「入るぞっ」
ホーム・テルミナの宿。カーシュが眠ろうとしていた部屋のドアが、いきなり開いた。部屋の主の返事も待たずにツカツカと入ってきたのは、硬い面差しのイシトだった。
「おまえ、俺がここにいるって、何で判ったんだ?」
驚嘆の面もちで、カーシュがそのイシトの姿を目で追う。
イシトがカーシュの部屋を訪ねるのはきわめて稀だっただけでなく、彼は今パーティーを離れ、ホームの蛇骨館地下で待機しているはずだったからだ。
「私が情報将校だって事を忘れたのか」
冷ややかに答えたイシトは、怒ったような顔で上着を椅子の背に掛け、銃のホルダーをテーブルに置き、身を投げ出すようにしてベッドに勢いよく仰向けに倒れた。確かに、テルミナにはイシトの部下が配置されているはずだ。カーシュたちがテルミナの宿に入ったことくらい、すぐに知れる。
カーシュは眉を寄せて、ベッドの上のイシトを見つめた。
久しぶりに会えたのは、当然喜ばしい事だ。まして、イシトの方から自分を訪ねてきてくれるなど、普段からは考えられない。
だが、イシトからは不穏な気配がした。先程からの振る舞いの全てが、いつもの彼らしくない。
「……どうしたんだ?」
カーシュはベッドに近付きながら、思わず問いかけた。イシトは黙って天井を睨んでいる。
「イシト……?」
カーシュがベッドの端に膝をつき、イシトの顔をのぞき込んだ。その瞬間、イシトはカーシュの長い髪を引き、カーシュはイシトの上に倒れ込んだ。
「おい……っ」
カーシュが驚いて声を上げる。だが、イシトは怒ったように言った。
「……いやなのか?」
驚いたことに、イシトはカーシュを誘っているのだ。カーシュにすれば、いやなはずはない。だが、そうして身体を重ねていながらも、イシトの表情は硬かった。
「そうじゃねぇよ……でも……何かあったのか?」
カーシュが苦笑混じりに、顔を起こす。イシトは唇をキュッと結び、それからきつい調子で言い捨てた。
「いやじゃないなら、黙ってろ」
イシトは手を伸ばし、カーシュの頭を抱き寄せて、有無を言わさず唇を押しつけた。
「んっ!」
カーシュが慌てて、わずかにもがく。
カーシュはもう、何も訊こうとしなかった。訊いても無駄だろう。
闇雲に、唇を、身体を押しつけてくるイシトを、カーシュは優しく抱き留めた。両手でその頬を挟み込み、浅いキスを繰り返す。次第にイシトの身体から力みが消え、二人はようやく、深い深い口づけを交わした。
いつもはほとんど受け身のイシトが、自ら身体を開いていく。今夜のイシトは、何かを振り捨てようとするように、カーシュとの行為に没入しようとしている。
「カーシュ……カーシュ!」
いつもは声を漏らすまいと唇を噛みしめるイシトが、幾度も幾度もカーシュの名を呼び、その背にすがった。
何を求めていたのだろう?
傍らに眠るイシトの端正な横顔を、カーシュはわずかに眉を寄せて見つめた。
イシトは、自分に何を求めたのだろう?
愛だとか、友情だとか、そんな甘いものじゃない。
自分に抱かれずにはいられないほど、イシトは何に苦しんでいたのだ?
イシトを起こさないよう、そっとベッドを出たカーシュは、カーテンの隙間から外を覗いた。冴え冴えとした蒼い月が、まるでイシトのようだと思う。硬質で美しく、冷たそうなのに儚さを秘めている。
そんなイシトに、結局、ぞっこんの自分。
苦笑したカーシュは、宿の入り口を行き来する人影に気付いた。パレポリ兵だ。おそらく、イシトの部下だろう。
カーシュは急いで身支度を整えると、外へ出た。イシトの部下なら、イシトに何があったのか、知っていることだろう。
「おまえ……イシトの部下か?」
物陰に隠れてそっと声を掛けたカーシュに、パレポリ兵は静かに頷いた。さすがに特殊部隊の人間らしく、カーシュの気配に気付いていたらしい。
「直属の部下です。あなたは、先日隊長と一緒にいらした方ですね。隊長は、こちらにおいでですか?」
心配そうな部下に、さすがに正直な事は言えない。カーシュは頭を掻いた。
「ああ。今、俺の部屋で休んでる。……何かあったのか? いきなりやってきたと思ったら、珍しくガンガン飲みやがって、酔いつぶれて寝ちまったよ……」
「そうですか……」
部下は納得顔で、大きく頷いた。
「上官に逆らったんです。本国では、隊長のやり方が手緩いから"凍てついた炎"が見つからないのだと、もっと厳しくテルミナを痛めつけるようにと言っています。でも、隊長は……」
言葉を切って、部下は頭を振った。
「そんな酷いこと、できはしません。……けれど、本国のやり方に逆らった以上、"凍てついた炎"を持ち帰れなければ、軍法会議ものかもしれません……」
部下は月を仰ぎ、それから夜のテルミナの街並みを見渡した。
「エルニドはきれいなところです。こうして占領している自分たちにも、心を開いてくれる人も多い……ここは、良いところです。きっと隊長も、そう思っておられるのでしょう……」
イシトは、テルミナを、エルニドを、守るつもりなのだ。
生まれ育ったパレポリに背いても、自分の良心に従いたい。
それは、テルミナを故郷とするカーシュのためでも、他の仲間のためでもなく、自分自身のために。
そうしてイシトの心は彷徨うのだ。
故郷パレポリに帰属できず、エルニドの人間にもなりきれない。
だから、よりどころを求めて、カーシュにすがったのか。
それとも、カーシュの暖かさに触れて、自分の正しさを確かめたかったのか。
部下は、カーシュの部屋の辺りを心配そうに見上げた。
「大丈夫。朝になれば、ちゃんといつものおまえたちの隊長に戻ってるさ……そういうヤツだろ? あいつは」
カーシュに笑いかけられて、部下もつられたように小さく笑った。
「はい……」
そういうイシトだからこそ、それを知る者は、密かに案じずにはいられない。たとえイシト自身にとって、それがどれ程不本意であったとしても。
「あんな意地っ張りな上官を持って、おまえも苦労だな」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
部屋に戻ると、すでに衣服を身につけたイシトが、靴を履きながらカーシュに眼を向けた。
「どこへ行ってた?」
静かな声。それはもう、いつも通りのイシトだった。
「ちょっと喉が渇いたからな……」
「フン」
カーシュの言い訳などお見通しだとでも言うように、イシトは軽く鼻を鳴らして立ち上がった。カーシュは黙ってそばにより、イシトの肩を軽く抱き寄せた。
「何があっても……迷ってないで、戻って来いよ、俺の所に……」
イシトはフッと、小さく笑った。
「女みたいな事を言う……」
眼を細めてジッとカーシュを見たイシトは、だが、思いを断ち切るようにグイッとカーシュの肩を押し、体を離して顔をドアに向けた。
「行く」
きっぱりとした口調だった。
「ああ……」
ドアに向かって歩き出したイシトを、カーシュはその場を動かずに見送った。ドアまで行けば、部屋を出したくないと思うだろう。きっと、離したくないと思ってしまう。
イシトはドアに手を掛けて、思い出したように振り向いた。
「……悪かったな。いきなり来て」
カーシュは肩をすくめて笑った。
「いつでもどうぞ」
Ende.
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