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とうふのホルモン

24歳。豆腐メンタルだけど、わがままに、ホルモンのままに生きそして書くことにした。

大人の反抗期【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

エッセイのようなもの ホルモンの近況

最近、母親が鬱陶しいなあ、と思うことがある。

たとえば今朝。「おはよう。今日はおじいちゃんの誕生日です。よかったら電話でもしてあげて」とラインが来ていた。母方の祖父の誕生日。そんなこと言われなくてもわかっている。とうふは今、元気がないのかもしれない。でも、でもとうふから1本、電話があったらきっと、お父さんが喜ぶだろうから、もしよかったら、してあげてほしいな――。そういう母の思惑が、わたしの様子を伺うような態度が、透けて見えて「鬱陶しいなあ」と思ってしまう。母からのラインは既読無視して、夕方になって気持ちが落ち着いてから、祖父に電話をかける。その後夜に、「おーい、生きてるかあ?」と母からの追撃がくる。

書いていて自分で思うのだ。なんでこんなにちっちゃなことで腹を立てているんだろう、って。たぶん、遅れてきた反抗期なのだ。

 

 

これまで反抗期らしきものは特になかった。親は基本的に全面的にわたしの意志を尊重してくれる人たちだったし、わたしはわたしで、とんがった強い意志など特段持っていたわけではなく、あえて言うならば、自分の周りの好きな人たちが喜んでくれることがわたしにとっても心地がよかったから、そういうふうな選択をしてきた。それが悪いことだとは今のところは思っていない。だって、わたしがわたしとして生きてきた結果、そうしたいと思ってきたのだから。

 

――大学を1年留年したこと。そして新卒で入社した会社を1年で辞めてしまったこと。入籍したこと。

これらのとき、正直言って、周りの意見なんかどうでもよかった。もう少し控えめに言うならば、何を言われようとわたしの意志を変えるつもりはなかった。わたしの人生にとって大事なことだから、わたしが決める、と思っていた。

 

これまで、おそらく母の予想の範疇の中で順当に生きてきた。大学入学が決まったとき、「お姉ちゃんはもう安心して見ていられるわ」と母は言っていた。

だからこそ、母は今きっと、そんなわたしを並々ならぬ不安な気持ちで見ているんだろうなあ、と思う。

 

 

会社を辞める、と決めたとき、母は「急いで決断しないほうがいいんじゃない?」と言った。「気持ちが沈んでいるときは、大きな決断をしないほうがいいってよく言うし」

辞めることは、もう決めたから話したのになあ、と思う。ホウレンソウ、の「相談」のタイミングは、とっくにもう終わっていて、「連絡」あるいは「報告」のつもりだったのだけれど。

それでも、この提案は素敵だなあと思った。

「そうだ、気分転換に、お母さんと旅行行かない?ずっと会社の寮にいても休まらないでしょ?……無理にとは言わないけど、もし気持ちが乗りそうだったら、一緒にどこか行こう」

 

「とうふは行きたいところある?ないなら、お母さん、行きたいところがあるんだ」

そう言って、長野の戸隠に2人で行った。不思議なおじさんに2人でそれぞれ悩みを相談した。お母さんの悩みは3つあって、それは3人の兄弟それぞれの将来のことだった。

「お母さんはちょっと過保護なんですよ」「そんなに心配しなくても、どうにでもなりますよ。大丈夫」不思議なおじさんにそんなふうに言葉をかけられて、涙ぐんでいた。ああそんなにも、心配してたんだ、とびっくりした。びっくりして、同時に、ほんとうに、それは過保護だよお母さん、と思った。

 

 

以前書いたように、できちゃった婚の長女のわたしの歴史は、わたしの家族が家族になっていく歴史でもあり、母が母になっていく歴史でもある。そしてその歴史は今、親離れというか子離れというか、わたしはわたしで新たな家族を形成していかなくてはならない、そういう新しい局面に来ているのだと思う。母は、それを今、わかっているのだろうか?受け入れられているのだろうか?

 

きっと、まっとうに思春期にきた反抗期ならば、感じたままに「うるさいなあ!」とか、あるいは感じた以上に「クソババア!」とか、そんなふうにぶつけてぶつけて、本音でぶつかり合って、そして最後には新しい形での関係ができてくるんだろうなあ、と思う。が、今わたしは24歳、もうすぐ25歳。傍から見たら「いい大人」なんであって、こんないい大人は「離れた今だからこそ親のありがたみがわかります」なんて大人なコメントを言うべきなんであって、「クソババア!」なんて言っている場合ではないのだ、そんなのはカッコ悪いのだ、とわたしの中にある社会通念が感情をさえぎろうとする。しかしその一方で、本音を言えないまま、このままでいたらわたしたちはやばいんじゃないか、っていうような直感もある。

 

 

こんなことを書いていたら、だんだんどうでもよくなってきた。大切な人だからこそ、ここまで悩むのであって。大切な人だからこそ、傷つけたくないのであって……。考えてもがいていたら、そのうちなるようになるでしょう、と思い始めてきた。

冒頭、母からの「おーい、生きてるかあ?」に返信する。

「おつかれー。どうにかこうにか元気。そちらも家事やらばーちゃんの介護やら大変でしょ。ちゃんと手抜いてるかー?」

しばらくして、母から再度返事がくる。「ママはテキトウにやってるよー。なんや、疲れてるん?」

「あ、わかる?笑 バイトがいい感じやからって調子に乗りすぎて、いろいろ用事入れてたらなんか疲れてしまった。笑 でも、疲れた分ちゃんと休んでるから大丈夫よ。」

今度は、もう少し軽やかに受け止められた。

 

モヤモヤがなくなるわけじゃない。そんな特効薬が、あるわけでもない。

でもまあ、書くことが一時わたしの感情を救ってくれる。

やりたいようにやっていれば、何事もどうにかなるでしょう。これが、大人の反抗期のやり過ごし方かもしれませぬ、となんとなく今思っている。