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いつのまにか街を走るのに慣れていた
お盆には福島の実家と浦和へ行って墓参りをしてきました。浦和は妻のお墓です。
移動手段は車。ずっと私が運転しました。そこで感じたのは「あれ、いつの間にか車を走らせるのに慣れたんじゃない?」ということ。
妻がいたときは車の運転はいつも彼女でした。私はいつも助手席。雨が降ったから駅まで送って貰い、買い物や食事行くときも助手席に座ります。私が運転するのは福島の実家にいくときに途中から運転を交代するくらいです。
なぜかというと、私が街の運転に不慣れだから。私が免許を取って車を運転していたのは福島県の田舎町。4車線、6車線もある道路を走ることはなくて、車の台数が少ない田舎道をのんびり走るのがほとんどだったからです。車は彼女名義の私物だから、勝手に乗ってはダメだよね、っても思ったのも影響あったと思いますが。
妻がいなくなって2年半。普段の買い物をするとき、外食をするとき、遠くへドライブをするとき、車を運転する機会はずっと増えました。混雑した道路を走るのが苦手だった私ですが、ずいぶんと慣れたものです。
田舎で必要な運転技術、都会で必要な運転技術
ここで言う都会の道路は幅が広くて車が多いという意味です。だから、私が住んでいる千葉を一応都会ということにしますが、「千葉は都会じゃねぇ!」というツッコミはなしでお願いします。
都会の人が田舎道を運転して困ること
- 車線がない道路は怖い。遅い車がいても追い越せない。
- 街灯がない真っ暗な道を車のライトだけで走るのが怖い。
- カーブの多い坂道をアウト・イン・アウトで走ったことがない。
- 雪道の運転は怖い。アイスバーンやワダチがあったりで怖い。
妻は浦和生まれ。奈良、宇都宮と田舎には住んだことがありません。だから、山道の運転が苦手で、実家にいったときには運転を私に交代していたのです。
(お盆に福島に行った帰りに一泊してきた那須の山道)
田舎者の私が都会の道路を運転して困ること
- 道路の車線多く、常に前後左右にも車が走ってるから神経が疲れる。
- 車が多いから、バックミラーやサイドミラーをしょっちゅう見て回りの状況を把握しなければならない。
- 安全のために車間距離をあけると、直ぐに前に割り込んで入られる。
- 走りながらの車線変更、合流が怖い。
- 左側車線を走っていると停車してある車があったり、バスが止まったりで車線変更をしなければならない。
大阪に住んでいた人が東京に来たら、「東京はなんて運転しやすいんだろう。秩序を感じる。」と言っていましたから、大阪はもっと怖いのかも知れません。
なぜ、都会の運単に慣れてきたのか
今年の春ごろから、休日には「極楽湯・千葉稲毛店」に車で行くようになりました。その前から、「湯けむり横丁・美浜」などのスーパー銭湯には行っていたのですが、自転車で行くことがほとんどでした。
なぜ、車で行くようになったかというと、極楽湯の隣には「クラブ セガ 」があって、そこでゲーム「イニシャルD 」をやりたいと孫がいうものですから、毎週のように極楽湯へ出かけるようになりました。
極楽湯近くの合流に慣れた
そこへ車で行くのには下のような合流があります。合流は嫌です。田舎道には走りながらの合流はないのです。ところが、お風呂に行くたびにこの合流を通らなければならないのです。
ここの合流に慣れたのが大きいですね。
交差点近くの右からの合流
それより大変なのが交差点近くの右からの合流です。
- 右から来る車が途絶えるときがチャンス。
- なおかつ左からの車が来ないというときはなかなかありません。
- そこで、右から来る車にお願いしてスペースを空けて貰って、そこに入ります。
- スペースを空けて貰おうと思って車を進めたら、信号が赤で前がつっかえて右から来た車を止めてしまったことも・・・Orz
ここの合流というか右折は大変なんです。出かける度にここを通らなければならず、それになれてきたようです。
都会で車を運転するコツ
田舎道では安全を確認して、「これなら大丈夫」というスペースを確認して、右折をしたり、信号のない交差点から出てきます。しかし、都会では車途絶えることはありませんから、「これなら大丈夫」というスペースはできません。そこで、右折や合流をしようとする車線の車にお願いしてスペースを空けてもらうしかないのです。
合流させてもらったあと、妻はハザードランプを点滅させてスペースを空けてくれた車にお礼をしていました。私も真似してハザードランプのお礼をしています。
「都会 運転 コツ」 で検索すると次のサイトが見つかりました。
ここの「車線・進路変更」の説明が分かりやすいです。スペースを空けて車を入れる意志のない車もありますから、無理をしないようにとも書かれています。
田舎の運転は自分ひとりで安全を確保できます。都会では自分だけではどうにもならないので協力しあいながら走らなければならないのです。
それが分かってからは、信号のない道路から大通りに出たい車や右折したい車を見かけたときはなるべく入れてあげるようになりました。