スピリチュアルと一言で言っても様々なものがある。引き寄せの法則もその一つである。そして引き寄せに関しては、結果が出たか出ないか、それは一目瞭然である。
一方で、悟り や覚醒を目指すものもある。これに関しては、達成したかどうか、それを明確に形にすることはできない。私は悟っている。
覚醒をしている。このように主張する人もいるが、それはあくまでも自分で言っているだけであり、 それが確かなものか、明らかにすることは難しい。
覚醒したと言っている人で、本当にそれを達成してる人もいるだろうが、実際のところ、自分で思い込んでいるだけの人も少なくない。
これはいわば言ったもの勝ちであり、 自分は覚醒したとしちょうすれば、それを信じる人も出てくるだろう。だが安易にそれを信じ込んでしまうのも危険である。
精神性や霊性を高めていくのも、色々な段階がある。ここでは 様々な次元があるという表現をするが、途中の次元を 非常に高い次元、悟りの次元と勘違いしてしまうケースもある。
それはそれである段階まで達成したのだから、全く無意味とは言えないが、まだ覚醒をしてもいないのに、私は覚醒したと思い込み、それを周りに主張してしまうのは、いかがなものかとも思われる。
あるいはまだ覚醒してもいないのに、覚醒したと思い込まされてしまう。ここでは魔 という表現をしておくが、魔の働きによって、自分は覚醒したと錯覚してしまうこともある。
このようなケースも少なくはなく、十分な注意を要する。自分の状態はどのようなものであるか?それを常に内省して、チェックをしておく事。これが非常に大切である。
だが瞑想が深まってきたり、霊的な段階が進んでくると、自分はもうできていると思い、内省して自分の状態をチェックすることを怠るようになりがちである。そこから転落が始まる。
外的な魔の働きに意識が向きすぎるのもよくないが、段階が上がれば上がるほど、魔の働きも強くなる。これもまた事実である。よく言われることだが、 光が強くなれば、闇をまた強くなる。これは私自身の経験や、私の仲間たちの状態を見て、間違いない真実であると思われる。
自分は悟ったと勘違いするときや、外的な魔に付け込まれる時は、得てして傲慢になっている。謙虚さをかいてしまうようになる。そうなってしまったと 気づくことができればいいのだが、傲慢になってしまうと、なかなか気づくことができない。
そういう時は、周りの意見にも素直に耳を傾けることもできなくなる。素直さは非常に大切なことだが、 傲慢になってしまうと、素直になれず謙虚さを失う。 周りの意見だけを尊重することはないが、素直に周りの意見を聞けなくなることも要注意である。
そして、今までよりさらに目覚めてくると、それを妨害しようとする現象が起こることがよくある。そこでせっかく、より一層幻想から解放され、目覚めていくチャンスが訪れても、そこで止まってしまったり、引き返してしまうこともある。
それはもったいないことではあるが、自分自身が 妨害があっても、それを逆にチャンスと捉え、目覚めを深めていくという覚悟ができていないなら、無理をしない方がいい。どうしていつかは自分で決めることである。
ともかく大切なのは、自分自身を謙虚に見つめ、改善すべき点は改善し、伸ばすところはさらに伸ばして行く。それを行い続けていれば、大きく 外れてしまうことはないだろう。