どうかしている、俺は。
こんなにも他の誰かが気に掛かるなんて―――。
まったく、どうかしている。
その上、その相手は―――。
これはあの女(ひと)を想うのとは違う。それだけは判っている。
本当にどうかしている。
どうしてこんなにも、おまえのことが気に掛かるのか―――。
顔を上げて、つい目を向けた「その相手」は手にした本に目を落としていたが、俺の視線を感じたのか、つと目を上げて俺を見返し、やんわりと微笑んだ。
「どうかしたのか?」
「ああ、まったくどうかしている…」
溜息混じりに、ついそのままを口にしてしまって、おまえの怪訝そうな目にぶつかる。慌てて目を反らし、言い訳をする。
「…なんでもねぇよ。なんか…ぼぉっとしちまっただけだ…」
だが、そんなことではおまえは引き下がってはくれない。
「さっきから変だぞ?溜息をついたりして…疲れてるんじゃないのか?」
俺を案じて、おまえの蒼い眼が近付く。
ああ、何と言ったっけ?あの、蒼い宝石。その奥に星の瞬きのような輝きを灯す、おまえの眼はあの蒼い石のようだ。
相変わらず、何かぼんやりと、俺はそんなことを思っていたのに―――。
―――心臓の音が聞こえてしまうかと思った―――
いきなり俺の額に伸ばされ、そっと触れた手のひら。俺は飛び上がるようにして身を退けた。
「な・なんだ!?」
おまえが驚いた目をして苦笑する。
「…そんなに驚くなよ。こっちがびっくりした。熱でもあるんじゃないのか?なんだか目が虚ろだし…気のせいか顔も赤いぞ?」
瞬時に、俺の身体は火のついたように熱くなる。
「…というより、真っ赤だな…」
驚き、あきれたような口調のおまえ。思わず右腕を当てて顔を覆った俺に、おまえはゆっくりと顔を近付ける。心配そうに俺の顔を覗き込むおまえ。
「風邪でも引いたか?君は存外寝相が悪い」
おまえはクスッと笑いを漏らす。
「知ってたか?昨夜も君が布団を蹴飛ばして、布団が全部ベッドから落ちてしまってたのを、私が拾って掛けたんだぞ?」
さも可笑しそうに笑って、おまえは改めて俺を見つめる。ゆっくりと、ゆっくりと、まるでスローモーションのように、おまえの右手が近付いて俺の前髪を掻き上げる。まだ笑ったままの、おまえの顔が近付いてくる。俺は硬直したように動けない。
ヤメロ。
ヤメロ。
近付クナ。
コノ鼓動ガ聞コエテシマウ。
ソレ以上、近付クナ。
何ヲスルカ、判ラナイゾ…
俺の眼前に、あの蒼い宝玉を縁取る、長い睫毛が見える。おまえは左手で自分の前髪を持ち上げた。むき出しになったおまえの白い額が、俺の額に接する―――
バカヤロウ!
知ラナイゾ!
ドウナッタッテ、知ラナイカラナ!!
その刹那、時が止まったように思えた。目を開けると、伏せられた長い睫毛が開き、おまえの眼が俺を捉えた。水のように静かに、冷静な蒼い眼。その眼に、俺はどう映っているのだろう?かすかに、その眼が笑ったように思えた。額は、まだ触れたままだ。
鼓動はいよいよ早くなり、音高く鳴っている。きっとおまえは気付いただろう。俺の戸惑い。俺の畏れ。俺のことを軽蔑するか?俺を…嫌って行ってしまうか?
気付かれる前に、早く離れてくれ!
いや、この時が、永遠に続けばいい。
相反する二つの思いが、俺の中でせめぎ合う。
刹那の思い。
刹那の誘惑。
スッと離れたおまえが、クルリと俺に背を向ける。やはり気付かれたのか?不安が押し寄せ、瞬時に顔が青ざめるのを感じる。おまえの背が、俺を拒んでいるように見える。おまえは顎に手を当て、首を傾げた。
「…変だなぁ…熱は無いようなんだが…」
おまえが、困ったような顔で振り向き、俺の青ざめた顔に、また驚く。
「どうした?やはり、どこか悪いんじゃないか?」
ああ、気付いていない。俺はホッと溜息をつく。ようやく笑い返す余裕を取り戻せた。
「だから、なんでもねぇって言ってるだろうがっ。俺だってよぉ、考え事する事くらいあるんだぜ?」
手をパタパタと振り、わざと大声で笑ってみせる。おまえはまだ怪訝な顔だ。
「…そうか?…なら良いんだが…」
「布団のことは悪かったな!今夜からは気を付けるからよっ」
俺のそんな様子に、やっとおまえは笑顔に戻った。
「ああ、健康には気を付けてくれよ。頼りにしてるんだから」
―――そんな些細な一言が、俺をどんなに幸福にするか、おまえは知らない。
FINE.
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