「君の名は。」の評論いろいろ見てるうち、「セカイ系」「ロキノン系」という2つの言葉が頭の中をぐるぐるするようになった。
どっちも気軽に語ったら猛攻撃を喰らいかねない定義のはっきりしない言葉なんだけど、00年代に青春を過ごしてきた自分にとってこの2つというのは、なんとなく親和性があるような、というかひとつのもののような、そんな感じがしている。一言でいえば00年代の空気?というのかな。
なんとなく感じてることを書き連ねていくので、誰か詳しい人が上手く補完してくんないかな。
「セカイ系」……一般的には「主人公とそのごく近くの人間だけで世界の行く末が決まってしまう」ようなお話のことを指す?ラノベや美少女ゲームとの関係など諸説いろいろアリ。
「ロキノン系」……雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」でよく取り上げられるバンドを総称して言う。90年代後半から00年代以降のティーンエイジャーに人気のある邦楽若手バンドを指すことが多い。
「セカイ系」の論議で頻出する作品「新世紀エヴァンゲリオン」……「セカイ系」に最も影響を与えたとされる作品のひとつらしい。
「ロキノン系」とされる中で絶大な人気のあるバンド「BUMP OF CHICKEN」
バンプの初期の楽曲『アルエ』は「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する人物綾波レイをイメージしているらしい。バンプの歌詞になんとなく「セカイ系」的なものがある?というかセカイ系的文脈で語る人がちょくちょくいる。
FLASH動画とか作られちゃうくらいなのだから、それだけ若者を魅了する物語性があったってことなんだろうけど。
バンプのFLASHに夢中になる人たちと、美少女ゲームとかの沼にハマっていく人たち、どちらもどこか似たところがある気がする。
『天体観測』とかさ、エロゲにも天体観測が趣味の主人公とかよくあるじゃんね。
ファイブエムとはつまり5mで「君を繋ぐ・君と繋がる5メートル」みたいな意味らしい。
んで、アジカンも「セカイ系」的なものとして語られたことがあったらしい。ボーカルの後藤正文の日記にこの辺に関する面白いものが書かれていたので読んでみるといいかも。
あと、村上春樹とかもときどきセカイ系談義に登場するけど、後藤は村上春樹の影響を受けているっぽい。
この「半径5メートル」というキーワードが誤解されて、同時に「君」とか「僕」とかいう二人称が当時のサブカルチャーのブームにひっくるめられて、「セカイ系」みたいな誤読をされて当時は心底気持ちが悪かった。
半径5メートルという言葉はどこが発端かよくわからないが今でもよく耳にする。「セカイ系」語りでもよく用いられる。
この辺の感覚ってアジカンやバンプを通ってきた今の若手世代にもなんとなく受け継がれている感じがある。
米津玄師だったり、カゲプロのじんだったり、そういうボカロの世代にはバンプの「ユグドラシル」だったりアジカンの「ファンクラブ」のエッセンスが少し混じっている気がする。
もっと前の、中村一義とかの感じもなんとなく「セカイ系」の枠と似たものがあるように感じる。
なんていうか、もはや「青春の鬱屈とした感じ、焦燥感、閉塞感」とかの「なんとなく」レベル。
言語化できないのになんとなく似た何かがあるように思えてならないのはなんなんだ。
「違うわい!」と叫んでくれてもいいんだけど(というか自分自身もどの作品もテーマは全く違うものだと思っている。)、
でもなぜか「セカイ系」「ロキノン系」は同じようなものを指しているのではないか、って感じがしている。
それはつまり明確に共通したテーマや定義があるとかじゃなくて、「時代性」的なものというか、「この時代の若者に響く何か」というか、そういうものを曖昧に指しているだけなのではないかという感覚なんだけど。
というか「自分が好きなモノ」の主語を広げて「俺らの好きなモノ」にしているというか。(評論家にとっては「彼らが好きなモノ」になるのだろう)
自分が好きなものはつい共通点を探したくなるよね。それに、若者が夢中になるものに何か共通点を見出したがるのが評論家だよね。
うーん、まとまんない。
誰か上手く言い表してくれー!!