朝鮮よりも長い期間存続していたのですね、これは大したものです。高句麗は中華帝国の周辺国家の中では飛び抜けた存在で非常に強い国家でした。隋帝国は何回も遠征軍を送るが乙支文徳の知略の前に敗退を繰り返し隋滅亡の要因の一つとなっています。結局唐の時代になり、唐は新羅と連合してようやく高句麗に勝つ事が出来たという歴史が残っています。百済・新羅と三国鼎立で有名ですが、国家の成立はこの両国よりも早く、韓国・朝鮮の人にとっては最初の本格的な国家、ルーツとして認識されているのでしょう。今まで韓国ではそれほど大きく取り上げなかったのはその領土の多くの部分が現在の朝鮮、北半分と重複するからなのでしょう。南北対立の時代には朝鮮は高句麗の末裔を名乗り、朝鮮全体の正当な後継者を主張していました。これに対抗する意味でも韓国では積極的に高句麗を評価するのは控えていたものと思います。時代は変化し、南北の政治上の対立は弱まり、韓国では朝鮮とこのような事で対立する理由は無くなっていた上に中国の歴史認識の問題が生じて一気に高句麗ブームになったのでしょう。檀君神話から高句麗を繋げて朝鮮民族の誇りを国民に植え付ける狙いがあるのでしょう。
中国に対抗する意味合いもあり、ドラマで建国の祖・東明聖王・朱蒙が取り上げられ巷でも高句麗ブームが起きているようです。身近な李氏朝鮮よりもダイナミックであり、夢もロマンもあるので惹かれるのでしょう。高句麗の象徴である「三本足のカラス」のマークを入れた商品が人気のようです。現在は征服君主・広開土太王を主人公にした太王四神記なるドラマが放映されているそうで、しばらくはこの傾向が続きそうですね。七百年以上の歴史があるのでどのようにでも話を作れるので高句麗を舞台とする色々なドラマが登場する事でしょう。
(写真:三本足のカラス)
119・古朝鮮 (2008年08月09日)
韓国の高校歴史の教科書の最初には韓国の歴史がどのように始まったのかが記載され、そこには古朝鮮という強大な国家があったように述べられ、丁寧に地図まで入っています。地図には「古朝鮮の勢力範囲」と書いてあり、領土とは記しておらず、微妙な点がありあますが、遼東半島、山東半島は勿論、黄河河口流域から何と遥か淮河流域まで「勢力範囲」としています。この地図はインパクトがあり、中国主要部特に沿岸部は元々は朝鮮の支配下にあったのだと思ってしまいます。よく見ますと「神話としてよく知られている」とか「言われている」誤魔化しの表現が見事に散りばめられており決して歴史的事実とはしていない部分もあるのですが、途中からは話が次第に大きくなり衛氏朝鮮の国家に関して「経済の繁栄にもとづいて中央政治組織を備えた強大な国家に成長した」と記述している。この国家と漢とが対立し、第一次大戦は朝鮮が勝利したが漢の武帝によって滅亡し、その後漢の支配下になり、漢の四郡が置かれたと記載されています、これを若い時に勉強しますと漢と朝鮮とが大戦争を行い覇権を争い敗れたと信じてしまいます。韓国が日本の教科書について色々と注文を付けていますが、ここは日中協力して韓国の教科書を検証してみるのも良いかも知れません。
しかしながらこの程度で驚いてはいけないようです。1994年に発行された「大朝鮮帝国史」という本があり、驚くような内容が書かれています。 朝鮮民族はパミール高原より出て、紅山文明・黄河文明を起こした。
朝鮮民族は「倍達国」「檀君朝鮮」を建国し、中華民族を制圧した。 「箕子朝鮮」「衛満朝鮮」は、朝鮮帝国の衛星国家である。「漢四郡」と呼ばれるものは、前漢の郡ではなく、前漢の征討を阻止した武将の所領である。
というような内容で古代においては大朝鮮帝国が中国の政権を圧倒していたというものです。大日本帝国が中国を圧倒していたという歴史的な事実はありますが、太古の時代にこのような大朝鮮帝国が東アジアにおいて君臨してという事実は全くありません。日本でも大日本帝国が米国を圧倒して勝利を収めたという小説は存在しますが、これは架空の物語である事を承知して楽しん読むものであると思います。この大朝鮮帝国史は軍でも読まれているそうで、これこそ真実の歴史であると思ってしまっている人も多数居るのではないかと心配になって来ます。
インターネット上で挿絵が紹介されていました。韓国の皆さんが「西海」と呼んでいる「黄海」は何と「朝鮮内海」となっています。大朝鮮帝国と殷とが北京付近で大戦争を行ったというような挿絵です。この時の朝鮮の勢力範囲は何と長江を超えて杭州の更に南にまで広がっています。モンゴルも匈奴も朝鮮の支配下にあって一緒に戦ったように見えます。馬朝鮮という国が現在の朝鮮半島に存在し、日本の九州・中国地方もその勢力下にあったようで同じ色で塗られています。韓国の人の自負心は満足するでしょうが、朝鮮の属国であった事実など無い場所は迷惑ですね。
(挿絵:大朝鮮帝国史)
120・大百済帝国 (2008年08月09日)
大朝鮮帝国には続きがあり、次の挿絵では大百済帝国というのが出て来ます。百済が大帝国を築いたというお話です。百済はご存じの通り三国時代の一つで、長期に渡り存続し大きな領土を有し、隋唐帝国を散々に苦しめた高句麗と唐の力を借りたとは言えこの三国を統一し朝鮮を一つにまとめて一時代を築いた新羅は現在の韓国の人も取り上げるケースが多いのですが、この百済は余り取り上げられる事も多くはないようです。百済の領土は現在の全羅道に当たり、全羅道への差別の根源とさえ言われています。唐と新羅の連合軍によって滅亡したのですが、その際には日本が援軍に駆け付けたという経緯があり、これもマイナスイメージになっているようです。このように普通は余り目立つ存在では無い百済ですが、この大朝鮮帝国のお話では東アジアに君臨する大帝国になっています。
挿絵を見ますとタイトルが「大百済帝国の領土」となっており、日本は何と「奈良百済」と書かれています。奈良としているのは日本が当時奈良時代であった事と、「ナラ」が現在の韓国語で国を意味する韓国語であるからだと思います。日本海は何と「韓国海」となっています。韓国は日本海の名称に関して自国で使用している「東海」に変更するよう求めていますが、これを見ますと本音は「韓国海」としたいのですね。中国沿岸部は外百済とされ、黄海は「内海」となっています。百済は常に三国の時代も余り目立つ存在では無かったという認識ですがこの大百済帝国にはびっくりです。高句麗は名前がありますが、新羅が無いところを見ますとこの作者は多分、全羅道の出身者で慶尚道に対して敵愾心を持っているのかも知れませんね。それにしても何と楽しい地図でしょう。
121・百済(2008年08月10日)
日本人にとっては百済という名称は馴染み深いものです。百済寺、そして百済観音は法隆寺にある国宝として有名です。この百済観音という名称からこれは百済で作られて贈られたものだと思っている人が多いと思いますが、この名称は大正時代に始まったもので、朝鮮風の観音という事から付けらてたそうです。日本国内で最高級の国宝に「百済」が付けられ日本人にとって百済が身近なものになったと思います。日本と百済との関係は非常に密接であったのは事実でしょう。朝鮮史は百済のライバルであった新羅が統一した後、高麗、李氏朝鮮(朝鮮王朝)の後日本となりますが王朝が長く続き百済が存在した時代はそれほど昔ではないように錯覚しますが、実際には3世紀頃から7世紀までの国でかなり古い時代の話で唐・新羅連合軍によって百済が滅亡の危機となった時に援軍を送り白村江の戦いで連合軍に敗れ、その結果として百済難民を大量に受け入れ、自国の整備を急ぎ日本が事実上国家としての体制を築いたとされています。7世紀当時、日本と比較して百済が先進地域であった事は確かでしょう。難民として逃れて来た数千人の人達は国家の中枢に居た人も多かったはずで、新天地で力を発揮した事でしょう。長い年月が経過してこの人達は多くの日本人の祖先に当たると思います。現在の日本人を形成している一部と言えるでしょう。日本人が何となく今でもこの百済に想いを寄せるのも当然なのかも知れません。百済難民は日本で自分達を滅ぼした新羅の人に向かってこの野郎と思っていた事でしょう。「ヤツラ」という時に韓国語では「ギ」を付けるそうで、新羅人を「シルラギ」と呼んでいたので、日本の「新羅」の読みが「シルラギ→シラギ」になったとというのがどうも本当のようです。
この百済の成り立ちというのは本当の所はよく分からないそうで、神話的な話としては高句麗を建国した朱蒙の二番目の妃であった召西奴の子が建国したという事で姓は扶餘としていたそうで、後期に高句麗の圧力で南に遷都した際には国号を南扶餘としています。何時も韓国ドラマで百済が取り上げられない事に不満を持って居ましたが、2006年に百済の武王を取り上げた薯童謡(ソドンヨ)というドラマが放映されています。見てはいませんが、かなり脚色が加えられており、自分の出自を知らず庶民として育てられ、新羅のお姫様との恋をしたというのような物語に仕立てています。韓国ドラマらしいあり得ないストーリー展開ではありますが、百済側に立ち理不尽な新羅王と戦う姿を描いています。余り評判にならなかったのは理不尽な敵国が日本とか中国であれば良いのですが、新羅では韓国人は納得しない、特に慶尚道の方は批判的になるので、新羅を悪役に仕立て切れなったのでしょう。視聴者は無慈悲で悪逆非道な外国と戦う朝鮮民族のヒーローが好きですからイマイチになってしまったのでしょうね。
(写真:テレビ・薯童謠:SBS)
追記 (2008年03月02日)
この薯童謡(ソドンヨ)を見る事が出来ました。想像していた通り、空想時代劇というような感じであり得ないお話ですが脚本はすばらしく感動のドラマに仕立てられていました。百済は天智天皇の時代には既に滅亡していた訳でこのストーリーも飛鳥・奈良時代のお話という事で相当古い話なので歴史的な事実はさて置いてとにかく面白いものを作ろうという姿勢が返って良かったと思います。悪役は主役の叔父に当たる人と新羅の貴族で百済に潜入していたスパイという仕立てで日本や中国が出て来なくても悪と戦う主人公という韓国ドラマの王道を行くものでした。
122・韓国大統領に大阪生まれの李明博氏(2008年01月19日)
韓国の次期大統領に李明博氏が当選し、政権交代が行なわれることとなりました。盧武鉉大統領は観念的、理念的な政策で韓国が迷走する原因を作って来ました。日本に対しても教条的に「日本統治時代は韓国人を弾圧しこれに対して国民は徹底抵抗した」という理念から対日政策を進めていました。第二次大戦が始まった当時の色々なコメントを読みますと京城(現在のソウル)から東京に勉強に来ていた学生が朝鮮に戻ると市民が戦争のニュースで日本勝利に対して熱狂している、東京よりもすごいと驚いているコメントがありました。多分実際には多くの半島市民はかなり日本化していたのでしょう、当時の市民がこぞって日本の統治に抵抗していたとは考えられません。このような事実では無い教条的な信念を基に対日政策を進めて来たのでどうしても無理が生じていたのでしょう。
今回当選した李明博氏の最大の任務は経済の立て直しです。韓国に利益が出る政策を打ち出す事が考えられ、現在の政権よりはかなり現実的は政策が打ち出されるものと思います。大統領就任式に福田首相が出席される事が検討されていますが、隣国の大統領就任式に出ていない方が不自然であり、ようやく両国の関係が正常化に向かうものと期待します。北との関係はある程度距離を置き、実質的に利害関係が大きい日本、米国等を重要視する事でしょう。日韓関係、特に経済面での交流が一気に進むのではないかと想像しています。世界は地域でまとまる傾向がありますが、両国にとって組む相手は嫌でもお互いしか居ません、世界の中で生きて行くには手を取り合い協力して進むしか無いのが現実です。これをしっかりと理解しているのが李明博氏だと思っています。
李さんは大阪府生まれで当初は日本名月山明博(つきやま・あきひろ)であったそうです。反対派からは母親が日本人であると攻撃されたそうですが、両親とも半島出身である事を証明したのだそうです。大阪で生活していた両親に育てられたので、日本的はセンスも身に付けている事でしょうし、観念的な反日は何の役にも立たない事を理解していると思います。しっかりとした日韓関係が形成されますことを期待しています。
(写真:李明博・次期大統領)
123・南大門焼失-01 (2008年02月10日)
今日2月10日にソウルの象徴、韓国の象徴である南大門が焼失したというニュースに衝撃を受けた人は多いと思います。まさかという思いでしょう。ソウルの街の中心に威風堂々と聳えている姿はこの街を訪問する人は必ず見ていたと思います。国宝一号であり、韓国のシンボルとも言うこの建造物が簡単に焼失してしまった、失火した際に「国宝であり、丁寧に扱い気をつけて消火せよ」という指示があったようで、初期に思い切った手を打てなかったのが全焼となってしまったようです。
李氏朝鮮の時代には崇礼門として城郭都市であったソウルの正門の役割を担っていました。日韓併合の前、今から丁度百年前、当時の皇太子殿下が訪韓するに当たり城壁を撤去し、門だけが残り周囲も綺麗にされたと言います。現在のような姿になったのはこの時からで李氏朝鮮時代の写真を見ますと周囲には粗末な藁ぶき屋根の家屋が並び壮麗な門と対照を為しています。一昨年までは周囲に柵が張られて近づく事が出来かなったそうですが、現在は近づき下をくぐる事も出来たと言います。誰でも近づけるようにした時に安全対策も同時にしっかりと行うべきだったのでしょう。消火器が8本で夜間は無人であったそうです。誰でも簡単に近寄れる状態にしてこれはないでしょう。
火災の原因に関しては放火とも言われていますが、火災に対する備えをしっかり為されていなかった事は反省するべきでしょう。韓国は数々の戦乱を経ていますので過去の建造物が余り残っていません。再建を行い昔の姿を取り戻せるものは出来る限り作って行くべきでしょう。韓国人の中には自虐的に「国宝第一号も守れなかった韓国人」と言う意見も出ているようです。何で火災などに万全の体制を取っていなかったのか問題点の洗い出し、点検が行われる事になると思います。国民からの関係者への厳しい非難は避けられないでしょう。セキュリティーをないがしろにし、根拠も無く「大丈夫」としていた事は間違い無いと思います。
国外からは「如何にも韓国人らしい」と思われるのが悔しいのでしょう。14世紀以来目立つ位置にありながら、多くの戦乱の中でも残って来たので、平和の時代、科学技術が進歩したこの時代に「燃えるはずなど無い」と頭から決め付けてのでしょう。韓国のプロモーションビデオなどにも必ず登場する韓国の象徴的な存在であっただけに無残に焼け落ちた事で不吉に感じたり、将来に対して悪い観測も出て来る事でしょう。日本でも金閣寺を燃やした際に色々な反省が出て火災に対する備えが出来上がった訳で韓国もこれを早期に再建し、国内の他の貴重な文化遺産を守って欲しいものですね。直ぐに再建に取り掛かると思いますが、同じような建物を建造する事は容易いとは思いますが、歴史的な建物は二度と戻らない事は確かで残念な事です。
(写真:南大門火事:朝鮮日報)
(写真:焼失した南大門:朝鮮日報)
(写真:李氏朝鮮末期の南大門:ウィキペディア)
(写真:再建中の南大門:2012年撮影)
124・南大門焼失-02 (2008年02月19日)
ソウルの象徴、韓国の象徴である南大門が焼失して10日ほど経ちました。国宝第一号の火事は日本の新聞テレビでも大きく取り上げられました。今までの韓国ですと何か起きると人のせいにし、外国の責任と押し付ける事が多かったのですが、今回の事件で「日本に見習え」という論調が多く出たのは今までとの大きな違いです。日本の金閣寺では放火事件以来文化財の防犯防火体制は徹底しており、万一に備えての訓練も怠りないという事と、再建には分析と再建内容に関して徹底的な調査が行われ、時間を掛けて往時の建物を再現した事が書かれています。「日本は何でも悪い」という論調ばかりであったのが「貴重なシンボルの国宝を守れなかった韓国は恥ずかしい」という表現まであり、変化を感じます。
韓国中央日報に南大門の歴史的な写真が掲載されていました。李氏朝鮮末期まではソウルは城壁に囲まれており、南大門は文字通り「門」としての役割をはたしていた事がわかります。門の周囲にはぎっしりと建物があったのが分かります。これより少し前の写真ですと藁ぶき小屋も多くあった事が分かります。かなり猥雑な感じで都の正門というイメージとは少々異なっています。
(写真:中央日報・1904年・李氏朝鮮末期)
それから36年後の写真が次にあります。中央日報は「日本が城壁を壊し孤立無援の状態にした」とネガティブな解説を付けていますが、この時代に朝鮮は見違える程の近代化を遂げ、電車や自動車が走り周囲には近代的な建築物が立ち並んでいるのが分かります。注目する点は手前に交番らしきものが在る事です。日本の官憲と言いますと韓国の人は異常なまでの拒否反応を示しますが、これを見ますとこの南大門を重要な文化財と位置付けて、しっかり警備している様子が分かります。
(写真:中央日報・1940年・日本統治時代)
さて、それから11年、朝鮮戦争で荒れ果ててしまった南大門が写っています。愚かな民族同士の争いでもさすがにこの門を壊す暴挙には至らなかったのでしょう。手前の日本統治時代の交番もまだ残っています。この後大補修を行い、その時にこの交番らしき建物の姿も消えています。
(写真:中央日報・1951年・朝鮮戦争当時)
そして事件が発生しました。新聞によりますとこの南大門付近は数名のホームレスがいて、夜を過ごしていたとの事です。そして警備する人はおらず、夜間は放置されていたそうです。不心得者が出れば何時でも簡単に火を付ける事が可能であったようです。そして消防は法令が不備であり、また後で文化財を壊したと避難されるのを恐れて初期消火に失敗しました。火事が起きた場合の備えも手順書も何もなかったという事になります。
焼失した南大門を関係者は直ぐに再建する、それも募金で再建するとして、国民の反発をかっています。燃えてしまった残骸はたちまち片付けられたそうですが、これは再建の為の重要な資料であり、二度と同じような事件が起きない為の対策作りに欠かせないものであったと思うのですが、見た目だけを気にする国民性の為かあっという間に姿を消し、周囲にシートが張られて外から見えないようにしました。如何にも韓国人らしい対応と呆れる人も多いようです。事件から10日経過してようやく韓国の人も落ち着き、客観的に事件を見つめるようになったようです。拙速な再建には慎重論が出ており、日本を見習った文化財保護を行うべきであるという論調が多くなっています。今後実際にはどのように再建して行くのか注目ですね。
犯人が何故このような放火をしたのか色々な憶測が出ていますが、これは一種の自爆テロだと思うのです。米国では銃の乱射を日本であればサリンをばらまく等の方法を取りますが、韓国は歴史の国、韓国の象徴を狙ったのでしょう。気が違っているのでは無く正気であったからこのような行動を取ったのでしょうね。放火ですが誰も怪我もしておらず、死刑などの重罪には出来ず刑期を終えてその内に社会に出て来る事でしょう、その時にこの人を韓国と韓国社会がどのように扱うのか関心があります。
125・朝鮮・平壌でニューヨークフィルの演奏 (2008年03月06日)
朝鮮でニューヨークフィルが演奏を行い、それを全国に放送したというニュースがありました。映像を見ますと朝鮮でもエリートと思われる皆さんが背広ネクタイ姿で着席する中、指揮者のロリン・マゼールが現れ、最初に朝鮮国歌、直ぐに米国国歌を演奏しました。星条旗を掲げて国歌を演奏するのはボクシングのタイトルマッチなどこれまでに既に2回あり、特別な事では無くなっているのだそうですが、ニューヨークフィルが演奏するという意味は大きいと思います。雄大かつ荘厳な感じで朝鮮国歌を演奏した後に米国国歌を威風堂々と演奏しました。観客の表情は何となく複雑で固いものでした。長い間、敵と教えられて来た米国のオーケストラが米国国歌を平壌の真ん中で堂々と演奏するのですから時代は確実に変化しているように見えます。演奏したのはドボルザークの「新世界から」「パリのアメリカ人」など米国にちなんだもの、そしてアリランでした。アリランはハープを使いオーケストラへのアレンジはすばらしく約10分の演奏でした。マゼールはガーシュウィンの「パリのアメリカ人」の説明の際に「私もいつの日か平壌のアメリカ人という曲を作りたい」と語り拍手を受けてました。朝鮮語の翻訳の前に英語での説明で結構多くの人が反応しており、聴衆の多くは英語を理解する様子でした。
朝鮮はイラク戦争の際には悪の枢軸と名指しされて米国に対してかなりの危機感を抱き、今にも攻撃されるのではないかと考えていたようですが、この数年間の交渉を通じて米国が朝鮮を攻撃する意図は無いと判断したのでしょう。米国としても相手を追い込み朝鮮が中国の属領となる事態は避けたいところで双方とも歩み寄りたいのが本音なのだと思います。ただ公式見解では朝鮮戦争以来の敵として国民に鼓舞して来た朝鮮、そして核の放棄が絶対条件とする米国、両国共に接近の糸口を探しているように見えます。このような際には文化交流が一番と米国の象徴的なオーケストラを派遣したのでしょう。朝鮮側はこれを受け入れて演奏会の様子を全国に放映する事で米国が以前とは異なり、両国関係も微妙に変化している事を見せたかったのでしょう。国民に植え付けて来た米国に対する恐怖心、敵愾心を和らげる必要に迫れているのでしょう。
背景に考えられるのは国際情勢の変化です。中国が経済的成長を果たし大国として登場し、世界のパワーバランスも変化しているのだと思います。中国が共通の敵になり得るという認識が生まれているのかも知れません。数年前には想像もしなかった朝鮮と米国が手を結び中国に相対するという事態もあるのかも知れませんね。
(写真:平壌でのニューヨークフィル:共同)
126・韓国国歌 (2008年08月07日)
国の象徴として国旗と並んで重要なのは国歌です。多くの場合には大切な神聖な物として扱われ、国歌斉唱の際には起立して整然と歌うものと相場が決まっています。フランスのように非常に音楽性の高いもの長いもの、そして日本の君が代のように短いものもあります。時には権力者に利用され、日本などではその後遺症で国歌に敬意を払わない人も多いようです。国旗や国歌を過去に利用した人が居たとしても国旗・国歌そのものの価値とは無関係だと思うのです。一番良い例がドイツ国家で、これは元々オーストラリアのハプスブルク家の皇帝を讃える歌であり、パプスブルク家は神聖ローマ帝国の皇帝を長く務めていたので、ヒトラーのドイツ帝国の時代にドイツの国歌として使われました。現在でもこれがそのままドイツの国歌となっています。オーストリア帝国やヒトラーのドイツ帝国の国歌を今でもそのまま使っており、国歌と当時の権力者達を重ねず使っているという訳です。
韓国の国歌はどのような歌なのでしょうか?日本人が韓国の歌として思い浮かぶのは「アリラン」「トラジ」などの民謡もしくは「釜山港へ帰れ」のような演歌でしょうか?実際の国歌は「愛国歌」と呼ばれる歌です。非常に洗練された美しいメロディーです。これを最初に聞いたのは学生時代に韓国を訪問した時で、当時はまだ戒厳令の時代で抜き打ちで市民に対しても演習を課していました。ソウルを訪問した時に韓国人の友人が運転をして市内を案内していただいた時、突然サイレンが鳴り出したのです。何が起きたのかと驚いていると友人からは自動車を止めて外に出るよう指示されました。これは抜き打ちの訓練で周りを見ると全ての自動車が停止し、乗っていた人が直立不動の姿勢を取っています。何をするのかと見ていると大きな音で音楽が流れ出しました。おごそかで威厳がある堂々とした前奏の後、皆が歌い出しました。様子から見て国歌である事は分かりましたが、洗練されたメロディーで韓国のイメージよりはどこか欧州の国歌のようですっかり気に入ってしまいました、世界の国歌の中でも名作の一つであると思います。今でも時々口ずさむ事があります。知らなければドイツの国歌と言われても納得してしまいます。
さて、この国歌は最近まで自由に演奏する事が出来なかったようです。何と国歌なのに著作権があるというのです。作曲された方が亡くなって50年経過するまでは著作権があり、使用すると課金されるというのです。実際に請求されたケースもあるようです。ところが最近になって遺族が国家にこれを寄贈したという事で現在は著作権が韓国国家に属し、実質的には自由に使う事が出来るようになっています。遺族の方はさすがに国家の為にと考えたから寄付をしたものと思っていましたが、どうも違うようなのです。最近になりこの作曲者の安益泰氏が親日家であったという事が分かり、これでひと騒ぎあったからのようです。終戦までは朝鮮半島は日本の一部となっていました。日本の統治時代に育った安氏は東京に在る音楽学校で勉強し作曲家になったそうです。日独軍事同盟の時代に満州国建国10周年記念コンサートで指揮をしている姿が出てしまい、「親日家」のレッテルが貼られたようです。統治下での親日家というのは韓国では逆賊扱いで子孫に至るまで非国民とののしられ、財産を没収される程の極悪人とされているので、このような類の人物が作曲した曲を国歌として良いのかという議論が起きたというのです。ここで遺族は曲の著作権を贈与するのと引き換えに愛国者として認定をして欲しいと申し出たというのです。政府もこれ以上は事が大きくならないようにとの配慮で遺族の申し入れを受け入れ安氏の名誉は保たれ、引き換えに著作権が国家のものとなったという訳です。
なお、朝鮮の国歌も「愛国歌」と呼ばれており別名として普通は「朝は輝け」という名前で呼ばれているようです。こちらの方は音楽性は余り高いとは言えず、朝鮮らしいプロレタリア主義の労働者の歌という感じです。作曲者を調べると金元均(キム・ウォンギュン、
1917年1月2日-2002年4月5日)という方で作曲家であり最高人民会議代議員でもあったそうです。平壌音楽舞踊大学学長、朝鮮民族音楽委員会委員長、朝鮮音楽家同盟顧問などを歴任し、金日成将軍の歌も作曲したそうです。
韓国国歌(ユーチューブ)
朝鮮国歌(ユーチューブ)
韓国国歌( 産経・黒田勝弘)
これは韓国の国歌「愛国歌」の歌詞だが、韓国で近年、その国歌の作曲者に対し“親日派疑惑”が出ていると いうのは、何とも皮肉な話だ。 “親日派”とは、韓国では今でもその人物の社会的評価を一挙におとしめる魔女狩り的な非難語である。ところが韓国国民が愛してやまない国歌「愛国歌」の作曲者・安益泰(1906〜65年)が、実は日本統治時代に日本支配に
協力した“親日派”だったとする疑惑が提起されているのだ。 安益泰は戦前、日本の音楽学校を出た後、米国やヨーロッパで音楽を学んだ作曲家で、夫人はスぺイン人だった。戦後もヨーロッパに滞在し音楽活動を続けた。リヒャルト・シュトラウスに師事し、カラヤンなどとも親交があった。
数少ない国際派の韓国人だった。彼の代表作は38年(昭和13年)、ヨーロッパで発表した交響曲「コリア・ファンタジー」で、その旋律の一部が解放後、韓国の国歌「愛国歌」になった。彼がヨーロッパで活躍した日韓併合下の1930〜40年代前半は、彼は当然、日本国籍だった。
「コリア・ファンタジー」はそのタイトルからも分かるように、彼の祖国コリアへの愛情で創作された作品である。合間に合唱も入り、今聞いても感動的な交響曲である。
ヨーロッパで名声を博した彼にはさまざまな機会が訪れた。そのひとつが42年、ベルリン・フィルハーモニーの 演奏会場で行われた、満州建国10周年記念コンサートでの自作の交響曲「満州国」の指揮だった。日独伊3国
同盟時代で、ヨーロッパ中枢はナチス・ドイツの占領下にあり、アジアでは太平洋戦争(大東亜戦争)が始まっていた。 コンサートは“日独友好の夕”だったようだ。
この安益泰による交響曲「満州国」の作曲、演奏の事実が最近、韓国の研究者によって明らかになり、「日本帝国主義への協力」という“親日派疑惑”が提起されているのだ。国歌の作曲者が親日派だったとは?
“親日派”については今なお、子孫の財産まで超法規的(?)に国家によって没収される韓国だけに、この “親日派疑惑”は韓国人にとっては大いに気になる話だ。安益泰が祖国コリアを愛していたことは間違いないだろう。「コリア・ファンタジー」は名曲だし、「愛国歌」の旋律もいい。すべての国民に親しまれている。今さら作者の“親日派疑惑”を理由に捨てられない。とすると、もうこの種の日本がらみの過去ほじくりは不毛ではないか、ということになりそうだが、そんな議論はまだ聞かれない。
127・中国から見る朝鮮と韓国の違い (2008年03月08日)
朝鮮半島が南北に分裂した状況がもう50年以上続いていますが、同質の同一の国が無理やりに二つに分割されて統治されているという事になっていますが、少し冷静に考えて見ますとそうとばかりは言えないように思います。中国から見ますとこの地域は大陸と繋がっている付け根の部分と半島の先の方の二つに分けて考えるのが自然のように見えます。付け根の部分は中国辺境の地で、地続きになっています。半島の方はその先にあり、余り関係ないですし関心も無い地域と言えます。漢の時代に東北地方と朝鮮地域に楽浪郡など4郡を置いて統治したとありますが、その際にも半島の先の方は圏外として扱われていました。その後、付けの部分に高句麗が成立し、隋の時代にはこの高句麗との戦いで国が滅んでいます。その後に成立した渤海も大きな国家でした。
時代が下りますと少し西にずれますが旧満州地域に成立した遼、金、そして元は全てこの辺りから出て来た国家です。そして中国最後の王朝となる清は旧満州が元々の領土であり、ここから中国本土を攻め王朝を築きました。このように見ますと朝鮮北部、沿海州、旧満州辺りから自分たちを脅かしそして支配する人がやって来るというのが中国人の意識になっているのでしょう。この恐怖心はかなりのものでしょう。特に政治の中心が北寄りの北京にあるので一層強い事でしょう。日本が朝鮮半島を併合し自国の領土にした時はまださほど中国は警戒していなかったと思います。その後旧満州を自国領として傀儡政権を立てた辺りから今までの歴史から見て中国人は日本が中国全体を支配する意図があると感じた事でしょうし、日本は一気に北京に迫りました。
戦後朝鮮半島が38度線で分割され、北は朝鮮、南は韓国を称しています。外から見ますと同じ民族の分裂国家ですが中国から見ますと朝鮮と韓国では意味合いが異なっていると推測します。南半分は自国からは離れた関係の無い日本と一緒の存在であるのに対して朝鮮は自国の安全に不可欠な地域と考えている事でしょう。朝鮮戦争の時に米軍を中心とする国連軍が朝鮮北部、付け根の部分まで攻め込んで来たので自国の安全にとり重大な出来事と見なし、朝鮮に大軍を送り込んだのでしょう。もしあの時に米軍が平壌程度までで進軍を止めていれば中国人民軍は攻めては来なかったのではないかと想像しています。
このように考えますと現代は中国から見ますと取り重大な関心を持っている朝鮮とどうでも良い存在の遠隔地にある韓国に分けられるという事になります。国境に近い朝鮮の部分さえしっかりと押さえておけば安心と信じている事でしょう。中国は何とか朝鮮を自国の属国のような存在にしたいと経済から入り込んでいるように見えます。これに対して朝鮮は高句麗以来、自立心た強く中国には服従しない意思を示しています。テポドンなどを開発して韓国、日本に対して威嚇している朝鮮ですが当然の事ですがこれを反対に向けて発射する事も可能です。平壌から北京は東京や大阪よりも近く、中朝国境から瀋陽までは僅か200キロです。もし朝鮮が中国と軍事衝突を起こしますと中国は守り切れません。米朝が接近し韓国が朝鮮を後押しする中、中国の選択肢は小さくなっているように見えます、米国もこの辺りの事情をしっかりと把握しているように思います。朝鮮を巡る中国と米国との駆け引きがこれから本格化するのかも知れません。
128・中韓関係 (2008年08月09日)
中韓関係はどのようになっているのか、それぞれの国民が相手をどのように見ているのか気になる時があります。日本では最近この両国との接触が増えるに従い、批判的な意見が多く聞かれるようになっています。中国嫌い、韓国嫌いの人が増えているのが実情ですが、この両国の関係はどのようになっているのでしょうか?元々韓国そして現在の中華人民共和国が発足した当時は冷戦が始まった時期で、直ぐに朝鮮戦争が始まり両国は戦争相手でした。百万の中国人民軍が朝鮮に投入され、劣勢であった戦争の状況を一気に変え韓国を苦しめました。その後は朝鮮は友好国、韓国は承認せずにこの朝鮮南部というのが中国の公式の姿勢でした。冷戦が終わり、中韓の交流が活発になり、韓国の企業が続々と中国に進出するようになりました。この自己主張が強い自国の理論優先の両国が仲良くやっている姿を想像するのは容易ではありません。
国交が出来て数年は蜜月であったように見えます。韓国にとっては大きな市場が出来た訳で対中投資・輸出は爆発的に伸びました。中国にとっても韓国の投資は経済に好影響を与え、特に朝鮮自治区がある東北地方では韓国のお陰で経済発展を遂げた地域もあると思います。新婚時代は円満であったのですが、その後は双方の自我が出てなかなか思うようには行かないようです。中国では朝鮮は盟友であるが、韓国はそうでは無いという意識が残っていると思います。また長い間属国であった訳で衛星国と看做す意識もあるでしょう。韓国の方は自身の方が先進的な国家であるという自負からついつい横柄になり、顰蹙を買う場面も多いようです。決定的な問題となったのは歴史問題です。日本の教科書を攻撃し日本の歴史認識に文句を付けて来た両国ですが、高句麗に対する歴史認識で真っ向から対立してしまいました。韓国は自国の祖先であり、偉大なる朝鮮民族の国家という位置付けをしているのに対して中国がこれは中国の地方政権であるとして問題になりました。歴史認識の問題でどちらが正しいとも言えませんが両国の関係に悪影響を与えているのは間違いありません。
韓国は竹島を強引に自国の領土と主張していますが、中国との中間辺りに在る中国大陸の大陸棚に在る水面下に在る岩礁を離於島という名称を付けて自国の領土と主張しています。竹島でも相当厚かましいのですが、島でも無い岩礁を島に仕立てて自国の領土とするとは呆れ果てるばかりです。地図を見ますと確かに距離的には韓国に近いのですが、干潮時でも水面下5メートル近くあり到底「島」とは呼べるものでは無くお話になりません。中国は「韓国との間で領土問題は無い」として韓国の主張を無視しているようです。このような韓国のやり方にさすがに呆れて状況によっては「竹島は日本のものだ」と理解する人も多くなるかも知れませんね。
(地図:蘇岩礁・中国名称:離於島・韓国名称:ウィキベディア)