云ひたひことがあるならばはつきり云へと父に云はれて、へヱそういうことならと本音を伝へたらば即座に髪を掴まれて壁に頭をズドンされてモギャンとなって以来、云ひたいことは極力この胸に仕舞って生きて参りました。来年四十歳になります。
あんまり喋らないので人生損するでしょうと言われることも若い頃にはよくありましたがそんな性分でもわりと得することはあって、いつのまにやら「寺地は口が堅そうだ」というようなイメージが定着して、別に有能でもないし誠実でもないくせに「だからお前は信用できる」とか言われてえらい人に可愛がられて、お土産のおまんじゅうを他の人よりいっこ多くもらえたこともありました。おまんじゅういっこぶんの信頼です。ちっぽけだとお思いになりますか。そんなことはありません。
けれども最近、様子が違ってきているようです。
今日、スーパーマーケットで買いものをしていたところ、鮮魚コーナー、位置で言うとさんまと鮭フレークのあいだあたりに3歳ぐらいの坊やが座りこんでおりまして「ママがぎゅってしてくれるまでうごかへーん」などとかわいらしく駄々をこねておりまして、ママなる人は2メートルほど前方で困った顔をしているご様子でした。
「アラアラ、そんならおばちゃんが抱っこしたろか? モヒヒ」というようなことを私は思い、そしてそれをそのまま口に出してしまったようでした。しかもニヤニヤしながら。
坊やはギョッとした様子で(鮮魚コーナーだけに)立ち上がり、ママのところへ駆け出してしまいました。
妖怪抱っこしたろかババアと思われたかもしれません。妖怪抱っこしたろかババアってなんだよ。いねえよ。
でもそんなことはどうでもよいのです。発言内容がおばはん丸出しなこともさておく。問題は、私がそれを言うべきか言うべきでないかを考える前に声に出して言ってしまっていたということです。
私の体内の「言うべきか言わぬべきかセンサー」は壊れてしまったのでしょうか。今後は自分の思いをだだ漏れに漏れさせて生きていくしかないのでしょうか。この前所用で息子をオフィース街に連れていったとき、会社員の人たちを見た息子が「なんでこんなにおじさんがいっぱいいるの? おじさんのおまつりなの?」と言い出して肝をつぶしたのですが、私もそのうちあんなふうに思ったことを全部声に出すようになるのでしょうか。くさい匂いを嗅いだら即座に「うわ!くさ!」と叫んだり、仕事中に「なにかお手伝いすることはありますか?」と訊ねるべき時にも「なんか仕事あります? ないならお給料だけでもいいからください! お金ください!」とか言ってしまったりするのでしょうか。ヤダ!一大事!